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「夜明けの月」日記(2001年1月〜12月)
作成日 タイトル
2001年12月27日(木) 「良いお年を!」
 「No More Terrorism, No More War」も無事に終え、2001年、松田亜世の活動も、28日の金沢ライブを残すのみとなりました。
 本年は、皆様に大変お世話になり、どうもありがとうございました。心より感謝いたします。この場を借りまして、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 2001年、この激動の年、皆さんはどんな想いを抱き、来るべき年を迎えられるでしょうか?切実な願いを込めて、「良いお年を!」、どうか皆様お迎えください。

 尚、年末年始の為、1月10日までの間、ホームページの更新作業はお休みさせていただきます。最新情報などは、掲示板にて掲載していきますので、どうぞご利用ください。それでは1月11日に、またこの場所でお会いいたしましょう。
 皆様、良いお年を!
2001年12月24日(月) 「メリー・クリスマス!」
 激動の2001年、このクリスマスをいかがお過ごしでしょうか?街に流れる、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が、やたらと熱く伝わってきます。
 いよいよ明日、「No More Terrorism, No More War」が開催されます。ささやかながら、僕たちの声が届くといいなぁと思っております。どうぞ皆さん、足をお運びください。
2001年12月8日(土) 「阪神ファンの呟き」
 12月8日、ジョン・レノンの命日。プレイベントやラジオ出演など、慌しい中にも、静かに平和を考えた一日だった。

 さて、今日の朝刊に「星野仙一、阪神の監督就任へ」という記事が載っていた。根っからの阪神ファンの僕である。このニュースは嬉しい!野村監督にはもうちょっと阪神を改革してもらいたかっただけに、あのような形の辞任は残念だった。しかし、以前から、他球団の監督ではありながら、星野仙一という人をずっとカッコいいなぁと思っていた。だから、このニュースは嬉しい。あとは、問題なく、監督就任が決まることを祈るのみである。
 阪神という野球球団は、最も熱いと僕は思っている。(ただ、バースの解雇以来、フロントに対する不満は大きいが…)だから、星野仙一は適任だと思う。熱血というだけでなく、情熱あふれ、人間臭い球団であるはずだと信じる。来年は、楽しい夢を見させてくれはしないか?
2001年12月5日(水) 「イースト/ウェスト〜遥かなる祖国〜
 久々に映画を見に行った。「イースト/ウェスト」、フランスとロシアの映画だ。スターリン時代のソ連が舞台になっている。ラブストーリーでもあるのだが、単なるラブストーリーに終わらない。チラシには、「すべては愛のために 自由のために あなたのために。」とある。心地よい余韻に包まれて、僕は映画館を出た。

 話はそれてしまうが、この映画で久々にロシア語を聞いた。この夏の想い出が今夜は甦る。どうもこの国に恋をしたようだ。不自由な時代を超え、自由を受け入れてやがて10年。これからどうなるのか?いずれにしても人生を通じて関わっていきたいと思っている。
 余談になるが、ロシア語の響きってのは美しい。ロシアの女性と同じくらいに(笑)・・・。
2001年12月3日(月) 「最近のハマリモノ」
 最近はまっているものを書いてみよう。音楽で言えば、ジュエル。友達に薦められて聴いてみたら、これが何とも素敵な歌で、2週間のうちにすべてのアルバムを買ってしまいました。ボーカルの表現力の深さに圧倒されたのと、サウンドにとてもシンプルな力強さがあること。僕の部屋にはジュエルの歌が、毎日流れています。

 それから、ひろさちやの「空海入門」(中公文庫)。
 空海という名前は、中学校の歴史の教科書や国語の教科書でご存知でしょうか?日本に密教を取り入れた人です。この人の生き方、考え方、凄く共感できて、勇気づけられます。すべてを肯定することから始まるわけです。空海は仏教者ですから、仏教でいえば、それまでの仏教は仏になる為に修行していたのに対し、密教は仏になることから始めるということでしょうか。とても力強いんです。つまりは、あるがままの現実を肯定するということでしょう。何かにぶつかった時、きっと勇気づけられる本だと思います。
2001年11月26日(月) 「路上初日」
 1ヶ月のご無沙汰日記でございます。
 まずは、一昨日の青梅の結果から。
 「・・・」
でした。ちょっと納得できない自分もいましたが、ダメなものはダメ。

 そして今日、今まで敬遠してきた夜の路上というものに、初めてまともに立ちました。拍手さえない中のスタート。裸になった潔さがありました。それがすごく気持ち良かった。
 「ここから何かをつかめるかもしれない。」そんな想いが頭をよぎります。

