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(2004年)




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2004年12月27日(月) 「『グリーンデイル』再び!」
 今日の朝刊で、僕にとっては重大な記事を眼にする。ニール・ヤングの映画『グリーンデイル』を全国で唯一、吉祥寺バウスシアターが上映しているというのだ!レイトショーのみということで早速バウスシアターに駆けつける。整理番号は2番(笑)。最高のポジションで観ることが出来た。単なる映画上映ではなく、音響は通常ライブで使用するPAを利用しての爆音上映である。上映前のニールのBGMに興奮を覚える。
 『グリーンデイル』といえば、昨年の来日公演でもステージ上で展開された、歌に合わせて役者が演じたミュージカル的なものである。『グリーンデイル』というアルバム自体が一つのストーリーなのである。そのライブは、本当に素晴らしかったのだが、何しろ僕は英語が上手く理解できない。だからニールが創りたいものをなかなか理解できないもどかしさが残っていた。しかし今日は字幕スーパー入りの映画である。
 今朝の朝刊によればニール自身が日本での上映を望んでいたという。ファンとしては、これほど嬉しいことはない。しかも、我が吉祥寺が唯一の上映館だというから「だから吉祥寺なのよ!愛してる!!」とまで叫びたくなる(笑)。
 9.11後の星条旗一色のアメリカから世界中に配信されたチャリティーコンサートで、『イマジン』を歌うニール・ヤングがたまらなく好きだ。静かに、しかしとても力強くメッセージを発信し続けている。
 その後の今の「AMERICA」をニールの視点で確実に捉えたのがこの『グリーンデイル』だったのだ!アメリカの抱える様々な問題を、その美しいメロディーと、時にとてつもなくパワフルなサウンドで僕らに投げかける。紛れもなく作家だと思った。ニール・ヤングを冷静に捉えられない自分がいるのは確かだが、今年観た映画の中で、最も強く心に突き刺さってきた。映像とリンクしていく中で、やはり歌の説得力は凄まじかった。音楽も力だ。
 年の瀬に、再びニール・ヤングとスクリーンを通して会えたことに心から感謝したい。
2004年12月26日(日) 「代官山」
 2004年、東京での最後の週末、行きつけの美容院と代官山ショッピングに出かけた。代官山ショッピングといってもお目当てのお店は1軒だけなのだが。クリスマス直後ということもあって、割と静かな代官山だった。いつものお店のセールに出掛ける。店員さんが声を掛けてくる。きっとそろそろ覚えられてるんだろうなぁなんて感じながら、品定め。セールも始まったばかりでお気に入りを3着購入。これで来年のステージ衣装にもしばらくは困らないわけです(笑)。和風テイストの服がほとんどだから、手袋もそれに合うものをと思うのだが、いつものブランドは手袋は作ってないらしく、結局吉祥寺に戻る。吉祥寺のいつもの服屋さんに辿り着くと、何とか僕の服にマッチする手袋を発見。おまけにもう1着お気に入りの服を見つけてしまって即購入…。まぁ、ここは自分へのクリスマス&お年玉ということで(笑)。
 やはりこだわりのモノが好きだ。自分の眼と心で感じあえる何かに出会った時に嬉しくなる。服とスニーカー、ここ2年位だろうか、惹きつけられるモノに出会ったのは。それは、僕にとってささやかな幸せな出会いだった。
2004年12月25日(土) 「クリスマス」
 今年のクリスマスはBe・Pointで迎えた。しかし温かさのお陰か、いつもよりクリスマスという感じがしない。クリスマスだからといって、バカ騒ぎするのは好きではないが、街のイルミネーションはいいものだなぁと思ったりする。
 久々に勉強させていただいたダニー石尾さんのクリスマスライブ。ジョン・レノン「イマジン」のカントリーバージョンはとっても素敵だったし、キャロル・キングやエルビス、クラプトンの「ワンダフルトゥナイト」等など、渋くてカッコよくって心地の良い音楽。やっぱり名曲は名曲なんだよなぁ。そしてダニーさんの「俺も少年だった」には、感動!一瞬身動きできなくなるような、そんな素敵な歌だと思う。
 ライブ終了後はそのままライブハウスで飲んで、真夜中にラーメン。また一軒こだわりのラーメン屋さんを見つけた。音楽に包まれて過ごす、クリスマスってのもいいもんだ、だって僕は歌うたいなんだもの。
2004年12月20日(月) 「モーターサイクル・ダイアリーズ」
 公開当初からずっと見たいと思いながらなかなか足を運べなかった映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』をようやく観てきた。南米の革命家、チェ・ゲバラの青春時代のロードムービー。「これは偉業の物語ではない。同じ大志と夢を持った2つの人生が、しばし併走した物語である。僕らの視野は狭く偏りすぎていただろうか。僕らの結論は頑なすぎたのか。・・・かもしれない。南米放浪の旅は想像以上に僕を変えた。少なくとも、もう昔の僕ではなくなっていた。」
 改めて旅は素敵だと思った。僕もソ連時代のシベリアへの旅、そして10年後のロシア・モンゴルへの旅。ゲバラ達の行程からすればごくちっぽけなものかもしれないが、それ以来世界の見え方が確実に変わった。人と出会い、人とぶつかり、そうやって青春は輝いたものとなるのだろうか。
 畑の畦道、まっすぐと延びる道の映像が、僕の心を打った。
2004年12月17日(金) 「小川軒のレイズン・ウィッチ」
 昔からの僕の大好物がある。小川軒のレイズン・ウィッチ。昨日親戚から4個ばかりおっそ分けしてもらい、ニコニコしながら頬張った。旨い!法事や何かで親戚が地元に帰ってくるときの最高のお土産がこの小川軒のレイズン・ウィッチだった。それ以来の大好物。本当に旨い。大事に大事に今日の夜は一個、明日の朝一個と・・・(笑)。人間美味しいものを食べると幸せな顔が出来るから不思議だ。
 もうすぐ正月。今度は北陸の海の幸を食べるのだ。
 こうやって一杯の笑顔が拡がると素敵だなぁ。
2004年12月16日(木) 「三鷹」
 僕の新居は、ちょうど吉祥寺駅と三鷹駅の中間にある。以前吉祥寺に住んでいた時は、吉祥寺駅から徒歩5分の好立地だったので、三鷹駅に行く機会はほとんどなかった。今回の部屋に越してからは三鷹駅も頻繁に利用するようになった。気分によって吉祥寺駅と三鷹駅を使い分ける、そんな贅沢な生活なのだ(笑)。やはり休日の午後の吉祥寺の人ごみときたら大変なものである。そんな時はちょっと静かな三鷹のスーパーに買い物に出かけたりするのだ。
 三鷹というのもなかなか素敵な街で、太宰治が住んだのもよくわかる気がしてくる。吉祥寺、三鷹、それぞれにめちゃくちゃ個性的な町だと思う。三鷹から僕の部屋に向かう途中に梨畑(?)があって、そこから見上げる星空がたまらなく好きになった。空気の澄んだ冬のオリオン座は最高だ。「東京で、こんなに星が綺麗に見えたっけ?」そう思ってしまう。星を見上げたり、海を眺めたり、川の流れを見つめたり、そんな自然との会話が僕は大好きなのだ。井の頭公園の赤く色づいた紅葉に見とれているのは言うまでもない。
 圧倒的な自然を前にすると、人間のちっぽけさが見えてきて、そうすると負けずに生きねばととてつもない勇気が涌いてくるのだ。やっぱり人間はお陰様で生きている存在でしかない。
2004年12月13日(月) 「腹筋筋肉痛」
 昨日から吉祥寺のジムに通い始めた。折角だから、腹筋・背筋中心の筋トレメニューを作ってもらおうとトレーナーと相談。家でもダンベルとチューブトレーニングを続けてはいたが、さすがに久々のマシーンを使ったトレーニングはこたえた。「あと5回行きま〜す。」なんて言われるとかなり必死になる(笑)。お陰で今日は腹筋の筋が痛い、かなり痛い。極度の筋肉痛。明後日ライブなのに大丈夫かなぁ?とちょっと心配になったりする(笑)。でももっとしっかりと歌うためには腹筋、背筋は欠かせないから、続けていかねば。
 徐々に吉祥寺での生活が板についてきた。それにしても、午前中のこの町の静けさが僕は好きなのである。
2004年12月11日(土) 「一週間」
 吉祥寺に戻ってきて1週間が経った。急に時間の流れが速くなったような気がするから不思議だ。師走の慌しさも相まって時間は大事に過ごさねばと改めて思う。引越しの片付けも落ち着いたので、早速ジムへ見学に行き、入会手続きをしてきた。最初は市民プールに行くつもりだったのだが、やっぱりサウナに入れるほうがいいと(この辺は親父臭い)、一番リーズナブルなジムを選んで行ってきた。明日から少しずつやっていこうと思う。
 そして夜は友達のライブを見にビーポイントへ。ブルースな感じがとっても心地よかった。ライブ終了後、打ち合わせでいらっしゃっていたロケット団の倉本さんとビーポイントの社長としばらくビールを飲んでいた。やっぱり終電を気にしなくてもいいってのは何より幸せだ。ぷら〜っと買い物袋を提げてこの町を歩いていることが、不思議な気もする。今夜も星空はとても綺麗だった。中央線下りの終電を見送りながら家路に着く。
 さて、15日は今年の締めのワンマンライブ。来年につながる、しっかりとしたライブにしたい。
2004年12月8日(水) 「吉祥寺'2004」
 吉祥寺復帰から初の日記です。やっぱり一人暮らしにもかかわらず2トントラック一杯の荷物を20u弱の部屋に入れるんだから、これ大変でした(笑)。明け方5時ごろまでかかってやっと寝場所を確保して。でも色んな人に手伝ってもらって、つくづく幸せなことだと痛感しました。
 引越し当日の天気予報は曇りのち雨。雨に降られたら大変だったのですが、荷物を入れ終わるまで雨も待ってくれて、吉祥寺生活の出だしも順調。翌日の夜は、武蔵野の空にくっきりと綺麗なオリオン座が浮かんでいました。
 やっと今日辺りから通常の生活に戻ってきたかな?、といったところです。そして昨夜から新曲作りに取り掛かり、先程完成しました!やっぱり吉祥寺の歌をこの部屋で最初に創りたいなぁと思っていたのですが、その想いの通り、「吉祥寺'2004」の完成です。早速15日のワンマンライブで披露させていただきたいと思っています。
 新たな生活は色々と戸惑うことも多く、武蔵野市のゴミへの取り組みに脱帽。分別、分別!「あ〜、これが少しは地球の環境に優しいことであれば」と思えば、面倒な分別も楽しくなってくるのです。いや、いろいろなことを感じ、考えるって大切なことですね。
 さて、今年の歌い納めワンマンライブまであと1週間。精一杯やりますので、みなさんぜひぜひ遊びに来てください!
2004年12月3日(金) 「明日からもう一度、東京の人になる!」
 いよいよ明日、吉祥寺に戻る。
 引越しの度に物が増えていく僕の引越しは結構大変なものだ(笑)。しかし、今回は「東京」にはじめて出てきた時のような情熱と「夢」という世界を目指して、深い想い入れがある。頑張らねば。お世話になった人に会うたびにそう思う。
 2005年、忘れられない年になるように、明日からもう一度、僕は東京の人になる!
2004年12月1日(火) 「金沢と作家」
 金沢が生んだ郷土の作家として室生犀星、泉鏡花、徳田秋声。金沢に住んだ作家、中原中也、井上靖、五木寛之などなど。文学の街なのに、有名な歌い手はまだ輩出されていない。有名になることが大切な訳ではないが、その文化を心に秘めて歌える歌い手になりたいとつくづく思う。
 最近、五木寛之さんの「風に吹かれて」というエッセイ集を読んだ。ちょうど五木さんが金沢で暮らしていた頃のエッセイで、金沢の情景が多々浮かび上がってくる。金沢弁もその中で語られているのでとっても嬉しくなってしまう。金沢弁といえば、最近東京の人と話しててハッとしたことなのだが、意外にもメジャーな言葉であることがわかった。その訳は15日のワンマンの時にでもお話できればと思っている。「がんばるまっし」が、東京の人に受ける理由が少しわかった気がする。
 さて、明日は船橋ライブ。出来立てのライブハウス、初めてのライブハウス、楽しみだ。時間は短いのだが、精一杯の松田亜世の今をお届けできればと思っている。千葉での最後の3日間、そして僕は再び「東京」の人になる。
2004年11月28日(日) 「千葉で最後の休日」
 昨日は先月から始まったアルコール患者さん対象の病院ライブに行ってきた。今回は精神病棟に入院しいる若い患者さんも参加して下さってなかなか楽しい一時を過ごすことが出来た。その足で吉祥寺の新居へ。
 畳は敷いたのだが、テレビもコンポもない。やはり音のない生活というのは何と淋しいものだろうと思う。今回は携帯ラジオを持ち込んで夜の退屈しのぎ。何気なくチューナーを合わせたのがオールナイトニッポン。福山雅治の番組で、12月1日の世界エイズデーを目前にした特集が組まれていた。リスナーとのやりとりを聴きながら色んなことを考える。テレビとは違った双方向的な空間、学校では教えてくれないことがそこにあったりする。
 セックスについて、時に真剣に考えることが必要ではないだろうか。ラジオを聴いていると学校によって性教育の扱いがかなり異なっていたりするらしい。幸い、僕の場合は先生にも恵まれ、小学校の頃から良質と思われる性教育の機会があった。確か小学校6年の頃だったと思うが、「恋と愛の違い」の授業もあったりしたのがとても印象に残っている。中学生以下のSEX禁止条例が論議を呼んでいるが、法律で禁止したからといって何が解決するだろうか。そもそも良し悪しの問題よりも先に、正確な知識を段階を追って教えることのが先決だと思う。これだけ情報があふれた世の中で、正しい知識もないから間違った情報に惑わされる。隠された世界に興味を持ち、憧れてしまうのが思春期というものだったのだから、隠したり押さえつけたりするより先に正しい教育が必要なのは間違いないだろう。まずはそこから大人になって心豊かなセックスが出来る第一歩が始まるのではないだろうか。
 話は戻るが、吉祥寺から千葉へ戻り、千葉での最後の日曜日となった。本当に雲ひとつない青空。この季節の晴天というのは何とも気持ちがいい。先週の金曜日に武蔵野市への転入届を済ませ、東京都民になった。そうやって歩く千葉の街っていうのもなんだか感慨深いものだった。
2004年11月23日(火・祝) 「あれから一年」
 2004年11月23日、金沢でのワンマンライブから一年が経った。あっという間だった気もするけれど、長い一年だったような気もする。この一年、色んなところで色んなことを感じ、それが歌になった。長く感じたにしろ、短く感じたにしろ、充実した一年だったというのが、正直な感想だ。あの日、故郷の応援団に背中を押されて、そして「東京」で生きてこれた一年だった。これは本当に幸せなことだと思う。まだまだ旅は続く。ゴールはないけれど、一つの関門を皆さんの声と共に越えてみたい。そんな想いが強くなる。

 今日は国際千葉駅伝があった。駅伝を沿道で応援した経験は未だかつてなかったので、折角千葉に住んでいるのだからと、沿道に出かけてみた。あっという間にランナーたちは通り過ぎていく。颯爽と走り過ぎていくのだ。テレビでは伝わらない息づかいだとか、光る汗とか、精一杯のスピードを上げる足の筋肉とか、ホントカッコよかった。見ていると、だんだんと走ってみたくなってくる。滅法長距離には弱い僕なのだが、今度引っ越す吉祥寺の新居は井の頭公園にも程近いので、ジョギングなんかもはじめてみたいと思っていたところに、生のランナーを見てしまったものだから、勝手に僕も走っているような気になってしまう(笑)。
 生のアスリートは、なんてかっこいいんだろう。ひたむきな姿は、人の心に響くものなのだ。
2004年11月21日(日) 「吉祥寺と友部正人」
 昨日は、大学の先輩が8人乗りのワゴンを出してくれて、千葉から吉祥寺へと少し荷物を運んだ。新居はフローリングなのだが、そこにフロア畳を敷く。これまでも僕はフローリングの部屋に畳を敷いてきた。井草の匂いと、何よりごろんと寝っ転がれるのが幸せなのだ。だんだん我が家らしくなってきた!今回は、契約期間が重なって、随分贅沢な引越しだ。週末は吉祥寺の新居で過ごす。徐々に吉祥寺人の感覚が戻ってくる。一度街を離れると、また新たな発見もあって楽しい。昨日の夜はそのまま新居で初のお泊り。井の頭動物園のすぐ傍なのだが、これがとっても静かで過ごしやすい。
 今日は、美容院へ行ったり、買い物をしたりして夕方まで過ごした。そして夜は、友部正人さんのコンサートを聴きにスターパインズカフェへ向かった。2年ぶりのリクエスト大会ということ、吉祥寺に引っ越すこのタイミングで、どうしても友部さんの歌が聴きたかったのだ。『一本道』、『中道商店街』、『あいてるドアから失礼しますよ』の3曲をリクエスト用紙に記入。「この曲好きな人多いんですね。今日は吉祥寺ということで『中道商店街』」と歌ってくれたのは、本当に嬉しかった!吉祥寺とか、中央線が背景の曲はもちろん、友部さんの歌たちは、吉祥寺の街に本当に心地よく響くのだ。ひとつひとつの言葉を噛み締めていると、お腹がパンクしそうなくらいに響いてくる。その詩の世界は圧倒的な存在感だ。『おしゃべりなカラス』、『反復』、『はじめぼくはひとりだった』、『乾杯』…。僕が好きな歌も沢山聴けた。印象的だったのは、「最近僕の嫌いなものは、ブッシュ大統領に会ってヘラヘラしている小泉総理」というMCの後に歌われた、『遠来』。そして新しい歌だという『スピークジャパニーズ、アメリカン』。日本にいるんだから英語を喋れって歌。さらに日本にいるんだから日本語喋れ日本人といった内容なのです。この歌を聴いたせいか、帰りの総武線で英語で日本人の女の子をナンパしているアメリカ人が、おかしかった(笑)。
 本編の最後は『一本道』。生で聴くのは3度目位だろうか。やっぱり名曲だった。深く、深く心を素手でえぐられる歌っていうのはなかなかない。全編弾き語り、今日のコンサートは全てが最高だった。心に響く歌が、吉祥寺という街には似合っている。
2004年11月17日(水) 「中島みゆき新譜」
 中島みゆきさんの新譜『いまのきもち』を聴いている。セルフカバーの作品なのだが、とってもいい。『怜子』等、往年の名曲が今のみゆきさんの声で甦る。やっぱりみゆきさんの書く歌は、作品として群を抜いている。惚れ惚れとしてしまうのだ。しばらくはヘビーローテーションで聴くことになりそうだ。来年の元旦にはスカパーで初めてライブ映像が放送されるというが、残念ながらスカパーには入ってなくって・・・(どなたか録画してくれませんか?)。
 なんというか、一言で言うと「人生」がそこにあるんですね。だから色褪せることなく胸を打ち続けるんだと思うのです。あ〜、やっぱりいいです(笑)。
 なんだか、元気ももらったみたいで、ジムでのスイミングにも気合が入りました。寒くなってくるとちょっとばかりプールが空いてくれるからありがたい。久々にバタフライをしました。これ、背中鍛えるにはいいようで、普段使わない筋肉が程よく痛くていい感じです。1年4ヶ月通ったジムとももう少しでお別れだと思うとちょっと淋しい。吉祥寺に行ったら武蔵野市民プールが僕の強い味方になりそう。武蔵野市にこだわったのは、スポーツ施設の充実ってことも確かにあったのですから。
 ともあれ、そろそろ引越しの準備を本格的に始めねば。
2004年11月16日(火) 「戦争・・・(独り言)」
 戦争、戦争といえば、何か理由があり、言葉を飾れば大義があると騙されてきたのだが、やっぱり戦争という名の殺人でしかありえないんだよなぁ。今日のニュースで流れていたアメリカ兵がイラク人を撃ち殺す映像を見てそう思った。
 ベトナム戦争で僕らの先輩たちが見てきたこと、感じたことが何も生かされずに歴史は繰り返されている。あまりにも虚しい。
 戦争は、戦争という名の殺人でしかない。
2004年11月13日(土) 「ライブ直前の吉祥寺」
 今月も15日の吉祥寺ワンマンライブが近づいてきた。
↑桶ギターを置いて照明をつけてみたりする。荷物のない内部はなかなかお洒落!あと3週間後には僕の荷物にこの部屋も埋もれてゆくのだが・・・(笑)。 ↑ロフトで購入した「ゆ」文字入りのシャワーカーテン。藍色ってのが和のテイストでいい感じ!狭い部屋ではもっぱらシャワーだけど、気分だけは銭湯なのだ!
毎回、色んな試みをしてみたいと思っているのだが、今月も幾つかのプランがある。
 僕の曲を使って、それをストーリーに並べて前半戦は展開してみようと思っている。季節は秋ということで、一人の男の恋の物語を自分の曲で描いてみようと思う。基本的に別れてしまう哀しい男のストーリーなのだが(笑)。毎回、選曲や曲順には自分なりのストーリーがあるのだが、今回はそれをMCも含めてトータル的に創ってみようと考えているのです。
 後半戦は、今歌いたい想いを込めてステージを創りたい。毎月15日、僕自身とても楽しみなのです。

