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シベリア・モンゴル旅日記
〜シベリア編〜


 この旅に至る経緯は… こちら

左から…アレェグ、お母さん、アセイ、姉のスウェタ、親父さん。


 < 8月1日(水) / 富山…快晴 ウラジオストック…曇り一時雨 >

搭乗前、富山空港にて。

 旅が始まった。うだるような暑さの日本からの出発。ウラジオストック航空840便、飛行機は旧ソ連製ヤーク40。20人乗りのジェット機だ。エンジンがかかるまで、エアコンが効かないところはさすが・・・。機内は蒸し風呂状態。待つしかないと思いながらも、死にそうになる(笑)。

ヤーク40。富山空港にて。


 機内では、コカ・コーラが出た。これが10年というものなんだね。富山空港から約3時間で、ロシアの農村が見えてきた。そう、10年ぶりにこの地を踏みしめるのだ。まもなく、極東の街・ウラジオストックに到着。
 空港で働く人の雰囲気が、まさしくロシア人だったのは嬉しかった。煙草をくわえながら、トラクターを運転し、荷物を運ぶ。「労働者」といった感じだ。
 入国するや否や、凄まじいタクシーの客引きから逃れ、空港近くのホテルに1泊。ホテルの部屋にも、テレビはシャープ、コーヒーはネスカフェ、さらに、ビールにサッポロやアサヒがあるのには驚いた。
 シベリアの夏の夜は長い。雄大なロシアの時の流れの大らかさを実感する。母なる大地に抱かれながら眠る。

< 8月2日(木) / ウラジオストック&イルクーツク…曇り >

 2時間の時差もあってか、6:30に目が覚めた。いよいよ今日はイルクーツクにて、親友との再会だ。そして家族との10年ぶりの再会。
 ウラジオストック空港国内線ロビー。日本の空港ではあるべき出発案内の電光掲示板も何もない。そして、アナウンスは当然全てロシア語。行き先だけを聞き取るのがやっとだ。早めに空港に着いていたとはいえ、かなり焦ったよ(笑)。「イルクーツク?」そう尋ねつつ、周りを見ながら何とか待合室に入った。待合室ではロシアのテレビ番組が流れていた。CMもちゃんとある。「なかなかセンスいいCMじゃん?」とか思いながら、未だ飛行機に無事乗れる確信なくして内心不安のまま。でも、「何とかなるさ!」と自然に思えてしまうのが、ロシアの空気なんだろうなぁ。
 そうこうしているうちにウラジオストック発イルクーツク経由エカチェリンブルク行き、ウラジオストック航空351便に無事搭乗(あろうことか、つい数週間前イルクーツクで墜落したのはこの復路・352便だったらしい…)。まぁここでも、「何とかなるさ」ということで…(笑)。
 もちろん飛行機は旧ソ連製ツポレフ154。内装は綺麗にしたらしく、「なかなかじゃないか」と思いきや!、離陸と同時に前のテーブルが倒れてきた。さすが…。

 約4時間、シベリアの永遠と続くタイガの上をフライト、イルクーツクに到着。国内線には、到着ロビーというものがないらしく、タラップを降りたらそのまま歩いて鉄の扉からいきなり外に出る。そして、親友アレェグの姉・スウェタとお母さんが花束を持って出迎えてくれた(アレェグは仕事だったらしい)。嬉しかったなぁ。
 そしてしばしの市内観光。マロージェナエ(ロシアのアイス。あっさり味で、これが旨い!)も食べた。その後、仕事から帰ったアレェグと、親父さんも加わって、夕食が始まった。

歓迎パーティー。


 一家は俺を大歓迎してくれ、親父さんなんかは「スコリカ・スコリカ・ニェ・ビージェリッシ(本当に久しぶりだなぁ)」と言いながら、抱きしめて喜んでくれた。ショットグラスに入れられたヴォトゥカ(ウォッカ)で乾杯!ロシアでは、3回以上乾杯をしなければならないようで、ショットグラスとはいえ、アルコール度60%もあるヴォトゥカは辛い。

< 8月3日(金) / 雨のち曇り時々晴れ >

市内中心部を流れるアンガラ川を背景に。

 午前中は市内観光。ズナメンスキー修道院(大黒屋光太夫一行はこの近くに滞在したといわれる)やスパスカヤ教会などを巡った。教会の前では、お椀をもった物乞いの子供達や老人を何人も見かけた。これがこの国のもう一つの現実なのだろうか…。少なくとも10年前には物乞いは見かけなかった。資本主義と社会主義について、締め付けられるような想いで考えていた。しかし、そう簡単に答えなど出てくる筈もなかった。

船に乗り、出航!

