目次へ

現在の日記へ戻る





* 2002年12月以前の日記へはこのページ一番下からどうぞ。*
作成日 タイトル
2003年12月27日(土) 「2003年を振り返って」
 2003年もあと数日となった。僕にとっても激動の一年だった。
 今夜からは、故郷・金沢で年末年始を過ごすことになる。

 今年もまた歌い続けられたこと、それが一番だ。そして、多くの方に出会えたこと、これまた貴重な財産だ。
 来年に向かって、今年最後の数日を精一杯過ごしたいと思う。
2003年12月18日(木) 「冬のトレーニング」
 新しいパソコンが本格的に起動し始めた。メモリーがかなりある分、操作が早い。早速ホームページも更新再開である。
 しかし、冬らしくなってきたというか、寒くなってきた。夏前に始めたトレーニングも半年近くをむかえ、少々効果も現れてきたのだが、この寒さは堪える。筋肉が硬直するのか、普段はエアロバイク→上半身中心のウエイトトレーニング→ストレッチ→水泳というのが、亜世流トレーニングなのだが、ウエイトを終わった時点で、かなり筋肉が疲労するのがわかる。きっと今が一番苦しい時なのだ。これを乗り越えて、さらに力強く歌える為に・・・。
 年が迫るにつれて世の中も慌しくなってくるが、僕も来週に迫ったライブに向けて慌しくなる(笑)。いや、いいライブにしたい。
2003年12月15日(月) 「パソコン」
 この夏、パソコンがぶっ壊れてから、騙し騙し貰い物のパソコンで凌いできた。やっと明日、僕の部屋に新しいパソコンが届く。つい数年前までは、超アナログ人間だった僕だが、今となってはデジタルの最たる存在であるパソコンが、僕の中でもかなり重要な位置を占めている。
 ホームページも色々面白くしたいと考えている。
 ともあれ楽しみ楽しみ!しかし、新しい物にトラブルは付き物なので、もしかしたらホームページの更新がしばし滞ることがあるかもしれません。データーの移動やら、ソフトのインストールやら、ちょっと時間がかかってしまうかもしれませんので・・・。

 そうそう、22日の今年最後の吉祥寺ワンマンライブも楽しみにしていて下さいね。新曲も用意しています!よろしくお願いします。
2003年12月11日(木) 「ジャーナリズム」
 この国もおかしな方向に流れ始めた。不安がよぎる、そんな一週間だ。
 ジャーナリズムのあるべき姿を問いかけた、今夜のNEWS23の前半30分、心から拍手を送りたい。
 民主主義の旗手だったはずのアメリカのジャーナリズムは、愛国心という名の下に、その意味を失っている。

 日本よ、頼むから「愛国心」という意味を取り違えないでくれ。
2003年11月30日(日) 「やっとこさ仲間入り」
 やっと僕もカメラ付き携帯への仲間入り。しかも吉祥寺の携帯屋さんで・・・。まだ吉祥寺へのこだわりが自分の中にあることを痛感(笑)。なんでも、100万画像で、SDカードまで付いちゃってるっていうから、ビックリですよね。これで、ちょっと出先で面白い写真撮ったらホームページにアップってのも可能になる訳で、僕にとっては、かなりの味方になるような気がしています。
 金沢ワンマンライブから一週間、自分へのささやかなご褒美といったところでしょうか(笑)。でも、まだあの興奮から抜け出せずにいます。いや、これ忘れないようにしなければいけないですよね。まだまだパワフルに、一歩一歩進んで生きます。
2003年11月21日(金)〜24日(月) 「愛すべきふるさと・金沢」
<21日(金)>
 12時、定刻どおり小松空港に到着。バスにて金沢市内に向かう。今日はNHKの生中継がある。テレビの生中継は生まれて初めての体験。16時頃よりリハーサルに入る。たった3分間の中継なのに、念入りなカメラチェックや照明のチェック、動きの確認などなど。あさって立つべきステージで初めて歌う。だんだんとイメージが膨らんできたのがわかる。
 18:30、予定通り中継のキューが出る。「がんばるまっし」を歌いながら中継が始まった。いや、それにしてもNHKはモノ創りの姿勢がしっかりしていて、かなりよかったです。
 その後、香林坊ハーバーのスタッフと夕食をとりながらの最終的な打ち合わせ。映像の演出など、本当に今回はスタッフに恵まれていることを痛感した。そして、夜は旧友と久々に片町に飲みに出かける。若者向けのバーも最近はお洒落な所が増えたもんだ。いや、金沢、いい町です。
<22日(土)>
 今回、ライブの前に行こうと決めていた室生犀星記念館に足を運ぶ。僕の実家は、室生犀星の生誕地からほんの5分くらいのところにある。最近になって急激に僕の心に迫ってきたのが、室生犀星の詩なのである。「抒情小曲集」に収められた『小景異情』という詩だ。その直筆原稿に震えるような力をもらい、実家までの帰り道、犀星も見たであろう犀川の悠々たる眺め、遠く医王山を望みながら、来るべき『感動』という世界に想いを馳せた。
 午後からは、夜行列車で駆けつけてくれたピアノ&コーラスの吉田佳奈子ちゃんと合流し、最終的なリハーサルを3時間に渡り行った。
 さぁ、いよいよ明日だ。いつものようにギターの弦を張り替え、イメージトレーニングをしながら床に就く。
<23日(日)>
 本番当日。詳細レポートは、ライブレポートのコーナーに譲るとしよう。
 この日、リハーサルの途中、MROラジオへの生出演もあった。僕の金沢での活動には、欠かすことの出来ないといっていい程、お世話になっている。「雪国の少女」と「がんばるまっし」を生で歌わせてもらった。
 そして本番・・・。
 ただ一つ、本当にすばらしい一日だった。「ありがとうございました。」心から、伝えるだけです。
<24日(月)>
 一つの大きなショーが終わり、また新たな日常が始まる。何度か経験してきてはいるが、これ程切ない瞬間もないのかもしれない。たまらず日本海を見るために、内灘へ車を走らせた。遠く水平線の彼方をただただ見つめていた。「明日」、その希望の果て、再びしっかりと見据えて歩き出す覚悟が決まった。
 また、『東京』に戻る。この4日間、故郷でもらったとてつもない、何ものにも変えがたい力を、僕はしっかりとかみ締め、歌って生きたい。
2003年11月21日(金) 「さぁ、いよいよ!!」
 いよいよこれから金沢に向けて出発します。「いよいよ!!」、そんな気持ちの高ぶりがあります。最終チェックなど、まだまだやることはあるのですが、故郷の皆さんとステージでお会いできることが、何よりも楽しみです。
 今日のNHK生出演に続き、ライブ当日、MROラジオへの緊急生出演も決まりました!

 あとは本番当日、いいステージ、何かを残すことが出来るように、精一杯頑張ります。どうぞ宜しくお願いします!!
2003年11月15日(土) 「ニール・ヤング 最高!」
 待ちに待ったニール・ヤングが来日した!武道館2日目、行ってきました。『Greendale』という、アルバム自体が一つの物語になっている作品を引っさげたツアー、何が起こるのか?九段下の駅を出た辺りから興奮状態でした(笑)。
 客席の年齢層の広いこと。それこそ10代から60代までが一堂に会しているといった状況です。改めてニール・ヤングその人の影響力に脱帽です。「音楽っていいなぁ。」そう思いながら、開演までの一時を会場を見渡して過ごしました。コンサートの開演前の雰囲気、僕はとっても好きなんです。だから可能な限り、開場時間には会場に着くようにしています。

 さて、いよいよニール・ヤングの登場!
 「うぉお〜!」という歓声と共に僕の両腕に鳥肌が・・・。そう、今日が生でニールの演奏を聴く初めてのコンサートだったのです。前半戦は、アルバム『Greendale』同様にステージ全体が物語の世界へ。ミュージカルでもないし、日本で言うところの『夜会』でもない。凄く新鮮で、心地よく重たく響いてきて、一心にステージを見詰めていた感じでした。

 そして、お馴染みのイントロ。『Hey Hey ,My My』。もうヤバかったです。カッコ良過ぎて・・・。60に手が届くおっさんが、こんなにパワフルでカッコいい!!その後、『Freedom』等など、名曲が続くわけです。
 さらには、『Like a Hurricane』が始まる。あの哀愁を帯びたエレキギターのイントロをニールが奏でると、もう鳥肌通り越して震えてきました。僕の隣の席のおじさんなんてボロボロ泣いている。

 ニール・ヤング、この芸術家と時代を共有できた幸せを感じました。「ニール、ありがとう!」
 " Rock and roll can never die "
2003年10月31日(金) 「金沢へ」
 今日で10月も終わりだ。2003年を振り返るべく年末に向かって直走る。
 さて、明日からの3連休は23日の金沢ワンマンライブPRの旅に出ます。お陰様で、ラジオ出演、新聞の取材、イベント出演等が予定されています。久々に「金沢弁」の世界に浸りながら、気合を入れて来たいところです。