 この寒さの中、見も知らない人の足を止められたら、それが答えでしょう?
 だったらやってみるしかないですもんね。
2001年10月25日(木) 「CD発売なるかっ?」
 いよいよ明日が、CD「いつの日か」発売記念ライブの日です。でも一つ、大きな心配が…。
 ジャケットなどはもう完成して、あとはマスターCDをCDRに焼くだけという準備まで出来ています。ただ音源がまだ届かない(笑)。って笑い事じゃないんですけどね。現在、「白鳩」でもお世話になった親友の中島広太氏の大阪の部屋にて、ミックスダウンという最終作業中のはず。何とか間に合うように電話で連絡とってるんですけど、結構気が気じゃない…。
 果たして明日、無事発売を迎えられるのかっ!何とか頑張りますので、皆さん足を運んでくださいね。
2001年10月24日(水) 「タイガーランド」
 昨日、久々に映画館に足を運んだ。
 「タイガーランド」、ベトナム戦争時代のアメリカの若者兵隊を描いたヒューマンドラマだ。戦争に疑問を抱く一人の兵隊(ボズ)が上官の命令に背いていく。ベトナムへ出兵する前の最終訓練地が舞台で、戦場は描かれていない。しかし、このご時世、戦争ってやつは人間の命を犠牲にするってことをあたりまえだけれども再確認した。
 ある兵隊が月を見ながら、「ふるさとからもここからも戦場からもみんな同じ月を見ている。」そんな台詞を語るシーンが、とっても印象に残った。
2001年10月23日(火) 「荒野を越えて」
 アフガニスタンからパキスタンの国境を目指す人々の群れ。彼らが何とか国境を越えようと石を投げる映像がニュースで流れた。これが戦争なんだね。
 戦争は同時に難民の歴史とも重なる。そうして歴史は繰り返されてきた。
 軍隊は権力者のおもちゃじゃない。もっといい方法がないものか…。
2001年10月1日(月) 「早いもので…」
 早いもので10月突入ですわ。最近は、「ノーモア・テロ ノーモア・ウォー」の準備や、CD発売の準備など、忙しい毎日を送っています。一日中、パソコンと睨めっこしてる感じです(笑)。アナログ人間だった僕も、今ではパソコンなしでは、仕事が進まないといった状態。なんというか…。

 新聞などによると、あのテロ事件以来、「平和」を求めた動きが広がっているようです。嬉しいことです。僕達なりの、「何か」を求めて、今回企画したライブイベントが成功するように、今は頑張るだけです。皆さんの御協力、この場を借りて、改めてお願いします。
 外は秋の風。風邪などひかぬように、お元気にお過ごしくださいね。
2001年9月20日(木) 「嫌な感じ」
 あのテロ事件から、一週間が過ぎた。なんだかやっぱり重たい空気だ。あの事件が最悪の悲劇であったと共に、「戦争」という二文字がちらつき始めたということもあるかもしれない。
 なぜ、血で血を洗うのか?もしかしたら、いや恐らく、ある地域の庶民の犠牲が出るだろう。
 ただし、テロは許されるべきではない。もしも、自分の愛するものが巻き込まれたらと考えたら、仕掛けた奴等をぶっ殺したくなるのも当然の感情かもしれない。それを否定する勇気は僕には正直ない。
 だから複雑だ。でも、何とかいい方法はないものか?

 最近、日本の対応にもどかしさを感じている。米軍の後方支援を担当したいらしい。憲法の枠内でといいながら、きっとまたひん曲がった解釈でも作るのだろう。しかし違う!
 日本が協力できる外交手段があるはずだ。日本は、他の西洋キリスト教国と違って、イスラム圏との精神的、歴史的摩擦がない。経済協力もある程度はしてきたはずだし、仲介役にはもってこいの存在ではないか?
 しかし、外交の下手な国だと思ってしまう。戦後日本が、世界で果たすべき役割はそこにあったと考えてみてはどうか?今からでも遅くはない。役人のあかをとことん落として、人類の共通の希望=平和な世界に向けて、一躍買わないか?