 昼食の後、アレェグ、アレェグの彼女のマリーナ、アレェグの友人・ローマ、その彼女のオーリャとの5人で、バイカル湖のほとりにある「BAIKAL DUNES(詳しくはHP…http://www.baikal-dunes.ru/ )という保養地に向かった。そこは、四方をタイガの森と岩山、そしてバイカル湖に囲まれ、船かヘリコプターでしか行けない所だそうだ。まずは、イルクーツクから2時間、舗装されていない悪路を走る。砂利道を100キロ近いスピードで走るもんだから、頭を何度か車の天井にぶつけた。そして船に乗り換え約2時間、「BAIKAL DUNES」に到着。

「BAIKAL DUNES」全景。

 夜はロシア式サウナに入った。サウナの横には、レストルームがあり、そこでビールを飲みながら、気分がよくなったところでサウナに入る。さらに、火照った身体のまんまバイカル湖に飛び込む!水温は凄く冷たくって圧巻!!ビール→サウナ→バイカル→サウナを何度か繰り返す。ローマに「お前はシベリアンマンだぜ。」と言われ、すっかり気分をよくして、ここで暮らしても悪くないと本気で思った(笑)。大自然とともにある、ロシア人の精神性の偉大さには、感心してしまう。この時の流れ、ここはユートピアかと思った。

 しかし今日一日、修道院の物乞いとユートピアのような「BAIKAL DUNES」のギャップ、俺は少し訳がわからなくなっていた。

< 8月4日(土) / 曇り >

 俺が泊まった部屋は、丸太作りのログハウス。窓の外の木をリスがつたう。バイカル湖の小波を伴奏に、水鳥達が美しい旋律を奏でる。自然の中に生きる人間を実感する瞬間だ。
 今日の午後は再び船に乗り、近くの景色のいい漁村を訪れた。散策といったところだろうか。バイカル湖と岩山、とっても綺麗だ。

カラオケ熱唱中(笑)。


 そして夜は、ナイトクラブで飲んだ。俺はカラオケ(カラオケはロシア語でもカラオケ)で、「STAND BY ME」を歌った。そしてビールを片手に、片言の英語とロシア語を交えながら、色んなことを語ったなぁ。例えば、「世界は一つ」ってこと。俺がいつも歌っていることだ。彼らも、「例えば、イルクーツクに黒人がいるけど、かつてニガーと呼ばれた彼らだって、偉大な血を持っている。」そう言っていた。これは嬉しかったね。海を隔てたところの友人と、こういう話題を語れたことは貴重な財産だった。
 さらには、彼らの日本に対する疑問。「日本の製品は良いものばっかりなのに、どうして日本の若者は、ヨーロッパのブランド品をわざわざ高い値段で買うのか?」とか、「日本は発展しているのに、何故ヤクザがいるのか?」などなど…。
 ただね、凄く考えてしまったことがある。「ここ(
BAIKAL DUNES)には、ビジネスマンしか来ない。彼らはお金を持っているから、犯罪を起こすことはないんだよ。だから、外に向けた警備だけはしっかりしてるんだ。(実際ピストルをもったセキュリティーが交代で見張ってる。)」と「BAIKAL DUNES」の経営者の息子でもあるローマが語ったことだ。ある意味、説得力のある話ではあった。確かに、みんなが豊かになることこそ、「ONE WORLD」への第一歩なのかもしれない。しかし、俺の頭の中、昨日教会で見た、物乞いの子供達の姿がこびり付いて離れなかった。

< 8月5日(日) / 晴れ >

バイカル湖から水蒸気が立ち昇る。

 バイカル湖に来てようやくの晴れ。気持ちのいい朝だ。気温も上がった。上がったとはいっても19℃、すごしやすい。バイカル湖の水温と気温との温度差で、海岸に水蒸気が立ち昇る。なんだか、幻想的な空間だ。

断崖絶壁を歩く。後姿はオーリャ。


 さて、今日は午後からハイキング。13km歩いた。バイカル湖のほとり、かなりの断崖絶壁を歩く。最初はちょっと怖かったよ。しかも、ロシアの人は歩くのが早い。久々の運動に少々疲れてしまった。でも、疲れたところでバイカル湖の水を飲む。手ですくって、そのまま飲めてしまうほど、水が綺麗なのだ。旨いんだなぁ、これが!