 今日はこれから徹夜で、ピアノとコーラスを含めたリハーサルに入ります。どんな音楽になるのか?僕自身とっても楽しみです。スタジオでサービスで付いてくる夜食を食べて、そのまま羽田に向かう予定です。なんだか、遠足の前日のようなワクワク感がありますよ(笑)。
 それでは、いってきます!!
2003年10月27日(月) 「ありがとう!」
 背番号「77」が静かにダッグアウトに消えて行く・・・。
 何とも言えず、涙が込上げてきた。この一年、18年の想い出と共に素敵な『夢』を見させてくれた愛する星野タイガースに、心から心から「ありがとう。」を伝えたい。
 悔しさを握り締めながら、また男達は『夢』に向かって走り出すことが出来る。
 その背中に『夢』を与えられた僕らは、それぞれの舞台で、また明日から『夢』に向かって走り出すだろう。
 そして、『夢』の続きを描き続けるのだ。

 ありがとう!ありがとう!!!
 僕は歌い続けるよ。
2003年10月23日(木) 「連夜の奇跡、そして男の涙」
 日本シリーズ第4戦、延長10回裏。「♪打球がライトスタンドを 一跨ぎ 燃えろチャンスだ金本 燃えろ金本!!!♪」タイガースの選手別応援歌の中でもかなりお気に入りのこの歌を魂込めて歌いながら拳を握り締めた。「うぉおおお!!!」鳥肌が立った。
 そしてホームに還った金本を迎える星野監督の目に薄っすらと涙が浮かぶ。
 シーズン中の猛虎打線の勢いがなく、ホントに緊迫した試合が続き、応援する方も気が気じゃなかった。しかし、甲子園という舞台、ドラマよりもドラマティックな「夢」を我々に与えてくれた。
 これで2勝2敗の五分。しかし、まだ眠る猛虎打線の爆発を見たい。そして、男・星野仙一監督を男の血のたぎる街・博多の空へ・・・。
 「夢」、「夢」、「夢」。
 男たちは「夢」を追い求めて生きてゆくのだ。
2003年10月22日(水) 「サヨナラ」
 もう今週は日本シリーズモード全開です。朝の日課=デイリースポーツ朝刊を近くのコンビニで購入(笑)。
 2連敗で迎えた甲子園。雨で順延。プラスに考えるしかないです。
 第一戦は緊迫した試合展開に精神的に疲れてしまったので、今日は金本の同点ホームラン辺りからビールを飲みだし、審判の微妙な(いや、明らかに誤審)に文句を垂れながら、吉野のピッチングに痺れ、迎えた10回・・・。
 もう一人で大喜び!!!狭い部屋を3周はガッツポーズで回っちゃいましたよ(笑)。仙さんのインタビューは相変わらずカッコよかったですね。サヨナラ犠牲フライの藤本選手。この前新聞で妹さんが写っていました。メチャべっぴんさんでしたよ。
 さて、明日は僕と同い年の井川の先発が予想されます。あのストイックな姿勢がいいです。僕も頑張らねば!!!
2003年10月19日(日) 「プロモーションビデオ」
 今日は新宿にてプロモーションビデオの最終チェックをやってきた。映像作品というものに関わるのは初めての経験なのだが、ライブステージ同様、自分の音楽の背景を如何に描くかということで、やはりモノ創りの世界、とってもやりがいがある。
 休日の新宿の人ごみを少し過ぎた辺りの裏路地のカフェ。根っ子が田舎者だから、「カッコいいじゃん!こういうところで打ち合わせなんて」と酔いしれてしまう(笑)。隠れ家的でとってもいいお店だった。一通り映像をチェックして僕のイメージを映像作家の上坂さんに伝える。
 こうやってひとつひとつモノが形になり、命が吹き込まれていく。何ものにも変えがたい気持ちの高揚が感じられた。
 仕上がりがとっても楽しみだ。
2003年10月18日(土) 「ふ〜。」
 今日から待ちに待った日本シリーズ!なんとしてでも仙さんの胴上げをもう一度見たい。そして日本一の男になって欲しい。
 テレビ観戦にも力が入る。福岡ドームとともに応援歌を口ずさんだ。延長戦でタイガースが粘り勝つと信じていた。しかし・・・。
 応援疲れか、身体が熱くなり(血圧でも高くなったか?)、夕食も喉を通らず、つい先ほど(24:30)レトルトカレーを食す。出来ることなら、甲子園でもう一度「夢」に日付を入れて欲しい!来週も熱い一週間になりそうだ。
 これからプロモーションビデオのチェック。金沢のワンマンに向けて、ミュージシャンモードも全開、これに加えて日本シリーズの応援、体力作り等々、気の抜けない秋が忙しく過ぎ去ってゆく。
2003年10月16日(木) 「仙さん・・・。」
 星野仙一監督が勇退????
 まだ信じられない。というか、言葉が出てこない。
 タイガースファンとしては、岡田監督もいづれは楽しみにしていたけれども、まだ早すぎる。仙さん、昨日もニュース番組に生出演していたのに・・・。僕たち男共がその背中に憧れて止まない。よっぽど辛い身体を押し隠して優勝したのだろうか。
 現実から取り残されたような、そんな空虚な空気に包まれている。
2003年10月11日(土) 「宇宙を感じる。」
 「わたしはカモメ」。世界で初めて宇宙に飛んだ女性・テレシコワさんの講演を幕張プリンスに聴きに行った。テレシコワさんと共に現れたのは、日本人宇宙飛行士・角野直子さん。スライド等を交えながら、宇宙での出来事を話してくださった。
 星空を見上げると、その時の自分の心の影響で様々なことを感じる。時には、その美しさにただただ感動したり、吸い込まれてしまうような恐怖に陥ったり・・・。それでも人は宇宙に憧れ続ける。
 テレシコワさんは宇宙から見た地球のことを「マーリンカヤ、マーリンカヤ(とっても小さい)」とおっしゃっていたのが印象的だった。宇宙から見ると地球上の戦争は、とっても小さなものに見えるそうだ。以前読んだ立花隆の「宇宙からの帰還」でも多くの宇宙飛行士がそのことを語っていた。またテレシコワさんは、「宇宙は平和的に利用されるべき」とも語っていた。
 近い将来、僕たちが気軽に宇宙に出る日は来るのだろうか。その時、われわれは宇宙から「私たちの星」・地球を見て何を想うか。
 「命尊し」、そんなあたりまのことを想うような気がしている。
2003年10月8日(水) 「感動の男達」
 今朝のスポーツ新聞に縦じまの背番号「77」の背中が写る。
 巨人・原監督の退任セレモニーで花束を渡すわれらが星野仙一監督の後姿だ。ご存知監督の退任劇。「だから巨人は嫌いなんだ。」という気持ちになる。チームというより、オーナーのやり方が大嫌いだ。
 東京へ向かう電車の中、タイガース優勝以来のデイリースポーツを買った。もうこうなったら男惚れの領域だね(笑)。ジーンと込み上げてくるものがあった。
 思い起こせば去年は甲子園で巨人の胴上げを見送った。タイガースファンはマナーが悪いといわれる。確かに否定できない部分が多々あるだろう。だけれども、人間味溢れる集団なのだ。去年も最後まで優勝チームにエールを送っていた。そして昨日も「タツノリ」コール。
 高校時代応援部に席を置いた僕としては、戦う相手に敬意を表して「エール」を送る。それが男の世界だと思う。

 ともかく秋という季節は、何故かこう僕の感受性を高めてくる。理屈抜きに感動するのだ。男だって一人で泣くこともある。ありがとう!
2003年10月1日(水) 「秋の匂い」
 先週末位からだろうか?ほのかに秋の匂いが街中に漂い始めた。きっと金木犀の香りだろう。
 なんだか、この匂いを嗅ぐと不思議と中学時代の想い出の中にふっと吸い込まれていく感覚を覚えるのだ。僕の小学校、中学校共に犀川という川の辺に位置していた。想い出といえば、必ずこの河川敷が浮かんでくる。中学校の運動会には河川敷マラソンなる種目が必ずあったものだ。
 そう、夕暮れ時、川の河口の方向に傾く太陽。運動音痴の僕はソフトテニス部(笑)。土のコートで汗を流した。憧れの女の子は、自分にないものに惹かれるのか、陸上部だったり、バスケ部だったり、必ず体育会系。テニスコートの横がトレーニングのコースになっている訳。あの時のなんともいえない、切ないようなドキドキ感とこの世のものとは思えなかった幸福感。その情景はやっぱり秋だったんだなぁ。そして、金木犀の匂いが、辺りに充満していた。
 間違いなくあの頃の僕らは幸せをいっぱいに感じていた。「恋」とはそういうものだった、そんなことを思うこの秋の匂いなのです。
2003年9月28日(日) 「さとうきび畑の唄」
 久々にドラマで泣いた。人を殺し合う戦争の中、そして「生きる」こと。
 息が詰まるようなやるせなさと同時に、今生きる僕たちの幸せを考えた。それは、ごくあたり前の感想かもしれない。しかし、「生きる」ってことは究極にはそんなに難しいものではなく、単純に素晴らしいことだ。「何があっても生き抜いてください。」その台詞に全てが込められていたような気がした。

