本当に人の心を打つ歌というのは、作為的なものではなく、その人間そのもの(=心口意)が一体となり、生まれたもののような気がする。 僕にとって歌う意味があるというのは、自らの人生を背負い、心の奥底の未だ計り知れぬ自分の叫びを体現できることにある。 だから今、僕は故郷・犀川のせせらぎに身を委ねながら、作られたものではなく、生まれ、そして与えられた自分自身の名を掲げて、再び歌い出そうと思うのだ。 生まれてきたことに感謝。今日を生きることに感謝。 そして、明日を夢見る。 2003年8月13日 故郷金沢にて 松 田 亜 世 |
2002年7月、高校時代より慣れ親しんだ本名を離れ、『Asay』というステージネームを名乗った。吉祥寺の月例ワンマンライブを始めることを機に、新たな気持ちで臨もうというのが第一の想いだった。
ステージネーム。
歌い手にとっては看板のようなそれを、ここ1年程の内に2回も変えることになったのは、僕自身大変不本意なことだったし、考えてみれば曖昧な気持ちであったし、中途半端な気持ちだったと深く反省している。
2003年1月からこれまで使ってきた『亜聖』というステージネームは、字画が良いということもあったが、お世話になる筈だった音楽事務所の意向もあった。その流れの中で起こった色々なゴタゴタであるとか、音楽の為に千葉に移り住んだ筈だったのだが、結局都落ちのような形になってしまっている現実。未だ歌で食べていくこともできていない。それは、自分自身の力が足りないということが第一なんだと素直に認める。しかし今、中途半端な思いで決断してきたここ1年の自分を振り払い、しっかり前を向いて自らの二本の足で歩いていきたいと強く思っている。
ここ1年、他力本願的に生きていた自分を恥じる。それが、このステージネームの変遷を振り返ってみると手に取るように迫ってくるのだ。
そしてこの夏、愛して止まない故郷・金沢の地に立ち、僕の実家の真ん前を流れる男川・犀川の力強いせせらぎに耳を傾けた。
憧れ、そして勝負の地として『東京』に上ってから、故郷は僕の背中を押し続けてくれてきた。18年間、僕を育ててくれた故郷の街に僕は心から感謝している。その地に立つと、まるで自分の人生がそこにあるような気がするから不思議だ。
犀川、僕の青春が詰まった場所だ。いつもその流れに還ってくると、自らを省みることができる。黙ったまんま、悠々と流れるその流れに僕は生まれたのだ。
亜世
親父がつけてくれたその名前。
アジアから世界へという意味が込められている。
僕は自分の名前に大きな誇りを感じた。
「もっと大事にしなければ…」、そんなあたり前のことを無言のまま、あたり前に教えてくれるのが故郷って場所なんだ。
松田亜世
逃げも隠れもしない、生まれたまんま、素っ裸のまんま。
その名前を背負って歌わなければ嘘だと気付いた。
正々堂々、突き動かされるままに精一杯生きて、そして歌っていかなければ…。
2003年8月18日
合掌
©2003 Asei Matsuda