 そんなライブ直前の吉祥寺に、少しでも荷物を運ぶ為に行ってきた。ガランドウの部屋にカーテンをつける。そうするとなんだか人の匂いがし始める。単純なことなんだけど、不思議なものだ。郵便ポストに名前を書いたシールを貼り、鍵をかける。いよいよ始まるんだなぁと新たな生活に想いを馳せる。
 部屋にはそれぞれ匂いがあって、親しい友達によると僕の部屋も「亜世臭」なるものがあるらしく(笑)、やっぱりその匂いがない新居だからだろうか、自分の鼻に感じるいつもと違う匂いがやけに気になる。そこで、お香を炊いてみたりする。ゆっくりゆっくりと形づくられてゆく新生活。
 松田亜世の部屋にギターがなければ、ということで早速桶ギターを持ち込み「井の頭公園」なぞを小声で歌ってみる。一度離れていたからこそ見えてきたものもあるし、歌になったこともある。この部屋で、次はどんな歌が生まれるだろうか。僕にとってのこれからの庵(いおり)である。フローリングの上にわざわざ畳を敷き、時々ごろんと横になりながら曲作りに励む、この部屋でのそんな時間も近い。まだまだ歌って生きたい。
 明日は、一日ライブに向けて準備します。皆さんのご来場、心よりお待ちしております。
2004年11月7日(日) 「新居契約と新曲」
 来月引越す吉祥寺の新居の契約に行ってきた。行きの中央線の中、「これから東京に出るんだ。」と、6年前に親父の運転するハイエースに積み込まれた荷物に埋もれ「東京」に出てきた想いと同じものを感じた。
新居内部をちょっと公開!
台所の感じが「昭和」って感じでしょ?

 不動産屋で契約を済ませ、真新しい鍵を受け取り新居へと歩く。トラックでの引越しルート確認も兼ねてちょっと遠回り。通り慣れた井の頭通り。以前僕が住んでたアパートの前に新しいコンビニが出来ていた!いや、ビックリ。今思えば、いい場所に5年間住んでいたなぁと改めて感じる。
 前の部屋は中央線の真横だったのだが、今度の部屋も中央線の線路から程近い。ガランドウの静かな部屋に胡坐をかいていると、中央線の走る音がよく聴こえてくる。電車の音は妙に落ち着く。色々な人の想いを乗せて、そして中央線は文化を載せて西から東へ・・・。なかなかいい感じだ。
 中道通りを抜けて吉祥寺駅へ向かう。「今日からまたこの街に住処が出来た。」、あれ程心待ちにしていたことなのに、妙に照れくさく、何とも不思議な感覚だった。故郷・金沢とはまた違う、第二の故郷・吉祥寺だ。一度この街を離れたことがとっても意味あることだったように思えてきた。千葉に越したのも何かの縁、そしてまた縁あってこの街に戻ってくるのだ。
 人間、無駄なことなんて一つもない、そんな風にも思えた。

 『夜回り先生』の本を読みながら帰宅。
 ついさっき、新曲が完成した。今月はじっくりと曲づくりをする時間がなかったのだが、ここにきて一気に書きあがった。今月のワンマンライブも楽しみだ。
 
2004年11月4日(木) 「久々のプール」
 今日は久々にジムに泳ぎに行ってきた。先週は体調が風邪気味だったのと、今週へ入ってからは喉の調子が悪くて、大事を取って水に入るのは控えていた。しばらくぶりに感じる水の感触はまた気持ちがよい。今月もワンマンライブまで2週間を切った。皆さんとまた吉祥寺の街でお会いできるのが楽しみ。
 アメリカではブッシュが再選。僕の大好きなブルース・スプリングスティーンは、正面切ってケリーの応援に回っていた。イラク戦争以降このままではいけないと、ジャクソン・ブラウン、ディクシーチックス他蒼々たるメンバーで「VOTE FOR THE CHANGE」というツアーまで組んでいただけに、外国の大統領選挙ではあるけれど、残念だったというのが正直な気持ちだ。
 音楽が政治的である必要はないけれど、時として何かに立ち向かうことが出来る、そんな勇気をもらった。
2004年11月3日(水・祝) 「先週から今週の出来事」
 先週の日曜日、稲毛海岸でのイベント出演を控えた朝から、どうも喉の調子が悪かった。布団から起き上がると、痛みはないのだけれども声が出ない。ハスキーボイスを通り越したガラガラ声だった。イベントは15時スタート。何とか間に合わせようとイソジンでのうがいや、のどぬーるスプレー、のど飴、トローチ、いつもより念入りなストレッチなどを試みてみるが、とても歌える状態ではなかった。しかし、請け負った以上は最後までこなさねばと思いステージに立つ。わざわざ駆けつけて下さった僕のお客さんもいらっしゃったし、喉はいつものように震えてはくれなかったが、心で歌った。
 それから昨日辺りまで、一向に回復せず、正直不安も募ったのだが、なんとか今日は持ち直してくれた。久々に歌ってみた。歌えることの幸せを痛感した休日の夕方だった。
 そうこうしていたこの一週間に起こったことを振り返ると、あまりにも重たい気持ちにさせられる。イラクでの香田さん殺害。何故?マスコミはじめ、世論も冷淡だった。イスラム社会での日本に対するイメージはとっても友好的なものであった筈だ。それがここ1年で憎悪に変わり、今や完全にテロリストの敵になってしまった。テロは決して許されるべきではない。しかし、テロとは何か?大義名分を失ったイラクへのアメリカの攻撃もある意味テロではなかろうか?大統領選も混迷を極める。
 アメリカと日本。今、日本が見えない。
2004年10月31日(日) 「吉祥寺」
 朝8時過ぎ、千葉の家を出る。9時30分、吉祥寺駅に降り立ち日曜の午前中の疎らな人並みの中、井の頭公園に向かう。そのまま井の頭弁才天に足を運び、「また吉祥寺に戻ってきます。良い部屋に巡りあえます様に。」と挨拶をした。(僕が吉祥寺という街が好きな理由、その一つは音楽の神様・弁天様が井の頭池にいらっしゃるからかもしれない。)そう、今日は新たな吉祥寺生活の場所を探しに吉祥寺にやってきたのだ。
 以前5年間お世話になった部屋を仲介してくれた不動産屋さんに開店と同時に足を運び、希望に添った物件を相談する。やはり以前住んでたっていうのと不動産屋さんの女性がタイガースファンで、僕の傘に貼ってあったタイガースシールを見て話は盛り上がり、とても親身になって相談に乗ってくれた。公園口近くの不動産屋さんからチャリンコで中道通り沿い、吉祥寺本町3丁目、武蔵野市中町、武蔵野市御殿山の4つの部屋を見せてもらった。どれもなかなか良い物件だったのだが、弁天様のご利益か、あまり迷うことなく御殿山の部屋に決定。築年数は結構経っている様なのだが、間取りと何より両隣がない構造が気に入った。しかも家賃が6万1千円と以前住んでた6万6千円の部屋より広くて安い!さらに敷金礼金が各1ヶ月。もっというと、マイナスイオン付きのエアコンがついてたりするのだ。それから驚くことに、以前から吉祥寺で大変お世話になっているお宅から徒歩数秒の近さなのだ。「ご縁」という言葉が強烈な説得力を持つ。本当にありがたい。
 外観はとっても中央線な建物で(地震には弱いかもしれないけれど)、新たな生活に期待が膨らむ。
 井の頭公園のベンチに腰を下ろし、「この街から、何かを起こしたい。」そう強く願った。そして弁天様にお礼参り。音楽の神様は優しく時に厳しく僕を包み込んでくれている気がした。
2004年10月23日(土) 「ブラックモアズ・ナイト」
 前日の22日と日比谷公園でのイベントを終えた今日、リッチー・ブラックモア率いるブラックモアズ・ナイト日本公演を観る為に渋谷公会堂へ出かけた。中世ヨーロッパをテーマにリッチーが奏でる音楽、そしてキャンディス・ナイトの歌声は、心に深く染み渡った。ステージ上でのサービス精神や、演出、そしてもちろんライブそのものが、今年僕が観に行ったコンサートの中で最も素晴らしかったと言って過言ではないだろう。ステージ上のミュージシャンはもちろん、スタッフ全てがひとつの世界を創り上げている。
 まさしく、他に例をみないブラックモアズ・ナイトの世界であるから、その生の空間にいられたことが何よりも幸せだった。

 コンサート中2度大きな揺れに見舞われた。家路に着く電車の中で、新潟での大地震のニュースを知った。一日も早い復興を祈るばかりだ。
2004年10月20日(水) 「吉田拓郎永遠なり」
 ここ10年で最大の被害をもたらした台風の中、吉田拓郎のコンサートに5年ぶりくらいに出かけた。東京国際フォーラムは、リアルタイムで70年代を駆け抜けた先輩方から僕らの世代まで、幅広い年齢層で埋め尽くされていた。前回のコンサートは、テレビのレギュラー番組全盛期(Love×2)で、僕が期待していたものからするとちょっと物足りない感があったのだが、今回のコンサートは素晴らしかった!
 肺がんからの復活。声も歌もしっかりと拓郎さん!往年の名曲たちが、瀬尾一三さん率いるビックバンドのアレンジで甦る。「落陽」のイントロが流れた時には、鳥肌が立った。あの曲のエレキギターはニール・ヤングのようでカッコいいのだ。客席も総立ちになるなど、いい感じなのだ。そして、何より面白かったのが、ステージを展開するに連れて繰り広げられるトーク。「今日は、エレックレコードという会社がいかにひどかったかをお話します。」とか、「テレビに始めて出た時に『シクラメン』を歌ってる人に目茶苦茶言われて、いつか見返してやろうと思っていたら、この前その人からの曲の依頼を受けたけども、断わりました。(会場大拍手)」とか、かなり毒の入った話(笑)。大人を否定して、既成の概念を否定して、新たなものを生み出した70年代のスピリットが詰まっていたし、このコンサートでちょっとだけリアルタイムでこの時代を経験できたような気がする。
 客席の40代、50代の盛り上がりの中にいると、まだまだフォークの時代は終わってはいないと嬉しくなった。団塊の世代がどうのと言われる今日この頃だが、まだまだ何かに陶酔できる、諦めてはいない、そう思った。一緒に何か創って生きたいと、そんな想いを新たにした。
2004年10月19日(火) 「故郷を問う」
 昨日、今日と筑紫哲也のニュース23で市町村合併の話が取り上げられていた。僕の本籍地・石川県石川郡美川町(親父の実家。ちなみに僕の生まれは石川県金沢市)も来年、近隣の市町村と合併し白山市という新しい市になってしまう。
 地域社会、コミュニティーの喪失が叫ばれる昨今なのに、小さな村や町が消え、利益や利便性のみが追求されるこの逆説的な流れには、今回のニュースを見ながら改めて考えさせられるところがあった。
 故郷の名前が変わる、それだけでも何とも淋しい気持ちにさせられる。故郷とは、合理的なものでは決してありえず、深く心に根ざしたものなのだ。例えば、村や町の祭りの連帯感。町内会が一つのものに向かって進んでいくあの高揚感や一体感に人間の温もりを感じる。人との繋がり、家族の次に地域があり、社会に巣立っていくという一連の流れがものの見事に失われつつある。
 社会を揺るがす昨今の事件は、何かそのことの象徴であるかのように思えてならない。
 