 戦争を止める為ならば、命を掛けても立ちはだかろう。それが本当の正義だ。「正義」を気取るな!どんな理由であれ、戦争は絶対悪だ。国益ってなんだ?もっとも大事なものは、一人一人の命じゃないか。それがなくなったら人間が人間でなくなる。
 そう思ったら矛盾だらけの世界に吐き気がしてくる。核から身を守る為に核を持ち、軍隊から身を守るために軍隊を持つ・・・。
 「軍隊は、国民を守らない。軍隊が守るのは自らの軍隊だけだ。」
 戦争を経験された方から聞いた言葉を思い出した。
 青い空がいつまでも青い空であるように、僕は祈り願い、歌い続ける。
2003年9月27日(土) 「原風景の歌のコトノハ」
 9月のワンマンライブも皆様のお陰で無事に終了し、今日はNHKホールに元ちとせのコンサートに足を運んだ。
 身体の全てから絞り出される歌は、まっすぐ届いてくる。「歌」だけをとってみると中島みゆきのステージのような迫力がある。どこか懐かしいと感じさせるその節回し。アジアに流れる血が騒ぐ。
 アンコールでは、三線による島唄も披露してくれた。きっと僕らに流れる音楽の血はこういうものだったのだと思う。
 なんでも、今回が初のツアー。そして今日がファイナル。素朴でキュートな笑顔と僕らに向けられた感謝の言葉が印象的な、そんなステージでした。
2003年9月25日(木) 「明日」
 9月のワンマンライブが明日開催される。
 この秋は11月の金沢ワンマンライブなど盛り沢山。明日は阪神一色(でもないが…)勢いをつけてこの秋の出発点としたい。いつものようにギターの弦を変え、イメージトレーニング。トレーニングといえば、ジムの効果が出てきたらしく少し上半身の筋肉が付いてきた。まだまだ頑張ろう。

 そうそう、僕の尊敬するニール・ヤングがこの秋、来日する。今日は先行予約の日。なんとかチケットは押さえた。秋はコンサートの季節。ステージの勉強の機会も増えるというわけだ。今週土曜日は元ちとせのコンサートにはじめて足を運ぶ。清志郎もソロツアーだという。財布と相談しながらの日々が続く(笑)。
2003年9月21日(日) 「新曲完成!」
 いよいよ次の金曜日に今月のワンマンライブの日がやってくる。
 今回も新曲用意していますよ。一つはライブハウスをテーマにした初めての曲「Live House Dream」。アップテンポの亜世流ロック!そして、もう一つはたった今、完成しました!!その名は「Victory」。
 なんだかわかります?(笑)
 わかり易過ぎですよね。そう、タイガースの18年をテーマにした曲です。静かに淡々と18年を振り返る歌になりました。初披露が僕も楽しみです。
 これで曲が揃い、今から選曲に入ります。いいステージになるように頑張ります。皆様のご来場、心よりお待ちしております。
2003年9月20日(土) 「大きなパワーを得た一日」
 今日は、千葉市作草部にある知的障害者通所更生施設のチャリティーバザーで歌わせていただいた。僕自身初めての経験だった。バザー会場は彼らのパワーで満ち溢れていた。「こりゃ、真正面からまっすぐ歌わないと負けちゃうなぁ。」、そう思った。
 1曲目「アメ玉」、手拍子が起こる。そして2曲目「天漢」へ。3曲目は「涙そうそう」をカヴァー。曲目を告げると「ウォー」っていう歓声。みんな楽しそうに聴いてくれたのがとっても嬉しかった。ラストは「君の待つ海」。この曲が始まると一番前の席でリズムをとっていた彼がステージに上がってきてくれた。僕の隣、リズムに合わせて踊り、ギターを弾く仕草をする。「音楽やっててよかったなぁ!!」そうまっすぐに思えた瞬間だった。途中踊りながらハンカチを出して涙を拭いている。何かが二人の間で伝わり合ったのだと思う。これほど嬉しいことはない。
 そして曲が終わり、固い握手を交わした。「最高!!」そう思ったのも束の間、アンコールが掛かる。予想していなかった出来事だったので、何を歌おうかジタバタしながら「女の子」をセレクト。みんな手拍子で、ある人は身体を横に振って答えてくれた。
 幸せなステージだった。とにかく「真っ直ぐ」、そんな感じ、わかるかなぁ?とてつもないパワーを貰った気がしている。まだまだ頑張らなきゃね。
 本当にありがとうございました。
2003年9月16日(火) 「涙の一日」
 優勝の興奮冷めやらぬまま今朝はいつもより早く目が覚めた。近くのコンビニでデイリースポーツを買った。宙に舞う星野監督。何度見ても嬉しくなる。
 そして・・・。
 その闘将は、実は数日前にお母様を亡くされていたとの記事。優勝祝賀会が終わるまで、その事実を胸に秘めていたということだ。僕は涙をこらえた、いや正直泣いた。こんな、なんて、なんて素敵な「男」。心から「男」と呼べる「男」がいたのか!流れた涙の意味は自分自身よくわからないが、きっと一言で言うと感動ということになるのだろうか。
 僕は、心から、心から星野仙一監督に「ありがとう!」って頭を下げたい。同時代に生きることが出来て、本当に幸せです。
 「77」番の縦じまの背中に心底惚れた。
2003年9月15日(月・祝) 「やっとたどり着いたこの日!!」
 阪神タイガース、18年ぶりの優勝!!!星野監督が甲子園の宙に舞った。監督、選手、そしてファンの涙。僕も18年(前回優勝時は小学校1年生)待ち続けたのだ。
 2003年、「その時」を僕は吉祥寺のライブハウスで迎えた。タイガースファンということを知っているマスターからビールをご馳走になった。いや〜、美味かったですよ、ホント。
 吉祥寺のぶぶかでこれまた最高に美味い油生たまごそばを食べて、戻ってきた。深夜までテレビはどこもタイガース特集をやっていて、半分信じられなかった優勝が現実味を帯びてくる。
 夢をありがとう!タイガース。
2003年9月11日(木) 「熱い一夜」
 熱気満点の神宮から帰ってきました。4時間48分の熱闘。試合終了は23時近くでした。少々喉が痛い(笑)。
 緊迫した試合展開というか、非常に見ごたえのある試合でした。結果は引き分け、思いっきり「六甲おろし」とはいきませんでしたが、価値ある試合でした。2番手の投手は藪恵壹!昔似ているといわれた時代があって、それ以来の藪びいきなんです(笑)。だから僕のユニホームジャージは背番号4番。星野監督になったときに日本人が背負いたがらないこの「4」番という数字をあえて担いだところにまた男気を感じ、ますますファンになったのです。正直、今日の試合でマウンドに立つ姿を見れるとは思っていませんでした。でも3回、4回辺りから投球練習をしている姿が見えて「もしや?」と思ったら・・・。カッコよかったなぁ。
 三振に終わったけれども神様・八木の応援歌も歌えたし、ジョージのホームランも見れたし。う〜ん、贅沢な試合でしたが引き分けってのがちょっぴりすっきりしないところです。
 しかしタイガースファンは凄いですね。大阪から来ている人が多数いて、話聞いてると明日の名古屋も追っかけて行くとか。「仕事どうすんねん?」とか思いながら(笑)。とはいえ、20年に一度のお祭りなんです。どっかの毎年優勝しているチームとは違う。だから、愛すべきタイガースなんです。8回の沖原の同点タイムリーの時には、見知らぬファンとメガホンでハイタッチ!!だからタイガースはステキなのです。
 ちょうどダックアウトへの通路付近の外野席にいたので、試合終了後の選手、コーチの姿も間近で見ることが出来ました。今日活躍した選手はもちろん、オマリー、岡田といった往年のコーチ達にもコールが掛かる。岡田は、僕がタイガースファンになった当初の5番、前回優勝時の5番。そして星野監督、ファンに帽子を取っての挨拶、好きだなぁ、男の魅力でしたよ。おそらく名古屋での胴上げになるでしょう。複雑なものがあるのでしょうか。一部ファンの間では、ここまできたら甲子園まで焦らしてとの声も上がっているようですが(笑)。
 9月11日、この意味ある日に、タイガースの応援に全てを掛ける。平和を実感した一日でした。
2003年9月10日(水) 「淡路島とタイガース」
 今日はちょっと用事があり、日帰りで淡路島に行ってきた。東京6時発ののぞみ1号で新神戸に行き、レンタカーを運転して淡路島へ。明石海峡大橋を渡り、眼下に広がる瀬戸内海の開放感といったら格別だった。日本の神話では、神々によって創られた始めての島が淡路島だという。そんな、日本の原風景も少なからず残っているようだった。
 神戸への帰り道もこれまたいい景色だ。吊橋の間から六甲山の裾野に広がる神戸の街が迫ってくる。遊びや創作旅行ではなかったにしろ、やはり旅路は格別だ。

 さて、兵庫といえばタイガース。帰りの新幹線から試合状況が気になる。家に着きラジオに噛り付く。緊張した試合展開、思わず力が入る。しかし結果はご存知のとおりさよなら負け・・・。これで明日の胴上げはなくなってしまった。
 だがしかし、連敗阻止!明日は思いっきり「六甲おろし」を歌ってきたい。お気に入りのビジター用ユニホームジャージ、虎リストバンド、そしてバットメガホン。これに紙テープといきたいところだったが(笑)、ジェット風船で我慢しよう。準備万端、久々のタイガース応援、燃える。
2003年9月2日(火) 「9月」
 今年は特に夏が早く過ぎ去ったように感じた。もう9月だ。
 お蔭様で「松田亜世」もいい形で復活。昨日は千葉の志津サウンドストリームというライブハウスで歌ってきた。(ちなみに演奏曲は「アメ玉」「今宵、雨の中」「僕らの時代は風に吹かれて」)
 この秋から冬にかけて、我武者羅に走っていきたい。がんばろう!