 しかし、きな臭い匂いがして、嫌な感じだ。
2001年9月13日(水) 「・・・。」
 資本主義のシンボルともいえる、マンハッタンの世界貿易センタービルが崩壊する映像を、背筋がぞっとする想いで、見ていた。
 テロ。
 映画で見たような映像が現実になってしまった。
 午前4時。まだ全貌はわからない。しかし、一般の人を巻き込んだこの事件、まるで戦争を見ているようだ。もう言葉はない。
 そしてまた戦争がはじまるのか?新たな暗闇に包まれた時代を予感しているようで、眠れそうにない。
2001年8月28日(火) 「ロシアに惚れた」
 旅行から帰ってきて、初めての日記です。
 今回の旅では、色んなことを感じて、まだ何を形にしていいか自分自身整理がついていない状況です。でも、ロシアの、シベリアの大きな精神性というか、時の流れに飲み込まれてしまったようです。今日は、急にロシア語の歌が聴きたくなって、「ORIGA」という女性歌手のCDを買いに走りました。聞き惚れてしまっています。
 一度一人旅に出ると癖になると言いますが、確かに、でっかい再びリュックを背中に背負って、旅に出たい衝動に駆られています。今度は東欧かなぁ?(笑)
2001年7月31日(火) 「行ってきます!」
 いよいよ明日から15日間、ロシア・モンゴルの旅に出かけてきます。今夜一旦地元・金沢に戻り、明日の昼の飛行機で、富山からウラジオストックに向けて旅立ちます。そして、あさってにはシベリアの中心・イルクーツクに入ります。さらに、8月11日からはモンゴルの首都・ウランバートルに滞在します。
 いやー、生まれてはじめての海外一人旅という事もあって、結構不安も募ります。でも、「ONE LOVE!」、大丈夫ですよね!この旅から何が生まれるのか、とても楽しみです。(この旅に至る経緯は、エッセイのコーナーにて紹介しています。ぜひご覧下さい。)
 現地でネットが使えれば、「掲示板」にて近況報告をしたいと思っています。皆さんからの書き込みもお待ちしています。

 そうそう、昨日の参議院選挙について一言。小泉さん率いる自民党の圧勝でしたが、投票率は低かった。うーん、どうしたもんだろう?それに、靖国参拝問題に見られる、外交に対する考えの甘さは心配。「改革改革」と、声高には叫んだものの、一種のブームで終わってしまうのではないか?、そんな心配をするのです。〜本当に怖い事は、最初、人気者の顔をしてやってくる。〜、もしかしたらあのCM、的を得ているかも?

 さて、日本に帰ったら、8月20日(金沢)、26日(東京)とライブが目白押しです。元気にお会いしたいものです。
 それでは、行ってきます!
2001年7月25日(水) 「ホタル」
 8月が近づく。
 先日、特攻隊をテーマにしたテレビ番組を見た。衝撃的だった。やるせない思いが込み上げた。そして今日、映画「ホタル」を見てきた。生き残った特攻隊が主人公だ。
 「何のために死ぬのか?」そんな疑問を抱きながら沖縄の海に散った若者がたくさんいた。「お国の為」と声高に叫ばれた時代。命を賭けて尽くした「お国」とは一体何だったのか?
 どんな戦争でも、戦争を正当化しちゃいけない。そうやって悲劇の歴史は繰り返されてきてるのだから…。

 知覧に行ってみたいと思った。
 また今年も8月15日が訪れる。そこに何を見つめるのだろう?
2001年7月19日(木) 「投票しようぜ!」
 小泉旋風吹き荒れる中、来週末は参議院議員選挙投票日だ。今日僕は、不在者投票に行ってきた。改革は良しとしながらも、国会がタカ派だらけにならないように…。
 まだ選挙戦も序盤とあって、不在者投票所には他に誰もいなかった。貸し切り投票所である(笑)。しかも、ジーパンにTシャツの髭面の若者が不在者投票所には不釣合いなのかもしれない(笑)。立会人のおばさん含め、みんな妙に愛想が良かった。帰りには「いっぱい持ってってください。」と、参議院議員選のPRティッシュやらキズバンセットなどをくれた。

 ここで、PR。僕の住民票は金沢になっているのだが、選挙管理委員会に申請すれば、投票用紙を郵送してくれ、東京で投票ができる。そんな便利なシステムがあるのだ。学生の方などには、ぜひ使ってもらいたいシステムなのだ。

 しかし、アジア外交、もっと上手くやってよー。どうもがいてもアジアの中の日本なんだからさ。

2001年7月15日(日) 「相田みつをにふれて」
 今日も暑かった。部屋のクーラーは、大家さんのご好意で新しいものに取り替えてもらった。無事この夏を越せそうである。
 さて、今日は銀座・数寄屋橋にある「相田みつを美術館」に行ってきた。相田さんの書は、昔から好きで、「一生感動 一生青春」という言葉は、僕の座右の銘になっているほどだ。そしてようやく、相田さんの書をじかに拝見するご縁に巡り合った。
 やっぱり勇気づけられた。とっても素敵な気分になった。