2004年10月12日(火) 「何故?」
 若者の集団自殺、そんなニュースが飛び交っていた。何故、死に急ぐのか?消えてしまいたいと思う瞬間があっても、生きる辛さが確かにあっても、何故、死を選ぶのか?
 他人の死をとやかく語る資格は僕にはない。ただ、とても淋しい。孤独になりすぎたのかなぁ。生まれた瞬間と死ぬ瞬間はたった一人だとしても、生きている以上は完全に孤独ではあり得ない存在が人間だと、何かの本で読んだことがある。孤独でありながら、どこかで淋しくて、冷たくて、やっと出会った同じ心を持った仲間の集まる自殺サイト。生への衝動が、死への切っ掛けへと変わる瞬間だったのかもしれない。
 無に帰す。歴史に名を連ねた作家が演じ切った最後の文学。
 いや、死とは何か?、生きるとは?
 そんな哲学的大命題に真正面から取り組まねばならない時代なのかもしれない。
 何かに突き動かされて生きている命を実感することさえ出来れば、命の鼓動が再び高鳴るのではないだろうか。
2004年10月11日(月・祝) 「レコーディング」
 台風で始まった3連休、いかがお過ごしでしたか?
 台風の9日は、「花のインディーズ」参加の為のレコーディングでした。東から西へ、西から東へ都内を走り回りました。『井の頭公園』、なかなかよいものに仕上がりましたので、お楽しみに!しかし、台風は凄まじかったですね。時間は短かったですが、何よりも雨がとんでもなかったです。ホント、地面からも雨が降っているような感じでびしょ濡れ。ギター抱えながらの移動だったので、正直勘弁してくれ〜って感じでした。
 嵐の過ぎ去った昨日は、衣装探しの為下北沢へ。久々に渋谷から井の頭線に乗りました。井の頭線は学生時代の4年間、毎日乗った想い出の電車。住宅の間を走り抜けていくあの姿がとっても大好きです。日比谷公園でのイベントにあわせ、花にちなんだ衣装を購入。久々に行ったお店だったのですが、相変わらずなかなかよい品揃えで、予定外の一着も購入(笑)。こちらは15日のワンマンで着ようとか、そんな事を考えるのが結構楽しかったりします。その後美容院に寄り、吉祥寺へ。久々の友達との待ち合わせまで時間があったので、井の頭公園近くの行きつけのお店で店員さんと話をしながら、またお気に入りの洋服を見つけてしまい、購入。まぁ、今日はショッピングの一日だと半ば諦め・・・。
 駅前で不動産屋の張り紙を眺めてたら、そのお店のお兄さんが「引越しですか?」と声を掛けてきて、年内に吉祥寺に戻るんですってな話をしていたら、12月になっちゃうと学生さんが入ってきちゃうから、早いに越したことないですよってな話で。11月にゆっくり探そうと思っていたのですが、ちょっと焦りだしました(笑)。折角だから、いい物件見つけたいし。とはいえ、10月はライブにイベントと慌しいので、月末かな。物件は半分運みたいのもありますしね。僕の場合は、住所が武蔵野市吉祥寺○町ってのが理想。あとは荷物が入りきることが条件。半分祈りを込めながらよい部屋が見つかりますように!
 今日はゆったりと15日のライブの準備をしたりして過ごしました。今年もワンマンライブは残すところあと3回。精一杯歌います。みなさん、ぜひ遊びにいらして下さいね。
2004年10月6日(水) 「日比谷への想い」
 『銀木犀』という歌を書いてから、ますます金木犀の香りが好きになった。雨上がりの朝、僕のアパートを出ると漂うあの匂いが心地よい。
 今日は10月23日の日比谷でのイベントの打ち合わせに行ってきました。チラシとチケットが出来上がり、想いがまたひとつ大きくなりました。そして、コンピレーションアルバムのジャケットは何と、蛭子能収さんなのです。なんだかとってもいい感じに仕上がっています。チラシもとってもカッコよいので、15日のライブで配布させていただこうと思っています。CDの売り上げの一部はイラクの学校に花を贈る為にも使われます。ライブの収益の一部はイラクでの子ども病院設立に役立てられます。秋の土曜日、心に花を咲かせながら歌いたいと思っています。皆様のご協力を何卒宜しくお願いいたします。
 僕のステージの他に、『ショクラン』のセッションや、他の出演アーティストのバックギターを弾かせていただいたり、盛りだくさんの予定です。僕なりのメッセージを込めたステージが出来ればと思っております。どうぞ宜しくお願いします。
2004年10月4日(月) 「金木犀」
 暑かった2004年の夏もやはり10月に入ると急に秋らしくなった。昨日辺りから近くの庭から金木犀の香りが漂い始めた。去年もこの日記に書いたような気がするのだが、「東京」へ出てきてからたまらなくこの匂いがノスタルジーを誘い、ある種の日々を想い出す。人間の五感というのは、それぞれ心につながっているから、とっても嬉しくなった。
 雨に濡れた街からほのかににおう金木犀の香りを心に吸い込みながら、一気に曲は書きあがった。タイトルは『銀木犀』(金木犀も歌に出てくるのだが花言葉から銀木犀というタイトルになった)。僕の中の金沢、文学の舞台でもあった金沢を背景に歌った。
 歌を書きながら日本の情景が迫ってきて、なんとも幸せな気分になった。季節はひとつずつ確実に過ぎ去ってゆくのだ。
2004年10月3日(日) 「南十字星」
 昨日は年に一度の関東での高校の同窓会に行ってきた。昨年同席させていただき、ライブにも足を運んで下さる先輩方にも会えた。それから、一つ上の先輩、あるいは一つ下の後輩から「髪型変わってないね〜。学園祭で歌ってたの覚えてるよ。」と声を掛けてもらったのが何よりも嬉しかった。まだまだ気持ちはあの日のままです。それから応援団長をやっていたという4つ位下の後輩も嬉しかった。応援団スピリットがまだ息づいている(笑)。
 故郷の言葉と美味しいお酒から一晩明けた今日、劇団四季の『南十字星』を観てきた。浅利慶太さんの昭和三部作の最終章。『李香蘭』『異国の丘』は見逃してしまっていたのが残念だったが、久々のミュージカル。
 戦争を体験した世代があり、それを受け継ぐ僕たちの世代がある。戦犯として絞首刑を目前に語る保科の遺言、僕達若者へのメッセージは胸に迫るものがあり、涙が滲んだ。大義、何の為に?負けてなお、国の為にと処刑台に上っていったその心の上に今の歴史が続いていることも忘れてはならない。右とか左とかの歴史考察ではなく、僕らは耳を傾け、語り継がねばならないと思う。
 「ブンガワン・ソロ」の美しいメロディーが心に染みていくのを感じる。力のある、素晴らしいミュージカルだったと思う。
2002年9月25日(土) 「父、帰る」
 今日はヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞した『父、帰る』(ロシア・アンドレイ・ズビャギンツェフ監督)を観てきた。
 「映画は詩と同じように観ている人の心に傷を残さなくてはならない。」と語る監督の言葉どおり、見終わった後「なるほど」というような感想ではなく、様々な疑問符の中、もっと心の深いところで感じられる、そんな映画だったと思う。一言で哲学的といってしまえばそれまでだが、表面的ではない心の震え方を覚えたというのが、僕の感想。
 映画が一つの文学足りうることを証明してくれたのがこの映画なのではないだろうか。それにしても、広大な北の大地・ロシア。そこから生み出される文学に、僕は何故か懐かしさを感じるし、その寂寥感がたまらなく好きだ。南の国に行ったことのない僕が、寒い北の人間にこそ人間の優しさをみるなどと語ってもそもそも説得力に欠けるが、ともかく北の大地とそこに生きる人間が好きだ。
 春を待つ心というべきか、その情景に僕はいつまでも包まれていたいと思うのだ。
2004年9月24日(金) 「近鉄バッファローズ」
 なんとも悲しいプロ野球のシーズンなのだろうか。去年の今頃は18年ぶりの優勝に涙を流し声を詰まらせる大阪のおっちゃんや、兄ちゃんやネエちゃんや、そして僕らがいたのに・・・。
 今日、大阪近鉄バッファローズが本拠地での最終試合を終えたというニュースが流れていた。近鉄といえば、僕が小学校5、6年生の時の担任の先生が何十年来のバッファローズファンだったのが、強烈に印象に残っている。「あたりまえのことをあたりまえにする」、その言葉が先生の教えだった。去年の地元でのワンマンライブにも密かに足を運んでくれたことがたまらなく嬉しかった。無言で握手を交わし、会場を後にされたのは、先生らしくてカッコよかった。
 応援してきたチームがなくなる淋しさややるせなさは想像を絶するだろう。僕らは確実にそこに「夢」を見ている筈だから。ましてや、買い取ると手を上げている会社があるにも拘らず、合併を強引に推し進めた経営者サイドへの疑念は拭えぬものがあるだろう。
 来期からの新球団。それはそれで新たな夢が生まれる、それはまた素晴らしいことだと思う。しかし、後出しジャンケン的な感じが、正直嫌だなぁというのが今の僕の率直な感想。堀江さん、頑張れ!(笑)
 ともあれ、根本は伝統ある球団がなくなることが淋しいのです。時代は流れゆくかな・・・。
2004年9月23日(木・祝) 「上野と 『誰も知らない』」
 昨日は久々に筋肉が悲鳴を上げるまで泳いだ。キツイ、って瞬間を越えるとまた水を掻くのが気持ちよくなる。歌い続けるため、というのがメインなのだが、徐々に変化していく上半身が結構楽しくて、ターザンなんて雑誌まで購入してしまった(笑)。特集は何しろ「筋トレ超マニュアル」!どのトレーニングがどの筋肉を鍛えるものなのか?とか、効果的なトレーニング方法とか、なかなか奥が深い。自分の身体を知るってのも大切なこと。
 さて秋のゴールデンウィークのような今週。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?今日は興福寺国宝展を観るために上野へ。『上野』を書いてから、初めての上野。山手線の車窓から聚楽台が見え、上野駅公園口を出る頃には僕の頭の中は『上野』のBGMスタート(笑)。僕の中では完全に曲と街が一体化していた。とっても不思議な感覚だけれども、なんだかとっても嬉しかった。
 興福寺といえば藤原氏の氏寺。実はうちのお袋の家系が藤原氏なのだ。立派な系図が残っていて、その家系図は大職冠鎌足に始まり北家を辿り、芋粥で有名な利仁などを経て加賀の林氏に至る。倶利伽羅峠で木曽義仲に味方した為、頼朝に睨まれ落ち延びた時と、明治の農地改革の二度、斜陽を経験して今日に至る。『愛煙家の哀歌』に登場するうちのじいちゃんから聞かされた話だ。そんな訳で興福寺と春日大社には縁がある、筈なのである。大いなる歴史のロマンを感じる。
 有名な無著・世親像をはじめ、厨子入り弥勒菩薩半跏像、四天王像等、間近で拝見しながら鳥肌が立つ。歴史との対話、その中での祈りの心との対話とでもいうべきか。そして、仏像彫刻一つとってみても日本文化の独自性を感じずにはいられない。そこにはきっと「和」の精神が息づいていたことだと思う。色々と想いが巡る。
 その後、有楽町まで足を延ばし、映画『誰も知らない』を観てきた。作品としてもとても素晴らしかったし、そこから放たれるメッセージに揺さぶられた。文明が発展しすぎたのだろうか、あちらこちらでその歪みが生まれ、時として悲しみに包まれる。きっとこれまでの長い人間の歴史の中で、その瞬間の困難を人間は乗り越えてきたのだと思う。今のままでいいとは決して思わない。社会問題は山積していて、そう簡単に答えの見つかるものではない。しかし、この大きな山を僕らは乗り越えていかねば僕らに明日はない。その覚悟で生きていく時代になったのではないか、そんなことをふと考えた。
 ひとつ全ての問題を解く鍵が「いのち」だという気がしてならない。いのちを心で感じることさえできれば、何かが変わる。
2004年9月19日(日) 「東京ジャズ!」
 今日は東京ジャズのチケットを頂いて、本場のジャズを始めて生で体験してきました。そしてTOTOのステージも!
 何よりも今回楽しみにしたのは、上原ひろみさんのステージでした。情熱大陸で、「うわぁ、同じ1979年生まれで、凄い音楽創ってるんだ。」ってのが凄く印象に残っていて。前から3列目の席で拝見させていただいたんですけど、パワーも凄まじかったし、音楽をやっている喜びが全身全霊で感じられるというか、もっといえば、音楽とセックスしている感じ。それがなんとも美しかったし、心に響いてきました。音と戯れるという表現では、ちょっとまだ甘い気がして、まさしく音とのセックス、そんな心地よさであったり、開放感であったり、激しさであったり、優しさであったり、ともかく気持ちよかった!今まで触れてこなかった音楽の世界に触れることが出来た幸せを感じました。
 上原ひろみのステージが、あんまりにも良かったので、その後はこれといった感想もなかったのが正直なところ。
 ただ、僕の見たステージのトリをつとめた伝説のバンド・TOTOはまたカッコよかった!名曲「アフリカ」のイントロが流れた時には鳥肌が立ったし、スティ−ヴ・ルカサーのギターを弾く姿はスプリングスティーンを髣髴とさせ、ともかくカッコよかった。年を重ねても魅力的なミュージシャン達。
 翌日、上原ひろみとTOTOのCDを買いに走ったのは言うまでもない。
2004年9月13日(月) 「いのち」
 故郷・金沢で17歳の少年による強盗殺人事件が起きた。愛すべき故郷がゆえにショックです。何故にこんなに悲しい国になりつつあるのか・・・。死が軽視されるがゆえに生きる意味もなかなか見出せないのか?あるいは生きる意味が見出せないからこそ命の重みが感じられなくなったのか?
 先日のテレビもショックだった。小学校の児童に担任が「死んだらどうなると思う?」と尋ねた。すると児童は「死んだら生き返る。」と答えたのだ。バーチャルな世界に陶酔することは出来ても、生身の悲しみを想像することが出来なくなってしまっているのだろうか。
 なんともやりきれない想いで今日の夜のニュースを眺めていた。
 いのち、いのち、いのち。
 いのちを歌わねばと思った。
2004年9月11日(土) 「2004年の『9.11』」
 衝撃の9.11から三年が経った。あれから世界がどう動いてきたかを考えれば、長くもあり短くもあったといえるかもしれない。
 釈然としない疑惑も蔓延っている。僕らは一体どこに真実を見出せばいいというのか。
 この3年という時間を振り返りながら、ふと命の重さということを考えてみた。テロにしろ、戦争にしろ、あるいは日本の少年犯罪にしろ、あまりにも人間が生きること、死ぬことの意味が軽視されているのではないだろうか。
 もう一度立ち返ってみたい、人間が生きること、そしてその命という大命題。9月のワンマンライブのひとつ大きなテーマでもある。
2004年9月9日(木) 「頑張れ、選手会!」
 来週のワンマンライブに備えて、スイミングで身体を整える。久々に感じた水との一体感、いつもの泳ぎと何かが違っている気がした。誰かの名言じゃないが、チョー気持ちい!(笑)
 最近の僕のハマリ物JewelのライブDVDを流しながらの一時。MCで見せる、くしゃっとしたなんともいえないチャーミングな笑顔に心を持っていかれそうになってしまう。中野サンプラザでほんの数メートルの距離にいたと思うと思わず顔が緩んでしまう。いやいや、そんな邪念を振り払ってもステキなステージなのだ。あんなステージが出来ればなぁと思う。
 さてさて、いよいよ今週末はプロ野球のストライキ?僕は迷わず賛成する。
 去年の今頃はタイガースの優勝へのカウントダウン。18年の夢が叶う瞬間を今か今かと待ち続けた。あれからたったの一年、このシラケタムードは一体なんだろう。そして、何故僕達ファンがここまでもどかしさを感じながら、腹を立てねばならぬのだろう。たかが選手と罵られ、黙っていたんじゃ男が廃る。何故にまっすぐ向き合った議論が出来ないのだろう。
 「夢」が銭に掻き消されてゆくのは、たまらなく淋しい。悔しい。切ない。
 頑張れ!頑張れ!!
2004年9月3日(金) 「相棒復活にかんから三線」
かんからさんしんカンタロウ
 先月のワンマンライブで、ノイズが出まくり絶不調だった僕の相棒・マーチンD1が、メンテナンスから今日帰ってきました!今回はちょっと重傷かな?、9月のワンマンには間に合わないかな?と心配していたのですが、僅か1週間で戻ってきました。いやいや、何のことはない接触不良だったそうで、本当によかったなぁとホッとしているところです。何しろ、最悪の場合だったら修理代が何万と掛かってしまいかねなかったので・・・。しかも、今回は無料!楽器屋で働く友人経由で頼んだところ、修理とはいえない程度だったのでお金はもらえませんとのリペアマン(楽器を修理する人)の職人気質に感激!
 感謝の気持ちも込めて「かんからさんしんカンタロウ」を購入。以前からずっと気になっていた楽器です。沖縄の三線の格安版といったらいいでしょうか、通常蛇皮のボディーが空缶で出来ているのです!
 喜納さんの音楽に出会い、三線の魅力を感じ、いつか弾いてみたいなぁと思っていたのですが、いきなり本物を買う勇気と予算もなかったので(苦笑)、6千円で買えちゃうカンタロウ君を手にしたのです。もちろん、教則本も購入。
 ギターと同じ弦楽器とはいえ、楽譜は漢字だらけ、チューニングの要領を得るのもやっとです。ゆっくり練習して、いつかは『花』を弾き語れたらなぁというのが当面の目標!
 この前の嘉島さんの舞台を拝見して、和楽器の魅力も感じ、そのうち三味線にも挑戦してみたいと思うようになりました。
 「和」の世界にもどんどん入っていきたい。やっぱり僕には加賀百万石の血が脈々と流れているのかもしれません(笑)。
2004年9月2日(木) 「華氏911」
 やっと時間が出来て、話題騒然『華氏911』を観に行ってきました。折角千葉にいるのでイクスピアリのレイトショーへ。平日は1000円ととってもリーズナブル。しかもさすがに人は疎らでゆっくりと観る事が出来ました。
 さてさて、ドキュメンタリーか否か、歪曲ストーリかどうか、といった議論はそっちに置いて、純粋に映画としてカッコよかった。芸術家は自分の想いを描いてこそ芸術足りうるのです。議員が法律の条文をを読まないで可決するのなら、僕が読んであげましょうとソフトクリーム屋のワゴンから読み上げるシーンには笑えたし、本当に国を思うのならあなたの子どもをイラクに送りませんかと、議員に迫るシーンは圧巻だった。政治家にとって戦争は外交ゲームなのだ。「傷つくのは決まってあんたじゃないのに(『荒れ地の果てに』より)」
 それに対比されたイラクの現場。爆撃で手足を吹っ飛ばされ、肉がそぎ落とされ骨が覗く。息が詰まる映像だ。「何のため?」そう感じざるを得ない。それが戦争という真実なのだろう。
 貧しい階級が、生きる為に兵隊になりイラクに送られる。政治家や財界人にとって彼らの命の重みはどこにあるのだろう。やるせない、何ともやるせない・・・。
 「人を撃つためには魂を一つ失くさなければならない。何のためだ?」そんな兵士の言葉が印象に残っている。
 エンディングにはニール・ヤングの『Rockin' the Free World』が流れた。心の中から何かが沸き起こっていた。

 話は変わって、前回の日記に書いた更なる新曲が完成しました。『愛煙家への哀歌』。僕なりの風刺ソング。9月のライブが楽しみになってきましたよ!
2004年8月31日(火) 「嘉島典俊さん」
 2002年、『アメ玉』と『青の時代』を提供させていただいた嘉島典俊さんの芸能生活25周年記念公演にお邪魔してきました。会場は国立劇場、伝統芸能の名門。嘉島さんの舞台を拝見するのは2度目、2年ぶりでした。
 そして、今回は依頼を受けて『月と太陽』、『アメ玉』のオルゴール版が会場に流れることに。どの場面で使われるのだろうとワクワクドキドキ。そしたらなんと、里見浩太郎さんからのお祝いのビデオメッセージのバックに『アメ玉』のオルゴールが流れているじゃありませんか!いや、嬉しかったです。こうやって、曲の提供後も使って下さったことに感謝です。また機会があったらぜひぜひ歌って下さいね、嘉島さん。
 ちょうど大学卒業時期と重なっていた『アメ玉』レコーディングとリリース。あれから2年かぁ、早いような長かったような・・・。ふと気づくと人前で歌い始めて11年、ライブハウスデビューも来年の11月で10周年の僕。「遅咲きだな、きっと。」なんて思いながら、来年は10周年記念の何かを企画できればいいなぁ。
 そうそう、新曲『Cry』が完成しました。しっとりとじっくりと聴いて欲しい一曲になりました。出来たとたん、まったく正反対の明るい曲が思いつきました。ただいま制作中です!
 いやいや、僕も頑張らねば!
2004年8月30日(月) 「新曲 『Cry』 」
 昨日の夜から今日の未明にかけて、ピアノの前に座り初めての曲作りをした。今まで歌ってきたピアノ弾き語りの曲は、ギターで曲を創り、その後ピアノを練習するといった展開だった。今回はピアノをポロンポロンと弾きながらイントロが浮かび、メロディーと詩が出来上がっていった。ほぼ完成といったところなのだが、もう少し詩を見直したいと思っているので、15日のワンマンまでにはいい曲に仕上げたいと思っています。
 僕にとってピアノといえばやっぱりバラード。結構メロディーは気に入っている。あとはピアノの腕がどこまでついていくか(苦笑)?独学で試行錯誤しながら創り上げていく面白みもある。正直、まだピアノには十分慣れていないので右手が痛いのだが・・・。
 まぁ、遅咲きのピアノ人生ということで、一つ世界が創れたら嬉しい。
2004年8月26日(木) 「新宿末広亭」
 吉祥寺Be・Point、僕のホームグラウンドで知り合ったロケット団さんのお笑いライブを見るために新宿末広亭へ足を運んだ。落語のメッカの小屋。以前から新宿三丁目近辺を歩いていて、一度入ってみたいなぁと思っていた場所。今日は三遊亭歌彦さんの落語も生で聞けるとあって、楽しみにしていた。
 お笑いライブっていうのも、高校時代に金沢に竪町吉本劇場ってのがあって、そこでペナルティーだとか、売れる前のロンドンブーツ等のステージを見て以来だ。(ちなみにその竪町吉本劇場ってのは僕の初ワンマンライブの場所)
 ロケット団さんのお笑いは目茶苦茶面白かった。時事問題をすぐさま笑いに変えてしまう。いや、驚いた。パワー、勢い、そんなものが感じられた。
 落語という古典芸能とお笑いとの同居ってのもステキなもんだなぁと思う。音楽の世界にだって、そういった風を吹かせてみたい、そんなことをふと思った。
 それぞれの表現方法があり、それぞれの道がある。僕もがんばって歌わねば。
2004年8月20日(金)〜22日(日) 「知覧の空」
 2004年8月20日夜、僕は鹿児島空港に降り立った。2004年8月21日桜島、長渕剛のオールナイトコンサートを体験するのがまず一つの目的。僕にギターを持たせてくれた人、それが僕の長渕剛への想いのすべてである。
 活火山の桜島に抱かれた鹿児島の街には、温泉が点在する。というよりも街中の銭湯がそのまま温泉なのである。330円の入湯料で温泉が楽しめてしまうのである。鹿児島一の繁華街・天文館のラーメン屋にて鹿児島ラーメンに舌鼓を打ち、早速銭湯に向かった。元来温泉は大好きである。ゆっくりとお湯に浸かり、そばから聞こえる独特の鹿児島弁に旅の気分が一気に盛り上がった。
 路面電車の走る鹿児島の街はどこか懐かしささえ覚える。人間の温かさだろうか。
 翌朝は維新ふるさと館に立ち寄り、明治維新で活躍した薩摩の武士たちの歴史を学んだ。あの激動の時代を動かしたその魂に震えるものを感じていた。僕の生まれ育った、加賀百万石とは全く別の歴史と気質がそこに感じられた。僕の『上野』という歌の中で歌った西郷さんに、西郷さんの故郷で出会えたことに、なんだか嬉しくなってしまった。そして桜島へ向かう。21時過ぎに始まったオールナイトコンサートは翌朝6:30頃まで続いた。桜島の背後から昇る朝日は圧巻だった。
 まったく眠る時間もなく、この旅のもう一つの目的である「知覧」へ向かった。鹿児島市内から路線バスで1時間強、山道を揺られると映画『ホタル』でお馴染みの富屋食堂が見えてくる。バスを降り、知覧特攻平和会館へ足を運んだ。
 二度と帰らぬ覚悟と祖国への想いを胸に、開聞岳を越え沖縄の海へと愛機もろとも散っていった少年飛行兵たち。そこにはその遺書や遺影、遺品が展示されている。掲げられた遺影には戦死した年齢と出身地が添えられている。そのほとんどが20歳前後、僕より若い年齢で特攻隊として命を投げ出されている。23歳、20歳、18歳・・・と、その年齢をこの目に焼き付けた時、その遺影が涙で霞んでいった。
 石川県七尾市出身の石倉三郎さんの母親の手紙、
『ばくだんをかかえてゆくときは、かならずわすれまいぞ。南無阿弥陀仏ととなえておくれ。これが母のたのみである。
これをわすれないでいてくれたら母はこの世に心配ごとはない。
わすれないでとなえておくれ。
こんど合うときはアミダさまの所で合うではないか。
これがなによりの母のたのしみである。
わすれてはならないぞ。
てきかんめがけて飛んでいく時は、後生の一大事を心にかけて、「南無阿弥陀仏」とお念仏もうしていけよ』