 そうそう、愛するタイガースがマジック9!僕なりの優勝予想から、11日の神宮のチケットを何とか取ったのだが、このままあまり勝ちすぎると消化試合になってしまう・・・。こんな贅沢な悩み、生まれてはじめてだ(笑)。
2003年8月26日(火) 「宇宙の神秘」
 今日は明日のライブに備えて、軽く1時間ほど泳ぎに行き、弦を張り替え、ステージの構成を確認し、ストレッチをして、もう間もなく眠りにつこうというところである。
 さて、松田亜世としての再出発の明日、ネアンデルタール人が経験して以来の地球と火星の大接近があるそうだ。宇宙の神秘、理論的に考えると訳がわからなくなるけれど、純粋にロマンティックで素敵だ。
 明日のライブ、天気予報ではまたもや雨?!火星も見ることが出来ないだろうか?
 いつから僕は雨男になってしまったんだろう(笑)。
2003年8月24日(日) 「復活の日」
 本当に妙な気候の今年の夏。残暑というのか、ようやく夏がやってきたというのか。
 いよいよ今週水曜日、亜世's Day ワンマンライブが2年目に突入する。生まれたまんまの本名『松田亜世』を背負って再びステージに立つことに決めた。潔く、心地よいというか、とっても前向きな気持ちになれた。今日一日、ライブの構想を考えたり、モノを創るという作業には胸踊る感覚が伴うものである。今年の後半戦は、金沢での久々のワンマンライブも控えている。会場がライブハウスではなく、旧映画館ということもあって、様々な制約があったりするのだが、それが逆に『創り上げる』という熱い想いをもたらしてくれる。シンプルかつ、いいモノを創りたいと思う。
 先月からはじめた体力トレーニングもゆっくりと調子をつけてきた。肺活力が上がったり、ステージにプラスになってくれている。
 これから、過ごしやすい季節を迎え、焦点を据えて歩んでいきたい。
2003年8月7日(木) 「最近のこと」
 つい数年前まではアナログ人間だった僕も、こうやってホームページを創ったり、ライブのパンフを作ったり、知らず知らずのうちにパソコンがなくては不便を感じるようになってしまった。7月下旬に起きた悲劇。3年ほど使い続けたパソコンが壊れた。しかもハードディスクという大切なデーターが入っている部分が物理的にイカレてしまった。特に友人やライブのお知らせリストなんかのアドレスもここ1年以内のものは吹っ飛んでしまったのは辛い。
 ちょうど前回のワンマンライブでライブ版のCDを作ると公言したばかりで、そのCDもパソコンなくしては作れないものなので、これまた・・・。

 来週には久々にふるさと・金沢に帰郷する。都会のざわめきから少し離れて、新鮮な心でまた都会に勝負に出てこよう。11月には金沢ワンマンライブもある。今年は厄年ではあるが、後半戦、精一杯突っ走って行こう。
 体力づくりもはじめた。もっともっと心に届く歌を書こう。
2003年8月6日(水) 「8月6日という日」
 今年も8月6日を迎えた。朝のニュースを見ながら、祈りの気持ちに包まれる。「平和」、人間にとってあたりまえであるべきこの二文字が重く圧し掛かる。
 某日本の首相のスピーチが、やたらと軽く空しく響いた。「この国は、『平和』を求めて再出発したのではなかったのか?」、やるせなさと恥ずかしさが身に迫ってきた。一方、広島市長の演説はある意味真実をついていたように思う。
 時代が過ぎ、「戦争」の記憶は、この国からどんどん遠ざかっていくだろう。しかし、僕たち戦争を知らない世代だって、本気で「平和」を考え、そしてそこに向かっていく意義はある。この日本という国でさえ、「平和」という響きが危ぶまれてきているけれど、今一度世界の「平和」を考えていきたい。
 「HIROSHIMA」。
 その言葉が僕たちに問いかけていることは、とてつもなく大きな意味がある。
2003年7月22日(火) 「世界水泳」
 北島康介、世界新出しましたね!!昨日は生中継で見ていたのですが、記録への挑戦という孤独な作業だけに、鳥肌が立つ感動を覚えます。いや、興奮しました。水泳といえば、ソウル五輪の鈴木大地の金メダルの感動は、未だに覚えています。水泳は、僕の数少ないスポーツレパートリーだけに、大きな大会は必ずテレビで見ていますが、今回は自身も再び泳ぎ始めたこともあって、注目しちゃいます。
 その影響か、今日のジムでは平泳ぎ人口が増えていたような・・・。「みんな影響され過ぎ。」なんて思いながら、僕自身も平泳ぎ(笑)。まだまだ、筋肉をいじめる段階ですが、いいトレーニングを続けたいです。
 さて、いよいよライブ!また雨?それでも、素敵な夜を過ごせるように、最後の調整、がんばります。
2003年7月21日(月・祝) 「海の日、そして Love Song」
 今日は、千葉のポートスクエアのイベントに2度目の出演をしてきました。あいにく天候不良で、野外ではなく、室内での開催だったので、ちょっと人の波が淋しかったのですが、そんな雨の中、東京からわざわざ足を運んで下さった方もいらっしゃって、とっても嬉しかったです。ちなみに今日演奏した曲は、<1.Mr.S/2.青の時代/3.今宵、雨の中/4.Saturation(新曲)>でした。海の日だったので、東京湾の潮風を受けながら、青空の下歌いたかったのですが、何しろライブには雨男の僕ですから(笑)。
 イベントを終え、部屋に帰りギターを弾いていると、切ないメロディーが浮かんできました。そして、たった今、その曲が完成しました。久々の純粋な Love Song です。タイトルは、「エレナ」。海辺の夕日を眺めながら歌いたい歌です。さっそく、今週に迫ったライブでお届けできたらと思っています。
 明日は、軽くプールでトレーニング、あさってはライブに向けて精神集中、そして壱周年記念のワンマンライブに臨みたいと思っています。是非皆様、遊びにいらして下さいね。お待ちしております!
2003年7月17日(木) 「2日目のトレーニング」
 昨日に引き続き、夕食の後泳ぎに行った。スポーツジムから徒歩5分というのが、今の新居のメリットでもある。
 昨日の筋肉痛はまだ残ってはいたが、多少は筋肉をいじめるのもなかなかいいもんだ(笑)。少しずつ鍛えていかねば。
 海、川、湖と、水のほとりが大好きなのに、僕はカエルが嫌いだ。幼稚園の頃に背中に入れられて以来、駄目なのだ(笑)。川沿いにある実家から学校への通学途中、車に轢かれたそれが、僕のカエル嫌いに拍車をかけた。だが、泳ぎで一番得意なのが、カエル泳ぎこと、平泳ぎなのだから不思議なもんだ(笑)。平泳ぎで1時間、久しぶりの水の感覚を取り戻すことから。
 運動した後に今流行のクーリッシュを食べる。旨い!そして、大好きなコカコーラを喉に流し込む。やがて心地よく、来週に迫ったワンマンライブのことを考えるのだ。歌う為のトレーニングはまだ始まったばかりだ。
2003年7月16日(水) 「スイミング!」
 今日からスポーツジムに通い始めた。25歳が体力のひとつのターニングポイントだともいわれる。その年まで、あと1年を切った。早めに手を打つのが良かろうというのがまず一つの理由だ。そして、もっとも歌い続けるために、心肺機能の強化を図る必要があった。
 これからずっと歌っていくために、身体を鍛えることは必要不可欠になってくる。
 幸い、小学生の時に水泳をやっていたので、泳ぐのは苦ではない。まず今日はスイミングをした。しかし!久々の本格的運動とあって、上半身が軽い筋肉痛に・・・。情けない(笑)。
 これから徐々に身体を慣らして行かなければ。しかし身体を動かすと充実感がある。なんだか、生活に新たなメリハリが出来て気持ちがいい。
2003年7月12日(土) 「暗いニュースが飛び交う中で・・・」
 12歳の児童による殺人事件。ショックなニュースだった。何が彼をそこに導いたのか?わからない。親の責任は確かにあるだろう、しかしお下劣な発言を続ける国会議員、あなた達にも責任はないといえますか?
 火葬場もホテルのように成り代わり、人間の「死」というものが遠くに行ってしまった。「死」を自覚しないで、「生」を謳歌することは出来ないのではないか。こんなあたりまえのことを言わなければならないのか、という気になるが、生き物が「死ぬ」ということがどんなことかも理解できないのか?現実と妄想が混在し、その中でその分別さえつかない人間も増えている。この時代を明日に導く思想はあるだろうか?

