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(2005年)



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2005年12月26日(月) 「今年最後のショッピング&中央アルプスを越えて」
↑購入した新作2着。
 明日の帰省を目の前に、代官山のいつものお店のプレセールに行ってきた。前回の買い物時から、更に新アイテムも増えていて色々と品定め。結局、梵字入りのシャツと牡丹の刺繍入りのシャツの2着を購入。なかなかゴキゲンな買い物だった。これで新年のワンマンライブに臨む予定。
 しかし今日も寒い。東京の寒さは、とことん痛い。これから徹夜のまま、そして明日の朝一の飛行機で故郷・金沢へ帰る。
 この時期の早朝のフライトは楽しい。まず、朝の羽田から朝日に映える富士山が見え、景色はやがて雪の山々へ。中央アルプスを越えると灰色の雲で何も見えなくなる。ドリンクサービスも終わり、ウトウトしている間に冬の日本海、荒れ狂う波が眼下に浮かぶ。海の色もほんの数10分前に見えていた太平洋の青とは明らかに違う藍。日本は狭いが、冬の中央アルプスを越えると何もかもが別世界であるかのようだ。そんな故郷から僕は「東京」に出て来たのだと改めて実感する瞬間でもある。
 さて、帰省に伴いこのコーナーでの2005年分日記も最終章、来るべき2006年も故郷・金沢をしっかりと胸に抱いて、「東京」でまた歌って生きたい。ライブハウス活動10年の2005年の締めは、僕にとっての始まりのライブハウス・金沢vanvanV4。そしてまた、この一年の様々な出会いに感謝。
2005年12月23日(金・祝) 「スプリングスティーンとジムとお笑いライブ」
 20日に買ったブルース・スプリングスティーンの『BORN TO RUN 30th Anniversary Edition』と、同時リリースされた『ストーリーテラーズ』のDVDをようやく観た。歴史的名盤『BORN TO RUN』がどのように生まれたのか、そしてその当時のライブ映像など、かなり見ごたえがあった。そして『ストーリーテラーズ』は、スプリングスティーンが弾き語りで曲を演奏し、その曲に対する解説を本人が行うという番組からのDVD。「音楽の話はセックスの話と似ている。かなり危険な話だ(笑)」と冒頭語るスプリングスティーンはやっぱりカッコよかった。日本のアーティストでスプリングスティーンに憧れる人は数多い。しかし、この人の大陸的包容力をいくら島国日本人が真似たところで、到底及ばないということを、『涙のサンダーロード』の解説を聞きながら思ったりした。
 ゆったりとした休日だったので、DVDを見終えてジムに行ってきた。帰省のスケジュールもあって、今年の締めのジム。昨日から2日連続だったので、多少の筋肉痛を背負ってはいたが、前に話したように新しい筋トレマシーンが入っていて、ひとつひとつ新たなマシーンに挑戦していくのもまた楽しい。これまで有酸素運動と歌の為の上半身ばかりやっていたのだが、最近足のふらつきを覚えた為(笑)、足のマシーンにも初挑戦。20代も後半戦、来年もしっかり歌い続けられる身体を作ろう。
 ジムでサウナにも入り、温まったところで、21時半からの新宿・末広亭での深夜お笑いライブに足を運んだ。12月のライブレポートでちらっと触れたロケット団のお二人の単独ライブ。3度目の末広亭でみるお二人の漫才だったのだが、60分ノーストップ、腹を抱えて笑った。毎回毎回、テンポが増しているというか、笑いは”間”にあるということを勉強させて頂く。最高でした。来月は1月24日にビーポイントで浅草特集の単独ライブ、僕も『浅草キッド』歌わせて頂く予定です。いやぁ、是非皆さんにも笑って頂きたいです。
 それでは皆さん、良きクリスマスを!
2005年12月21日(水) 「SAYURI」
 映画『SAYURI』を観に行ってきた。ハリウッドが描く日本、『ラストサムライ』辺りから徐々に変わり始めているような気がしていたので、とても期待して映画館に足を運んだ。とはいえ、台詞は英語、芸者役のほとんどは日本人でもない。しかし、アジアのスターが揃ったという点では魅力的だったことは確かだ。個人的には主役のチャン・ツッイーよりも(『初恋のきた道』のチャン・ツッイーは永遠に最高)、悪役だけれどコン・リーの演技が好きだったり、新たな発見もあった。とはいえ、日本でもオーディションを行ったとのこと、それは即ち”SAYURI”を演じきれる日本の女優がいなかったということでもあり、そこはかなり淋しいところではある。
 作品の世界観は、日本に敬意を払いながらも、どこかファンタジーなモノでもあった。それはそれでしっかりと創られていたのだから素晴らしかったのだが、とはいえ、芸者の所作や、殊に踊りに関しては、金沢人として許しがたいものもあったのは事実(苦笑)。この辺りは、以前の日記にも書いた五木寛之さんの”金沢に毒されている”ということにまんまと当てはまった。芸者なのだから、”舞”はもっともっとしっかり描いて欲しかった。花街もあり、ちょっとそこいらを歩けば日本舞踊のお師匠さんがいたり、軒先から三味線の音が聞こえてくる街に育ったのだから、直接にその文化に触れていなくとも間接的な感覚として、自分の中に美的判断基準が染み付いてしまっているようだ。

 芸者の物語といえば、金沢出身の作家・井上雪さんが書いた『廓のおんな』という小説を最近読んだ。もしや、”SAYURI”のネタ本の部分もあるのではないかと思うほど、昭和初期の芸者の暮らし(金沢の茶屋街が舞台となっている)について詳しく書かれていた。古本でしか手に入らないが、芸者や花街を知りたければお勧めの一冊である。
 外から眺めた”ゲイシャ”が『SAYURI』であるならば、日本から世界に発信する『廓のおんな』というものも観てみたい。日本文化、とことん奥が深いのです。
2005年12月20日(火) 「よしだたくろう 『オン・ステージ ともだち』」
 タワレコのWポイントキャンペーンと時期をあわせて、僕の欲しかったCDやらDVDがリリースされた。
 まずは、よしだたくろう(吉田拓郎)さんのエレックレコード時代のライブ版『オン・ステージ ともだち』の復刻版。待ちに待ってたって感じで、早速ヘビーローテーションで聴いている。拓郎さんの作品解説の本があって、それを読んで以来、このアルバムはどうしても聴きたかったのだが、既に遠い昔に廃盤になっていた。そこへきての復刻!何とも嬉しい。
 あの時代のライブ、素晴らしい!ステージトークは絶品、演奏も歌もストレートにズバッと伝わってくる。早速iPodでも聴いていたのだが、MCの面白さに電車の中で笑いを堪えるのに必死だった(笑)。
 このアルバムに収められている「されど私の人生」(作詩・作曲は斉藤哲夫さん)、「イメージの詩」には痺れる。いい!