 夕方は、卓球。戦跡は、五分五分といったところだろうか。そこで、マクシムという僕と同じ年くらいのロシア青年に〔ピンポン日ロ対決〕を申し込まれた。いいところまでいったんだけど、負けちゃった!試合後、堅い握手。また友達が増えた。

ロシア初ライブ!後ろの3人は、(左から)アレェグ、マリーナ、オーリャ。アセイの右に座っているのが、マクシム。


 夜はね、キャンプファイアーで歌ったよ。ロシア初ライブ!ギターを借りて「女の子」、「いつの日か」を歌った。手拍子なんかももらって、とっても嬉しかったよ。いつか、ロシアでコンサートをやりたいなぁ。
 その後は再び登場、ナイトクラブ。毎晩毎晩、ヴォトゥカにビールで、辛くなりながらも、男性陣はシモネタで盛り上がる。どこの国でも男どもは、女性が好きってことさ(笑)。

 そして今夜、月がとってもきれいだ。波もほとんどないバイカル湖を鏡のようにして、月明かりが一筋にのびる。とっても深い優しさに包まれているようだった。

< 8月6日(月) / 晴れ >

左から…アレェグ、マリーナ、オーリャ、ローマ、アセイ。

 この辺で、6日間をバイカル湖で過ごした仲間を紹介したい。
・アレェグ…言わずと知れた僕の親友。10年間文通を続けている。現在は、携帯電話会社の顧問弁護士。24歳。
・ローマ…アレェグの親友。ロシアのボンボンって感じかなぁ(笑)。でも、すごく人間味があって、優しい男。今回の旅で、とっても仲良くなった。緒方拳主演の映画「おろしや国酔夢譚」のワンシーンに後姿で出演したらしい。24歳。
・マリーナ…アレェグの彼女。イルクーツク経済大学の法学部生。モデルのようなスタイル。異国からの訪問者に、実に親切に接してくれた。20歳。
・オーリャ…ローマの彼女。英語の通訳をやっている。さすが、英語の発音はすごく綺麗だ。スタイル良くてカッコいい女性。尻に敷かれるな!ローマ(笑)。19歳。

山の頂上にて。


 さて、今日も歩いた。午前中に7kmのハイキング。昨日のハイキングの影響もあって、足が筋肉痛で辛い。さらに、午餐の後、山登り。登山道なんてものはなく、ひたすら急斜面を登る。そして最後には、ちょっとしたロッククライミング。景色は最高だ!タイガに包まれたバイカル湖がくっきりと浮かび上がる。バイカル湖の美しさには、ため息が出るばかりだ。

美しきバイカルの眺め。


 夕方、俺はバイカル湖をただ眺めていた。アレェグとローマはバレーボールに夢中だ。その時、「BAIKAL DUNES」で働く、ウズベキスタン人にロシア語で話しかけられた。片言のロシア語ながら、なんだか意思疎通。仲良くなった。こういう出会いって、嬉しいもんだね。

新しき、ウズベキスタンの友。



< 8月7日(火) / 晴れ >

 昨日も飲んだ。一足先に部屋に戻ったものの、そろそろ限界が来たのだろうか?今日は、昼飯もろくに喉を通らない。胃が気持ち悪くてしょうがない。釣りに出かける予定だったが、仕方なくキャンセル。部屋で休むことにした。やがて、急激な下痢に見舞われることになる…。

腹痛に耐えながら…。後ろに映っているのが、アセイが泊まっていた部屋。

 今日はローマの24回目のバースデイ。本当なら、ヴォトゥカで乾杯したいところだったが、シャンパンひとなめしかできなかった。しかも、「BAIKAL DUNES」最後の夜だというのに…。悔しい!

 しかし、バイカル湖で見る月と星は、格別だ。気分がナーバスな時ほど、自然が美しく感じられるのは何故だろう。

< 8月8日(水) / 晴れ >

ロシアン・ハイウェーひた走る!