 やりきれない気持ちで一杯になりながら、新たな曲を書いた。
2003年7月8日(火) 「遂に!!」
 天漢の日、七夕を終え、なんだか夏の始まりを感じながら、とっても嬉しいニュースが・・・。
 遂に、遂に、阪神タイガース、マジック点灯!!20年近くの年月、この日を待っていた。六甲おろしを聞きながら、夢に酔い痴れる。今年は強い。間違いなく強い。
 獣王の意気だ。今日その一日の勝利に、そして敗北に一喜一憂しながら、人生を重ね合わせたタイガース!!
2003年7月6日(日) 「野外イベントと代官山・横浜の巻」
 昨日は、千葉で初めて野外イベントに出演しました。野外イベント自体、2年ぶりくらいでしょうか。炎天下の中でしたが、青空の下、気持ちのよいステージができました。これからも不定期ながら出演させていただこうと思っているので、お近くにお越しの際は是非遊びにいらしてくださいね。
 そして久々にゆっくりと時間のとれた今日の日曜日、代官山のバーゲンに行ってきました。Offで東京に行くこと自体、久々。お気に入りのお店でかなりお得なお買い物!!本当にこのブランドが好きな人だけの特権。いや〜、そんな粋な演出にますますファンになってしまいます。そのお店以外は、あまり興味がないといってもいいので(笑)、そそくさと横浜へ。大学時代の先輩夫妻と久々にお会いしてきました。中華街の隠れた名店で食事。昭和の匂い漂う古びた店だったのですが、料理の美味しいこと!まだ夕方5時前でも行列ができるだけある。
 なんだか、今日はハッピーな気分でした。大学時代から、僕の活動を応援してくださっている方で、今日も元気と勇気をもらって帰ってきました。
 さて、日曜が終わり、気分よく来るべき一週間も良き人生の一コマを送りたい、そう思います。
2003年7月3日(木) 「いいドラマ!!」
 何気なく、最近「いいなぁ」と思っている女優さんが出演されるということで、久々にドラマにチャンネルを合わせた。「Dr.コト−診療所」。北の国からの吉岡さんと柴咲コウ。
 なんだか引き込まれていくドラマ。僕の好きな感じだ。来週も楽しみだなぁと思いながら流れていた主題歌は中島みゆきさんで、さらにビックリ!!なんでも、このドラマの為に書き下ろされたとか。書き下ろしといえば、「プロジェクトX」しかり、「聖者の行進」しかり、名曲揃いだ。というよりも、中島みゆきさんの歌は、スケールが大きい。それだけで、ドラマに重みを与えてしまうような気がする。今回も例外ではなく、毎週木曜日、一つ楽しみが増えた。
2003年6月30日(月) 「t.A.T.u」
 t.A.T.u、金曜日のミュージックステーションドタキャン。ビデオを予約して楽しみにして待っていただけに、かなり残念だったが、ある意味ニヤリとしてしまった(笑)。「我儘だ!」「帰れ!」と、スポーツ紙を賑わし、様々な見解も飛び交っている。
 ドタキャンや、態度の悪さは、計算されているものだとの意見が多いが、それはそれでいいじゃないか?アーティストとは、そういうものだという言い方も出来る。金曜日の例の『音楽バラエティ−』、登場の仕方に疑問を抱いたのは、t.A.T.u、僕も同じだ。アイドルといわれているが、世界を相手にしているミュージシャン・「t.A.T.u」がテレビの枠の中で浮いて見えた。凄く安っぽく映ったのは、確かだ。出なくて良かった、そう僕は思う。
 「t.A.T.u」、ロシアのアイドルが世界を賑わしているというので、日本で発売された直後から僕は彼女達に興味を持って接してきたが、ここまで日本のティーンネイジャーに支持されるとは正直、驚いている。ロシアびいきの僕からすれば、それまでのロシアの暗いイメージを覆してくれたことを嬉しく思ってはいるが・・・。ロシアは今、転換期にあり、有り余るエネルギーの吐きどころをどこかに探しているのかもしれない。その一つの象徴が彼女達にあるのかもしれない。
 いずれにせよ、これに懲りずに今度は正々堂々と日本の社会に「t.A.T.u」なりの波紋を巻き起こして欲しい。これだけ、この国で売れたってことは、間違いなく彼女達のメッセージが届いている証拠だし、共通するモノがあるからだろう。
 日本にも、「我儘」すれすれの、意思の強いアーティストがもう少しいてもいいのではないだろうか?(笑)そして、そんなアーティスト達が、直球で勝負できるフィールドが、もっとあるべきだ。
2003年6月24日(火) 「吉祥寺とスニーカー」
 僕が最も楽しみな日、吉祥寺ワンマンライブが今月もやってきた。雨。僕のワンマンライブにはつきものだ(笑)。
 ちょっと早く吉祥寺駅に着いたので、コインロッカーに荷物を預けて(以前は僕の部屋がこの街にあっただけに、なんともいわれようのない淋しさを感じながら)、ふらりと行きつけのスニーカー屋に入った。
 ここ2年くらいの間だろうか、ステージ衣装は服、ジーパン、スニーカーとそれぞれ僕なりのこだわりブランドが現れた。自分で納得のいくものが見つかると嬉しいもんだ。僕が愛用する「a.c.i」という大阪アメ村発祥ブランドのスニーカーも吉祥寺のスニーカー屋で見つけた。それまでは、アディダス派の僕だったが、そのスニーカーに一目惚れ。その頃は、東京でまだ履いている人も少なかった。最近では、雑誌にも取り上げられ、かなり愛用者人口が増えてきたそうだ。
 海外有名ブランドなんかには、まるっきり興味がないが、「自分だけの・・・」、そういう感覚が僕は好きだ。雨の中、夏物の新作スニーカーを買った。折角だから、ライブで履き初め。そして今日、僕はステージに立った。
2003年6月23日(月) 「24歳初ライブ!」
 さて、いよいよ明日が6月のワンマンライブ。新曲沢山ぶら提げて吉祥寺、行きますよ〜。新曲初披露というのは、なかなか緊張するものなのですが、それ以上に自分自身、楽しみでもあるのです。
 さぁ、いいステージができるように頑張ります!!明日は大安、いいことあるかな?(笑)。
 
2003年6月21日(土) 「夏、そして虎!」
 今日はうだるような暑さだった。なんでも今年最高気温だったそうだ。日本の四季をありがたくは思うが、この時ばかりは、シベリアの白樺の森に逃げ込みたくなる(笑)。
 さて、ご存知好調・阪神!!今日も見せてくれました。代打の神様「八木」が打ち、怒涛の攻撃を見せた八回なんて圧巻でした。
 暑さを乗り切って、ガンバレタイガース!!
2003年6月18日(水) 「いいドラマ」
 最近ドラマはご無沙汰だった。新聞のテレビ欄見ても「これ!」ってのがなくって、ニュースとかドキュメンタリーをせいぜい見るくらい。
 今日のテレビ東京のドラマ「ラブ・レター」は、久しぶりにドラマから感動をもらったという感じだ。ピュアな愛情というと安っぽく聞こえてしまうが、「愛すること」を考えさせてもらうと同時に、命の重さまでもが、西田敏行演じる高野吾郎さんの台詞からは感じられた。
 心で伝えようとすれば、心で受け止めることが出来る。それが人間の美しさでもあり儚さでもあるのかもしれない。
2003年6月16日(月) 「ジュエルの新譜」
 先日のリサ・ローブのライブに行ったという日記でも書いた通り、僕にとっての今アイドルといえばリサと、ジュエルだろう。
 そのジュエルのニューアルバムがつい先頃発売になった。前評判では、流行の路線に走ってしまったという批判的な声が多かったが、実際触れてみると、彼女の表現力抜群のボーカルは、どんなバックが付こうとも変わらないのだと感じる。アルバムの中には、以前のジュエルの血も脈々と感じる作品も多くて、僕は結構気に入ってる。更には、今のアメリカを皮肉った曲まである。これには興奮した。まだまだこれから生まれるであろう、新しい作品が楽しみだ。