 そこで出会った書を一つ…。

「アノネ にんげんはねぇ 自分の意志で この世に生まれて きたわけじゃねんだな だからね 自分の意志で 勝手に死んでは いけねんだよ」

 また足を運ぼう。
2001年7月11日(水) 「民家と中央線に挟まれて・・・」
 関東地方は梅雨明けだそうです。どおりで、今日も異常に暑かった!で、一体今年の梅雨っていつだったの?
 そんな暑さに負けてる今日この頃。何故って?部屋のクーラー壊れたんだよー!クーラーから水が漏れ出した(笑・・・って、笑い事じゃないよ、死活問題。)。大家さんに言ったんだけど、修理は明日以降になるらしい。今日は熱帯夜。どうしよう?もう覚悟するしかないらしい・・・。
 さすがに夜は風が涼しいけれど、なんてったって僕の家、民家と中央線に挟まれて、風が全くといっていいほど通らない。
 「ハイテク素敵 それもいいけれど〜(♪アメ玉)〜」なんて歌う僕だけど、暑さには参ってしまった。降参!ごめん!
2001年6月28日(木) 「コカ・コーラ」
 いやー、ここ数日メチャ暑いですね。この季節といえば、コーラ!スカーっとウマイですよね。おそらく今週に入ってから毎日飲んでます。コカ・コーラ(昔はペプシー派だったけど今はコカ派)大好きです(笑)。
 それにこう暑いと、風呂上がりのビールも旨い!最近は発泡酒という名の、ビンボー学生にはもってこいの安い飲み物が出て・・・。最初はあんまり旨くないなぁと思ってたんですけど、最近飲み始めた「生搾り」が結構いける。味はビールとほとんど変わらない。
 さて、明日はこの前の選挙の打ち上げだーっ!焼肉、焼肉!ビールをキューっと・・・(笑)。
2001年6月14日(木) 「選挙カーに乗って」
 このホームページの「NEWS!」のコーナーでもお伝えしましたが、近頃、選挙の応援に行ってます。先週末は街頭で、応援ソングを歌ってきました。なかなか評判はよかったみたいです。
 なぜ、歌うたいが政治に深入りするのかって疑問があるかもしれませんが、正直楽しいんです。応援している候補も44歳の若さだし、政党の色もまったくない、100%完全無所属!
 色々勉強にもなるんですよ。対立候補の汚いやり方(まぁ、悲しい事に、それがこの国の政治の常識かもしれませんが)。また、それとは対照的に仲間の大切さ、連帯感。そんなものまで感じられるんです。
 今週末は、最後の応援に行ってくる予定です。詳しくは、またそのあとにでも・・・。
2001年6月5日(火) 「22歳のBirthday!」
 6月5日、22歳の誕生日を迎えました。たくさんの方々からのお祝いの言葉、とっても嬉しかったです。これからも、精一杯生きていこうと思っています。本当にありがとうございました!
 しかし、早いもので22歳。あっという間の22歳です。頑張っていきましょう!
2001年5月29日(火) 「明日なき世界 from 忌野清志朗」
 今日、渋谷のタワレコに「忌野清志朗/ラフィータフィー」のスペースシャワーTV公開生中継を見に行ってきた。「マジカデミルスターツアー」を控えた清志郎さん、今日も実に間近!しかも、タダ!!
 約1時間、充分に楽しませていただいた。しかも、僕が大好きな「明日なき世界」(核兵器をテーマにした作品)をやってくれたのだ!会場とステージが一体となって、ピースサインを送る。すてきな空間だった。
 そして最後の曲では、ギターソロで、清志郎さんがステージの脇まで降りてきたのだ!僕との距離はほんの1メートル。カッコよかったなぁ!最高でした。

 日本のロック、健在です!