 今日はブルース・スプリングステーンのCDとDVDがセットになった『BORN TO RUN 30th Anniversary Edition』も買ってきたのだが、こちらはまだ手付かず。週末にでもゆっくりと観たい。
 ともかく、今日はエレック時代のたくろうさんに酔いしれています。
2005年12月14日(水) 「ライブ前日」
 明日は2005年を締めくくる亜世's Day ワンマンライブ。ライブ前日、おおよそ準備が整い、翌日のイメージトレーニングをするような瞬間が好きだ。先月、お蔭様で40回の記念ライブを終え、明日は41回目。50回記念に向かってひた走る。
 故郷・金沢は雪が結構降っているらしい。一方、東京は空気が澄んで星空も鮮やかだ。吉祥寺に戻ってきて1年、今年も歌い続けられたことが嬉しくなってきた。そしてまだまだ・・・。
 明日は冬の歌も沢山歌おう。東京のオリオン座の下、故郷の雪景色をイメージして。
 是非皆さん、遊びにいらして下さい。
2005年12月10日(土) 「ALWAYS 三丁目の夕日」
 昭和33年を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』をようやく観に行ってきた。すべてに夢を描けたような時代、登場人物の心が何とも素敵だ。映画館の席を立つ時、これほど満足感に包まれた邦画は久々だった。ほのぼの映画でありながら、涙あり、エンターテイメントあり、笑いあり。作品として素晴らしかったし、役者さんの存在感も抜群。この日は『SAYURI』の公開日で、こちらも興味津々なのだが、日本映画も負けてないぞという感じもした。
 家にはじめてテレビがやってきて、力道山の試合を楽しみに近所の人が集まってきて、声援を送るシーンに何故か泣けた。それから、冷蔵庫がやってきて、代わる代わる冷蔵庫の中に頭を突っ込んで冷たさを実感するシーンにもやられた。何故だろう・・・。そんなささやかな喜びから遠ざかった時代に生きているからだろうか・・・。
 リアルタイムでこの時代を生きた人たちの懐かしさだけではなく、物語の中でしか知り得ない僕らも感じる懐かしさ。それはきっと今この時代が、豊かさの中で、しかしながらどこかに豊かさゆえの喪失感を背負っているからだろうとも思う。

 「アメ玉ひとつの喜びを 俺たちゃ忘れてしまったんだろうか」(『アメ玉』)と1999年から歌い続け、「故郷を捨てて都会に出る 蒸気機関車煙に夢を乗せて」(『昭和時代』)と2002年から歌い続けている僕にとって、昨今の”昭和ブーム”には多少の嫉妬心を禁じえない(笑)。
 ともあれ、ここに来て自分の歌とリンクする映画に出会えたというのは、とても嬉しいことでもあった。
2005年12月5日(月) 「軽井沢」
↑室生犀星別荘跡にて。
 オフシーズンを狙って、冬の軽井沢へと足を運んだ。軽井沢は避暑地として有名だが、本来寒い場所は寒い季節にこそ本質があるという気もする。幸いというか、偶然だったのだが、その日は今年はじめてのまとまった雪の日だった。気温は氷点下。寒いことは寒いのだが、さらさらの雪に心が躍る。ちょうどクリスマスツリーに彩られた街が、”雪”という魔法をかけられたような静けさの中にあった。
 軽井沢の白樺の森は、どこかロシアを想い出させる。「懐かしい」という気持ちが沸き起こる。「この街が好きだ。」、そう想った。ジョンとヨーコが過ごした街、そして同郷の偉大な詩人・室生犀星もこの街に別荘を持ち、戦時中はこの町で疎開生活を送ったという。東京から数時間とは思えない、自然に囲まれた別世界。雪の軽井沢、素敵だ。
 フレスガッセという、山小屋風のとても居心地の良い定食屋さんも教えてもらった。「雪、まだ積もりそうですね。」、はじめて行ったお店だけれど、その台詞が何だかとっても嬉しくて、窓際の席に腰を下ろして、遠くに光るクリスマスツリーの明かりを眺める幸せ。そして、ソーセージの盛り合わせ定食が美味い!
 僕の中でのひとつの憧れ、軽井沢。ゆっくりと芽生え始めた。
2005年12月3日(土) 「吉祥寺復帰一周年」
 吉祥寺住民に復帰して明日でちょうど一年になる。色んな人に支えられながら、吉祥寺に戻ってきて、そしてまた1年歌い続けることが出来た。本当にありがたいことだと思っている。僕にとっての「東京」はやっぱり吉祥寺だ。渡さんはいなくなっても、そのスピリットは確実に生きていると最近思う。年明け早々には吉祥寺発信のライブイベント「Acoustic Night」も予定されている。2年目の復活吉祥寺、精一杯やらねばと思う。
 今夜は復帰一周年前夜祭ということで、吉祥寺らしい店に行きたいと思い、李朝園で焼肉を食べてきた。
 そして、みぞれ降る故郷・金沢とは対称的に、”東京の冬の空、オリオン座が輝いてる”。(松田亜世『吉祥寺』より)
2005年12月1日(木) 「新しいマシン」
 気が付いたら12月。それにしても太平洋側の冬は天気がいいこと。今頃金沢は雷が鳴り響き(冬の雷を”鰤おこし”という)、霰、霙、そして雪かなぁと思うと、「思えば遠くへ来たもんだ」とどこかで聴いたメロディーが流れてきたりする。
 今日の夜はジムへ行ってきた。先週、いつも通ってるジムがリニューアルして、筋トレマシーンも新しくなっていた。やはり新しいマシーンは効果がありそう。マシーンの種類も増えたので、今まで鍛えてこなかった身体の部位もトレーニングできる。鍛えてない部分を鍛えようとするとピクピクしてしまう・・・。それが心地よかったりするのは筋トレのマゾ的な快感だろうか(笑)。ともあれ、新しいものには興味津々になってしまうのが人間の性というもの、いつもより大幅に時間をかけてトレーニングをしていた。うん、結構楽しい。
2005年11月28日(月) 「都鳥」
 吉祥寺に戻ってきて、やがて1年が経とうとしている。早かったといえばあっという間だったような気もするし、長かったといえばずっと住んでいるようなそんな気もするし、不思議な感じのする吉祥寺。
 先週の金曜日には、度々僕のワンマンにも足を運んで下さっている、芸人のぶっちゃあさんの誕生日ライブを観に行ってきた。ぶっちゃあさんのお弟子さんでダンディー坂野さんとか、髭男爵とか、久々のお笑いライブ、かなり笑えた。そしてスペシャルゲストは、秋田のマジシャン・ブラボー中谷さん。秋田弁で繰り広げられるマジックが目茶苦茶面白いというお噂は聞いていたのだが、まさにエンターテイメント!素晴らしく面白かった。ブッチャーブラザーズのお二人の芸能生活25年の話術、これまたお腹が痛かったです。思いっきり笑うというのも大事なことだなぁと。
 続く土曜日には、11月頭に僕が応援團長をやらせていただいた高校の同窓会の幹事の先輩たちの打ち上げに呼んでいただいて、3曲ほど歌わせて頂いた。ご祝儀まで頂き、なんとも嬉しかった。故郷、そして母校を媒介にして縦に繋がる一つの線、とてもありがたいことだなぁと改めて実感。
 さらに昨日と今日はミスチルのコンサートを観る為に上京してきた従兄弟と会った。時間もあったので羽田第2ターミナル見学ついでに空港まで見送りに行き、気持ちだけ帰郷(笑)。冬の東京の青空、中央アルプスを越えたら鉛色の空と白銀の世界、という情景を想像して、飛びゆく飛行機を眺めていた。