 話は変わって、今日ラジオに吉田拓郎さんが登場!!ご存知の通り、肺ガンの手術から復帰したばかりだ。そのラジオで、願ってもないことにギターの弾き語りを披露してくれた。「やっぱりこれだよ〜!」とウルサイフォークファンのような気持ちになってしまった(笑)。拓郎さんも最近はメッキリ弾き語りをやらなくなってしまったが、また聴きたい。ギター一本だからこそ伝わるものもきっと多いのだろう。
 僕もライブに向けて一生懸命取り組んでいきたい。
2003年6月11日(水) 「環境」
 暗いニュースやら、ろくでもないニュースが続いていたニュース番組で、今日は明るい話題を見つけた。
 「生ゴミ」をエネルギーとして利用しようという試みだ。生ゴミを発酵させてエネルギーを得ることが出来るということは、薄々の知識としては持っていた。だが、今日の番組を見て、かなり近い将来身近な出来事となるのではないかと思った。
 科学、文明の進歩もあって、贅沢三昧の国になってしまったが、その進歩した科学や文明は、より前向きに利用されるべきだ。地球規模でのエネルギー問題やらは、切実さをもって考えなければならないだろう。そういったところにこそ、文明の利器は大いに使われるべきなのだ。 話は少々飛躍するが、科学や文明の進歩を核や武器、人間を破壊に導く、そんな後ろ向きな事に使うのは、もう止めにしませんか?
 「モノ」だけが進歩して、人間の「精神」はちっとも成長しない。いや、それはあまりに悲しすぎるんじゃないだろうか?
 僕ら、21世紀に生きる者たちが、歴史から学び、よりよい世界にする為に、新しい価値観なりを見つめ、人間が人間らしく生きることの出来る場所へ、必死になって舵を取っていかねばならない、そんなことを考えた。
2003年6月10日(火) 「CARAN d'ACHE (カランダーシ)」
 ロシア語で、「カランダーシ」は「鉛筆」を意味する。「This is a pen.」はロシア語で、「エータ カランダーシ」と言う。
 何故、そんな話をするかと言うと、最近はまっているモノが、「CARAN d'ACHE (カランダーシ)」という万年筆。実はスイス製なのだが、そのブランド名が、「カランダーシ」。ロシア通の僕としては、まずその響きにやられてしまう(笑)。
 それに六角形をして、鉛筆のような形なのに、シルバーの重厚感あふれるルックス。六角形というのは、書きやすいというのもある。それから、人があまり使っていないということ。これ、僕にとっては大事(笑)。なんでも人(大衆)と違ったことをしたがる癖なのかもしれない。いや、唯一無二の一人の人間ってのを、その装いからも表現するのが個性ってことなのかもしれない、とふと思う。
 僕は、鉛筆(三菱の消しゴム付)でノートに殴り書いた曲を、汚い字ながら、ルーズリーフに清書する時、万年筆を使う。一種の儀式みたいなものだ。24歳初の新曲「天漢(←奈良時代に天の川のことを指してこういったらしい)」をカランダーシで清書する。そして曲に魂が入る。あとは歌い込みあるのみ。どんな曲に成長するのだろうか…。
2003年6月7日(土) 「24歳初の曲完成!」
 24歳の誕生日をおととい、無事に迎えることが出来ました。沢山の皆様からのお祝いのメール、どうもありがとうございました。「おめでとう!」と共に、「頑張れ!」のメッセージ、とても心強く、勇気をいただきました。本当にありがとうございます。
 さて、24歳になる瞬間を曲を書きながら迎えました。そしてたった今(6/7AM2:00すぎ)、また新しい曲が生まれました。今回は、3拍子のバラードです。もうすぐ七夕、天の川からインスピレーションを受けて出来た曲です。これまた今月のライブでお披露目させていただきますので、お楽しみに!
 これで今回4曲の新曲です。早く歌いたくてうずうずしています(笑)。コツコツとコツコツと、一歩一歩、前進していきたいと思っています。
2003年6月4日(水) 「23歳最後の夜に」
 23歳最後の夜。
 だんだんと美しき10代から離れていくのかなぁ?なんて(笑)。
 とはいえ、22歳から23歳になる時に感じた、一種のブルーさは今年はそんなに感じないのが不思議だ。『一生青春』決め込んでるからかなぁ(笑)。
 それでも一つ一つ年を重ねていくことは事実。一生青春とは、一生学びつづけること、そして一生闘い続けることでもあると思う。もっともっと生きて、素晴らしい人生にしようじゃないか!!
 今日まで生きてきた23年間に感謝!
2003年6月2日(月) 「最近のこと」
 最近手話を習い始めた。勉強するという程の大げさなものではないが、聾唖の方を交えて、サークル感覚で開かれている会に参加している。手話には、一つ一つ意味があったりして、「なるほど」と納得させられることも多い。

 あれは、大学に入学直後のことだったろうか。知り合いに誘われた飲み会で、たまたま聾唖の女性と同席した。普通に話をするし、こちらの唇を読み取って会話が成立した。しかし、音楽が根っこにある僕は、その音楽の話をなかなか出来なかったことを記憶している。「音のない世界で、どうやって僕の表現手段を理解してもらえるのか?」そう、真剣に思ったからだった。ある種の遠慮もあったのかもしれない。
 最近、再び身近に聾唖の方と知り合い、再び同じ難問に直面する。その時、ある人に言われたことがある。「彼らはそれが(音のない世界が)普通なのだから、普通に接するべきなんだ。」と。それこそが真の意味でのバリアフリーということなのかもしれない。
 なかなかデリケートな問題だとは思うけれども、一つ一つの壁を乗り越えるではなく、崩しながら、人と人が繋がり、「人間であること」の自覚を高められれば、もっとよりよい世の中になるのではないかとふと思っている。
2003年5月28日(水) 「リサ・ローブ!!」
 今週月曜日、渋谷AXにリサ・ローブのアコースティックソロライブを見に行ってきました。リサ・ローブはここ最近の洋楽界に於いて、ジュエルと共に僕が好んで聴いている女性アーティストです。ポップなタッチの中にも、心に響くサウンドがあり、僕は好きなのです。
 しかも、今回はアコースティックソロツアーということで、MTVアンプラグドを想像していたのですが、正真正銘ソロ!!ギター1本の弾き語りライブだったのです!約2時間弱、世界を相手にするアーティストの弾き語りライブ。僕にとってはなんとも贅沢な時間が流れていたのです。僕の今のライブスタイルとも同じ、勉強になることばかりでした。
 しかし!前日から喉に痛みを覚えていた僕は、オールスタンディングの中で、体調が悪化したらしく、ボーっとしてしまう瞬間が何度も…。なんとも悔しい想いを残すことにもなりました。家に帰ると発熱。熱にメッキリ弱い僕は昨日一日ダウン。う〜ん、でも素敵なライブの余韻だけは残っているのです。
 セクシーなジュエル、知的なリサ・ローブ、僕にとってはアイドルの、この2人のライブに日本にいながらにして体感できた幸せを感じます。さぁ、僕もいい歌書いて、何とか世の中に出て行かねば。
2003年5月18日(日) 「さらに新曲!!」
 今日は、久々の休日といった感じで、ゆったりと僕の部屋で一日を過ごしました。
 そして、再び新曲の完成です。今週は、2日おきに計3曲!次のライブが僕自身、とっても楽しみです。
 今回の曲は、ちょっと夏を感じさせる歌です。カラッとした感じといえばよいでしょうか。「海の唄」とはまたイメージの違った、海を歌った唄です。お楽しみに!!
2003年5月16日(金) 「またまた出来た〜!」
 今朝早朝7時。またまた新曲完成です!!
 今回は、金沢弁の曲に初挑戦。バリバリの"がんこ"(←「とっても」というような意味の金沢弁)金沢弁です。いや〜、作ってはみたいと思ってはいましたが、博多弁や関西弁のようなインパクトに欠けるので、なかなか難しかったのですが、やっと完成しました!
 この曲をおみやげに、金沢でライブがたまらなくやりたくなりました。考えてみれば、かなりご無沙汰になってしまってますもんね。金沢の皆さん、待っとってくれるけ?
 新曲初披露、6月のワンマンライブがとっても楽しみなのであります。がんこ気合入れて、がっぱんなって頑張るしね〜。(メチャ気合入れて、ただひたすら頑張りますからね。)
2003年5月14日(水) 「出来た〜!」
 たった今、午前1時過ぎ、新曲が出来上がりました!僕の曲としては珍しく、男のやんちゃな面が歌になりました。
 先月から、浮かんでは消え、浮かんでは消えでなかなか生まれてこなかったので、「でた〜!」といった感じです(笑)。そういう時は、「もう二度と曲が書けなくなってしまうんじゃないだろうか?」などと、極度の恐怖にも見舞われます。その期間というのは、正直、かなり怖い時間でもあります。
 新曲、6月のワンマンライブにはお届けできますね!まだ1ヶ月以上先なので、もう何曲かお届けしたいです。楽しみにお待ちください。
2003年5月6日(火) 「語らずにはいられない、虎の巻」
 虎!虎!虎が強い!今年こそは、昭和60年以来の祝杯をあげられるだろうか。ゴールデンウィークまでだという、いつもの声を掻き消すが如く、阪神タイガース、快進撃ですよ〜。強い!強い!、今年は「強い!」という感じがする。
 どん底から這い上がってきたからこそ、嬉しさが大きい。う〜ん、そろそろ六甲おろしを歌いに球場に行かねば。
2003年5月4日(日) 「ジャクソン・ブラウン!」
 昨日は、最高にエキサイトした気分の一日だった。ジャクソン・ブラウンの来日公演を観に中野サンブラザに行ってきた。
 ちょうど僕が東京に出てきた年、大学の入学式の2日前に東京に出てきて初めて観たのが彼のコンサートだったので、5年という月日を噛締めながら会場に向かった。
 今回のコンサートは、ジャクソン自身が、とっても楽しんでるように見受けられ、客席からのリクエストに何曲も答えていた。カリフォルニアの風を感じさせるサウンドに、ちょびっとざらついたジャクソンのボーカルに鳥肌が立つ。バラードなんて最高だ!誠実な人柄そのもの、真っ直ぐに歌が僕らの心に届く…。
 途中、「僕はイラク戦争には反対だ。」と明言するワンシーンも。ジャクソン・ブラウンといえば、政治的な視点で書く歌も多い。説教臭い訳ではなく、完成度の高い詩の世界で僕らに問いかけてくれる。
 コンサートはなんと、ダブルアンコール!!客席総立ちで盛り上った。いや、心に突き刺さってきた。「歌」とはそうあるべきなのだと思う。言語は違っても伝わる、それが音楽なのだ。

