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タイトル 執筆日
ヒロシマ 2000年3月29日

 ひとりの日本人として、行かなきゃいけないと思った。"Love&Peace"を歌うために、この街は避けては通れないのだ。そして、10代の感性の残る「今」しかないと思った。2000年春。今世紀最後の年に僕はヒロシマへとひとり、旅に出た。

 金沢でのライブを終え、小松から広島へと向かうプロペラ機に乗った。1時間程たった頃だろうか、上空からの僕の視界に、まだ見ぬヒロシマが飛び込んできた。(右の写真右側、元安川とその左・本川に挟まれたデルタ上に平和記念公園がある。爆心地はその右手。)
 上空からのこの景色を目にした時、僕の胸には痛く込み上げるものがあった。悲しみというか、悔しさというか、怒りともいうのか・・・。

 1945年8月6日午前8時15分。上空約580m。キノコ雲が立ち昇る中、この空を去りゆく、B29エノラ・ゲイの乗組員たちは、そこに何を見ていたのだろうか?
 人類の悲劇?自らの勝利?それともこの青い空?・・・。

 そして今、その空に僕はいた。瞳の奥が熱くなってゆくのを感じていた。
    「この痛みはいったいなんだろう?」
 僕のヒロシマの旅は、こうして始まった。

 2000年3月21日から22日にわたって、僕はヒロシマを訪れた。8月6日は小学校の登校日だった。その頃、僕にとってヒロシマは、そんなに近い存在ではなかった。

 今、僕は都内の大学に通っている。専攻は政治学。ときには汚いものをも見てしまう。国際政治基礎という科目の中で、東西冷戦についての講義があった。そこでは、核抑止論(お互いが核をもってにらみ合い、出来るだけ相手に弱みを見せずに、相手の動きを抑え込もうとする。その結果、お互いが攻撃を仕掛けることを手控え、戦争を抑止できるとする理論。冷戦期における米ソが代表的。)が、まっとうな理論として語られる。
 世界の歴史を眺めたってそうだ。根本的な核兵器廃絶ではなく、拡散防止という、なんとも身勝手な条約がまかり通っている。一体それでいいのか?その結果、インド、パキスタンの例に見るように、今なお核兵器は世界に拡がっているんだ。
 今回ヒロシマを訪れたのは、今挙げたような疑問を抱いたからだ。それからもう一つ、「平和」を求めることが、間違いじゃないってことを問いただしたかった。

 平和記念資料館で見た光景は凄まじかった。地獄絵そのものだった。剥がれ落ちた皮膚、黒焦げの米粒にひん曲がった弁当箱、焼け焦げた三輪車、そしてただれた皮膚をぶら下げて途方もなく歩いてゆく人、人、人・・・。
 これがヒロシマの真実だった。熱線で泡状になった屋根瓦に触れながら、人々の悲鳴が聞こえてくるようで、涙をこらえていた。
 
 静かな夕暮れに浮き上がった、原爆ドーム。黒い雨の降ったあの夜の寒さを考えていた。そしてしばらくの間、ここを離れたくはないと思った。穏やかな広島の街並みのなかで、ぽっかり空いたヒロシマの真実を受け止めようと思った。何時間かの間、夜の原爆ドームを見つめ、平和の灯に祈った。祈らずにはいられなかった。ひとりになりたかった。

 原爆投下の目標とされた相生橋のたもとで、タバコを吹かしながら、ゆっくりとではあるが確かな感覚をもって、真実を受け入れようとしている自分がいた。「50数年前にこの街で、いやこの国で、この地球で起こったことを忘れちゃいけない。」

 それは人間として当然のことだと思う。権力者の理屈に疑問を抱いたら、実際にその眼で見てみればいい。そうすれば、何が正しいかがわかるはずだ。
 もし再び、核戦争の危険が生じたら、当事者二人をヒロシマに連れてくればいい。そして、「見りゃわかるだろ!」って言ってやればいい。この真実を直視した時、誰もが何かを感じるだろうと思う。
 目の前の真実にかなうものなんてありゃしないのだ。

 "No more HIROSHIMAS"

 原爆死没者慰霊碑には書かれている。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と・・・。

 原爆の子の像に捧げられた折り鶴の山を見た。みんなが願っているんだ。「この世界が平和でありますように」と・・・。
 あたりまえのことをあたりまえにできないのが人間だというならば、あたりまえのことをあたりまえにすることが、人間の美しさなんじゃないだろうか?

 僕たちは今ある平和の裏側を常に踏みしめて歩いている。平和ボケする前に、もう一度考えて欲しい。見つめて欲しい。いや、見つめなければならない。

 日本よ、世界で唯一原爆を経験したこの国がなすべき事は、武力による平和維持じゃなく、この祈りを世界に伝えることじゃあるまいか?

 僕はヒロシマを忘れない。そして、あの夜無心で祈ったことを・・・。

 どうか、平和の灯が永遠に消えませんように。

                           ありがとう、ヒロシマ

                                合掌

                   

                                       ©2000 Asei Matsuda



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