 そんなこんなのこの週末。そして、半年ほど温めていた歌が今日完成した。『都鳥』、「伊勢物語」の「東下り」の段からインスピレーションを得て、そして自らの体験と紡ぎあわせながら書いた。なかなか歌うのが楽しみである。
2005年11月18日(金) 「心に染みる唄」
 1月に頼まれてビートたけしさんの『浅草キッド』という唄をカヴァーすることになった。早速いわゆる耳コピ(音を聴きながらコードを探る)をしながら、何度も唄を繰り返し聴いた。久しぶりにズシーンとくるいい唄!
 「夢は捨てたと言わないで 他に道なき二人なのに」というフレーズはいい。ちょうどライブハウス活動10年の僕には心に染みる。練習した後、今日はジムに行ったのだが、帰り道の吉祥寺の街、この『浅草キッド』の唄が心でずっと鳴っていた。今僕は"吉祥寺キッド"だろうか・・・。
2005年11月11日(金) 「久々のプール」
 最近、ジムといえば筋トレというパターンが長く続いていた。好きな水泳ももちろん身体にはいいのだが、あえてちょっとしんどい筋トレをやった方が”鍛えている”という充実感を得られるのと、タイガースの金本選手に影響されたことも大きいかもしれない。それに加えて、夏場は自然とプールが混む。人が少ない時にゆっくりと泳ぎたいという気持ちもあってプールからは足が遠のいていた。
 昨日は筋トレ、今日は久々にプールにしようと出かけた。禁煙してから久々のプールだったのだが、肺が楽になったのを感じる。いつもの距離もかなり楽に泳げたのだ。「これはいい!」と、程よい疲労感が心地よかった。肺活量は歌にも直結する。来週のライブもいいステージを創らなければ。
2005年11月9日(水) 「頑張るまっし 金沢ことば」
 「新頑張りまっし金沢ことば」という本が出たという情報を得た。ネットで探したが見つからず(今日現在では買えるようになっていた)、仕方なく旧版の「頑張りまっし金沢ことば」をアマゾンにて中古注文して手に入れた。タイトルは「頑張りまっし」。『がんばるまっし』という歌を書いた僕にとって”る”と”り”の違いは大きい。方言は基本的に無文字言語、だから曲を書いた時も音の印象だけが頼りだった。曲を書いた後で金沢の人から「”頑張りまっし”じゃないが?」とか「”頑張んまっし”じゃねぇけ?」とかいった声もチラホラ聞いてはいたのだが、自分を信じて(笑)『がんばるまっし』を貫いた。そこへきて本のタイトルが「頑張りまっし」・・・。一瞬「あ〜っ」という悲鳴が心に響いたのだが、この本の中でちゃんと「がんばるまっし」についても触れられていた。結論から言うと、「がんばるまっし」の方が古い金沢言葉であって、歌のタイトルには間違いはなかったのです!そもそも言葉、殊に方言は移り変わりが激しいので、正しい間違いだというのはナンセンスな話なのかもしれませんが・・・。本によると「がんばるまっし」が標準語の「がんばりなさい」を吸収して「がんばりまっし」になったらしい。言葉って面白い。
 この本、かなり興味深くて、知らない金沢弁もあったりするのですが、改めて金沢弁の温かさややわらかさ、時に激しさを感じた。電車で読みながら笑いこらえるのに必死なコラムもあったけど(笑)。また金沢弁の歌にも挑戦したいと思う今日この頃。香箱蟹(ズワイガニの雌)漁解禁になったこの季節、僕の故郷との格闘は今しばらく続きそうだ。愛ゆえに、しっかりと描きたいのだ。

 話は替わるが、高校時代応援団の親友が数年の努力の末、司法試験に合格したという知らせが入った。夢を語った犀川の空、そして大学時代の吉祥寺。また一つ”ふるさと”そして”青春”に背中を押されているような気がした。おめでとう!
2005年11月5日(土) 「新金沢小景」
 本屋で偶然見つけた五木寛之の『新金沢小景』を読んだ。これはきっと金沢を観光される方にもお薦めできるガイドブックの機能も有していると思う。僕ら金沢人にとってみれば、金沢の奥深さを再発見させられる。加賀藩以来、保守的と思われがちな金沢人だが、それ以前の100年、「百姓ノ持チタル国」として民衆が世の中を動かした熱い時代があったことも、五木さんは大切に描いている。重層的な魅力が、この町には潜在的にあるのだ。