 そして、コンサートの帰りには、先の選挙で知り合った若い人達との打ち上げに途中参加。僕よりも年下の学生も含めて、みんな大真面目にこの国の行く先を考えていた。「今時の若者は。」なんて無責任に語る大人が多いけれど、まだまだこの国も捨てたもんじゃないですよ。こうした力が、もっともっと拡がっていく、それが大事なことなんだと思います。僕もひとつの力になりたいと思います。

 そうした出会いも含めて、最高にエキサイトした一日なのでありました。
2003年4月29日(火) 「悲しい事件」
 「民主主義国家を作る」という大義のもと、また市民が銃弾に倒れたという。なんてこったろう…。これじゃ、また憎悪を掻き立てるだけじゃないか。そして歴史は繰り返されるだけじゃないか。
 一般市民を巻き込まない戦争なんてありゃしない。いつになったら、本当にいつになったら、みんな揃って青い空を見上げることができるのだろうか。
 ただただ息苦しさが過ぎてゆく。
2003年4月27日(日) 「チベタンフリーダムコンサート」
 ポカポカと温かい日が続いていますね。ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか?僕は1日のライブの準備などに追われております。
 さて、先週の土曜日(19日)にチベタンフリーダムコンサートに行ってきました。以前から、チベットのことには関心があったのですが、今回はコンサートということで、楽しみつつ、チベットのことを考えてきました。忌野清志郎さんも出演されました。「イマジン」や「風に吹かれて」などが聴けました。
 こういったチャリティーライブ、もっと多くのアーティストが参加できる環境になるといいなぁと思います。音楽が持っているメッセージを何かのアクションに変える、そういったことも大切だと思います。
 哀しみに満ち溢れる世界で、一つでも多くの愛の花が咲きますように…。
2003年4月17日(木) 「イラクの空に」
 イラク戦争。僕はもっと何かアクションを起こしたかった。自身の忙しさに甘えて、気に掛けながらも何も出来ずに過ぎてしまった。もっとも、僕ごときにできる事など限られてはいるのだが…。
 ニュースで、空爆により死に至った少年や少女の映像が流れた。フセインが悪だとはいえ、戦争はやっぱり戦争であり、悪だ!何ゆえ悲しき歴史を繰り返す?
 血に染まった真実の上に偉そうに立つ権力者はいったいどんな気持ちなんだろう?それでも幸せかい?
 今夜のニュースの被害者の人々の怒りはどこへ向かうのだろうか…?

 そうやって歴史は繰り返されてきた。
2003年4月16日(水) 「選挙応援に明け暮れる日々」
 まずは1ヶ月近くホームページ更新が滞ったことをお詫びいたします。
 何をしていたかというと、2年前に手伝った選挙(エッセイに記載)の時の候補が、市政を目指すべく市議会議員選挙に出馬するにあたり、手伝いをしていました。今回は、僕も千葉に引っ越したこともあって、どっぷり中に入り、いろいろ勉強した訳です。選挙カーを運転したり、選挙カーで喋ったり、等など。
 しかし、メチャクチャ忙しい3週間でした。家にもほとんど帰れず…。結果は、900票差の次点に終わるも、前回同様、ステキな先輩方、仲間に出会えたことは財産でした。一昨日もステキな先輩方に朝まで飲みに連れて行ってもらったりしました。

 一方、政治の汚さも露骨に表れる選挙。日本の政治がよくなるには、余ほど時間がかかるのだとも実感。組織や地盤がないと勝てない。殊に地方政治においては、政策がなかなか表に現れないのです。本来、政治とは、その政治家がどんなビジョンを持っているのかが大切な筈なのにネ。
 民主主義の制度疲労とでもいうべきか…。まずは制度改革からかな?そんなあたりまえのことだけど、そんな当たり前のことが出来ない『政治』という化け物なんでしょうか。
 人間が、人間らしく世の中を動かしていく、そんな時代が早く訪れることを願います。
2003年3月23日(日) 「平和の大塔」
 ようやくの春を予感させる青空の下、成田山新勝寺に行ってきた。
 ここには、ダライラマ14世を始め世界の元首による平和へのメッセージが収められ、世界平和を願った「平和の大塔」がある。今この時期にこの場所に足を運ぶ意味があった。
 平和への願いは、やがて祈りとなり、その手の温もり、心が広がってゆくことを願わずにはいられないのです。
2003年3月17日(月) 「平和への声」
 イラク攻撃が近いとされる昨今、平和への声が静かに聴こえてくる。マスコミが全てとは言わないが、「何故?」という疑問符が浮かび上がる。独裁主義よりは民主主義の方がよいかもしれない。しかし特に9.11以降のアメリカで民主主義は機能しているといえるだろうか?はたまた日本は?武器の脅威の芽は摘むべきだが、その芽を摘むために人を殺すことを正当化してよいと誰がいえるのだろう?
 アメリカの大統領就任式では、大統領が聖書に手を当てて宣誓をする。歴史を振り返ると宗教は政治に利用され、あるいは政治を利用しながら生き残ってきた。その中で本当の意味を見失う…。

 人間でありたい。幾つもの哀しみを乗りこえてきた瞳に僕は恋をする。人間の心を打つ言葉がなかなか見つからない…。
2003年3月14日(金) 「結婚式」
 先週末、従姉妹の結婚式で金沢に帰ってきました。あいにくのみぞれ模様でしたが、それまた冬の金沢らしいといったところでしょうか。
 親しい間柄での結婚式というのは2度目ですが、やっぱりお祝い事というのはいいものでした。従姉妹ということもあって、花嫁が実家を出るところから参列したのですが、深いものを感じてしまいます。花嫁の瞳の奥には、何が映っているのだろう?、そんなことを考えていました。
 さて、結婚式ではオリジナル曲はもちろん、花嫁の兄弟、つまりは僕の従兄弟と共演したり、「はじめてのチュー」で会場を盛り上げたり、新郎新婦よりもこちら側が楽しんでしまったような(笑)。いやいや、新しき門出、心よりお祝いしました。

 月曜日には、何とか時間を作って竹久夢二も愛したという金沢郊外にある湯涌温泉へ。やっぱり温泉最高です!なんてジジ臭い奴なんだろう、って思ってしまいますが(笑)。しかも、この時期の北陸の海の幸と来たら旨い!!「ここがふるさとでよかったにゃあ。」と実感できる瞬間でもあります。「♪そして僕は今 東京のマズイ飯を食べて〜いる♪」なんて歌ったら怒られっちゃうでしょうか(笑)。いやいや、東京にも旨いものはありますもんね。

 身も心もリフレッシュ!いざ、20日のワンマンに臨むであります。
2003年3月5日(水) 「春一番」
 久々のホームページ更新になってしまいました。申し訳なく思っています。でも遊んでいた訳ではなく、ちゃんと曲も創ってましたよ(笑)。早く歌いたい!!
 春一番が吹いたとはいえ、関東地方は強風と寒さでなかなか過ごしづらいでやんす。
 そうそう、今週末は従兄弟の結婚式で一時帰郷です。なんやかんやでふるさとに帰る僕は、やっぱり金沢を愛しています(笑)。温泉にでも浸かりに行きたいものだが、そんな暇はなさそう…。あ〜、そういえば長らく故郷でライブやってないなぁ。歌いたいなぁ。もちろん、結婚式には歌をプレゼントするのですが、ライブというものがしたい!次は夏かなぁ?ワンマンでやりたいなぁ。
 日々頑張っていくしかないのです。その頑張りのエネル源が故郷のみんなの声。忘れちゃいないんです。