 この文章を読んだ時には、こらえきれず嗚咽しそうになった。
 「おかあさん」そう叫びながら散っていった隊員が多くいたという。
 女学生たちに桜の枝で見送られながら、彼らは何を想ったのか。ほんの59年前の事実である。

 特攻平和観音に祈りを捧げながら、59年後の知覧の空を見上げた。どこまでも青い空。
 今日この日は、多くの尊い犠牲の上に立っていることを僕らは忘れてはならない。
 そして、二度と繰り返してはならない。その努力こそが、残された僕らに課せられた責任のように感じる。
2004年8月19日(木) 「孤独のアスリート達」
 睡眠不足の日々が続いている。柔道、競泳、日の丸を背負い、紙一重の土俵の上で勝負するプレッシャーは想像を絶するだろう。今日、井上康生が敗れた。前日の練習で康生選手は異常なくらい緊張していたという。その大きな背中に背負った、あまりにも大きな重圧。
 勝ちの涙も負けの涙も表裏なく心打たれる。
 そして競泳・田中雅美選手。世代も同じなのでアトランタの時からずっと応援してました。同じく中村真衣選手が今回の代表選考会で現役を去り・・・。田中雅美選手、200メートル平泳ぎ惜しくも4位。しかしラストの追い上げは見事でした。涙ながらのインタビュー「最後のレース悔しくないと言えば嘘になりますが、楽しかったです。」との言葉に心から拍手を送りたいです。
 感動をありがとう!
2004年8月14日(土) 「久々の涙」
 アテネオリンピックが始まった。明日のステージの準備をしながらも久々にテレビに噛り付いていた。柔道、野村選手と谷選手の鮮やかな一本勝ちに鳥肌を立てながら・・・。
 そして決勝。4年間、この5分に全てを懸けて勝負に出る。挫折を超え、怪我を越え、まっすぐに相手とそして何より自分と向き合う。ストイックな野村選手の表情に男惚れした。
 まずは谷選手が金メダルを決めた。もらい泣きというか、身体の奥底から流れる涙が久々に僕の頬を伝っていった。余韻冷めやらぬままに野村選手の試合。この、オリンピック3連覇の瞬間にまた涙が止まらない。
 「感動」、この感情はどこから来るのだろう?それ程人の心を打ち奮わせるものは一体何だろう?
 ポジションは人それぞれ違えど、夢を懸けるなら、人生を懸けるなら、この二文字を追い求めていたい。
2004年8月11日(水) 「青春」
 さぁ、8月の亜世's Day ワンマンライブも今週末に迫ってきました。新曲も書き上がり、8月ライブのステージの構成もほぼ固まりました。前半戦は、お盆ということで『浴衣でフォーク』と題してお届けしたいと思っています。後半戦は、終戦記念日、戦後3世の僕なりに「昭和」を振り返りつつ、『PEACE LIVE』を展開しようと思います。
 話は変わって、最近のテレビドラマ。久しく面白いドラマがなかったので、テレビドラマからは遠ざかっていたのですが、「ウォーターボーイズ2」はかなり面白く観ています。「青春」の熱さや切なさや安らぎがブラウン管を通して伝わり、毎週心揺らされています。
 そういえば先週末、大学時代のサークル仲間が出演する芝居を新宿で観て来ました。卒業してなおバイトをしながら芝居を続けている姿が、とっても嬉しかったし、同じ「青春」を生きていることに勇気をもらったりしました。
 さて、お盆の吉祥寺はどんな感じなのでしょうか。お時間ありましたら、ぜひぜひ足をお運び下さい。浴衣姿でお出迎えいたします。
2004年8月6日(金) 「ヒロシマ」
 「ヒロシマ」
 今僕らはそこから何を感じ取るだろう。戦後59年が経ち、遠い記憶となりつつあるのか?それとも黒い影を持ったリアリズムとして目の前に迫っているのだろうか。人類滅亡までを示す終末時計は7分前を指しているという。
 僕らの世代が出来ること。いや、僕らの世代の責任ともいえるだろう。傷を背負った人の声を聞き伝える事。僕らの祖父祖母はみんな何らかの形で戦争を実体験している。まずは身近な声を聞くことから始めないか?如是我聞。そこから何かを感じ取り、私はこう聞いたと僕らの子どもの世代に、そして孫の世代に伝えていくこと、それが戦後3世の僕らの世代の責任ではないだろうか。
 何の因果か僕らはこの日本という国に生まれてきた。この国だからこそ世界に広められることがある。それはきっとすべての人間が願っていること。何故諦めるのか?明らかに究めるまで僕は諦めない。
 人間とは不思議なもので、考え方一つですべてが絶望的になったり、あるいはすべてがありがたく思えたり・・・。ふと空を見上げてみないか?満天の青空を心一杯に吸い込んで、あたりまえに今生きる自分を実感した時、「平和よ、ありがとう」と思える自分がいた。
 近頃謝れない子どもがやたらと多いと聞く。一国の総理大臣も謝ることを知らないのだから、子どもだけが悪いというわけではない。「お陰様」があってこそ、ありがとうと素直に言える、ごめんなさいと正直になれる。
 「ヒロシマ」への祈りを込めて、そして「ヒロシマ」からの祈りを全身に感じて、僕は生きていきたい。
2004年7月31日(土) 「金沢へ」
 今日は明日のイベントに備えて2泊3日の短い帰郷の為、金沢へ向かいます。もう少しゆっくりしたいなぁというのが正直なところなんですが、金沢弁を聞きながら、またひとつ元気と勇気をもらってきたいと思います。
 明日のイベントも台風が心配なところではありましたが、何とか天気ももちそうです。夏の空にひとつ想い出に残るステージができればいいなぁと思っています。ぜひ皆さん遊びにいらして下さいね。
 それでは、いってきます!
2004年7月27日(火) 「ありがとう!後輩達の青春」
 母校ベスト4!
 しかし今日の準決勝でコールド負け。高校3年の夏は終わった。
 インターネットの中継を見ながら、声援を送っていた。コールド負けを期したその瞬間、僕らの青春も甦ってきた。
 負けたチームの応援団はまず勝者のチームにエールを切る。悔しさを握りしめながらも、すがすがしい瞬間。誰もいなくなったグランドを挟んで、エールを交換する。最後の声を振り絞ってエールを送る。その情景が頭に浮かび、心が熱くなり、涙が浮かぶ。
 相手の青春に自分の青春を重ね、エールを送り、後輩は先輩の青春に自らを重ねる。そして取り残された青春は、後輩達の青春に重なり甦る。
 ありがとう!後輩達の青春。
 いつかきっと、共に甲子園の土を踏もう!
2004年7月22日(木) 「青春の青い空」
高校3年、應援團長時代の秘蔵写真!
ヘアースタイルはあの日のままだ(笑)。
 高校時代の一枚の写真。この季節を迎えるととても懐かしく眺めてしまう。高校3年の夏、あれよあれよという間に県大会準決勝まで進んだ、母校の野球部。声を枯らし全身全霊でその背中を応援していた僕達の青春。
 今年もまたこの季節がやってきた。母校・石川県立金沢泉丘高等学校、ベスト8進出!その一報を副団長で、鼓手だった親友がメールで知らせてくる。3年間一緒に声を枯らした仲。恋を語り、夢を語り・・・、まだまだ青春真っ只中の僕ら。大学時代には酔っ払った勢いに任せ、ママチャリに二人乗りして吉祥寺から国立まで真夜中の中央線沿いを突っ走ったりもした。(二日酔いで応援に行ったこともある(苦笑))いつか後輩達の甲子園での勇姿を応援に行きたい。
 この猛暑は応援団にとってはかなり辛いだろうなぁとふと思う。ガクランに水を被ったといえ、1回の攻撃が終わる頃には乾いてしまっている。何の為にそんなに一生懸命になれるのか?、しかしそれが僕らの青春。チアリーダーが差し出してくれた冷えたタオルの感触は忘れられない。あの娘は今頃何をしてるだろうか、それも青春・・・。
 さぁ、甲子園目指して頑張れ!!
 僕らも「東京」で頑張らねば。青春の青い空、まだ生きてるよ!!!
2004年7月17日(土) 「東京平和映画祭」
 今日も暑い一日だった。久しぶりに早起きをした。そして向かった先は神宮橋にある、国立オリンピック記念青少年総合センター。初めての場所だったが、大学のキャンパスのようでステキな空間だった。9:30、東京平和映画祭がスタートした。21時までの長丁場が始まった。
 戦争の表と裏の現実を目の当たりにさせられる作品が6本上映される。トータル591分(約10時間)。昼食の1時間の休憩を除くと5分の休憩を挟み次から次へと作品が上映されていく。正直、畳み掛けられる様な辛さがあった。現場の声が、戦地の声が、容赦なくスクリーンを通して投げかけられてくる。目を覆いたくなるような、絶望的なシーンも数多くあった。悲しいかな、直接的あるいは間接的に日本も手を貸した犯罪行為も余すことなく伝えられた。(今日上映された映画は、http://www.wa3w.com/tpff/(東京平和映画祭公式サイト)に詳しく載っていますので、興味があれば是非ご覧下さい。)
 大手のマスメディアから伝えられることはごく一部だと改めて感じる。今日スクリーンから直球で投げつけられた現実を直視するのは辛い。しかし、決して目をそらしてはいけない。まずは直視することからはじめてみないか?そうすれば僕らが向かうべき場所はひとつしかないことに気が付く筈だ。
 すべての映画を心に留め、会場を出て家路に向かう僕の心はとてつもなく重かった。熱帯夜がその重さを際立たせていた。しかし、地球市民であること、人間の心は国境を越えられること。「心で語れる世界」を遠い彼方の夢ではなく、現実のものとして夢見ていた。
2004年7月16日(金) 「継続は力なり」
 昨日弐周年記念の亜世's Day ワンマンライブを終えた。本当に多くの方に支えていただきながら、これまで続けて来れたこと、心から感謝申し上げます。昨日のライブは2004年、僕にとってもっとも印象深いライブのひとつになるだろう。
 一夜明け、日常との葛藤。ライブのクーリングダウンを兼ね、自転車を走らせてスポーツジムへ。今日でジム通いがまる1年を迎えた。最近は、この暑さで、少しメニューは減り気味だが、1年続いた。歌い続ける為、まだまだ鍛えていかねばならない。この1年、十分とはいえない練習環境の中、ワンマンライブ2時間強を歌い切ってこられたのは、きっとトレーニングがあってこそだと思う。もっといい歌を歌うために、心に響くステージを創るため、これからも自分に負けぬように向き合っていきたい。時々辛くなりながらも泳ぎ続けたり・・・。すべてが人生に繋がっていると思えば、なんだか楽しくなってくる。今、自分は人生の1/2か、1/3か、そんなことを考えると「生きなきゃ」という気持ちが強くなってくる。
 想いの数だけ力にしたい。継続は力なり!
2004年7月14日(水) 「やっぱり仙さん!」
 今日のニュースステーションに待ちに待った星野仙一SDが出演された。野球への愛、そして「夢」。強烈な説得力がある。
 一連の流れにかなり嫌気がさしていたけど、ここにきて阪神はこの流れに異を唱え始めた。ファンとしても純粋に嬉しい。「選手は宝、ファンは宝」という星野さんの言葉、何よりも重い。
 明日は野球への想いも込めて久々に『Victory』を歌います。
2004年7月13日(火) 「最近のハマリ物」
 心で共感できる国会議員の誕生。素直に嬉しかった。ほんの少しだけれどもボランティアとして参加させてもらい、開票日も東京事務所にギター抱えて
喜納昌吉サイン入り
「すべての武器を
楽器に。」Tシャツ。
懐かしの
メローイエロー
復刻版。
お邪魔した。喜納さん本人は沖縄でライブ中だったのですが、ボランティアスタッフの喜びの『花』の伴奏を出来たのは感動的でした。
 この願いが、いつの日か、いつの日か届きますようにと祈りを深めた一日だった。
 選挙もお祭り、こうやって若い僕らももっと関心持って関われるようになると、この国も楽しくなるのになぁ。それが民主主義の目覚めってことなのかもしれません。

 さて、弐周年記念のワンマンライブを2日後に控えた今日は、いつものようにジムに泳ぎに行きました。こう暑い日が続くと、水の中の気持ちいいこと。そして渇いた喉に、「メローイエロー」。覚えてます?昭和58年発売ですって。めっきり見かけなくなったなぁと思っていたら、先週偶然セブンイレブンにて復刻版を発見!いや〜、懐かしかったですよ。小学生の時、実家の隣にあった自販機に置いてあってよく飲みましたもん。まだジュースが100円の時代。昭和58年でもレトロさを感じる平成16年。ある意味怖さもあります。これからどうなるんだろう?って・・・。
 迷いの時代だからこそ、僕は歌っていたいのかもしれません。
 弐周年記念、精一杯歌います!
2004年7月7日(水) 「七夕」
 「七夕なのに悲しい出来事」と古田選手会長は語った。現場無視、ファン無視、とても悲しいと、僕もそう思う。ショービジネスを志すものとして、深く考えるものがある。腹も立つ。ありきたりな言い方だけれども「夢」を売ることこそ、ショービジネスの中で重要な要素。オーナーの発言からはまったく「夢」が感じられない。やり方も汚い。選手会にも頑張って欲しいし、我らが仙さんも怒っている!

 嫌な気分を紛らわそうと、初めて「歌」に触れた頃のテープを随分久しぶりに聴いてみる。僕が小学校4年生の頃、まだCDデッキは我が家にはなく、かといってレコードプレーヤーもぶっ壊れていた。もっぱら今に繋がる原点はカセットテープだった。カウンターをメモして、聴きたい曲まで早送りしたりしながら何度も何度も聴いた。そんなアルバムを聴きながら、いくつもの情景が頭に浮かぶ。目頭が熱くなるような風景も僕の心の中に描かれる。セピア色になりつつも、歌というツールを通して引き戻されるリアリティーは苦しいくらいだ。
 何故僕は歌い続けているのか、自分の中で納得できた。
 原点回帰。
 そんな2004年の七夕の一日でした。
2004年7月6日(火) 「嬉しい言葉」
 じっとしているだけで、たらたらと汗が滴り落ちた真夏日。なぎら健壱さんの書いた小説『歌い屋たち』を読んだ。「昭和」という時代の一片を垣間見ることが出来た。
 しかし暑い一日、思考能力もストップしてしまうから辛い。
 さて話は変わって、僕が高校時代から通い詰めている金沢の楽器屋さんに熊ちゃんという店長がいらっしゃるんです。上京後も楽器のことで困りごとがあるとまず相談させてもらえる、そんな存在なんです。思い出せば、生意気にも高校生なのにアコースティックギターをどうやってライブでよく聴かせられるか(いわゆるエレアコが主流になってはきたが今ほどクオリティーが高くなかったので色々工夫を重ねたのです。)とか、(お金もないのにね(笑))そんな我侭な注文にも一生懸命答えてくれて、しかも学校帰りにほぼ毎日話をしたくって通い詰めたり、考えてみると迷惑なガキだったかもしれませんが、今でも僕の原点から温かく見守ってくれる、それが本当にありがたいのです。
 今日はマイクのことで相談。たかがマイク、されどマイク。自分の中で長年使ってきたマイクが、ちょっと違うかな?という風に感じてきてしまって…。今ある出来る限りの環境でライブは創っていきたいという想いがあって、試行錯誤です。色々な情報をもらいながら、最後に「がんばっとるか?がんばれや!」の一言。嬉しかったです。
 地方出身者というのは、きっと時々淋しくなったり、めげたりする。でも「故郷」があるからきっと負けない、そんな気がします。熊ちゃんの一言は、ガンコ嬉しかった(訳:めちゃくちゃ嬉しかった。)、そんな一日でした。
 さぁ、弐周年記念のワンマンライブも間近!ワクワクしてきましたよ。
2004年7月3日(土) 「すべての武器を楽器に。」
横浜駅西口にて
『花』を歌う喜納さん。
 どうしても生のメッセージが聞きたくなって、スケジュールを調べて横浜に行ってきた。
 『すべての武器を楽器に。すべての人の心に花を』。
 そう、喜納昌吉さんのメッセージを聞くためだ。2002年、9.11の後、悲しくもアメリカのアフガン報復当日に上野野外音楽堂で行われたチャリティーコンサートで、喜納さんと僕は同じステージに立ったことがある。
 昨日の日記に書いた高田渡さんが静の反戦だとすると、喜納さんは動の反戦、非戦である。世界各地を飛び回って、「祭り」を起こし、武器を楽器にと訴え続けている。その姿には、ピースコンサートを開いたボブ・マーレーにも通じるものがある。
 『ハイサイオジサン』と『花』の2曲を届けてくれた。その中でのメッセージも含め、選挙の演説で感動するという生まれてはじめての体験をした。政治屋さんには出来ない、「心」に訴える、言葉を越えた理解、アーティストならではの力を感じた。すぐに実現できるほど簡単な夢ではないけれども、すべての人の心に花を咲かせること、そして世界の空を平和色に染める為、日本という国に誇りを持つ為、このパワーが必要だと思った。
 カンパでTシャツを購入し、サインを頂いた。握手をさせてもらった時の、そのまっすぐな視線が忘れられない。強く、優しく、真っ直ぐだった。
 この人のメッセージは、世界を動かすことすらできるかもしれない、そんな夢を見た。
 歌は力である。
 今、心で感じられる、そんな国会議員がこの国には必要だと思う。