 『小立野刑務所裏』という小説にて五木さんは金沢についてこう記している。「金沢はいつの間にか私を変えた。もし十年あの町で暮したら、と私は思った。自分は二度と金沢から離れることができなくなるのではあるまいか。」と・・・。
 『新金沢小景』の帯には、犀川の僕の実家辺りの冬景色。金沢のほぼど真ん中で18年間青春を生きた僕にとってみれば、全身金沢に毒されているといってもいいのかもしれない。その原風景から金沢を引いたら何も残らない、そんな怖さも感じる。金沢とどう向き合って歌っていくか?
 やはり僕は一生金沢に寄り添いあって生きていくしかあるまい、そんな諦めと覚悟が同居するのだ。
2005年11月2日(水) 「応援團長復活の一日」
↑ 三三七拍子。写真右、松田亜世
 毎年参加している関東一泉同窓会(高校の同窓会)に行ってきた。今年はエールをやって欲しいとの先輩からのご依頼を受け、7年ぶりにガクランに身を包み、応援團長に復活した。一つ下の後輩と代々木公園で練習をして、本番に臨んだ。とはいえ、上は昭和10年卒業の大先輩から下は今年卒業したばかりの後輩まで総勢300名を超える同窓会、歌では集中ということはあっても緊張はしなくなったのだが、応援團は緊張した(笑)。
 緊張はしながらも7年ぶりの青春が今まさに甦り、ブルブルっと震える熱さも込み上げてきた。大先輩に「踊りは昔と変わっとらんね、よ〜やった。」と言って頂けたのは何よりも嬉しかった。伝統は継承されているのだ。縦の流れ、そして横の繋がり、そんなことをこの大都会・東京で、故郷そして母校を通じて感じることが出来たこと、やはり嬉しい。
 今回の同窓会は、オーケストラアンサンブル金沢からの弦楽四重奏の演奏があったり、鏡割りの枡が同窓会のシンボル入りの山中塗りだったり(日本酒好きの僕としてはかなり嬉しい。)、故郷の薫り高き文化の風も感じることが出来た。
 二次会は朝まで、渋谷の街で盛り上がった。久々に井の頭線から朝日を眺める。
 「青春」、永遠なり。
2005年10月29日(土) 「異国の丘」
 劇団四季の昭和三部作、ミュージカル『異国の丘』を観てきた。昨年『南十字星』、そして8月の『李香蘭』に続いてのこの『異国の丘』。そしてここに僕の中での昭和三部作が完結したことになる。
 『異国の丘』はシベリア抑留がひとつの大きなストーリーの題材になっている。シベリア抑留、このことにはじめて触れたのは、小学校6年生の時姉妹都市交流で訪れたシベリアはイルクーツク。日程の中に日本人墓地墓参も含まれていた。歴史的背景はまだ良く理解できていなかったのだが、異国の丘に無念のうちに葬られた日本人がいたということに、哀しみというか自分自身はじめての異国の地、その望郷の念や不安な気持ちが重なったような記憶がある。と同時に、当時はソ連最後の年とはいえまだ共産圏の国、しかしピュアな少年同士は簡単に国境を越え、国家体制も越え、冷戦も越え、歴史も越え、友情が芽生えるということを実体験として身に染み付けることもできた。ある意味僕の思考の原体験がシベリアにある。
 浅利慶太さんがこの昭和三部作で、語り伝えようとしたこと、僕は僕らの世代の責任としてしっかりと受け止めようとしている。そしてそれは様々な切っ掛けを与えてくれたし、そこからまたこの60年の戦後の歴史の上に生きる僕らを考えることになるだろう。結局は人間の痛みを感じられるかどうかなのではないだろうか。民衆の痛みのわからぬ指導者に翻弄された時、悲劇の歴史は繰り返される。右にでも左にでも簡単に流されるこの国を本当に恐ろしく想う。
 『異国の丘』の中で、「このロシアには国すらなく、イギリスも小国が乱立していた時代に、日本には『万葉集』があった。天皇、貴族から漁師、農民一般の庶民に至るまで平等に並べられた文化がある。」といったような台詞が印象に残った。この国の誇りは明治以降のみにあらず、深い歴史観こそ大切である。歴史ほど見る人の視点により見え方の違うものはないのかもしれないが、「和」を尊ぶ歴史がこの国に長くあったことも忘れてはならない。そして、『異国の丘』のもう一つの大きなテーマである、日中戦争回避に尽力した人がいたということも忘れてはいけない。歴史の表舞台の裏に隠れた影の歴史こそ、真実が隠されていることもある。
 戦後60年もあと2ヶ月余り、僕らはもっと真実を見ようと努力しようじゃないか。
2005年10月26日(水) 「ありがとう、タイガース」
 
↑ 幻の第7戦チケット。
ありがとう、タイガース。
 18年待って、そしてたった3年で2度も夢を見させてくれた。「負け続けてそして勝ち取るVictory」(松田亜世『Victory』)。
 1、2戦目の連敗は仕方なく、甲子園初戦で立て直せなかったのが悔しい。今日の接戦があと一日早く出来ていたら・・・、とか沢山の「if」はあるけれど、20年ぶりの日本一の胴上げが見たかったけれど、悔しいけれど今夜は涙・・・。
 やっと取れた第7戦のチケットも幻と化し、明日コンビニで払い戻し。
 それでもタイガース選手はカッコよかった。大量失点で苦渋の表情の続いた矢野さん、最終回のバント失敗、でも責められません。お疲れ様!ラストバッターの藤本。苦難の選手、今夜のヒーローになって欲しかったけど、最後に空を切ったバットのその悔しさ、来年きっときっと晴らして欲しい。タイガース占いで僕はナンバー9・藤本。縦縞着ている限り応援するからね。
 来年は背番号31・濱ちゃんの復活!!!甲子園に不死鳥が舞い降りる。セリーグ悲願の連覇、そして日本一。
 悔しさが僕らを強くする。
 ありがとう、我らのタイガース。ありがとう・・・。