 9:00、「BAIKAL DUNES」出航。天気がいい。気分は少しは良くなった。11:00頃、船を降り「ロシアン・ハイウェー(砂利道の悪路を茶化して、アレェグ達はそう呼んだ)」を走りだす。13:00頃、イルクーツクに到着。
 そうそう、今日はアレェグの24回目の誕生日。アレェグ宅にて、午餐をかねた家族だけのバースデー・パーティーが行われた。俺も、甚平をプレゼントする。

中央市場にて。10年前と違い、活気に満ちていた。

 15:00すぎから、市内ドライブへ。遊園地で観覧車に乗ったり、展望台に行ったり、中央市場にも行った。しかし、日本の中古車がやたらと多い。俺が見たところ、7割くらいは日本車の中古だ。その他、ロシア車と一部上流階級のBMWや、ベンツなど。

 夜は、市内の中華料理屋でアレェグのバースデー・パーティ。友達が20人くらい集まった。久しぶりの好物、中華料理が嬉しかったが、再び腹痛に見舞われる。しかも、駆け込んだトイレに紙はなく…。かなり冷や汗(笑)。
 腹痛に耐えながらも、アレェグの友人とは、「北方領土についてどう思うか?」とか、そんなまじめな話をした記憶がある。印象に残っているところでは、ロシアの兵役の話だ。ロシアにも兵役は存在する。ただ、アレェグ達は、大学に行っていたから免除されたらしい。「兵隊には行きたくない。」そうみんなが言っていた。

< 8月9日(木) / 晴れ >

 昨夜は4〜5回、トイレに駆け込んだ。お陰であまり眠れなかったが、今日になってようやく良くなってきた。

シャーマン・ストーンを背景に、アレェグと。


 今日の午後は、バイカル湖のほとりの観光地・リストヴャンカへ出かけた。美しいラブ・ストーリーを持つ「シャーマン・ストーン」も見た。しかし、何度見てもバイカルは美しい。

 夕方は、親父さんの車(「ボルガ」というロシアの高級車)に乗って、10年前に訪れた「ピオニールキャンプ」を訪れた。懐かしい。ソ連が崩壊し、すでに「ピオニールキャンプ」としての役割は終えたものの、現在も保養所として、イルクーツクの人々に親しまれていた。

ダーチャにて。

 そして車は、アレェグ一家の「ダーチャ(別荘)」へ。ロシアでは一般的に、都市労働者は、都市ではマンションに住み、郊外に畑付き別荘を持っている。そして、週末にはそこで畑を耕してすごす。精神的に、すばらしく豊かなものを持っている。何しろ、基本的な建物ができれば、ペンキは自分達で塗り、トイレを建て(ボットンだったけど…)、今度はサウナを作るんだといっていたから驚き。見習うべきものがあったね。

シベリアの俺の親父!


 さて、今日の夕食は、バーベキュー。豚肉の串焼きは、メチャクチャ旨かったよ。親父さんもご機嫌。本当に温かい家族だ。今日はダーチャで1泊。

畑には、土の匂いがする。自然とともにあり。




< 8月10日(金) / 曇りのち晴れ >

 ダーチャからイルクーツクへは、シベリア鉄道を走るローカル線に乗った。線路の幅が、新幹線より広いから、車内も広々。イルクーツク駅からは、路面電車にも乗った。

シベリア鉄道だぜ!


 今日の夜は、アレェグの会社で、会社仲間とアレェグのバースデー・パーティーらしい。「また飲むの?」とか思いながら、買い物などに付き合った。
 そして夜は…。例のごとく、ヴォトゥカ。ついでにワイン。さらにコニャック(もちろんストレート)。やられたー!撃沈(笑)。イルクーツク最後の今夜は、ナイトクラブでローマ達に再会する予定だったのに…。アレェグ宅に収容される。

< 8月11日(土) / イルクーツク…曇り >

 いよいよ別れの日だ。朝食には、俺の好きなロシア料理・ペルメニ(ロシア風水餃子)をいただいた。記念写真に納まった後、親父さんの車で空港へ。家族全員が空港まで見送りに来てくれた。
 空港にて別れを惜しむ。握手をしながらこみ上げる涙をこらえた。親父さんが、強く抱きしめてくれた時、たまらなくなったけど、泣いてしまったら涙が止まりそうになかったから我慢した。

空港にて、最後の別れを惜しむ。


「また、来いよ!」そう何度も言われた。嬉しかった。そして、この10日間の感謝の気持ちでいっぱいになった。
「また来るよ!」そう、精一杯の気持ちで手を振った。海を隔てちゃいるけれど、また一つ絆が強まった。




 ありがとう! スパシーバ・ボリショイ(どうもありがとう)!!


 2001年8月 松田 亜世 

 * モンゴルへとこの旅は続く →  こちら



©2001 Asei Matsuda



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