(4日は新宿・原宿・渋谷、7日は町田・立川・三鷹・吉祥寺、9日は新橋・秋葉原・津田沼・船橋、10日は有楽町・新宿・渋谷ハチ公前で、喜納さんに会えます。)
2004年7月2日(金) 「高田渡さん」
 今日のニュース23にて、高田渡さんが出演されていた。というより、酔っ払いがテレビに出ていた、ともいう(笑)。渡さんは吉祥寺の街でしょっちゅう見かけた。僕がはじめて高田渡という伝説を知ったのは、中学時代に放送されたBSフォークソング大全集の中でだったろうか。上京して吉祥寺に住み始めて数週間後、中道通り商店街で三輪のチャリンコを真夜中に漕いでいる渡さんに遭遇した時は興奮したのを覚えている。その後も、いせやはもちろん、井の頭公園や、ロンロンの交差点、吉祥寺駅公園口などなどいたるところでお見かけした。
 フツーに吉祥寺で暮らしている伝説の人なのである。
 「日常を歌うことが本当の反戦である。」とかなりデキアガリながらも語っていらっしゃった言葉が非常に重たかった。

 家賃5万8千円のアパートに15Aのヒューズ。そんな生活の柄が、嬉しくなる。
2002年6月30日(水) 「再び新曲」
 たった今、新曲が完成しました。世の中は参議院選挙、テレビの党首討論や新聞での記事を読みながら、「どの党もなぁ。」と思ったり、しかし話を聞いていく中で、このままじゃ、本当に大変な国になってしまうんじゃないかという不安も沸き起こってきたりしています。今僕らが叫んでおかなければきっと後悔するだろうとも思います。忌野清志郎さんの歌を借りると「起きろよBaby! 外はいい天気だ 選挙に行って投票しようぜ!」。個人的には、沖縄から世界へ平和の歌を送り続け、今、何とかしなければとの思いで野党第一党から出馬された歌い手を応援したいと思っています。
 さて、そんな悶々とした気分の中ではありますが、僕らの将来への不安やある種の勇気や、希望を僕なりに普遍的に歌った歌が出来上がりました。ぜひ皆さんに聴いて欲しい。精一杯の想いでこの歌を届けたい、そう思っています。2週間後に迫った弐周年記念の吉祥寺ワンマンライブが、今からとっても楽しみです。良い歌に育てていきたいと思います。
2004年6月27日(日) 「週末」
 先週は真夏の陽気が続いた関東。クーリッシュのマンゴーがやたらと旨かった。果物はほとんど食べない僕なのだが、マンゴープリンは大好物で、これまた好物の中華料理系の食事の後にマンゴープリンかライチシャーベットがあるとやたらと幸せになる(笑)。
 さてさて、最近読んだ本の話。朝まで生テレビなんかでお馴染みの姜尚中さんの『在日』を読んだ。最近マスコミに登場する論客の中で、僕は姜さんのファンなのですが、自伝的なエッセイでありながら、北東アジア(いわゆる極東)に踏み込んだ議論が展開されていて非常に面白かった。在日の方から見た日本の昭和戦後史〜平成史としてもとても深いものを感じた。
 それから、最近の松田亜世音楽ブームのお話。先週の『プカプカ』から始まって、加川良さんの『教訓T』を買ってみたり、今日は渋谷のタワレコではっぴぃえんどと河島英五さんのアルバムを買ってきた。僕が生まれる前の”あの”時代から学ぼうという気持ちが僕の中でとても強くなっているのを感じる。偉大な先輩方から勉強させていただくことは数多い。そこから松田亜世の世界を見出していきたい。
 今日はお気に入りの代官山の洋服屋さんのファン限定(?)セールにも足を運んできた。和のテイスト満点のタンクトップを2着購入。約1年のトレーニングで胸板は結構キテいるのだが、腕がまだ貧乏臭い(笑)。とはいえ、かなりお気に入りな感じだったので、亜世流こだわりの着こなしをしてみたい。
 話は変わってタイガース。4連勝の後の2連敗は痛い。藪さんも怪我しちゃうし、我慢の7月になるのだろうか。
 以上、脈略のまったくわからない週末の独り言でした。
2004年6月23日(水) 「上野」
 新曲が完成した。タイトルは『上野』。上野公園に行くとやけに落ち着く。時々無性に上野の町をぶらっと歩いてみたくなる。「東京で好きな街は?」と聞かれれば「1位が吉祥寺、2位が上野」と答えるだろうか。
 石川啄木の歌ではないけれど、僕たち地方出身者(北国)にとって夜行列車の始発といえば上野であり、かつては新幹線の始発も上野だった。なんだか妙に思い入れのある街なのだ。
 フォークな歌になった。まだまだ書きたい衝動にかられている。
2004年6月18日(金) 「フォークという時代」
 最近、文芸ポストで今も歌い続けるフォークシンガーの特集記事を読んだ。僕の好きな友部正人さんや吉祥寺でしょっちゅうすれ違った高田渡さんなどなど。『プカプカ』の記事もあって、たまらなく聴きたくなってレコード屋に走った。ザ・ディランUのアルバムを買う為だ。西岡恭蔵さんはもういなくなってしまったとか、感じながら『プカプカ』を聴いてたらたまらなく泣けてきた。
 日本のフォークソングの持っていた言葉のとてつもない大きな力、これは一体なんだろう?久々に友部正人さんのソニー時代のベスト版をかけてみる。ギター一本と坂本龍一さんのピアノだけのシンプルなアルバムなのだが、そこいらに転がっているお金を注ぎ込んだアルバムよりもよっぽど強く胸に迫ってくる。
 僕の目指すところはどこにあるのか、自問自答する25歳を迎えた2つ目の週末だ。
2004年6月12日(土) 「25歳初の新曲」
 15日の吉祥寺ワンマン直前の今日、新曲が完成しました。昨日の夜中に書き始め、先程手直しを終えて完成です。25歳最初の曲になりました。15日には歌わせていただきたいと思っています。
 今日は四季のさんぽ道でのディナーライブです。前回はまったくの生、今回は?、と不安はありますが、楽しんできたいと思っています。
2004年6月8日(火) 「ジャーナリスト・安田純平さんと」
 イラクで拘束されたジャーナリスト・安田純平さんの講演会が船橋であった。当日朝、突然実行委員会の方から『荒野を越えて』を歌ってもらいたいとの
懇親会にて安田さんと共に。
依頼。急遽準備をして歌わせていただくことにした。会場には240名の来場があった。
 やはり現場を踏みしめてきた生の声は、心への響き方が違う。自ら拘束中、安全装置を外した銃口を向けられた経験から、復興支援といっても銃を持ち込まれた住民の感情はどうなるのか?だとか、当初はフセインを倒したアメリカを絶賛していた人々が、掃討作戦により、アメリカ軍に殺されるといった事実、密告者を作り出すために虐待を行ったアメリカ軍・・・。
 世の中には様々な事実が存在する。「戦争」、このとんでもない渦の中に葬り去られてしまいそうな真実は、誰が伝えるのか?

 世論を形成させたマスメディアに疑問を感じる。国が国民を守るというのはあたりまえの話で、全てが「自己責任」論で評価されたのはそもそもおかしな話だろう。ついでに言えば、イラクでの抵抗運動が「テロ」という言葉でひっくるめられているが、現実はテロも確かにあるが、全てがテロではないという話だった。
 「人間」、その視点に立つことが、歴史をよい方向へと導く道しるべとなるだろうか。
2004年6月6日(日) 「25歳、最高の一年を目指して!」
 25歳の誕生日、たくさんの方からのお祝いメール、書き込み、本当にありがとうございました。お陰様で生まれてから25年間、そして今日もまた歌い続けることが出来ること、心から感謝申し上げます。
 誕生日の昨日は、横浜スタジアムへタイガース応援に行ってきました。結果はサヨナラ負け。なんとも悔しい誕生日でした(涙)。しかし、寄せられたお祝いのメッセージなどを拝見していて、それ以上の喜びと力を与えていただきました。25歳、僕にとっても皆さんにとっても意味のある1年となるように、これからも精一杯歌い続けて生きたいと思っております。どうぞ宜しくお願いいたします。

 25歳2日目の今日は、久々のレコーディングに行ってきました。3月辺りから始めて、のんびりと夏あたりの完成を目指しています。やはり音楽に携わっていられる時間は幸せです。来週は吉祥寺ワンマンライブが待っています。一生懸命臨みたいと思います。
 雪印食品を内部告発し、それが元で自主廃業に追いこまれ、どん底から会社再建を果たした西宮冷蔵のドキュメント番組が放送されていました。社会正義に賭けた男の力強い生き様を見ながら、僕の中にも身震いの如く、沸き立つ想いが強くなってきました。
 さぁ、また明日から頑張って生きます!
2004年6月4日(金) 「25歳を前にして」
 25歳、四捨五入で30歳?不思議な感じでもあるが、「一生感動、一生青春」まだまだ走り続ける為に頑張って生きたい。25歳は男性にとって体力の曲がり角だという実感からジム通いをはじめたのが約1年前。昨日は24歳最後の泳ぎを1時間強続けてきた。程よく疲れた身体は、生きてる実感がこもっていて心地よい。負けぬとは、闘い続けること。自分との闘い、これしかないかもしれない。あとは、目に見えぬ不思議な力を風を受けるだけ、そう言い切れる人生でありたい。
ライト側応援団を臨む。

 今日は、招待券が巡り巡ってきて千葉マリンスタジアムに初めて足を運んだ。噂には聞いていたもののマリーンズファンの連帯感は凄まじかった!3塁内野自由席だったのだが、ちょうど正面にライトスタンドの応援団の和が、美しく光った。こんなコンサートが出来ればさぞかし幸せだろうなぁ、そんなことをふと思った。

 世の中は、小学生の殺人事件に年金法案の理不尽な強行採決。政治もここまで落ちてしまったかと溜息ばかりこぼれる。しかし、無関心になればなるほど、しわ寄せは僕たち小市民に寄せられる。なんとも理不尽極まりない。
 そんな中でも、1979年生まれ、これからも精一杯歌って生きます。25歳の松田亜世にも変わらぬご声援を宜しくお願いいたします。
2004年5月29日(土) 「中央線な人」
 美容院に行って帰りにふらっと新宿の紀伊国屋で本を眺めた。そこで見つけたのが『中央線な人』(小学館文庫)。これがめちゃくちゃ面白かった。久々に一日で読み終えてしまった。その本によると間違いなく僕は「中央線な人」である。一言で語るのは難しいのだが、精神界に傾倒したり、反体制的であったり、移動はもっぱらママチャリだったり、趣味やこだわりには大枚を叩いたりする、など等。
 この本を読んでいると「吉祥寺」という街は中央線な街の中でも入門編かもしれないと思った。「阿佐ヶ谷」「西荻」あたりに中央線なディープな世界が拡がっているようだ。
 「吉祥寺」にとりつかれた僕はちょっとした「中央線な人」であるといったところか?しかし、中央線の水を一旦飲んだ人は中央線病とも言うべき症状にかかる。やっぱり僕は「中央線な人」である(笑)。
2004年5月23日(日) 「最高の夜、男衆、連帯感!」
 二日間にわたる「おかえり祭り」を楽しんできた。今年は初めて台車(三輪の山車・ダイグルマという)を引かせてもらった。本当に町全体が「祭り」で一つになっているという、強烈な連帯感は、ロックコンサートにも勝るパワーがある。近々、エッセイにでもまとめようと思うのだが、今は祭りの後の淋しさというか、脱力感でボーっとしてしまっている。
 人間と人間の「和」の中に僕も入り込み、酒を注ぎ交わし、歌を歌い、祭りを引っ張っていく男衆を、これまた一致団結して支え、着物に身を包み精一杯のもてなしで迎える女性陣。難しい話は抜きにして、ひとつの素敵な世界観だと思う。
2004年5月22日(土) 「おかえり祭り」
 僕の本籍地・石川県石川郡美川町(親父の実家にあたる)で今日から2日間、おかえり祭りが行われる(http://www.town.mikawa.ishikawa.jp/okaerimaturi/index_okaeri.asp)。
 10の町があるのだが、10年に一度おかえり筋が巡ってくる。市町村合併に伴い、美川町として最後の祭りとなる今年(来年からは白山市)、僕の従兄弟の家がおかえり筋ということで、急遽帰郷を決めた。小さい時から祭りが大好きで、高校1年生くらいまでは毎年、金沢からわざわざ見に行ったくらいである。今回は、8年ぶりの祭り体験。いや、神輿を担ぐわけではないのだが、なんだかこう、男の血が騒いで眠れない。朝一番の飛行機なので、出発まで2時間くらい、こうしてホームページを更新して気を紛らわせたりしている(笑)。
 詳しくは、後日エッセイにでもしたいと思っているのですが、ともかく、人間味あふれる祭りの2日間を実体験してきます。地方の祭りには、日本の原風景のヒントが眠っている、そんな気がしています。
2004年5月16日(日) 「レストランライブ」
 吉祥寺ワンマンライブから一夜明け、今日は千葉にある自然食品のレストランにてライブがあった。
 PAはもちろん、マイクもない。しかも客席の天井は高く、面積もかなり広い。正直アンプラグド(アンプを通さない生音)でやることに不安を感じて臨んだ。

 しかし、そんな不安はなんのその、温かいお客さんに恵まれて気持ちよくライブを終えられたという実感がある。特に、僕の歌を聴きに来たわけではなく、日曜日のディナーを純粋に食べに来てらっしゃるお客さんの前で歌う。僕の歌は世に言うBGMにはなり得ない気もしたし、初めての空間でもあったので、戸惑いはあったのだが、歌い終わると拍手はいただけるし、箸を止めて聴いて下さったお客さんも結構いらっしゃった。いや〜、ありがたかったですよ。
 物理的には、ストリートライブとあまり変わらない状況だったので、2年ぶり位の感じでした。
 そのお店にはグランドピアノが置いてあって、折角だからとピアノの曲も2曲やらせていただきました。さすがにグランドピアノ、初めてまともに弾きましたが、弾いてるだけで気持ちのいい、そんな感じでした。もっとピアノを上手く弾きたい、そう思った瞬間でもありました。
 また来月もオファーをいただきましたので、お邪魔することになります。

<演奏曲目>
1.君の待つ海/2.エレナ/3.月と太陽/4.Lily/5.ひとつひとつ(以上1回目のステージ)
1.赤い林檎/2.井の頭公園/3.今宵、雨の中/4.おかえり/5.天漢(以上2回目のステージ)

2004年5月12日(水) 「硯に向かいて・・・」
 国会の年金問題にしろ、イラクの情勢にしろ、暗いニュースというか、ニュース番組を見ながら溜息ばかりが出る。とんでもない時代に突入しているのかもしれない。
部屋の畳に並べた書。

 さて、週末買ってきた硯に早速向かった。何枚も何枚も書き続けるうちに、漢字、もっといえば日本語の深さの虜になっていく。決して上手くは書けないのだが、自分の内面を見つめながら筆を運ぶのは、僕にとって歌を書くことに繋がる。出来るだけの想いと願いを込めて書く。墨を磨るという行為自体、日々の喧騒を忘れ自然と心が落ち着いてくる。
 小学校の書道の時間は、とっても苦痛だった記憶がある。やはり当時上手いとされたのは書道教室に通う一部の人達。わりと育ちのいい女子が多かった。僕も僕で上手く書こうとするからなお更良く書けない。文字との対話、さらには言葉との対話の手段であると自分自身納得した今となっては、なんと勿体無い時間を過ごしていたのだろうと、当時のことを振り返ってみたりする。
 勝手な僕の自己弁護かもしれないが、決して「上手く」書く必要はなく、「良く」書くことが大事なんだと思う。
 ひたすら「歌禅」という文字に向かっているうちに自然と「一心不乱 一曲入魂」という言葉が頭を過ぎったので早速書いてみた。5月のワンマンライブを前に身の引き締まる思いになる。気持ちを込めて向き合った言葉には、とてつもない力がある。僕にとって「歌=言葉」でありたいと願っている。言葉の力を内包した歌は、さらに力を増すと信じている。まだまだ、いい歌を書きたい。
 さぁ、週末は吉祥寺ライブ。そして30日までライブが続く。気持ちが高まってくる。今日の筋トレもこの言葉のお陰か、自然に回数が増えていた。言葉が指し示した一筋の道をまっすぐ見つめて、歌いたい。

 * 今日書いた言葉は、「プロフィール」、「活動情報」にそれぞれ掲載してみました。 *
2004年5月9日(日) 「ゴールデンウィーク金沢日記と週末日記」
 今年のゴールデンウィークは、幸運にもイベントに恵まれ、一週間の長期石川県滞在が実現した。『おかえり』って僕の新曲じゃないけれど、「おかえり」って言ってくれる故郷には格別の想いがある。イベントの詳細はライブレポートのコーナーに譲るとして、このゴールデンウィークのちょっとした想い出を振り返ろうと思う。まずは、この帰郷中に3日間温泉に通えた幸せ。何しろ市内にも天然温泉が涌いている。さらに車で20分も走れば山の中、竹久夢二の愛した温泉街があるのだからなんとも贅沢だ。しかも入湯料は¥350なんだから。これで露天風呂とサウナがついてくる。都会では考えられない。地元のじいちゃんたちの金沢弁の会話に和み、新緑の山並みを眺めながらの露天は最高!
 2本のイベントも無事に終え、あと2日間滞在期間があったので、「京都でも行きたいなぁ。」という話から、久々の家族旅行が急遽決定。1泊1.5日の京都旅行になった。ご承知の通り、仏像マニアでもある僕にとって、京都は最高の場所なのだ。