 「マジカデミルスターツアー」行きたかったなぁ。発売開始15分で、電話はつながったけど、もう売り切れ・・・。悔しいよー。
2001年5月23日(水) 「ビルの最上階」
 やっと見つけた!嬉しい。
 探してた曲と今日、ようやく巡りあえた。井上陽水「ビルの最上階」(アルバム「九段」)。
 昨年の年末、横浜のライブハウスでの陽水さんのライブで歌われてた歌だ。この曲の不思議さとセクシーさが、どうも気になっていた。でもタイトルがわからず、なんとなく覚えてた歌詞の雰囲気で探しつづけてた。そしてようやく見つけたんだ。やっぱりなんかいい。井上陽水という人の才能を改めて感じだ。

 いやー、いい音楽との再会。外は雨だけど、とってもいい気分です。
2001年5月22日(火) 「ZERO LANDMINE」
 4月の終わりにTBSの「地雷ZERO」という番組の話をした。その番組を見た翌日、CD店に飛び込んだんだが、「ZERO LANDMINE」はあいにく品切れだった。そして、先週末、ようやくそのCDを手に入れることが出来た。
 素直にいい曲だと思う。自分自身に出来る事など、たかが知れているかもしれない。でも、「CDを買う」ことによって、確実にそのお金が、地雷除去という具体的な解決策に使われるという趣旨には共感を覚えた。
 
 「私達一人一人は大河の一滴である。」

 最近読んでいる、五木寛之さんの本の言葉だ。何も出来ないんじゃない、何かをすれば小さくとも大きな流れの一滴にはなれるのだ。そう思う。
 この曲、素敵だと思います。
2001年5月15日(火) 「タイタンズを忘れない」
 「ゲティスバーグ、南北戦争の決戦場だ。5万人の人間がここで死んだ。それと同じ戦いを、我々は今も続けている。この緑の野が、若者の流した血で赤く染まった。煙と鉛の弾が彼らに降り注いだ。死者たちの声が聞こえるか?『憎しみが兄弟を殺した』『憎しみが家族を奪った』耳をかたむけろ。この聖なる血で死者から学ぶんだ。ひとつになれなければ、我々も彼らのように滅びる。愛し合えとは言わない。互いに敬意を持て。きっと、今よりも人間らしくなれるはずだ。」

 映画「タイタンズを忘れない」で、デンゼル・ワシントン扮するハーマン・ブーンの言葉だ。この言葉に痛く感動した。この映画は、実話を元にして創られたものだ。
 アメリカで、まだ人種差別が激しかった時代。といっても、わずか30年前。黒人と白人によるアメフトチームの物語だといってしまえばそれまでだが・・・。明るい未来を創造させてくれた、名作だと思う。
 しかし、デンゼル・ワシントンという人に僕は惹かれ続けている。エイズをテーマにした「フィラデルフィア」で、初めてお目にかかってから、「マルコムX」(ビデオで見たから「フィラデルフィア」より後になった。)、最近では、「ザ・ハリケーン」。今回も、冒頭で触れたあの言葉を発した時の、なんともいえぬ空気感。深かった。
2001年5月11日(金) 「民族の悲劇果てしなく」
 昨日、大学の授業で、20世紀の難民の映像を見た。衝撃的だった。
 20世紀は、戦争の世紀であったとともに、難民の世紀でもあった。ロシア革命のロシア難民に始まり、ナチスによるユダヤ難民(これは後にパレスチナ問題に発展する)、ベトナム戦争によるベトナム難民、カンボジア内戦によるカンボジア難民など。それに加え、自由を求めた、ユーゴスラビアの難民など。
 愛するものを目の前で殺され、自分の生まれた土地を捨て、見つかれば命がないという状況、それに究極の餓えに苦しみながら・・・。
 もう、言葉がない。

 ただ一つ、21世紀新たな価値観を見つけ出す、いや、答えは実にシンプルだ。そこに向かっていかねばならない。
 流行語のような「グローバリズム」じゃなく、本当の意味での「世界」を。
 20世紀、あまりにも多くの血が流れすぎた。憎しみが憎しみを生むという、悪循環は明日も続くのか?平和ボケしちゃいけない。わずか50数年前には、僕達も加害者であり、被害者であった。
2001年5月7日(月) 「ジャマイカからの叫び」
 今日、NHKでボブ・マーリーの番組を見た。36歳の若さで、この世を去ってしまったミュージシャン。ザ・レゲエ!だ。
 あれほど、社会にはびこる問題に根をはって、そして今なおその叫びは僕らに届きつづける。憧れる。ラスタファリズムに信仰を寄せ、「世界が平和になるため」歌いつづけた。もっともっと、歌いつづけて、もしボブ・マーレーが今生きていたら、この21世紀に何を歌ったのだろう?
 今日は、素敵な音楽に包まれながら眠ろう。
2001年5月4日(金) 「日比谷野音」
 今年のゴールデンウィークの僕にとってのメインイベントは、忌野清志朗率いるラフィータフィーがオープニング・アクトで出演する、日比谷野音でのイベントだった。
 去年あたりから、無性に清志郎が好きになった僕にとって、初の生「清志郎」だった!しかも、入場無料!!(ビンボー学生にはこの上ない幸せ)
 競輪選手のような服装で登場(最近、自転車で鹿児島まで行きたいと語ってた清志郎らしい)。「Love&Peace!」そう叫ぶ。
 いやー、エンターテイナーだね。ステージングがメチャクチャカッコいい!あんな大人になりたい。

