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おかえり祭り


家方組の台車を引っぱる(2005.5.21)




 江戸時代、北前船の寄港地として賑わった石川県石川郡美川町(現:白山市美川地区)。明治初期には金沢ではなく当初はこの美川の地に県庁が置かれ、「石川県」という名称も美川がその河口の町である手取川から付けられたともいわれている。
 その手取川、鮭が遡上する川としても知られている。大海原を泳ぎ、生まれた場所を求め、その川の上流で新たな生命(いのち)を産み落として死んでゆく鮭。生命の大いなる力を感じる。

 「おかえり」。
 家族という人間のあたりまえの営みの中で、心から安らぎを感じることの出来るなんとも美しき言葉であろうか。その優しき言葉を身にまとった「おかえり祭り」という祭りが美川にはある。

祭り初日、紋付袴、白タスキ、白足袋の青年団により担がれる神輿。

 毎年5月の第3土曜・日曜に行われる祭りである。神輿を先導する美川仏壇の粋を集めた豪華絢爛な13台の台車(ダイグルマ・三輪の山車)とおかえり獅子、そして神輿の一行は、一日目は全町内を巡り、本宮からお旅所へと旅をする。翌日の夜にお旅所から本宮へ「おかえり」になるのだが、このとき(二日目)通る町を「おかえり筋」と呼び、10町ある町に毎年順番に巡ってくる。つまり10年に一度「おかえり筋」が巡ってくることになるのだ。この「おかえり筋」に当たる町の家々では、親戚・友人・会社関係の人々を大勢招いて豪華な食事を振舞ったり、あるいは畳や襖や障子を貼り替えて神様をお迎えするのだ。俗に「天下の奇祭!おかえり祭り」と呼ばれる所以である。

 僕の本籍地は石川県石川郡美川町字湊町。親父の故郷だ。この湊町はおかえり祭りの行われる美川小学校校下(石川県では学区のことを校下と呼ぶ)から手取川を挟んだ対岸に位置する。故に直接祭りには関係ないのであるが、小さい時からおかえり祭りを見物に行き、ある種のおかえりファンと化していた。高校時代に応援團長になる程の熱い情熱が好きな僕である(笑)、血が騒いで止まないのだ。

家方組の台車の飾り人形は「舞姫」。巫女さんの舞う姿ともアメノウズメの命ともいわれる。


 昨年(平成16年)、僕の従兄弟の家がおかえり筋にあたる年だった。上京以来、はじめてのおかえり祭りの為の帰郷。僕にとっては5、6年ぶりのおかえり祭りだっただろうか。そして、親父の友人に頼み込んで家方組(ヤカタグミ・元々大工さんの集まり)の台車をはじめて引っ張らせてもらった。嬉しかった。何しろ、子どもの頃からの憧れである。台車は「ギーギー」と車輪を軋ませながら進んでいく。そしておかえり筋の家々に台車を付け、「舞い込み」と呼ばれるお呼ばれに上がる。家の中では加賀友禅に身を包んだ女性陣によるもてなし。そのお返しに芸や余興を披露する。十年に一度の活気がおかえりの日(祭り二日目)には明け方までおかえり筋の家々に息づいていくのだ。

早朝5時、紋付袴に身を包み出発。
(2005.5.21)

 おかえり祭りの祭り装束は紋付袴である。これがまたカッコいい。祭りにはハッピが定番ではあるが、いえいえ、神様に敬意を表しながらの紋付袴が凛々しいのだ。神輿を担ぐ青年団(今尚、青年団がしっかりと組織されているのも美川の素晴らしさのひとつ)は紋付袴に白足袋、白タスキ。
 今年(平成17年)は、僕も紋付袴に身を包み昨年に引き続いて家方組の台車の巡行に参加させていただいた。

 平成17年5月21日。早朝4時起床。金沢から車を西へ走らせ美川に到着。紋付袴に着替え、午前6時の出発に備える。午前5時頃、神輿の担ぎ手である青年団が列をなし、ラッパを吹き鳴らしながら神様を迎えに町を行進する。おかえり祭りのラッパは祭りのひとつの特徴でもある。神輿はラッパに合わせて渡御するのだ。
 「いよいよ祭りがはじまる」そう身体の芯から感じ、鳥肌が立ってくる。

台車の巡行。13台の台車はそれぞれ個性的で、主に屋根型と傘鉾型がある。個性的なものでは、番外先頭の今町の台車は鳥居と桜、船大工の集まりである船職組の台車は舟形をしている。



 午前6時。いよいよ台車も巡行開始。紙コップ並々一杯の御神酒を飲んでお立ち。朝日を浴びながらこれから二日間祭りに彩られる美川の町を車輪を軋ませ台車は進んでいく。所々でゴザを敷き、ビールを飲んで休憩。時には「舞い込み」(前述)も行われる。午前中の段階で、かなり出来上がってしまうのであるが、祭りとは不思議なもので、どんどんどんどん飲めてしまう。
 台車の上には子ども達が乗り、太鼓を備え付けてある台車では子ども達がそれを叩く。そこには古き良き親父の姿があり、その背中を見つめる子どもの瞳がはっきりと存在する。都会では失われてしまった「地域」の繋がり。世代を縦に繋ぐひとつの線。悪いことをする子どもがいたら叱ってあげられる親父がいて(それは実子に限らず他所の子どもに対しても愛情を持って行われる)、親父の晴れ姿を大人への憧れとして夢見る子どもがいる。「お父さんのようになりたい。」、そこに初めての社会への目覚めがあるのかもしれない。