 九谷のイベントを終え、一路京都へ。この時期、幾つかのお寺では夜間拝観を行っていて、その日は円山公園奥の青連院門跡へ。ライトアップされた竹の生い茂る庭は幻想的で、「京都」の世界へ一気に引きずり込まれる。
 翌朝は、京都へ来る度に訪れている東寺(新幹線から見える大きな五重塔がそれ)と三十三間堂へ。何度訪れても東寺の不動明王と三十三間堂の1001体の千手観音には鳥肌が立つ。祈りのパワーというか、力をもらえる気がするのだ。そして、はじめて訪れる東福寺へ向かう。紅葉で有名な禅寺だが、新緑の季節もまた格別だった。
東福寺にて、通天橋を臨む。
緑に囲まれるだけで、「生」を痛感できるから不思議だ。
 東福寺には多くの小寺がある。その中に尺八の発祥となった明暗寺というお寺がある。時代劇に登場する虚無僧は、このお寺から生まれたそうだ。五十の手習いで尺八をやっている親父のリクエストで訪れることになった。本尊は弁才天。音楽の神様ということで、「なるほど」と感心する。そのお寺には、『吹禅』という石碑が建っていた。吹くこと即ち禅であるという意味だと思う。「禅」とは、簡単には説明しきれない深いモノがある(余談だが、禅の思想を世界的に知らしめた哲学者・鈴木大拙[1870〜1966]は、僕の小学校の大先輩にあたる。他にも戦前の大ジャーナリストで思想家・三宅雪嶺[1860〜1945]などが同じ小学校の大先輩にあたる。といってもごく普通の公立小学校なのだから金沢も奥が深いのかもしれない。)のだが、ひとまず、立ち止まって物事を見つめることとしておこう。禅寺では、日常の全てが禅であるとされる。食事はもちろん、トイレにも入浴にもそれが当てはまる。また「色即是空 空即是色」を体現することといってもよいだろうか。『歌禅』、その境地に僕も達したいと願った。
明暗寺。「吹禅」の石碑の前にて。

 京都市内を後にして、奈良県境にある浄瑠璃寺へ向かった。平安時代に流行した浄土思想を具現化したお寺だ。現世であるこちら側から、池を挟んで対岸の浄土に祈るというのが正式な参詣方法だと、説明してくださった住職さんから教わった。国宝の本堂には九体の阿弥陀如来が祀られている。そして秘仏の吉祥天像(重要文化財)のご開帳に重なった。山奥のこのお寺は、ゴールデンウィークといえども参拝客はまばら。薄暗い本堂に、国宝や重要文化財の祈りの歴史のこもった仏像が並ぶ。圧巻だった。
 そして何より、住職さん自らが本堂に立ち、参詣者にお寺の歴史や仏像の見方、仏教の教えを説いてくださっていたのが、なんとも嬉しく、ありがたかった。僕のお気に入りのお寺の一つにこの浄瑠璃寺は間違いなく加わった。

 せっかく奈良県境まで来たということで、旅の最後に新薬師寺まで足を運ぶことにした。奈良公園からちょっと離れた天平時代の静かなお寺だ。500円切手をご存知だろうか?そこに描かれているのが、新薬師寺の国宝十二神将の中の伐折羅(バサラ)像である。決して大きくはないその像なのだが、圧倒される迫力がある。天平時代からの大きな歴史を物語る。

 あたりまえの話だが、京都、奈良は奥が深い。一生掛かっても掴みきれない歴史の風が流れている。農村や山村、漁村に流れる日本の原風景と共に、歴史の中心だった京都、奈良は、「日本とは何ぞや」を考える上で、欠かせない要素になるであろう。

 この旅が影響したのか、無性に字を書きたくなった。墨を摺って半紙に向かって大きな字を書きたくなった。知る人ぞ知る、僕の字はとてつもなく下手糞だ。しかし、「言霊」というのだろうか、「歌」を書き、歌う一人の人間として、言葉をもう一度見つめ直してみたい、そんな衝動に駆られたのだ。まずは『歌禅』、この文字を書きなぐってみようと思う。
 今日、久々に吉祥寺の街に買い物に出かけ、ユザワヤで習字セットを買ってきた。
2004年4月29日(木) 「新曲、そして帰郷」
 たった今、新曲が完成しました。昨日2時間程でほぼ完成していたのですが、最後のワンフレーズの歌詩が出来上がりました。この曲を聴いて、少しでも元気を、勇気を伝えられたらいいなぁと思って仕上げました。気分とノリと状況次第で明日からの金沢イベントでお披露目するかもしれませんが、今のところは、来月15日の吉祥寺ワンマンライブが初披露予定です。久々にアップテンポの曲が出来たという実感です。
 さて、これから一眠りして、今日の午後、金沢に入ります。7日間、久々に長期滞在できることになったので、金沢でも曲づくりをしたり、実家の目の前の川原を走ってみたり、温泉に入ったり、もちろんイベントも全力投球で臨みたいと思います。石川の皆さん、ぜひぜひ遊びにいらして下さいね。
 帰京まで、しばらくホームページの更新作業はお休みになりますが、最新情報は掲示板にてお知らせしますので、ぜひチェックしてみて下さい。
2004年4月27日(火) 「許せないこと」
 突風の一日、傘が一つぶっ壊れた・・・。そんな中、ジムに泳ぎに行った。なんだかこういう悪条件の中を通うってのが、「頑張ってるぞ」と自分自身を励ますひとつのシチュエーションになったりする(笑)。「歌い続けるため」、自分にとって逃げられない目標を抱えて通い始めたスポーツジム。とはいえ、時に辛くなる時だってある。こういう時に自分自身どう高めていくか?、精神トレーニングでもある。
 さておき、大臣の年金未納問題。「個人情報」???
 ふざけんじゃねぇよ、俺たちもっと怒っていいんじゃない?国会議員は都合のいい履き違えれらた「個人情報」という逃げ道で逃げられて、俺たち20代前半、15万の稼ぎから月々¥13,300-義務として納めて、正直痛い出費でしょ。冗談じゃないっての!
 こういう政府が選挙で勝っちゃうんだから、さらに厭きれてくる訳。今の与党じゃなきゃいいのかっていうと、そうでもないかもしれないけど、投票率が低けりゃ、今の政府が勝っちゃう構造にあるんだからさらに訳が悪い。厭きれて馬鹿みて、さらに苦しめられるんだよきっと俺たち。もっと怒っていいんじゃない?
2004年4月25日(日) 「東横線と横浜」
 風は少々冷たかったが、気持ちのいい日曜日となった。昼前、電車に揺られること1時間、渋谷に向かった。天気が良かったので、渋谷から代官山、そして中目黒と徒歩で巡ることにした。お気に入りのショップ巡りだ。まずは猿楽町のスニーカー屋さんへと足を運ぶ。ここ2年ぐらい僕のステージの足は、「Dragon Beard」という大阪のスニーカーブランドに支えられてきた。その新作、限定モデルを手にするために東京で一番品揃えのあるといわれている店に向かったのだ。
限定モデル DB901 CHINA DRESS

 チャイナドレスの生地をモチーフにした個性、東洋のテイストたっぷりだ。限定モデルだけあって少々値は張ったけれど、まぁそこは何とか(笑)。5月のワンマンライブで初お披露目といきたい。
 そして、そのスニーカーに似合う服を求めて、2年近く通い詰めている代官山のショップへ。お香の香りが立ち込める和の空間。春夏物を手にした。国内デザインのものとUSデザインのものがあるのだが、USデザインの方が和のテイストを十分に育んでいるといったところはちょっとした皮肉かもしれない。ともかくお気に入りのモノを見つけて満足。
 本当に自分のこだわりの品を見つけたときのこの充実感、なんともいえない。

 その足で横浜・中華街へ。僕の曲・『赤い林檎』の舞台となった日吉を通り過ぎ、横浜の海に近づく。大学時代から、現在に至るまで僕の音楽に適切なアドヴァイスをくれている先輩夫妻と1年ぶりに会食。中華街の隠れた名店の中華をご馳走になった。中華料理は大好きだ。ともかく元気になれる。中華料理?、とも言えるかもしれないけれど、勧められた牛角煮カレーを食べた。旨い!それからショウロンポウの弾き出される肉汁に大満足。中華街は裏路地にこそ旨いものがあると実感!
 充実した日曜日になった。
 さて、今週後半は地元・金沢。昨年の11月ワンマン以来、ライブで接する予定の金沢。楽しみだ。
 
2004年4月23日(金) 「I love Jackson!!」
 行ってきました、ジャクソン・ブラウンソロアコースティックライブ!ステージ上には20本近くのアコースティックギターとエレクトリックピアノ、それにジャクソンが座る椅子。
 まるでアーティストの部屋に招かれて歌を聴いているような贅沢な空間。観客からのリクエストにもどんどん答えていく。こんなコンサートが出来れば幸せだなぁと思った。そして『Rosie』、昨年の来日公演ではじめて聴いて感動、大好きな一曲になった。ピアノでいきなり歌い始めてくれて、鳥肌が立つ。前半の最後はイーグルスに提供して一躍有名になった『Take It Easy』。
 休憩を挟み、ダブルアンコールも含め全26曲。ギターとピアノの弾き語りのみのステージだった。ジャクソン・ブラウンの歌に対するとことん誠実な姿勢と、歌の中に秘められて大きなメッセージ、パワーを痛感したコンサートになった。同じ空間に居合わせることが出来て僕は幸せだと思った。ラストは『I am a Patriot』で締めくくられる。アーティストの社会に対する姿勢、これもまたジャクソンには尊敬の念を抱いている。
 ありがとう!ジャクソン・ブラウン。
2004年4月22日(木) 「いよいよ明日!」
 ジャクソン・ブラウン、アコースティックソロライブで来日。今日から文化村オーチャードホールで2Days!昨今インターネットが普及して、耐え切れず色々な掲示板を覗いてみると素晴らしいコンサートであることがわかる。今日も行っておけばよかったとちょっと後悔。
 でも明日、本当に楽しみです。東京に出てきた翌日行ったコンサートがジャクソン・ブラウン。去年も来日公演は最高でしたし、何かと想い出深いアーティストなのです。ピアノ特訓中の僕にとってもジャクソンのピアノの弾き語りは大いに勉強になるでしょう。あ〜、ワクワク。

 といった訳で、今月の亜世' Day ワンマンライブのレポートは週末までお待ち下さい、すいません。来月は金沢でのイベントに15日の吉祥寺、30日の千葉と一生懸命歌い回ります。宜しくお願いします!
2004年4月18日(日) 「祈りの造形に鳥肌・・・」
 4月のワンマンライブもお陰様で無事に終え、唯一ホッとできる週末だ。お天道様に誘われて上野に出かけた。
 そして、「空海と高野山」展を観て来た。普段見ることの出来ない国宝や重要文化財が多数出展されている。仏像を始め、祈りの対象は祈りの場所で出会うのが一番の幸せ(仏像マニアとしては(笑))なのだが、高野山でも秘宝中の秘宝の公開ということで、足取りも次第に早まった。高野山三大秘宝『聾瞽指帰(ろうこしいき)』『諸尊仏龕(しょそんぶつがん)』『飛行三鈷杵(さんこしょ)』は圧巻だった。特に『諸尊仏龕(しょそんぶつがん)』は、一木から繊細な彫刻技法により幾多の仏を彫り出しているのだが、引き込まれる魅力を持っていた。スーッと肩の辺りの鳥肌が立つ。それから運慶作の八大童子立像。近くで見て、そして一歩退いて眺める。さらに遠くから覗ったその時、自分が像に見つめられ続けているようで、さらに鳥肌が立つ。大勢の人の中、その瞬間は時間が停まったように、これぞ神秘というものかとさえ感じる。
 宗教芸術、特に長い間人々の祈りを受け止めてきた対象というのは、ただそこにあるだけの大きな力を感じる。理屈抜きに僕を惹きつけて止まない。仏像に限らず、ロシアの正教会で見たイコンもそんな魅力をもっていた。宗教を超え、「祈り」という人間の行為は、何かを超越した世界を導いてくる気がしてならない。
 ともかく、国立博物館での3時間、鳥肌の立ちっぱなしだった。快慶の四天王像の筋肉美、血曼荼羅の幻想的な魅力、全身で受け止めると倒れそうになる位の感動があった。無言の内に迫ってくるもの、やはり時を積み重ねてきた人間の祈りの造形だからだろうか。ともかく素晴らしかった。

 ここからは蛇足になるが、昨今の情勢に絡んで一つ。桜の新芽が太陽にきらめいて美しい春の上野公園を歩く展覧会からの帰り道、タリバンによるバーミヤン石窟の爆破、アメリカによるファッルージャのモスクへの空爆、古くは日本でも踏み絵等という残酷な歴史もあった。祈りの対象への攻撃には、深いやるせなさを感じる。憎悪が憎悪を呼ぶ。悲しむべき出来事だった。
2004年4月13日(火) 「歌える場所」
 15日、吉祥寺でのワンマンライブが迫ってきた。どうにも割り切れないイラクでの出来事、どこか息苦しい想いを振り切るかのように今日はひたすら泳いできた。歌うための、歌い続けるための身体づくり、そう思うから続けられる。

 気になったことをひとつ。今朝の新聞だっただろうか、「テロに屈しない」ではなく、「テロをなくそう」とすることが大事だと書いてあった。それはとても大きな意味を持つことだと思う。テロと闘ったところで、それによりまた憎悪やテロを増長する、その繰り返しではないだろうか。そうではなく、テロをなくす努力こそ、21世紀、人間がひとつ賢くならねばならない時期にきていると僕も思う。テロ=悪、不特定多数の民間人、子どもまでもがそのターゲットになるのだから、テロ=悪であると言い切ってよい。しかし、何故テロリスト側がそこまで追い詰められたのか、その視点なくしては、一向にテロはなくならない。同情論だけではなく、理解し合う事が必要不可欠だ。理想論だといわれるかもしれないが、理想を掲げずして苦しい道は歩ききれない。
 それからもう一つ。生まれた場所を外国の軍隊に踏みにじられ、肉親を目の前で殺された人たちが、アメリカ軍に抵抗すること=テロであろうか?ということ。テロ=悪の理論を転用し、誰が為、何の為殺し合っているのか。それを諸手を上げて支持しているこの国の政府はいったい何をやりたいのか。わけがわからない。
 拉致被害者の家族の気持ちを直接聞くこと、それはすなわちイラクで肉親を失くした罪なき人々の声に耳を傾けることにつながるような気がする。その悲しみや苦しみを直視できなければ、イラクでの人道復興支援が何の為であるか、ましてやこの戦争の大義がどうであるか、語ることはできない筈だ。
 自衛隊の人道復興支援の前提として、アメリカによるイラクへの攻撃をこの国の政府は支持した。人を殺し、国土を荒廃させることを支持し、戦争が終わった(実際は今の状況こそ戦争だと思うが)後、銃をぶら提げて人道復興支援ということ自体、大きな矛盾を感じさえする。
 命を懸けて、人道的支援をしようとした民間人がいる。ましてやその命が危険にさらされている。
 この国の政府が、本気で人道復興支援の為だけに、自衛隊を送っているというのであれば、ブッシュとアメリカ軍の武力による殺戮を直ちにやめさせ、アメリカ軍には到底真似のできない、民衆の立場からの本気のイラク民主化のイニシアティブをとるくらいの腹を括らなければ、全てが嘘になる。
 いつも僕は思うのだ。世界の国の指導者に、誰か命の教育をしてやれと。「命とは何か」、答えのない命題だが、それすら考えられないのかと・・・。

 15日、ともかく一生懸命歌う。それが今僕にとって出来るせめてものことだから。
2004年4月11日(日) 「混迷への入り口」
 混迷の一日がまだ流れている。情報が混乱していてはっきりとした事は何もわからない。
 拘束時の映像がテレビで流されたが、一部刃物を首元に突きつけられているシーンが実際にはあった。しかし、それが放送されていなかったという事実を知り、驚いている。その理由が、ご家族への配慮であれば納得できるが、何か別のものを感じざるを得ない。
 こんな時こそ、日本のマスメディアの存在意義も問われるであろうに、徐々に関心も失われてしまうのか?
 人質解放の一報にほっとしたのも束の間、出口の見えない不安が続く。
 どうか、目を離さないで頂きたい、そして一刻も早い開放を願う、今はそれしかいえない。

 15日のワンマンライブ、今の自分に何が歌えるのか、迷っている。ただ、自分なりに精一杯歌ってゆくことくらいしか僕にはできない。そして、祈るだけだ。
2004年4月9日(金) 「久しぶりに泣いた夜」
 今夜のニュース番組に昨夜拘束された方々のご家族が出演された。他のどんな言葉よりも痛切に響いてきて止め処もなく涙が流れた。怒りか、悔しさか、切なさか、不安かわからないが、ともかく涙が流れた。
 危険な戦闘地域に民間人が入ること自体間違っていると、そんな声も聞こえた今日。しかし、3人の方々の志を考えれば、自衛隊派兵を決めた一国の総理の判断の数百倍勇気ある決断だったのではないだろうか。イラクの「平和」を真に願うのならば、彼らの志を無駄にしてはならない。絶対に無駄にしてはならないのだ。
 人間の命の前で虚勢を張るのはもうやめにしましょうよ。彼らの勇気を讃え、日本も勇気ある撤退を。
 平和への尊い志の為に命を懸けた彼らの命を絶対に無駄にしてはならない。ひとつの命の前で、国のパワーゲームは何の意味もなさない。

 ■以下の行動をお願いします。
(1)電話、ファックス、Eメールで、あなたのメッセージを政府に伝えて下さい。
(2)メッセージの基本は、「イラクで拘束された3人の邦人を救うため、自衛隊のイラクからの勇気ある撤退をお願いします」というものです。もちろん、あなたなりのメッセージに書き換えて頂いて結構です。メッセージにはおなたのお名前、住所、できればお立場(肩書き、職業など)を伝え、また書き添えて下さい。 ※無言電話や嫌がらせは逆効果です。一人の良識ある国民として真摯な対応をお願いします。

■電話・ファックス・Eメールの送り先

●総理大臣 小泉純一郎
 03−3581−5111(衆議院議員会館代表)
 03−3508−7327(衆議院議員会館直通)
 03−3502−5666(  〃 直通FAX)
 Emailはここから入ってください
 http://www.kantei.go.jp/jp/forms/dokusha.html

●防衛庁長官 石破 茂
 03−3581−5111(衆議院議員会館代表)
 03−3508−7525(衆議院議員会館直通)
 03−3502−5174(  〃 直通FAX)
 g00505@shugiin.go.jp(Eメール)

●官房長官 福田康夫
 03−3581−5111(衆議院議員会館代表)
 03−3508−7181(衆議院議員会館直通)
 03−3508−3611(  〃 直通FAX)

●外務大臣 川口順子
03−3580−3311(外務省)

●自由民主党 電話 03−3581−6211
 Emailはここから入ってください
 http://www.jimin.jp/jimin/main/mono.html

●公明党 電話 03−3353−0111
 FAX 03−3225−0207
 Emailはここから入ってください
 https://sss.komei.or.jp/komeihp/voice/form.php

●民主党 電話 03−3595−9988
 Emailはここから入ってください
 http://www.dpj.or.jp/mail/0310.html
2004年4月8日(木) 「許せないのは誰だ!」
 いつものようにジムのプールで泳いだ後、部屋に戻った。テレビをつけると日本人3人がイラクで拘束されたというニュース。殊更「平和」への想いが強い方々のようだ。余計に胸が痛い。日本の財産じゃないか、政府から一線を画し、自らの信念をまっすぐ貫き、戦場から「平和」へと導こうとしている人々。
 人質の命と引き換えに何かを要求するといったことは、許されない。それは間違いのない感情。「テロに屈しない」?、人の命と引き換えに?
 テロもまた許されない。しかし、テロリストを生み出してしまった背景に何故目を向けないのか?憎悪に次ぐ憎悪。今朝の朝刊で報じられたアメリカによるモスク空爆、やってはいけない一線をとうに通り越してしまっている。日本が、いや日本のごく一部の(そう信じたい)無能な指導者(僕はこの人と同じ大学を出たことを今日ほど恥ずかしく思ったことはない)が、大義も曖昧なまま、アメリカに(リッキー・リー・ジョーンズの歌の一節を借りれば”アグリー・マン”に)ただただついていったこと自体、どうかしていた。
 日の丸掲げて出て行ったところで、星条旗の星にひとつ日の丸が加わったように見えて致し方ないのが、今の現実だろう。戦後、星条旗が世界に刻んできた歴史は血で染まってはいないか?白地に赤い日の丸、その白をもう二度と血で染めてはならない。「平和」の光で世界を照らす、そんな国を取り戻すべきだ。僕はそんな信念を持って歌って生きたいし、そんな日本人でありたい。
 せめて、せめて戦前の日本や、現在の星条旗の国みたいに、人の命を将棋の駒のように扱う国にはなってくれるな。
 暴力の連鎖は、すでに意味を失っているじゃないか。いい加減にしてくれ!!