 今夜は今日発売されたジャクソン・ブラウンのソロアコースティックライブアルバム、ニール・ヤングの新譜が心に響いて仕方がない。
2005年10月24日(月) 「島清、世に敗れたり」
 今年の2月の日記にも採り上げた石川県美川町出身の大正時代の作家・島田清次郎。31年の短いその生涯を描いた劇『島清、世に敗れたり』を新宿紀伊國屋サザンシアターへ観に行ってきた。
 二十歳の若さで『地上』が50万部を超すベストセラーに。その後、女性問題などを切っ掛けに精神に異常をきたし入院。肺結核で31歳の若さで亡くなった。天才か?狂人か?直木賞作家・杉森久英の『天才と狂人の間』などで島清(しませい)は描かれた。その島清をこの劇ではどのような人間として描いているのか、とても興味があった。
 まず驚いたのは、劇中、金沢弁が多用されていること。特に金沢西の廊(島清が少年時代を過ごした場所)での娼婦と島清の母のやりとりがなんともよかった。「これ食んまっし。(これ食べなさいよ)」「あっらぁ、気の毒なぁ。あんやと。(悪いね、ありがとう)」とか・・・。
 テレビや映画で金沢弁が使われる場合、ネイティブの僕らが聞くと非常にくすぐったい不自然なイントネーションなどが目立つのだが、この作品に関してはそれがない。多少関西弁により過ぎているところもありはしたが、自然と入っていけたのは嬉しかった。(帰って調べてわかったのだが、島清が心に刻んでいた娼婦・あやめを演じていたのは金沢出身の俳優座の若手女優・森尾舞さんだった。そんな発見もまた嬉しい。)
 島清が発狂するシーンでの「わしはダラや!」というところは圧巻。人間・島田清次郎が見事に描かれていたような気がする。
 誰しもどこかに抱える狂気、なにか現代にも繋がるメッセージを受け止められたような気がする。

 民衆の側から、そして貧困を抹殺しようとした作家・島田清次郎。そのあまりに短い生涯、まだまだ深いドラマがありそうだ。
2005年10月21日(金) 「いよいよ開幕!」
 さぁ、明日から日本シリーズが開幕する。阪神対ロッテ、やたらと熱いシリーズになりそう。このカード、かなり見たかったから大興奮。
 そしてそして、第7戦(千葉マリンスタジアム)の3塁側のチケットをゲット!!!どちらかが4勝してしまうと幻のチケットになってしまうが、もつれた場合、目の前での胴上げが確実に見られるのだ。ソワソワ落ち着かない一週間が始まる。
 3勝3敗のタイで迎えた第7戦、ロッテ本拠地・マリンスタジアム。日本一を自負する応援団同士の熱、決戦を闘う選手たちの緊張感・・・。9回裏、前日サヨナラHRを打たれた久保田だが、今日はロッテ打線を3人でぴしゃりと抑えガッツポーズ。矢野がマウンドに駆け寄り抱き合う二人、今岡、鳥谷、藤本、アンディー、外野からはアニキ・金本、走れレッドスター・赤星、我らが檜山が喜び一杯に走ってくる。そして背番号80・岡田監督が平田ヘッド、島野コーチらと共にマウンドに向かう。スタンドからは天高く舞う七色のジェット風船。そして僕(笑)。そんな想像をするだけで鳥肌が立つ・・・。
 さぁ、いよいよ始まる。
2005年10月19日(水) 「マザー・テレサ」
 今日は新宿に映画『マザー・テレサ』を観に行ってきた。公開当初から観たいなぁと思いながらも、最初は日比谷でのみの公開だったのでなかなか行けずにいたのだが、新宿でも公開されたということで足を運んできた。
 マザー・テレサ、中学校3年の時の担任だった恩師が、彼女の話を英語の時間など折に触れて採り上げてくれて以来、尊敬の念をもって見つめていた。そのマザー・テレサの半生を追った映画、主演はオリビア・ハッセー。念願のマザー・テレサ役ということもあるのだろうか、マザーがそこにいるような圧倒的な存在感、信念の強さ、そしてどこまでも深い慈悲の愛・・・、見事に演じ切られていた。今年観た映画の中で、最も印象に残った作品に位置づけられそうだ。
 信仰、祈り、信念。
 どこまでも強くて、深く深く優しい女性がそこにいた。
2005年10月17日(月) 「今年は熱い秋なり!」
 ライブ後のクールダウン(にしては遅すぎか?(笑))、土砂降りの雨の中、吉祥寺駅前のジムへ。そう、今日はパリーグプレーオフの最終戦の日。エアロバイクを漕ぎながら7回辺りからの試合を観戦する。なんともまぁ、劇的な試合なんだろうと思いながら、心はロッテを応援。2003年のタイガース優勝記念歌『Victory』にも歌った”年に一度の街の球場”、やってくるのは中日×阪神戦、パリーグはロッテの主催試合。だからといっていいだろうか、パリーグではロッテ贔屓!
 そのロッテが31年ぶりの宙に舞った。ジムに通っている人の中にロッテファンがいたらしく、その瞬間歓喜の声に包まれた。
 遂に今年は、タイガースとロッテが対決する!もちろん、縦縞命。両雄とも日本一を自認するファンがいる。熱き日本シリーズになりそうだ。お金ではない、情熱こそ人を動かす。素晴らしい秋になりそうだ。
2005年10月12日(水) 「代官山」
↑購入した2着。
 金木犀の香りが、とても心地よい。昨日までの雨も上がって今日は心地の良い秋晴れ。井の頭公園に程近い我がおんぼろアパートの窓をあけると金木犀の匂いが優しく包んでくれる。秋は感傷的になるというか、中学・高校時代の淡い時期を想い出させてくれる。最近、小学校時代の初恋の想い出が甦る出来事(近々歌にしたい)があったりしたので、金木犀の香りはなお更何かを語ってくれるようだ。
 さてさて、秋ものの新作ステージ衣装を仕入れに今日は代官山に行ってきた。夏は沖縄がテーマだったお気に入りブランド・空、この秋はネイティブアメリカンがテーマだそうで、ウエスタン調と和の調和が図られた洋服が並ぶ。店員さんとあれこれ話をしながら1アイテムごとに物色。今回は2着を購入。財布と相談しながら、セール待ちとなったアイテムも数点あり(笑)。(それまで残ってくれてるといいんだけど・・・・。)
 そして今日は、いつもステージで履いている細身のブーツカットの色違いも中目黒のジーンズ屋さんで購入。秋風と太陽の気持ちよさと共に今日は満足のいく買い物ができた。
 こうして週末の15日、そのライブの準備は着々と進んでいます。