 晴天の中での野外ライブ。夜になると、ちょっと寒かったけど、なかなかいいものでした。
2001年4月30日(月) 「ある番組にて」
 今日、テレビを見ていた。TBSの特別企画「地雷ZERO」という番組だ。
 地雷の悲惨さについては、ユニセフなどを通じて知っていたし、地雷廃絶の運動に署名した事もある。戦争や、内戦が終わり、「平和」を取り戻した地域ですら、地雷によって繰り返される悲劇。20世紀の負の遺産である。
 武力で、何かを解決しようとするのはもうやめにしよう、心からそう思う。理想で「平和」を語った20世紀は終わり、自らの手で「平和」を作り出す21世紀にしようではないか!それぞれができること、きっとあるはずだと思う。

 この番組では、坂本龍一さんが中心となって、様々なジャンルのアーティストが集まり、「ZERO LANDMINE」という曲が創られた。このCDの収益金はすべて、地雷除去に使われるという。

 詳しくは、こちらのホームページをご覧下さい・・・http://www.tbs.co.jp/zero/
2001年4月14日(土) 「高尾山にて」
 今日、高尾山に登った。最近天気が良かったから、ちょっと自然にふれたいと思ったんだ。
 明大前から京王線で、高尾山口に向かった。そこからは、もちろん(?)ケーブルカーなどは使わずに、徒歩で山頂へむかった。週末とあって家族連れも多く、思ったよりにぎやかな雰囲気だ(高尾山に登るのは今回が初めてなのだ)。
 途中、高尾山薬王院という密教道場がある。そこで出会ったおばあちゃんと、しばし語りながら歩いた。こういった、不意の出会いは温かいものだ。こんな時、すごく優しい気持ちになれる。
 薬王院では、一日に何度か護摩法要が行われる。ちょうどその時間だったこともあり、お堂の中に入って祈った。密教の修法は、神秘的である。しかもこの山は、昔から修験道(世に言う山伏)が盛んで、仏教と修験道が深く結びついているといった感じだ。法螺貝と和太鼓の伴奏の中、10人あまりの真言僧によって「般若心経」が読経される。そして、護摩壇では護摩の火が高々と立ち昇る。護摩の火は、人々の苦しみや雑念を焼き尽くすといわれている。本当に幻想的な世界を体験できた。
 最近、「神と人間が一体化する、すなわち神と自分が精神的なセックスをし、エクスタシーを感じるその瞬間が悟りだ。」という話を聞いた。実に、官能的で神秘的なことだろう。そんなことを、身をもって感じていた。