 ・・・自分の無力さが、とてつもなく空しい。
 ともかく、今この時も命の危険にさらされている3人の方々の無事を、心から願う他ない。
 国を憎んで人を憎まず。許せないのは誰だ。

 「平和な世界でありますように。」
 あたりまえに僕は祈る。

                                    文責: シンガーソングライター 松 田 亜 世 (慶應義塾大学法学部政治学科卒)
2004年4月4日(日) 「雨の日曜日」
 日曜日の夕方は、逃げ出したいような淋しさというか、切なさというか、孤独感というか…。雨の日曜日は特に辛い。昔から沸き起こるこの不思議な感覚。例え仕事をしている日曜日でも一人部屋に戻るとなんだかやり切れなくなる。
 そんなブルーな世界から現実に引き戻してくれたのが、タイガースの対巨人開幕3連勝!やっと元気になれてきた。鳥谷の影で必死に頑張る藤本!今日の東京ドームのファンの声援、僕も19年来のファンとして、心から藤本敦を応援している。一試合一試合、タイガースに今年も僕は人生を重ねるだろう。「ありがとう!」そう、心から発する為に…。

 昨日新曲が完成した。「ひとつひとつ」というタイトル。シンプルに祈りを込めて書き上げた。
2004年4月3日(土) 「チベットに触れる」
 今日は新宿にドキュメンタリー映画「モゥモ チェンガ」(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所主催)を見に行ってきた。ネパールのチベット難民キャンプのおける一人の老婆のドキュメンタリー映画だ。雪を被ったヒマラヤ山脈を挟み、その向こうには愛する母国がある。しかし40年以上経った今も、その山を越えることはできず、難民として暮らしている。家族とも離れ離れになり、チベット仏教を大きな心の支えにしながら、残された家族とささやかに暮らす。「陽が陰っていても暗闇というわけではない。」この言葉が痛切に響いてきた。
 クライマックスは、インド・ダラムサラに渡りダライ・ラマ法王と謁見する場面。故郷へ帰りたい、そのあたりまえのことが困難な現状。想いがこみ上げてくる。
 僕らは幸せな暮らしを送らせてもらっている。世界には「難民」と呼ばれる、悲しみを背負い、望郷の念を胸に秘めた人たちがいることを、ほんの一瞬思い出して欲しい。争いの果てに人は弾き出される。チベット人たちの心の平和の如く、チベットが平和になり、そして世界が平和であることを願って止まない。
2004年4月1日(木) 「4月」
 桜咲く4月になった。4月1日、入学、入社、移動等など、色々なところでドラマが生まれていることだろう。
 3月31日、日本の空からJASが消えた。幼稚園の時の僕の夢はパイロット。「唄うたいになりたい」と心に決めるまでの夢だった。だから民間航空業界には未だに結構詳しい(笑)。大学入試の面接を受ける為、東京に出て来た時に乗ったのがJAS便だった。非常口座席といえばお分かりになるだろうか?離着陸の際にスッチーと向かい合わせになる、あの微妙に訳もなく照れの入る席(笑)、試験前にその非常口座席だったから、なんだか実に私的な想い出がある。JASと旧JALから新生JALへ。旧JALの鶴のマークがなくなるのもとっても淋しいのだが、黒澤明監督デザインのJASのレインボーペインティングも消えるのもまた淋しい気がする。ともかく、新旧交代の時期でもあるのだろうか。何の世界においてもただ新しいだけではなく、古き良きものは残してもらいたいものだ。
 ちなみに明日、いよいよセリーグも開幕。いきなり巨人との3連戦のタイガース。燃えてきた!

 さて、話はがらっと変わって、久々に最近のベストアルバムを紹介したい。最近といっても今日の出来事。今日の朝刊にリッキー・リー・ジョーンズの来日レポートの記事が出ていた。来日自体は以前から知っていたのだが、同時に告知されたジャクソン・ブラウンのアコースティックツアーのことばかり頭にあり、そっちのけになってしまったことを今、リッキー・リー・ジョーンズの最新アルバム「The Evening of My Best Day」を聴きながら、本気で後悔している。今のアメリカの現状に対する激しい警笛。リッキー特有の哀愁漂うというか、切なさの中の優しさというか、包まれるようなボーカルによってメッセージが伝わってくるのだ。この、どこか深くでとてつもなく強い曲達を生で聴けたなら・・・。残念だとしか言いようがないが、素晴らしい作品だと思う。
 まだまだ僕も勉強しなければならないことが沢山ある。
 もうすぐ4月最初の曲が完成する。今月のワンマンライブは吉田佳奈子のサーポートと、新曲2曲は披露します。
2004年3月30日(火) 「最近の腹立ち話」
 3月も残すところあと1日となった。日本のジャーナリズムの一つの時代を切り開いたといっても過言ではなかったニュースステーションも終了。
 ここ1週間くらいだろうか、無性に政治家たちの議論に腹が立つ。憲法改正、消費税の総額表示、個人情報保護法、など等。僕たち国民不在の議論の中、大事なことが勝手に決められてしまっているような気がする。そのテレビ討論やなんかを聞いていても、腹が立つだけ。知らないうちに騙されていた気がしてくる。そして、どこかで無気力になってしまう自分になお更苛立つ。
 とんでもない時代に生きているのかもしれない。それでも這いつくばって生きていかねば。ジャーナリズムよ、物書きよ、そして僕たち創り手側よ、もっともっと覚悟を決めて、負けないようにしなければ。
2004年3月29日(月) 「久々の六甲颪!」
1塁側のヤンキースの選手達
 厳戒態勢の東京ドーム。同郷人ながら、「MATSUI」この男の生のユニフォーム姿をはじめて見た。写真でご覧の通り、席も3塁側(タイガース側)のかなり良い席。
 そして、本日のサプライズ!!星野仙一の始球式。鳥肌立ちましたよ、男・星野仙一がグランドに現れた瞬間。沸き起こるタイガースファンの「星野」コール。オープン戦でもタイガースファンは熱い!しかも相手は、アメリカの「巨人」・ヤンキース。
星野仙一全監督の始球式。真ん中ポール右横、ホームに歩み寄っているのが星野さん。

 こりゃ、燃えるでしょ。
 1点リードされた2回にいきなり猛虎打線爆発、7点も入ったのには正直ビックリ!3打席で松井はじめ、ヤンキースの主力はベンチに下がってしまったけれど、とはいってもヤンキース。猛虎打線は、日本らしい全員野球で立ち向かったという印象で、心地よかった。しかも、勝利を収めてしまったのだから、気分よく六甲颪を歌って球場を後にしたのは言うまでもない(笑)。
 今年の阪神は、ちょっぴり投手陣に不安があるのかなぁといった印象はあったが、打線は昨年以上に層が厚くなってる感じがした。ともあれ楽しみだ。
 今日は、長年のファンである藪のピッチングも間近で見られた。4番を背負ってマウンドに立つ姿、いつ見てもカッコいいんだよなぁ。ファンとしては、「代打・八木。背番号3。」のコールも聞きたかったのだが、それはシーズン中にお預け。
 夢の一戦。その場所にいられたことを嬉しく思います。
 全員揃って、すがすがしい表情のタイガースナインに、今年も一筋に声援を送ろうと思います。ヨコシマではなく、縦縞!だから僕はタイガースが大好きです。
2004年3月28日(日) 「模様替え、そして明日は・・・。」
 昨日に引き続き、今日も気持ちのいい天気だった。久々に部屋の掃除と模様替え。というのも、来週デジタルピアノをしばらくお借りすることができる見込みで、部屋を整理しないとただでさえ物に溢れた僕の部屋にピアノを置くスペースを見出さねばならない。なかなかお気に入りのレイアウトに決まり、あとはピアノを待つのみ。
 そして明日。来日中のヤンキースと、われらがタイガースのオープン戦を見に行ってきます!いやいや、とっても楽しみです。3塁側のベンチ上辺りのとってもいい席をプレゼントされたのですが、タイガースは何塁側?(笑)ともあれ、ユニフォームジャージは用意していきますよ。世界のトップの選手たちとのタイガース選手たちとの闘い、勝負を抜きにしても楽しみ、楽しみ。
 明日また報告の日記書きます。
2004年3月27日(土) 「故郷の唄」
 久々に気持ちのいい天気の週末だった。「桜」の季節だ。早朝のまだ人気の少ない井の頭公園の桜、想い出すなぁ。故郷・金沢の実家の前を流れる犀川の川っペリにも桜並木があって、部屋の窓から見える桜、という贅沢な風景、上京してきてから、見ることが出来ない…。街並みと桜並木が調和してて、とてもいい感じなんです。久々に見たいなぁ。
 さて、そんな故郷を想って書いた新曲がたった今、完成しました(2004年3月28日午前3時)。ここ1週間くらい、色んな曲のイメージが涌いてきたのですが、まず形になったのが今書き上げた曲なのです。これまでにも何曲か故郷をテーマにした曲を書いたのですが、今回はまた新たな世界を描けたかなぁと思っています。来月のワンマンで初披露、楽しみです。来月下旬には金沢ライブもあるし、今後様々な場所で歌えたらいいなぁと思っている一曲です。
 あと2ヶ月くらいで僕も25歳。上京した当初の場所で、もう一回人生を叩きつけたいとか、色々な想いが交錯している最近なのですが、僕は僕らしく、ひとつひとつ歌を書いていくことで、何かしらの答えのようなものを見つけ出していきたいと、そう思います。
 ともかく、新たな歌が生まれ、なんだか嬉しいので、久々に缶ビールで独り乾杯したいと思います。
2004年3月24日(水) 「暴力の連鎖」
 パレスチナでイスラエルによる非道な暗殺事件が起こった。繰り返される暴力の連鎖、親を殺された子どもがその報復の為に命を捨ててテロを起こす。そんな情景がブラウン管の向こう側から伝わってくる。
 20世紀、ユダヤ人にとっての「約束の地」・イスラエル。迫害されたユダヤの歴史に触れると、ある意味理解できる部分はある。しかし、その為に追い出されたパレスチナ人達の憤り、悲しみは僕らの想像を超えるだろう。かつてピューリタンの「約束の地」・アメリカで逃げ惑ったネイティブアメリカン(インディアン)の姿とも重なり映る。
 戦争の裏側には難民の姿があり、その姿をまっすぐに見つめることこそ、これからの時代を平和な世界にする為に必要なことではないだろうか。悲しみの歴史、下からの視点で見つめてみないか?
 「正義」とともに「神」の名で、暴力の連鎖を繰り返してはならない。「正義」とは何か?、「神」とは何か?、「国家」とは何か?、「人間」とは何か?、「自分」とは何か?・・・。答えなどありゃしないだろう。だけれども見つめ続け、問い続けてみないか?

 「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」した国よ。今こそ、こんな時こそ、あなたにしか出来ないことがある筈だ。
2004年3月21日(日) 「酸素力!」
 ←これ、一体何をしているところでしょうか?ヘッドセットマイクで歌の練習をしている訳じゃないんです(笑)。
 酸素吸入中。急に喘息になったということではなく、今日発売になった「酸素エアチャージャー」を購入したのです。電車広告で何となく気になり、昨日の朝刊の一面広告、ホームページを見て、カード2回払いで購入決定(笑)。
 集中力アップ、トレーニング後の乳酸を分解などなど、今の僕にとってかなりメリットとなるであろう効果が決め手でした。早速、試してみたのですが、効果抜群のようです。トレーニング後には、さすがに身体がだるく、コーヒーとチェーンスモーキングで、眠気を堪えながらの曲作りという日々が続いたのですが、不健康極まりない状態からの脱出もこれで図れそうです。睡魔に負けて、ギター抱えながら気づけば朝、なんて生活にはオサラバ!
 今年は、トレーニングもそうですが、歌う為の生活づくり、コンディション作り、そして精神力作りに励みたいと思っているのです。いつ、「さぁ、行くぞ!」ってことになっても準備万端にしておきたい。ただそれだけです。それが最低限の今年の僕のノルマのようなもの。それにどれだけのプラスαが載せられるか、自分との闘い。一歩一歩成長できるように、頑張ります!
2004年3月20日(土) 「新しい歌姫の声」
 桜の開花宣言も出された今週ではあったが、2日程前からの急激な寒さのぶり返し、結構こたえる。しかも雨まで降って、寒さが身に染みる。
 そんな今日、渋谷にライブを見に行ってきた。今月頭ぐらいだっただろうか、何気なくつけていたTVから強烈な印象で迫ってきた歌声があった。「矢野絢子」、僕と同じ1979年生まれ。現在も高知県に住みながら5月のデビューを控えているという。どうしても生で彼女の歌声が聴きたくなって、ネットで色々検索した結果、今日のライブを知った。トップバッターとしてステージに現れた彼女がアップライトピアノに向かい、歌いだした瞬間、スーッと透明なものを感じた。詩とメロディーと、そこから受けた感動のようなものは、初めて友部正人さんのライブを観た衝撃に似ていた。
 その後、2組の演奏を聞いてはいたが、存在感というか世界観というか、矢野絢子がズバ抜けていた。詩の世界と透明で真っ直ぐなボーカルが、今も心の中を泳いでいる感じがする。とても素敵な音楽に出会えた。
 帰り道、吐く息を白くさせながらの渋谷・公園通りがやけに心地よかった。
 銀座線のガード沿いにある「ねぎし」のねぎし定食を食べた。渋谷の中でも僕のお気に入りの場所。「矢野絢子」という世界の余韻に浸りながら、大好物のねぎし定食、麦飯を2杯平らげ、幸せを感じる。

