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吉 祥 寺


井の頭線ガード下にて(2003年早春)




 2003年2月8日、上京以来5年間住み慣れた「吉祥寺」を後にした。
 愛しき街並みが遠ざかり、憧れの中央線を併走する首都高を通り過ぎ…。

 それから1年、僕はどこかの街をふらふらと旅し続けている、そんな感覚を覚えている。不思議な感覚だ。故郷・金沢を離れ、都会での独り暮らしを始めた頃にも感じ得なかった奇妙な浮遊感。
 それを逆手にとれば「吉祥寺」、この街が僕にとって、それ程意味のある街だということも出来る。ともかく、あの吉祥寺駅公園口の改札を出る時の僕の心の中の妙な落ち着き。井の頭線改札から人が流れ、あのなんともいえない雑踏感。いつしか、何のこだわりもなく「ただいま」と、そう心の中で呟く僕がいた。

5年間住んだ303号室の前にて。


 1998年3月、高校を卒業し、憬れの東京での学生生活が始まろうとしていた。親父のハイエースに積めるだけ積み込んだ荷物の隅に、地方から「東京」を目指す想いを、そして覚悟を握りしめながら僕は「東京」へ出てきた。

 高校時代に聴き込んだ60年代〜70年代の音楽から、かつて「文化は中央線に乗って運ばれる。」といわれた中央線沿線に吸い込まれるようにして僕は「東京」での住処を「吉祥寺」に定めた。
 「武蔵野」、その響きだけで文学の匂いがする。時代こそ違えども、「金沢」という僕の故郷の響きがもたらす文学的色彩と似ている。駅前のちょっとやんちゃな飲み屋街、下町の匂いのするハモニカ横丁、友部正人さんの歌にも出てきた中道商店街、ちょっとおしゃれな、いわゆる東急裏・・・。そして、都会の中のオアシスともいうべき井の頭公園。その井の頭池のほとり、僕は何度癒されたことか。これまた高校時代の僕にとっての犀川への想いと重なる。元来、僕は水が好きなのかもしれない。

吉祥寺の僕の部屋



 僕の新しい住所は「東京都武蔵野市吉祥寺本町」。それだけでも嬉しかった。住民票を5年間移さなかったことを本気で後悔している。そして、僕の住んだアパートは紛れもなく中央線沿線。三鷹から東京方面の快速電車に乗ると、吉祥寺駅の200メートル程手前に303号室のドアが見える。電車が走るたびに揺れた。三鷹行きの最終電車が走り去り、東京行きの始発電車が走り出すまでの時間の流れがたまらなく好きだった。六畳一間の僕の城で、曲づくりをしながら始発電車の通り過ぎる音を待った。・・・街が動き始める。
 夢を叩き付けるのに理由なんて要らなかった。ただ夢を叩きつけた場所がひとつ、またひとつとついてくる。

天井の梁には、好きな作家の言葉や
自分自身の想いを書き殴った。


 吉祥寺にこ洒落た雰囲気を求めない。もっとも最近は大手の美容室の進出、あるいは東京の住みたい街ランキングのトップに立つなど、あわや青山といった空気も一部には流れている。しかし、この街には「人間」が似合う。何かに向かって、何かにぶつかりながら、喜怒哀楽に生きる、そんな「人間」の街だと僕は思う。
 「人間」の生きる街は温かい愛おしさに包まれる。コンクリートで塗り固められ、幾何学的な冷たさを持つ人工的な街に立つと、どうもどこか気分が悪くなる。実際あるところでは、吐き気をもよおしたことすらある。
 飲み屋街の焼き鳥屋の煙にまかれ、ふと路地を曲がると夕食のカレーライスの匂いのする、そんな街が好きだ。
 ライブハウスのマスターに連れられて通ったハモニカ横丁は、正にそれだ。昭和の空気も残っている。夜になるとその赤提灯に、吉祥寺の文化人たちが集まってくる。老いも若きもみんな現役の「人間」である。常連客同士の青春談義が夜が明けてなお、続く。

壁には映画のポスターや好きなアーティストのポスターが並んだ。

 部屋から井の頭通り沿いに5分も歩けば、井の頭公園に辿り着く。休日の夕方、たまらない淋しさと孤独感にさいなまれた時、曲創りに行き詰った時、僕は迷わず公園に向かった。夕焼けに染まった木々たちの下、ただひたすら歩いた。僕らと同じミュージシャンがいた。インド帰りのストリートベンダー、ヨーロッパ仕込の大道芸人…。行き交う恋人たちや、家族連れの中で、池と緑と「人間」たちと一緒に、そのフレームの中に、今ある自分を嬉しく思えた。



北向きの窓からは、東急デパートが見えた。
ビルの窓ガラスに中央線が映り、一日が始まる。
 日が暮れた後の井の頭公園も素敵だった。僕のこだわりのロケーションがあり、そこからは、池を見渡すことが出来た。しかも人も疎ら。そして、月が高く昇った日には、木々の間から月が覗き、水面に月明かりが一筋に揺れるのだ。幻想的だった。「東京」に居ながらにして自然との繋がりを実感した、そんな瞬間だった。
 特に印象に残っているのは、獅子座流星群の夜。深夜2時頃だったろうか?、ニュースで知らせを聞いて公園に向かった。しかもパジャマにMA−1を羽織り、カンフー靴のまんま。ちょっぴり恥ずかしい気もしたが、ある意味「俺は、この街に住んでるんだ。」的な、ささやかな優越感を抱いたりしたもんだ(笑)。それにしても井の頭池に流れる星は圧巻だった。
井の頭こだわりの場所。


 井の頭線と東横線を乗り継いで、1時間近くかけてキャンパスに通った学生時代。周りの友達が就職活動に忙しく、それでも歌で生きていきたいと改めて誓った頃。バイトで暮らした日々。想い出は全てがこの街に行き着く。
井の頭公園にて歌う。


 そして、この街で「歌う」ことで、今なお僕の青春はここ吉祥寺に生きている。「何故、この街にこだわるのか?」、そう問われれば僕は迷わず「僕の青春が今もこの吉祥寺に生きているからだ。」、そう答えるだろう。
 故郷に生き続けるのは、己の青春ではないだろうか。それを単に懐かしいと留めてしまうのか、さらに血を燃え滾らせて生きてゆくのか?


 「東京」での僕の原点・「吉祥寺」。間違いなく純粋に、この街は僕にとっての第二の故郷だと言い切ってしまおう。
 夢を叩きつけ、青春を叩きつけ…。
 故郷とは、必ず還る場所である。そしてまた、青春を叩きつけるために。

2004年2月8日

亜世ハンコ 





©2004 Asei Matsuda



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