 それから今日は、北海道からCDのお礼にマルセイのバターサンドを送って頂いた。小川軒のレイズンウィッチ好きの僕としては、かなりのプレゼント!大事に大事に頂いています(笑)。
2005年10月8日(土) 「葛飾、熱い!!」
 今日は毎月恒例の千葉・鎌ヶ谷での病院ライブ、そして毎年10月に出演させて頂いている葛飾区立石のピアノ教室の発表会のリハーサルに行ってきた。
 そしてリハーサルを終えて京成立石駅近くのライブハウス「よこやま」へ。歌声喫茶兼ライブハウス兼カラオケバー兼居酒屋といった感じで最近オープンしたそうだ。エレキギター(フェンダー、ギブソンなどなど。セミアコなんかもある)やアコースティックギター(ギブソン、タカミネ、ヤイリなどなど。)が壁一面にズラッと並んでいて、真ん中に小さなステージがある。そこでお客さんが思い思いに演奏したりするのだ。折角だからということで僕も1曲歌わせてもらった。と思ったら結構盛り上がって頂いて結局トータルで5、6曲は歌いましたけど(笑)。その途中、『Lily』では、そのお店でついさっき出会ったサックス奏者のお兄さんが「キーはGです。」という打ち合わせだけで(笑)入ってくれたり、かなりエキサイティング!(『Lily』にサックスは凄く合ってましたよ。)
 そいでまた、ジャージにポロシャツ入れて野球帽を被ったおじさんがまた上手いの何の。カントリーなんてボーカルもギターもかなりいい感じ!そして「カントリーロード」をセッションしたり、古き良き”昭和”を体験しちゃいました。

 なかなか、いやかなり熱い葛飾!
2005年10月2日(日) 「神宮最終戦」
↑レフトスタンド応援席にて。 ↑舞い上がるジェット風船。
 優勝の興奮冷めやらぬ神宮。9/27の日記にも書いた招待券で、応援に行ってきた。外野自由席なので、前日の試合終了後よりシートを貼りに神宮へ行く。さながら2日がかりのお祭りである。段ボールやレジャーシートに「10月2日阪神×ヤクルト○人並んでます。」とか書いたシートがズラッと神宮球場を取り巻く、もの凄い光景(笑)。
 当日は13時過ぎにシートを貼った列に到着。丁度日陰だったのは幸いだったが、この日は東京六大学野球との併用日。前の試合が終わるまで入場できない。入場できたのがやっとの16時頃。しかもまだ早稲田対明治戦の途中。結局阪神戦の試合開始は30分遅れの18時50分からとなった。まぁ、ダブルヘッダーを見れたようなお得感?!

 さて、試合は順調に得点を重ねて7対0でタイガースが見事快勝!「六甲颪」を高々と歌い上げたことは言うまでもありません。今レギュラーシーズン関東最終戦をこれだけ気持ちよく終えてくれて最高!!しかも代打に檜山や藤本、そして7点差にもかかわらずJFKの投入(実際にはFJKの変則投入)。岡田さん、もっと好きになってしまいました。ファンサービスの心意気、勉強になります。
 そしてまた、得点後の外野席半径5mの連帯感といったらなんとも嬉しくなってしまう。見ず知らずの人がひとつの目的の為に喜び合える、なんともステキじゃないでしょうか。得点が入るたびに前後の人とメガホンでハイタッチ!連帯感です。野球も音楽もひとつのエンターテイメント。”連帯感”は感動のひとつの要素かもしれません。
 いや、今年はタイガースからたくさん元気をもらっています。僕もまだまだ頑張らねば!
2005年9月29日(木) 「やりました!」
↑胴上げされる岡田監督と僕。
 2年ぶりのこの日がやってきました。神宮、目の前での胴上げは幻となりましたが、タイガースの聖地・甲子園での胴上げ、なんとも幸せな一日でした。夕方、千葉からの帰りの電車で既にソワソワ。iPodからは「六甲颪」がリピートで流れていました。携帯で試合経過をチェックしながら、部屋に着いたのが19時半過ぎ。刻々と”その時”は近づいていました。
 下柳の先発、7回からのJFKの投入。そして藤本や檜山、さらに片岡らを代打で起用する所など、岡田監督の選手とファンへの心意気を感じました。石川の地酒・高砂「おかえり祭り」限定酒を2003年優勝の記念枡で飲みながら、JFK投入時には相当出来上がっていました(笑)。こんなに早く、歓喜の年を迎えられるとは、本当に嬉しかった。今年僕のタイガースファン歴も20年になります。20年で3回目の優勝ですから、嬉しくない筈がありません。
 ゆっくりとマウンド方向に向かう岡田監督の背中を見ながら20年の自分の人生の月日も目に浮かぶ、そんな僕にとってのタイガースなのです。嬉しかった。先日の日記に書いたジェット風船も、我が家で大人しく飛ばさせてもらいました(笑)。
 祝賀会のニュースまで身体が持たず、意識不明に(苦笑)。気付いたら朝4時。「そうや、デイリー買わな。」ということで、コンビにまで早朝の吉祥寺の街を歩きました。「デイリーきてますか?」店だし前の一番乗りで入手。
 次は置き忘れたものを取り返しに!
 「ありがとう」はその時までとっておきます。まずは、美味しいお酒をありがとうとだけ・・・。
2005年9月27日(火) 「じわりじわり・・・」
↑甲子園在住のファンの方から送って頂いたジェット風船と甲子園のツタ!
のしは「祝優勝」
↑10月2日神宮招待チケット。
 じわりじわりキテます!我慢してましたが遂に書きます(笑)。2年ぶりのアレです!!前回は18年待ちました。今回はたった2年♪マジック3!今日は足踏みしましたが、明日からの甲子園で決めてもらいたいような、もうちょっとお預けしてもらいたいような贅沢で妙な気分。
 というのも某愛読新聞の懸賞で10月2日の神宮外野招待チケットが当たっていたのです!(8月時点で優勝予測は今週金曜からの神宮3連戦でした、僕の中では・・・。)折角だから甲子園の巨人戦で勝って決めて欲しい、それは強い願いではあります。しかし、確率は低いものの、もしかしたら一生に一度かもしれない目の前での胴上げにも僅かな期待を抱いている訳です。だから贅沢ながら落ち着かないのです(笑)。