 帰りの電車の中、久々の書店での立ち読みで見つけた「SIGHT」最新号『非戦と反戦』を読んだ。音楽雑誌の出版社が挑む、政治的トピックスに共感した。創り手側が責任を持って、メッセージを発信することにとても大きな意義を感じる。新聞だって、最近は記事の責任の所在がわからないじゃない?
 明日も充実した休日にしよう。
2004年3月14日(日) 「明日20回記念ワンマンライブ!」
 ギターの弦を張り替え、衣装を考え、イメージトレーニングに励みながらいよいよ明日、20回記念の吉祥寺ワンマンライブを迎えます。20ヶ月間、毎月吉祥寺の街でワンマンライブを継続できた喜びを噛み締めながら、明日は思い切り歌いきりたいと思っています。
 昨日、ピアノの先生にちょっとしたアドヴァイスをもらって、独学で初心者の僕のピアノにちょっとプラスアルファーが出来ました。とはいえ、ライブは明日なので、そんなに急には上達しませんが・・・。でも今は、ピアノで歌うこともとっても楽しいので、気持ちだけは精一杯込めて歌いたいと思っています。
 身体も先週のトレーニングの甲斐あって、程よく解れています。明日は、心を込めたステージをお届けしたいと思っています。皆様のご来場、心よりお待ちしております。
2004年3月10日(水) 「吉祥寺の唄」
 ワンマンライブのリハーサルをしていると新しい曲が浮かんでくることが最近よくある。昨日もそんな状態で、スイミングで程よく疲れた身体が、曲創りによって甦る。そして、あと1フレーズが今日出来上がり、新曲の完成です。
 今回は、吉祥寺を舞台にした歌に仕上がりました。僕的には、20回記念のワンマンライブに相応しい唄が出来たと嬉しくなっています(笑)。もう5日後ですが、一生懸命練習して今月は新曲を2曲、ピアノも2曲お届けする予定です。もちろん、リクエストの多い曲、季節の曲など織り交ぜてお届けします!
 ぜひぜひ、足をお運び下さい。お待ちしております!
2004年3月7日(日) 「新曲!」
 つい先程、新曲が完成した。今年に入って4曲目、なかなかいいペースで曲創りが出来ている。
 20回記念の亜世's Day ワンマンライブも一週間後に迫ってきている。今週はしっかりとステージ構成とリハーサル、コンディション作りに励みたい。
 新曲完成の安堵感からか、猛烈に眠くなってきた。というわけで、今日はこの辺で失礼します。
2004年3月6日(土) 「高円寺」
 今日は、故郷・金沢のライブハウスの先輩でもある大森洋平さん(浜田省吾と同事務所)のショーケースライブを乃木坂に見に行ってきた。僕が高校3年生の頃にデビュー、僕が好きなサウンド、世界観のアーティストだ。ライブを見るのは、ホント何年ぶりといった感じだった。少々のブランクを空けての復活というその裏側の覚悟というか、まっすぐな気持ちがストレートに届いてきた。僕も色々勉強させられた。
 大森洋平さんといえば、僕がライブハウスに出たての頃、そのライブハウスの1階のスタジオで、独りでよく練習している姿を見かけた。ライブハウス駆け出しだった僕にとっては、ソニーからデビューが決まった「大森洋平」という姿は、憧れだった、そんなことを想い出した。まだまだ僕も頑張らねば。
 その後、別件で吉祥寺に行き、久々にぶぶかの油そばを食べ、場所を高円寺に移して終電までの数時間をガード下のおでん屋さんで過ごした。熱燗をチビチビやりながら、おでんや、そのお店の名物・関西風串揚げを食べた。これが、メチャメチャ旨い!いや〜、コロモのサクッとした感覚から、ネタの味まで、幸せな気分になった。
 しかし、街の空気感というものも不思議なもので、中央線独特の居心地の良さがあった。高円寺は、吉祥寺に住んでいた当時も、たまに行くといった感じで、それ程馴染みはないのだが、僕を惹きつけるものがあった。やっぱり中央線沿線、僕はたまらなく好きだ。
2004年3月2日(火) 「中華そば」
 今日は用事があって中野に行った。ちょうど昼頃だったので、以前テレビで見て、どうしても食べたいと思っていた中華そば屋に行ってきた。中野の「青葉」というお店、ご存知だろうか?とんこつなんだけど和風な味で、ともかくスープが旨かった。最後まで飲み干したスープは久々かもしれない。とんこつ醤油系のスープは、旨いんだけど飲み干してしまうとやたらと喉が渇くのだが、このお店のスープはそうでもないらしい。それから煮卵。元来ゆで卵の黄身が駄目な僕としては、いわゆる東京ラーメンに入っているような煮卵は食えない。しかし、半熟、温泉卵状態のここの煮卵は逆に旨かった。欲を言えば、麺にもう少しコシがあれば良かったのだが・・・。ともあれ、スープは絶品!
 しかし、「中華そば」、この響きがなんだか好きである。金沢時代、家族で関西方面に日帰りドライブやなんかに行った時、その帰り道はわざわざ下道を通って鶴賀の屋台ラーメンを食べに行った。こりゃ旨かった!それがまさしく「中華そば」という響き。「ラーメン」ではない。
 吉祥寺に出てきた当初、通い詰めたホープ軒も「中華そば」だった。「中華そば」という音は、なんだか昭和の匂いと外来のものを日本風にアレンジする日本文化の古き良き時代を背負っているようで、なんともいい感じなのだ。
 妙に自分で納得してしまった今日の中華そば日記である。敦賀のラーメン、想い出したらタマラナイ(笑)。
2004年2月29日(日) 「休日の音楽」
 今日で2月も終わる。今年は閏年ということで一日多い2月であり、一日多い2004年なのであるが、早いものだ。
 僕のピアノ熱はまだ覚めやらず、新たな曲を練習している。3月のライブでお届けする予定なので、ぜひお楽しみにしていて下さいね。練習するとやっぱりピアノが欲しくなる。本当のことを言えば、ニール・ヤングがステージで弾いてるような古い木目のアップライトピアノがカッコいいんだけれども、独り暮らしのアパートでそれは無理。せめて電子ピアノで紛らわせたい。ちなみに今は高校卒業の時に買ったキーボードで練習中。うん、頑張ってお金を貯めて今年中には電子ピアノを購入したいもんだ。それまでにピアノの腕も上げておこう。
 そして今日の夜は、友達のミュージシャンに誘われて、ミュージシャン交流ライブに参加してきた。電車が窓から見えるライブハウスで、なかなか陽気に楽しかった。
 そろそろ新曲にも取り掛からねば。そして先週はなかなか時間が作れなかった体力トレーニング。やっぱり、肉体と精神、この二つをバランス良く鍛えていかねばね。3月1日からの一週間、充実した時間を過ごしたい。
2004年2月25日(水) 「しばしの金沢など」
 20日の夜から23日の朝にかけて金沢に帰郷してきた。法事も無事に終了。
 冬の日本海の幸も堪能した。それからお気に入りの湯涌温泉にも浸かり、心許せる故郷の友とも語り合った。2月下旬だというのに暖かな気候で、雪も排気ガスにまかれた黒いものが少々残る程度。淋しいといえば淋しい。つい2週間ほど前には、通常車で20分のところが車で4,5時間、30分のところで6時間もかかったという。降ったばかりの早朝の新雪を今年は踏みしめられなかったと思うと、やっぱり淋しい気持ちになった。
 しかし、冬の北陸の食は尽きることを知らない。旨い。20歳を越えた頃から、おっさんの仲間入りをしたのだろうか(笑)、刺身だとか、かぶら寿司だとか、そういった海の幸に惹かれていった。ともかくお勧めしたい冬の北陸である。
 そして東京に戻り、故郷でのしばしのエネルギーをもってまた動き出す。
 今月のライブで弾き語りを披露して以来、ピアノを弾くのがとっても楽しいのだ。まだ大したことは出来ないのだが、ともかく楽しい。ギターも独学でそこそこ弾けるようになった。ピアノも独学でボチボチとやっていこうじゃないか。また来月もピアノで歌おうかな?
2004年2月19日(木) 「金沢へ」
 風邪で寝込んでいた先週、ライブなどなど忙しかった今週明け、一週間おいてのジムに行って来た。半年近くも通っていると鍛えないと何か逆にスッキリしないものが溜まってくる。いい兆候だ。2月も後半だけれどもまだまだ今年も魂込めて歌い続けられるように体力づくりは欠かせなくなった。身体をいじめた後の外の空気の美味しいこと。今までやめようと思ったことはないが、近い将来セブンスターを封印する日も来るかもしれない(笑)。
 そうそう、最近のはまり物、大好きなアーティストの一人であるブルース・スプリングスティーンの新作DVD。9.11から生まれたアルバム『THE RISING』を引っさげてのツアーの映像なんだが、それがまた凄くいい!何で日本に来てくれなかったの?と心から言いたくなる、最高のパフォーマンス。50歳半ばにしてこのパワー。「感動」、「エンターテイメント」そんな言葉をこの映像から学ぶ。いや〜、それにしてもカッコいい!!

 さて、話は変わって明日の夜から一時帰郷。
 じいちゃんの七回忌。あれは、高校3年生の卒業間近の頃だったから、月日の流れを感じます。最後の数時間前の病室で、高校卒業記念のワンマンライブの話をしたことを想い出すと、今でもたまらなくなってしまう…。「がんばらにゃ。」、じいちゃんの遺影の前に立つといつもそう想う。
 「まだ夢の途中やけど、まだまだ頑張るしね。じいちゃん、見とってや。」

 祈りの地・石川へ帰る。
2004年2月18日(水) 「井の頭線での再会物語」
 今日は下北沢にRosetta Gardenのライブを見に行ってきた。ボーカルとアコースティックギターのシンプルな編成だったのだが、ボーカルの説得力、まっすぐ伝わってくるものがあった。続くバンドエスターリナも不思議な魅力と世界観が心地よかった。
 ライブが終わり、久々の井の頭線に乗ろうとした瞬間、「松田亜世さんですか?」と声を掛けられた。話をしながら電車に乗ると、なんと僕が高校2年生の時、名古屋の全国高校生音楽祭で共演したバンド・星野すみれのキーボード・竹島さんだった!7〜8年ぶりの再会。懐かしさと嬉しさで一杯になった。当時(今も基本的にはそうだが)は、地元スタッフ数名に引き連れられたった1人で名古屋まで歌いに行った。そしてリハーサルの後、一泊するのだが、その時に同じ部屋だったのが、静岡から来ていた星野すみれバンドの人たちだった。ミュージシャン同士気さくに仲良くなり一緒に「To Be With You」を歌ったのは印象に残っている。たしか、ニール・ヤングも歌ったような?
 竹島さんは現在、東京で音楽関係の仕事に携わっているという。それもなんだか嬉しくなった。
 高校生当時の瞬間が甦り、僕も今も変わらず走っていることが自分の事ながら嬉しくなった。井の頭線下北沢駅ホームの再会物語。また一つ、僕の中央線・井の頭線青春物語に新たな1ページが加わった。
2004年2月12日(木) 「熱にうなされて」
 週明け火曜日の午後から風邪で倒れていた。ジムに通い始めてから、風邪もひかず体調は好調続きだったので、「やられた〜」という感じだった。流行のインフルエンザじゃまずいということで病院にも行ってきた。結果は風邪。しかし、せっかくの休日だった11日は8.5度の熱にうなされていた。僕は熱に弱い。病院で「8度3分ありますね。」といわれただけでくら〜っときてしまった(笑)。風邪の時ほど独り暮らしが心細いことはない。布団に包まって、風邪と闘う自分の身体の熱い抵抗を感じる。
 お陰様で、薬も利いたようで熱も下がり、今週末のライブにはコンディションを整えて臨めそうです!!今回は、ちょっとした思いつきで新たなことにもチャレンジする予定です。日曜日の吉祥寺、皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
2004年2月4日(水) 「割り切れないこと」
 法隆寺門前の食堂が行政代執行によって強制退去させられたニュースを見た。「公共の福祉」、その名の下に涙を流した人がどれだけいるのだろうか。私たちの便利さと、その裏側で誰かに押し付けられるやるせない想いや流れる血や涙。元来日本では、モノに魂が宿ると考えられてきた。テレビから流れてくる、運び出される家財道具や、撤去される看板の映像を呆然と眺めながらふとそんなことを考えた。
 なんとも割り切れない。発展?破壊?、未来?過去?、公?個人?・・・。だんだんわけがわからなくなってきた。そう簡単に天秤にかけられないものをかけなければならない時もそりゃあるだろう。しかし、その判断基準ってのは一体どこにあるのか?僕はふと思った、そこで何よりも「心」を大切にして欲しいと・・・。
2004年2月2日(月) 「赤い林檎」
 久々にハイペースでの曲創りが進んでいる。今日の早朝、書き上がった歌が『赤い林檎』というタイトルの曲だ。大学のキャンパスを舞台としたラブストーリーというか、青春物語の曲に仕上がった。僕なりにはちょっとポップなイメージである。
 曲創りの中で自分の人生を振り返ったり、あるいは色々な人生を旅することが、心地よい。冷え切った冬の深夜、イメージは拡がってゆく。
 これから2週間、週末のライブが続く。いい歌を歌いたい。平日なかなかお会いできない皆様とお会いできることを心より楽しみにしています。
2004年1月31(土) 「棟方志功」
 晴天の土曜日。用事をかねて上野まで出かけた。そして上野公園をふらっと散策する。学生時代の幾つかの想い出を想い出しながら、ひとときの冬の散歩道といったところだ。不忍池の弁天堂にも足を伸ばす。音楽の神、弁天さんに今年の音楽活動の成就を願う。露天商から流れる演歌の調べ、不忍池の心地よい風。都会に生きていると、こうしたオアシスのような森に心安らぐ。
 銀座線に乗り、一路渋谷へ。棟方志功の生誕百年記念展をみに行った。力強いエネルギー、生命の尊いメッセージが聞こえてくるようで、心が高まる。有名な「二菩薩釈迦十大弟子」や、「弁財天妃の柵」等など。ここでも生きた弁天さんに出逢った。「柵」を打つ、一つ一つに全エネルギーを注ぎ込む、そのような意味から志功さんの作品には「柵」という言葉が使われているのだという。生命に向き合うのと同じように作品に向き合う。いつか読んだ三島由紀夫のエッセイを思い出す。『今日書く一行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。』
 まっすぐ帰るのがなんだか勿体無くて、コーヒーを飲みながらしばし人の流れを見つめていた。
2004年1月28日(水) 「雪月花」
 つい先程、新曲が完成した。タイトルは「雪月花」。文字通り、日本の美しき風景を歌った歌に仕上がった。
 日本的なもの、以前から取り組んでいきたいと思っていたが、今回の1曲が、その世界への付箋となるだろうか?まだまだ書きたい歌や、歌いたい歌が沢山ある。今年はこれまでよりももっと、音楽に歌にまっすぐに取り組みたいと思う。
 2月にはライブが目白押し。さぁ、まだまだ書いていきましょ!
2004年1月25日(日) 「吉祥寺の隠れた名店」
 24日土曜日は、吉祥寺に行った。いや、最近は吉祥寺に帰ってきたというのが正しい気持ちかもしれない。知らぬ間に第二の故郷の感覚が染み付いている。夜はライブハウスのマスターに連れられてハモニカ横丁にあるラーメン屋へ。吉祥寺といえば僕の中では、ぶぶかの油生卵そばなのだが、その日行った油そば発祥の店とも言われる珍来亭の特選油そばも絶品!自家製の縮れ麺がとってもいい感じだったし、ハモニカ横丁にあるってのもまた粋。吉祥寺に住んでいた頃、ハモニカ横丁の店はなかなか一見では入りづらいものがあった。行きつけの居酒屋が2,3軒と服屋が1軒あるくらいだった。
 吉祥寺ハモニカ横丁、独特の文化の香りが漂っていてたまらない。
 その後、井の頭電車と東横線を乗り継ぎ、中目黒にライブを見に行った。久しぶりに会う音楽仲間がそこにはいた。ライブが終わり、最終電車に駆け込んで新宿まで出た。朝まで飲んで、音楽を語らう、最高だ。吉祥寺と中目黒、今日は会う人みんなにこう言われた、「亜世は、やっぱり吉祥寺。帰っておいでよ。」と・・・。また自分の中に目的意識がはっきりと浮かび上がった。
 冷え切った始発間際の中央線を千葉の部屋へと戻る。そして今日はレコーディング。夏くらいまでじっくり時間をかけてやろうということで始まった。『夜明けの月』のアレンジが、なかなか気に入ってこれからの展開にワクワクする。僕には愛すべき街があり、仲間があり、そして信じられる音楽がある。まだまだ這いつくばって生きていこう。
2004年1月17日(土) 「渋谷の雪と純文学」
 東京に雪が降る。
 渋谷の空に雪が舞っていた。この大都会で見る雪、殺伐とした風景を浄化してゆくような美しさがある。

 さて、今年の芥川賞は最年少授賞のニュースで沸いていた。何気なくテレビから流れていたニュース、受賞者の一人・綿矢りささんのインタビューがどこかに引っかかった。翌朝の朝刊によると影響を受けた作家が太宰治だったりするらしい。早速本屋に走る。デビュー作『インストール』、そして受賞作の『蹴りたい背中』を手に入れた。
 小説の世界に引き込まれ、渋谷往復の電車の中で読み終えた。
 特に『インストール』に描かれた現代の空虚感。何とも言えず共感した。久々に文学の世界に浸らせてもらった。
2004年1月12日(月・祝) 「ラストサムライ」
 一昨日の夜、映画「ラストサムライ」を観てきた。ハリウッドが描いた「侍」の精神。一言で片付けてしまうと、いい映画だった、これに尽きる。誇り高く、己の信念にのみ従って生き抜く様。僕たち日本人すら失いかけた精神なのではないだろうか。懐古主義などと稀薄なものではなく、もう一度立ち還ってみる価値があるのではないか。西洋の個人主義の中を彷徨い、ただ流されるままに流れていくこの国・日本。先の見えない時代にあって、古きよき精神に、もう少し学ぶべきだと思った。一人の男として、「サムライのように生きたい。」、そう思ったら背筋が伸びた。

 さて、映画とも相通ずるような主題の新曲が完成しました。タイトルはまだ決まってないのですが、1週間後、今年初のワンマンライブで初披露の予定です。宜しくお願いします。
2004年1月6日(火) 「吉祥寺ライブハウスの新年会」
 久々にフリーで平日の吉祥寺の街に向かった。中央線から駅前の映画館の看板が見えてくるとたまらなく嬉しくなる。「吉祥寺」、この街を離れてやがて一年が経とうとしている。
 井の頭線ガード下にぶぶかの赤提灯、薄汚れた壁の落書きさえ懐かしい。そんな街だ。
 さて、今日はライブハウスで出演者だけの新年会。ライブハウスの出演ミュージシャン同士、なかなか顔を合わす機会がないで、結構楽しい会になった。ライブハウスとは、やはりミュージシャンが集まってワイワイしているのがいい。スタッフとの連帯感、これもとっても心地がいい。
 今年もいいライブができそうだ。今年も一年、どうぞ宜しくお願いします。
2004年1月5日(月) 「新年」
 新年明けましておめでとうございます。今年も精一杯歌い続けて生きたいと思っておりますので、何卒宜しくお願いいたします。
 昨日、金沢での活動と休養を終え、『東京』に戻ってきました!「さぁ、やるぞ〜!」ということで、早速ジムに行ってきました。正月はやはり、親戚と会ったり、掛け替えのない故郷の友人達と朝まで飲んだりで、身体が少々重たくなってしまいました。今日はゆっくりと身体を解すことを中心に筋トレに励んできました。今年迎える25歳、歌い続けるためにしっかりとトレーニングは続けていきます!

 さて、2003年大晦日から元旦にかけては、MRO北陸放送ラジオの年越し生ラジオに出演してきました。「アメ玉」「天漢」「がんばるまっし(1コーラス)」それから、セッションとして「涙そうそう」、エンディングには「上を向いて歩こう」をみんなで歌いました。お蔭様で、良い年明け一発目になりました。
 その他、松尾芭蕉ゆかりの山中温泉に行ったり、冬の北陸は魚でしょうということで、ブリ、甘エビ、香箱蟹(ズワイガニが有名だが、地元人は身の締まったコウバコを好むのだ(笑))など等。やっぱり、食べ物は旨い!
 そして、今年一年の祈りを込めて、金沢と富山県境・倶利伽羅峠にある倶利伽羅不動尊、さらに加賀一宮・白山比盗_社に初詣。2004年、松田亜世は後厄ということで、厄除けもしっかりと祈願してきました。もちろん、2004年も歌い続けられることを節に願いつつ。
 2003年11月23日に大きな力を与えてくれた故郷・金沢。この正月もまた、雪を被った白山連峰の山並、荒れ狂う日本海、そして何より心許せる故郷の親友達・・・。また力をもらった。
 2004年、もっともっと真剣に、まっすぐに『歌』に生きたい。
 今年もどうぞ宜しくお願いします!

© 2004 Asei Matsuda

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