 しばし都会の風を離れて、自然と一体化する。すごく気分がいい。ここしばらくのもやもやした気持ちもすっ飛んだ。
2001年4月8日(月) 「NOMO!」
 ちょっと話題は遅くなっちゃったけど、「NOMO」。スゴイよね。今年は、イチローに新庄なんかで話題が持ちきりだったけど、やっぱりこの人だよ。やってくれました、2度目のノーヒットノーラン!大したもんだね。同じ男として、カッコいいもん。
 いろんな困難乗り切って、単身大リーグに乗り込んで、その後の日本人メジャーリーガーの先駆者となったんだもん。華々しいデビューとその後の不振。そこからの復活!
 これからも期待してます。しかし、このグローバル化と盛んに叫ばれてる時代に、世界のトップで成功している日本人がいる。そして、ヨーロッパなんかでは、日本の大衆文化が流行ってるとか・・・。なにも、「君が代」だ、新しい教科書だなんだ言わなくとも、僕達の誇りはここにあるのです。
2001年4月4日(水) 「春?」
 バタバタと日々を過ごしている間に、日記も半月以上のご無沙汰となってしまいました・・・。
 そんなこんなで、いつの間にやら春?でも、今日も寒い。この前の週末なんて、雪降りましたもん!桜と雪が出会ったのは、東京では25年ぶりとのこと。
 しかし、今年の桜は一気に咲いちゃいましたね。お陰で、「これぞ満開!」って時を逃してしまった・・・。日本で、「花」といえば、「桜」。やっぱり花見がしたいってのは、日本人である証拠。
 日本も捨てたもんじゃないって、大声で叫ぼうじゃありませんか?!
2001年3月14日(水) 「ボブ・ディランがそこにいた!!」
 武道館、アリーナ席5列目。そして、ボブ・ディラン。その人が目の前に立っていた!神とも呼ばれたその人は、静かにギターを手にとり唄い始める。ディランを含めてステージには5人の男達が立っている。
 カッコいい!60歳にもなるその男が、実にカッコいいのだ。一時、「ディランのギターが下手クソになった。」といわれた事もある。しかし、そんなもんじゃなかった。ディランが弾くからこそカッコいいのだ。曲間のギターソロをお茶目に弾くディランが素敵だった。やっぱり、こんな男に憧れるのだ。
 「タンブリンマン」では、ディランのブルースハープが聞けた。そして、「ライク・ア・ローリングストーン」、「ヘブンズドア」、「風に吹かれて」などの名曲が、ほんの数メートル先で歌われているのだ。今日、「ヘブンズドア」での感動を忘れない。ディランと一緒に歌ったのだ。幸せだった。まるで、初恋の人を見つめるような視線で、ディランを見つめていたよ、きっと(笑)。
 そして、ラストは「風に吹かれて」。21世紀のはじめに「答えは風に舞っている」と歌われた。確実に新しい時代はやってくるのだ。そう、〜The Times They Are A-Changin'〜
2001年3月9日(金) 「大雪!ライブ!」
 金沢からこんにちわ。昨日はひどい雪でしたよ。やっぱり北陸だなぁって思い知らされます。雪道の運転にも少しなれたのはよいことです。
 さてさて、今日は金沢ライブ。ここ最近、僕の金沢ライブの時に限って、雪が降っているような・・・。雪男か?俺は(笑)。
 ともあれ、ステージ楽しんできます。
2001年2月21日(水)〜24日(土) 「京都への旅〜奈良・大阪へ」
 お陰様をもちまして、京都ライブも無事に終了いたしました。いやー、楽しい旅でした。インターネットから実を結んだ今回の京都ライブ、旅先で歌うってことが何より面白かったです。
 21日は、早朝羽田を出発、10時に京都に入り、東寺→三十三間堂→清水寺を巡り、夜は池よしろう氏と再会、アザーサイドにて飛び入りのライブに参加、3曲歌ってきました。
 22日は、午前中、嵐山を散策→東本願寺→祇園を巡り、いよいよ京都ライブ。10曲を予定していたのに、気分良く、11曲も歌わせてもらいました。その夜は、久々の友達と再会し、楽しい一時を過ごしました。(写真は、京都・嵐山にて)
 ライブも無事終わり、23日は奈良まで足を延ばしました。法隆寺→東大寺→興福寺を巡り、その夜は大阪まで行き、お好み焼き三昧に・・・。翌朝、道頓堀あたりをぶらつき、空路東京へ。
 実は僕、仏像鑑賞とか、お寺巡りとかが大好きで、「京都」とか「奈良」とか言うとそれだけでワクワクしちゃうんです(笑)。また詳しくはエッセイにでも書きますが・・・。今回は、「御朱印帳」って(お寺で一筆書いてもらってハンコを押してもらう、一種のスタンプラリー?)あるじゃないですか、それを始めたんです。これ、なかなか楽しくて、またまた京都に行きたくなっちゃいました(笑)。
 僕は確実に「京都・奈良」に惚れちゃってます。また必ず歌いにいきます。それまで、少しの間、Bye-Bye京都・奈良!
2001年2月15日(木) 「まずいんじゃないの?」
 久々にこの国の政治に物申す!
 昨今話題になっているゴルフの話から・・・。昨日国会で党首討論が行われ、ミスター(?)森に対する批判が行われた。今だ9名が行方不明である。しかも加害者は、かのアメリカ海軍の潜水艦。昨日のニュースでは、操縦席に民間人が座っていたという話まで飛び出している。日本は、この事故を外交問題としてきっちり処理する必要があるだろう。にもかかわらず「あれは事故でしょう?」じゃないっちゅうの!あきれてモノが言えないのは、当然。
 これじゃシラケルわさ。若者が政治に関心なくなるのもわかる。しかも、後継者がいないから森続投だなんて、こんな馬鹿げた国の国民であることをただただ恥じるばかりだ。
 古きよき日本に触れるために俺は京都に旅立つ。
 時代よ、変われ!
2001年2月8日(木) 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
 イブライム・フェレール、ルベーン・ゴンザレス、オマーラ・ポルトゥオンドのコンサートを聴きに行った。そう、昨年の映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をまじかに体験してしまったのだ。
 実に素敵な気分だ。「音楽」に触れたという実感がある。感情が高ぶっているのがわかるんだ。なぜって?コンサートが終わって、家に帰り、些細な事で涙を流してしまった自分がいたのですよ(笑)。「何で、涙が出ちゃったんだろう?」そんな感じだった。その理由?そんな事より、今日聴いた、いや感じた「音楽」が琴線を震わせちゃったんだとわかったんです。