 さて、明日も東京見つめていっちょ頑張ろう!
2003年2月23日(日) 「千葉からの第一声」
 千葉からの初の日記になりますね。気付けば早2月も終盤。なんだか怒涛のように過ぎたこの2週間でした。当初の予定からは狂ってしまいはしましたが、新たな道を開きつつ生きていくこととします。
 さて、千葉に着てから初の新曲が出来上がりました!一昨年の夏に訪れたシベリアの聖なる湖・バイカルを頭に描きながら書いたラブソングです。皆様にお届けできるのは3月のライブ、ということは1ヶ月後ですが、それまでにもっと育てておきますね。(いや〜、出来立てを早くお届けしたいものです。)あと一曲手掛けている最中の曲があるので、そちらも頑張って創っていきます。
 新しいこの部屋は、静かな分だけ、曲作りには集中できています。夜中なんて、本当に静かなんですから、怖いくらい(笑)。

 世の中、暗いニュースばかり、イラク攻撃もいつの間にやら日本は支持を表明しているし・・・。せめて歌ばかりは正直に唄っていきたいと思っています。
2003年2月7日(金) 「吉祥寺から」
 吉祥寺のこの部屋から、この日記を書くのも今夜が最後だと思うと感慨深くなってしまう。この5年間の様々な記憶と想いとタバコの煙に包まれたこの部屋。
 明日の今ごろは千葉で新たな生活を始めることになる。今よりも音楽に集中できるポジションということで千葉行きを決意した。何故千葉か?、これもまた不思議な縁だ。巡り合わせの中を泳ぎながら人は生きていくのだろうと、ふとそう思った。
 上京前夜とはまた違った感覚だ。あれほど憧れていた中央線沿線の街から離れる。淋しくないと言えば嘘になる。吉祥寺で出会った素敵な仲間や音楽があるから、「また帰ってこよう。」という気持ち、そう第二の故郷ができた訳だ。次に戻ってくる時には大きくなって戻ってこなければならないと思う。
 金沢から東京を遠く見つめていた青春時代。あの気持ちをもう一度思い出したい。『東京』とは、僕ら地方人にとっては勝負の街なのだ。「負けないとは闘うこと」、もう一度自分に確かめる。
 明日からは西を見つめることになる。待っていてくれ。

 今夜は一先ず...ありがとう吉祥寺、ありがとう。また会おう!!
2003年2月6日(木) 「農耕民族」
 いよいよあさってが引越しだ。
 昨日、半年間働いたバイトの最終日。バイトが終わると、バイトの仲間、社員の人たちが盛大な送別会を開いてくれた。まさか、そんなものが用意されているとは知らなかった僕は、心を強く打たれてしまった。嬉しさで瞳が潤んだ。
 そして心の中で誓ったのだ。「夢をかなえてまた吉祥寺に戻ってこよう!」と・・・。

 引越し間際になって、自分が農耕民族の血を引いていることをつくづく感じる。住み着いたその場所に愛着というか、深く感情移入している。はたまた、転がることを嫌っているのかもしれない。
 農耕民族は定住生活が基本だ。季節によって転々と住居を換える遊牧民族との徹底的な違いである。一つのことにじっくりと取り組んできた、日本人の特性の理由がそこにあるのかもしれない。
 遊牧民のように広い世界観を持っていれば、引越しなど些細なことなのかもしれないが、狭い日本で生まれ育った僕にとっては、引越しは一大事なのである。執着ということなのかもしれないが、それは愛と表裏一体のことのように思える。
2003年2月3日(月) 「節分」
 今日は節分。
 引越しを間近に控え、吉祥寺での最後のオフって感じだった。(引越しについては近々エッセイに書く予定)井の頭公園をぶらぶらと歩き、井の頭弁才天の豆まきに遭遇した。今年は、厄年ってこともあったし豆を拾って食べた。古き良き、日本の風習ってのも大事にしたいなぁと思った次第である。
 弁財天は音楽の神様でもあるので、これからの「亜聖」を祈った。
 引越しまであと数日。吉祥寺を満喫したい。
2003年1月29日(水) 「ヨーロッパ唯一の仏教国ーカルムイクー
 ETV特集を見た。ロシアのボルガ川を下ってゆく特集だった。そこで、ヨーロッパ唯一の仏教国・カルムイク共和国が取り上げられた。以前、新聞記事で、この国の存在を知ったのだが、スターリン時代に大粛清、そして強制移住という苦難の歴史を辿ったにも関わらず、人々は大らかな気持ちで暮らしている。
 旧ソ連圏には、アジア系の人々も多く住む。一昨年訪れたロシア・イルクーツクもモンゴル系のブリヤート人が多く住む街だ。考えてみると、ロシアには僕たち日本人と同じ血を引く人々が多く暮らしている。もしかしたら、このことが、僕をロシアに惹きつける理由なのかもしれない。
 カルムイクではペレストロイカ以降、仏教を中心とした新しい国づくりを行っているという。こう書くと、奈良時代の日本のようだが、そんなことではない。長年の弾圧から解き放たれ、人々が新しい時代に向かって生き生きと活動している姿がそこにはあった。
 日本が、東の果てのアジアだとするならば、カルムイクは西の果てのアジアともいえるだろう。その空気を吸い込んだとき、何を感じるだろう?カルムイクの人々と触れ合いたい、街の風に抱かれてみたい。そう強く思った。次回の旅の第一候補になりそうである。
 
2003年1月27日(月) 「PMC3」
 なんだか、今年の1月は慌しい。でもこういう時期だからこそ、創作意欲が涌くもので、今3曲の新曲を手掛けている。2月のワンマンに何曲間に合うかわからないが、とにかく創っている時はなんともいえない、興奮の中にいる。

 さて、先週末、「PMC3(http://www.mmc-adv.co.jp/pmc/index.html)」という純銀粘土細工に挑戦した。これは、純銀度90%の粘土で、それを800℃で焼成し、ヤスリで研くとシルバーアクセサリーが出来上がるという代物。
 ハンドメイド、しかも自分で作るという贅沢は、なんとも楽しい。今回僕は、「ASEI」とネームを入れ、月と太陽、そして星をモチーフにしたリングを作った。初めてにしては、中々の出来ではなかったろうか?これからちょっとハマリそうである。
 世界でたった一つのもの、その価値は、有名ブランドにも勝るものがあるのですよ(笑)。
2003年1月22日(水) 「出島」
 貴乃花が引退し、大相撲も淋しくなったなぁと思っていたら、同郷の出島が優勝争いに食い込んでいる!一度は大関にまで上がりながら、その後の不調で今は前頭。初優勝の時は感動したなぁ。
 やっぱり、地元出身者を応援したくなってしまうんだなぁ。本当は、押し相撲よりも技を利かせた千代の富士のような相撲が好きだけれど、同郷人となるとそうはいかなくなる(笑)。頑張れ、出島!!

 余談だけれど、小学校時代からの親友に出島ってのがいてね、「親戚?」って聞いたら、違うって。ちょっと残念。
 そういえば、昨日辺りから、風邪なのか花粉症なのか、はたまた単なる鼻炎なのか、鼻の調子が悪い。おまけに鼻の天辺に吹き出物が出来てて鼻をかむ時にあたって痛い!ボーっとしながらなので、取り留めのない日記にて失礼します。
2003年1月15日(水) 「MATSUI 55!」
 松井のヤンキ−ス入団発表を深夜のNHK臨時ニュースで見た。緊張しながらも、堂々とした会見、頼もしかったですね。プロの世界、入ってからが勝負だと思うのですが、巨人を出た今(笑)、心から応援してます。松井さん、石川県のスターから日本のスター、そして世界のゴジラに!!
 野球と言えば、伊良部の阪神での始動、こちらも今年は楽しみです。今年は楽しみがいっぱいだ!
2003年1月14日(火) 「今年もよろしくお願いします。」
 2003年最初の日記です。遅ればせながら正月のことを書きたいと思います。
 例のごとく実家で過ごした今年のお正月。最近、日本酒好きになった僕にとって、地元での正月はとってもハッピー!たまたま家にあった「手取川 古古酒大吟醸」なんて最高でした。

 それから地元と言えば幼馴染の友人達。やっぱりそいつらと遊ぶのが何より楽しい。今回は小学校のミニ同窓会が開かれて、それがとっても面白かった。もう10年以上前のこと、記憶は曖昧になりながらも、「そうだったよなぁ」って酒を飲みながらね。そして真夜中の吹雪の中、みんなで母校のグランドに行ったり・・・。鉄棒にプール、花壇にジャングルジム。懐かしいってだけじゃなくて、なんというか、愛しいというか。
 こうやってふるさとに帰って、自分の足跡をたどるのが僕は好きなんだなぁ。あの時の憧れだった転校生・ミサトちゃんは今ごろ何してるだろう?・・・とかね(笑)。

 今年は未年、僕は年男。そして数えで25の大厄。何が起こるかわからないが(笑)、今年も精一杯走っていきたい。何卒応援よろしくお願いいたします!

© 2003 Asei Matsuda

2002年1月〜12月の日記
2001年1月〜12月の日記
2000年7月〜12月の日記
2000年3月〜7月の日記



目次へ               メール