おかえり祭りの特徴のひとつである、神輿を先導する青年団によるラッパ隊(奥)と旗手(手前)。

 そしてその憧れの眼差しは、祭りの主役ともいうべき青年団へ最も熱く向けられる。美川ほど、青年団が今現在もしっかりと組織され、受け継がれている地域もないのかもしれない。誰が道筋をつけるわけではなく、自然な形の伝承がとても気持ちがいい。やはり「憧れ」は大きな力になる。
 神輿の担ぎ手、ラッパ隊、旗手(ラッパ隊に続いて美川町旗を振りかざす旗手が神輿の音頭をとる。)、祭りの主役たちを青年団女子部が温かく見守る。誤解を恐れずに云うならば、その自然な協力関係がとても美しい。男たちは自然な形で女性にその感謝の気持ちを抱きながら毎日を過ごすだろう。そこが大事なところ。そんな温かさが美川には息づいているような気がしてならない。

巡行の途中、道端でも円陣を組みながら宴が催される。



 晴天の中、午後も台車、おかえり獅子、神輿の行列は美川の町をゆっくりと進んでいく。夜が更けると台車の提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気が町を覆う。祭り初日のお旅所への「お着き」は、祭り最大のクライマックスである。13台の台車が乱舞し、神輿も祭りの折り返し地点を惜しむかのようにお旅所を所狭しと駆けずり回る。ラッパの音色が段々と早くなり、どんなことがあっても日付が変わるまでに神様はお旅所に「お着き」になる。

 祭り二日目、おかえりの日。「おかえり筋」の家々では朝から時間指定で大勢のお客さんを招いての宴席が繰り広げられる。「おかえり筋」の町は10年に一度の独特な賑わいを見せる。ほとんどの家が、玄関を開けっぴろげお客さんを招き入れる。

おかえり筋の男衆による行進。おかえり筋には提灯に明かりが灯され、北前船の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気が醸し出される。

 夕刻、「おかえり筋」の男衆が旗手とラッパ隊の先導の下、行進しながらお旅所に神様をお迎えに行く。おかえりの日の神輿は「おかえり筋」の男衆によって担がれるのだ。「おかえり筋」の沿道には提灯に火が灯され、北前船で栄えた江戸の頃の町の姿が浮かび上がるかのようだ。とても温かい空気が町中に流れていくのだ。神様への「おかえり」の心とでもいうべきであろうか。

 今年のおかえりの日は夕方からあいにくの雨。しかも土砂降り。台車や神輿にはビニールが掛けられ、我々もポンチョ型のカッパを紋付袴の上から被っての巡行となる。19時半頃、台車が順次お旅所を出発。雨の冷たさが寒さを運ぶ。気合を入れるべく、一升瓶をラッパ飲みで回し飲みする。お旅所を所狭しと乱舞し、一路「おかえり筋」の今町を目指す。お旅所の地面は砂利ゆえに、既に足袋と袴はびしょ濡れ。「エイジャー、エイジャー」と掛け声を掛けながら台車は車輪を軋ませながらゆっくりと進む。

 そして「おかえり筋」の家々への「舞い込み」がスタートする。どのお宅も豪勢な料理と大量のお酒で出迎えてくれる。「ご苦労さん」との声がとてもありがたい。「あんやと(ありがとう)」と我々は応える。

「舞い込み」の様子(2005.5.22)
舞妓さんのお姐さん方(2005.5.22)


 そのお礼の気持ちを込めて、『美川校下青年団団歌』、『両半球に類なき』、『手取の流れ』等の歌や、ちょっとエッチな『数え歌』など等、歌や芸を披露する。今年のおかえり筋の家では、京都からわざわざ舞妓さんを5人ほど呼んでいる家もあった。生まれて初めての舞妓さんからのお酌、その頃には相当酔っ払っていたのだが、お香の仄かな匂いがとても心地よかったことははっきりと覚えている。そのお宅で、舞妓さんと一緒に『六甲おろし』も歌った。家方組には虎ファンが多いのか、異常な盛り上がりは甲子園を超えていたかもしれない。最高に楽しかった。僕も2軒程のお宅で『おかえり』をアカペラで歌わせてもらった。但し、音程などわからないほどにフラフラだったが(笑)。
 7、8軒の家へ「舞い込み」をしただろうか、日付も替わり夜も深まった頃、最後の「舞い込み」を終えて「おかえり筋」を台車はあとにする(神輿は明け方近くまでゆっくりと本宮を目指す)。「また来年」そんな淋しさが漂ってくる。「おかえり筋」にとっては「また10年後」ということになる。そしてまた祭りは還ってくる。

 「おかえり」とは「お還り」ということではないだろうか。巡り会い、旅をして、そして再び還ってくる。二日間の祭りの旅、10年間の様々な出来事を映し出す旅、さらには人生の大いなる旅路。留まることなく流れ続ける時の中で、心から安らげる場所。僕らには故郷があり、家族がある。「おかえり」、その言葉には無償の愛情が深く深く込められている。

 美川のおかえり祭りは、そんな人間のあたりまえの営みを想い出させてくれる。それぞれの還るべき場所であるが故の、連帯感、愛情、情熱・・・。
 そして最後には優しさがあった。


おかえり おかえり 無言の親父の背中          

       おかえり おかえり 母の限りない笑顔

                        (松田亜世『おかえり』より)



また来年。



Special Thanks to 家方組

参考資料:ホームページおかえり君
(祭りの詳細な情報が掲載されています。ぜひご覧下さい。)

写真提供:従兄弟

2005年6月1日

亜世ハンコ 





©2005 Asei Matsuda



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