 そして、優勝振る舞いということで甲子園在住の虎ファンの方が、甲子園のジェット風船を送って下さるということで早速お願いしていたものが、今日届きました。しかも甲子園のツタ付き!!いやはや、タイガースファン万歳!甲子園と東京、凄まじい連帯感です。
 (現在、優勝時に一緒にジェット風船飛ばしてくださる方募集中(笑)。)
2005年9月23日(金) 「ばあちゃんの祈り」
 『水に月、風の流れ』を7月の末に書いてから、曲づくりのスランプに陥っていた。ワンフレーズ書くことはあっても1曲として完成することはなく、そんな時は「もう二度と歌が書けなくなるんじゃないか?」との不安にかられる。それを考えると正直しんどかった。
 そして、新たな歌は突然天から降ってくる。吉祥寺駅からの帰り道、井の頭公園近くで何かが降りてきた。昨日の18時ごろの出来事。1時間半で一気に書き上げた歌が『ばあちゃんの祈り』という歌。いや、何者かに書かされたといった感覚、久しぶりで興奮した。一夜明けて、多少推敲をして完成。
 戦後60年、伝え聴くことの大切さを感じながら、それを何か歌に残しておきたいとの想いが今実った。80歳を越える一人のばあちゃんの視点から語られる歌。
 先週末、お袋方のばあちゃんのお兄さんが91歳で亡くなった。僕が小学生の頃だろうか、そのじいちゃんが、僕の死んだじいちゃんと戦時中の話をしていたことを想い出した。金沢は旧陸軍第9師団の町、「訓練で内灘(金沢の海沿いの隣町)から山まで走らされて、遅い奴は上官に殴られて。」そんな話をしていたのを想い出した。またひとつ”あの時代”から遠ざかったような気がする。
 もしかしたら、孫の世代の僕らだからこそ、照れもなく素直に”あの時代”の話を聴けるのではないだろうか。僕らの世代の責任だとつくづく思う。
2005年9月18日(日) 「中秋の名月」
 昨日の横浜での学園祭もとても大きな刺激になり、来月15日に向かって、僕にとってはまた新たな一ヶ月が始まったといった感がある。
 そして今日は中秋の名月。雲ひとつない夜空にくっきりと十五夜の満月が浮かび上がる。何とも美しい空間だろうか。太陽に照らされてこそ光り輝ける月・・・。その”お陰さま”の月はどこまでも優しく僕らを照らしてくれる。
 渋谷で映画を観た帰り際、井の頭公園に足を運んだ。もう既に23時を回っていたので、月は高く、僕のお気に入りの”池に映る月”には少々遅かったが、公園の木々の狭間から垣間見える月もまた幻想的。カップル達の緩やかな時間を横目に家に帰った。
 長かった夏から秋へ。実り多き秋にしたいものだ。
2005年9月16日(金) 「永遠なる10代」
 お蔭様で9月のワンマンライブも無事に終了した。サポートバンドとの息も合ってきて、音楽をやっているステージ上が楽しめたというのが大きかったような気がする。そしていつものように素敵なお客さんに囲まれてのステージは最高だった。
 一夜明けた今日は、明日の横浜での学園祭のリハーサルと打ち合わせの為、学生時代に慣れ親しんだ井の頭線→東横線ルートで横浜へ。学生時代に通いなれたということも影響しているのかもしれないが、この私鉄ルートがとっても僕は好きだ。とはいえ、東横線沿線に住むお洒落な松田亜世はあまりイメージできないのだが・・・(笑)。
 さて、生徒さんとの初対面。まず高校の校舎の前で「こんにちは」と初対面の生徒さんから声を掛けてもらった。そうそう、ポスターなんかも結構貼っていただいていて、僕の顔は覚えてもらっているのかな?ともあれ、心地よい挨拶が心に響いてきた。とても嬉しかった。自分が高校時代は、ちょっとカッコつけてて、あれだけ気持ちよく挨拶が出来ただろうか?とか考えたらちょっと恥ずかしくなる。
 そして生徒さんの合唱と合わせる曲を練習したりした。ここでも一人一人が自己紹介してくれたり、「歌聴きたい」とも言ってくれたので、一足早く2曲歌わせてもらった。少しの時間だったけど、もの凄い力をもらったような気がする。明日の本番が、目茶苦茶楽しみ。今日の2曲だって、シーンと聴いてくれて嬉しかった。高校時代、初めてライブハウスに立ってから10年。自分自身も投影して明日は精一杯歌いたい。
2005年9月11日(日) 「浜田省吾とこの国と」
 「9.11」、悲しい歴史に記憶されたこの日付。
 近くの投票所で投票を済ませ、僕は横浜アリーナに向かった。2001年以来二度目の”ハマショウ”こと浜田省吾さんに会う為に。日本の音楽業界の中で、浜田省吾さんが貫くスタンスには感服する。社会へのまっすぐな視点も忘れず、一方美しいラブソングの数々、そして何より50歳を過ぎて尚、ロック!
 オープニング、ステージ上のスクリーンに映し出された戦争で傷ついた人々の姿、子どもの笑顔、枯れ果てた木々・・・。涙が込み上げてくる。「(今回の衆院選の話などの後)俺、立候補するみたいだよな。でも俺は政治家にはなりません。政治家はその地域、或いは国の利益を代表します。政治家は国境を越えられません。僕は(国境を越えられる)ミュージシャンでよかったなぁと思います。」と語った浜田省吾の熱い想いは、しっかりと届いた。
 17時に開演し、途中休憩を挟んで20時半過ぎまで。最高のショーであり、エンターテイメントである。前回のツアーに引き続いてセンターステージでも歌ってくれた。そのセンターステージ「俺の初恋はロックンロール、そして今も夢中で追いかけてる」と歌うハマショウが目茶苦茶カッコよかった。
 本当に温かな感動を胸に、東横線と井の頭線に揺られて吉祥寺に帰ってきた。
2005年9月10日(土) 「武蔵野に住んでてよかったぁ。」
 虎ファンとしては目茶苦茶ヤキモキさせられてた星野SDの去就問題。男・仙さん、やはり健在!残留の速報にちょっと目が潤んだのは正直なことろ。本当に嬉しい。さらに今夜のマジック点灯!