 紛れもなくイカシタ「音楽」、それはセクシーでなきゃいけないんですよ。セクシーさあってナンボ、それがなきゃ人の心震わせる「音楽」なんてできない。日常生活と同じですよ。セクシーな人に会うとまず感じちゃうでしょ?(笑)そこが一番正直なところなんじゃないかなぁ?「音楽」も同じ、歌のセクシーさ、セクシーなリズム、セクシーなメロディー・・・。パーンときますよ、やっぱり。
 イブライム、オマーラの声に感じ、ルベーンのピアノにスカーっとするんです。そして人は踊りだし、愛を求め、夢を見る。なんと素敵なことじゃないですか?!
 「そう考えると俺の音楽は・・・。」そう考えるとゾーっとします(笑)。もっともっと磨かなきゃ。

 今日は本当に素敵なステージでした。鳴り止まぬ、スタンディングオベーション。いい「音楽」は、やっぱり最後までセクシーでした。"グラッシアス!"
2001年1月30日(火) 「桶ギター購入日記」
 ご無沙汰の気まぐれ日記です。お元気でしたか、皆さん。僕は元気でしたよ!
 今日、御茶ノ水に行ってきました。なぜなら、ギターを買うためです。ギターといっても、気軽に持ち運べえるちっちゃなギターを探しに行ったのです。
 そこで見つけちゃいました!「桶(おけ)」のギター。紛れもなく、桶で作ったギターです。桶って、あれですよ、よく銭湯にあるあれです。ホントはミニギターか何かを探してたんですけど、これ見た瞬間に惚れちゃいました。そんで、「どんな音するんですか?」って弾かせてもらったんです。その音がまたいい!
 「これだ」って思って、「すいません、銀行に行ってる間、とっといてもらえますか?」(予算オーバーだったのだ!)って、即購入。いや、幸せな気分です。大事に抱えて帰宅した次第です。
 またマニアックな話は、「楽器小屋」のコーナーに譲るとして、そんなこんなで、松田亜世は幸せな夜を迎えております(笑)。
2001年1月10日(水) 「初恋のきた道」
 21世紀最初に見に行った映画は「初恋のきた道」という映画だ。ひとこと、「美しかった」と記しておきたい。
 とにかく中国大陸の四季の映像美と、主人公チャン・ツィイーの笑顔に圧倒された。単にノスタルジックというのも、プラトニックという言葉も惜しいくらいに美しい物語だった。僕らにも確実にあったであろうあの日々・・・。まるで宇宙にでもいるかのような、ただっ広くかつ繊細な、あの春の日々を忘れ、僕たちはいつしかモノクロームの世界に身をおいてしまっている。僕の中にある、故郷がこの映画と一体化したとき、自然と目から涙が溢れてきた。
 僕たちには「帰ること」の意味を問いただす必要があるんじゃないだろうか?「帰りたい」、映画館を出て、渋谷駅前のスクランブル交差点の人に飲み込まれながら、心の奥でそうつぶやいてみた。
 僕たちには僕たちなりの帰るべき港があるんじゃなかろうかと、この映画の琴線に触れながら、アジア人であることの自分の意味をも含め、考えていた。
2001年1月8日(月) 「明けましておめでとうございます。」
 明けましておめでとうございます。いよいよ21世紀ですね。
 僕はといえば、年明けの一発目から地元のラジオに生出演でした(深夜にもかかわらず、聴いて下さった方ありがとうございました。)。今年の年越しは、ラジオ局へ向かう車の中。なんだか、あっという間に世紀が変わっちゃったって感じがありますが、今年も精一杯やっていこうと思っています。
 僕は一昨日東京に戻ったのですが、戻るなり東京も雪ですわ。雪国から戻ったのに再び雪・・・。東京に出てきてからは、東京の雪は初めてかもしれません。

 そうそう、金沢で年明け早々レコーディングしてきました!3曲とってきたので、この春には第一弾のでもCD発売予定です!楽しみにしていてくださいね。
 それでは、今年も頑張りましょう!

© 2001 Asei Matsuda


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