 さて、今日はいつもライブに足を運んで下さっているお客さんにある方を紹介して頂いて、祭りの吉祥寺(今日明日と武蔵野八幡さんの秋祭り)で夕食をご一緒させて頂いた。
 僕が憧れて憧れた熱き武蔵野の70年代。六本木の劇場で蒼々たるフォークの大先輩方と一緒になってコンサートをやられていたということ。
 商業ベースとは一線を隠した(高田)渡さんや、友部正人さんといった方々。「渡なんかは。」って関係。やっぱり地元武蔵野ならではの話。「友部はカッコよかった。中途半端な奴は彼の後では絶対に歌えなかったね。存在感に飲み込まれちゃって。」とかいった話に鳥肌も立つ。「一緒にレコード作った時にミキサーしてくれたのがはっぴいえんどの鈴木茂。」とか、「坂本はやっぱり音感が凄かった。」ってのは教授こと世界の坂本龍一さん。友部正人さんのアルバムにピアノで参加されていた時代背景が見えてくる。さらに、中川イサトさん、村上律さん、中川五郎さん、シバさんや、山本コータローさん、佐久間順平さん、ブルースハープの松田幸一さん等など。やっぱり凄い時代だったんだなぁと。春一番とか、みんなが一同に介するコンサートがあって・・・。
 そんな時代を今、創れたら。人間と人間、歌い手と歌い手がケンカしながら生きていく街。いいなぁ。
 やっぱり僕は、そんな武蔵野の空気が好きだなぁと思う秋の夜長なのです。
2005年9月9日(金) 「選択の時」
↑2005.9.6 千葉駅クリスタルドームにて参議院議員蓮舫さんの応援演説の前の応援ライブ(千葉1区)。
 突然の衆院解散、そして選挙へ。
 選挙の度に「本当に僕らの声を政治に反映させてくれる議員はどこか?」と探す。しかし、残念ながらなかなか見つからないことも多い。ましてや二大政党制の時代、そしてまた現政権の有利が伝えられる今回の選挙、声なき小さな僕たちの本当の声はいかに国に届けられるのだろうか?そんなことを考えるたびに議会制民主主義の限界、今の政治制度の限界を感じてイライラが募る。まずは選挙に行こう。このままでいい筈はない。
 どんなに腐っていても、法治国家(法律によってものごとが決められる国家)における国会の存在はとてつもなく大きい。ここを変えなければ、ここを良いものにしなければ、僕らの国が明日に希望を持つことは出来ない。選挙の後は多数決の論理で、どんどん進んでいく。それは、良い方向にも悪い方向にも。
 「どんな国になって欲しいのか」、それを考えて一票を投じたい。政治家の表向きの言葉に惑わされることなく僕らの為の僕らの政治でありますように。
2005年9月7日(水) 「とこしへ」
 さだまさしさんの新譜『とこしへ』を聴いている。シンプルながらそぎ落とされた日本語の美しさがたまらない。言葉とは響きであるかなと、さださんや中島みゆきさんの歌を聴いているとつくづく感じる。
 ひとつひとつの歌に込められた想いが、美しき日本語に織り込められながら僕らの心に響いてくる。そして、この美しき日本語を操り歌えることが嬉しくなってくる。さぁ、僕もまだまだ美しく響く日本語と格闘して生きていきたい。
 9月のワンマンライブまであと1週間。またひとつづつ何かを創り歩いて生きたい。
2005年9月1日(木) 「秋の夜の井の頭公園」
 日に日に夜の鈴虫の声が大きくなってきた。今日はジムで軽く汗を流した後、夜風が心地よかったので、夜の井の頭公園を散歩して帰ってきた。あいにく月は出ていなかったのだが、ベンチでイチャつくカップル、虫の音にそよ吹く夜風・・・。なかなかのものだった。
 ここ1ヶ月、曲のアイデアはいくつも浮かんでいるのだが、1曲も完成はしていない。余計なことに気を取られたり、多少イライラも。そんな時は、独りで歩くのが一番。門も閉まった夜の静かな井の頭弁天さんにも手を合わせてちょっと心を落ち着ける。祈りとは見えざる自己との対話のような気がする。とすれば歌を書くという行為とも重なる。祈りの心で歌が書けたならいい。
 さて、毎月半ばのライブの季節がやってくる。いいステージを創りたい。
2005年8月31日(水) 「ミュージカル李香蘭」
 戦後60年。
 一昨日の夜はドラマ『広島・昭和20年8月6日』を観た。あのヒロシマの空の下、どれだけのささやかな幸せが、一瞬の閃光と熱線と爆風によって奪われたのか、強烈に胸に迫る想いがあった。

 さて、今日は劇団四季のオリジナルミュージカル『ミュージカル李香蘭』を観に行ってきた。戦後60年の今年、劇団四季の昭和の歴史三部作(『ミュージカル李香蘭』、『異国の丘』、『南十字星』)が連続上演される。僕は『南十字星』を昨年の初演で観て心に大きな震えを覚えたのだが、その前の二つの作品はまだ観たことがなかった。やっと今年、僕の中でこの昭和の三部作が完結する(『異国の丘』は10月に観劇予定)。
 昭和初期、やがて「昭和20年」へと向かう日本と中国、さらにはアメリカの歴史の真実がこの『ミュージカル李香蘭』の中でテンポよく、右でもなく、左でもなく、心に深く、そして鮮やかに描き出される。ミュージカルを観ていると、歌の力、音楽の力を改めて実感する。真実をミュージカルという表現手段で伝えたこと、それが中国をはじめ、アジアの国々でこのミュージカルが上演された時も、この作品が大きな拍手をもって迎えられたことの所以かもしれない。今、ねじれにねじれた二つの国の関係ではあるが、まずは心で響き合うこと、真実を感じあうことから再びはじめてみてはいかがだろうか?
 殊に心をえぐられる最後のシーン。「憎しみを憎しみで返すなら争いはいつまでも続く。徳をもって怨みに報いよう」と・・・。そして「徳をもって怨みに報いよう」という大合唱。
 そして、戦争のあまりにも悲惨なニュース映像と「海ゆかば」の紡ぎ合いが見事だった。

 ミュージカルで心に響いた余韻に浸りながら、折角だからと芝の増上寺まで歩いた。丁度夕方の法要の時間で、東京に響く増上寺の鐘の音と僧侶の読経の中、阿弥陀さんの優しいお顔に手を合わせた。
 「徳をもって怨みに報いよう」。
 ”許すこと”が出来たなら、時代も変わる。
 ”許せないこと”、それは人を殺し合う戦争を繰り返すことだろう。
2005年8月29日(月) 「馴染みの店」
 8月ももう残すところあと2日。日中はまだまだ残暑が厳しいといったところだが、井の頭公園近くの我がおんぼろアパートでは、夜になると鈴虫の声が心地よく聴こえてくる。季節を感じる音や匂いや色や・・・。四季が確実に流れてゆく日本に生まれてよかったなぁと心から思う。
 さて、吉祥寺に戻ってきて、馴染みの店を開拓中。昨日はいつものピザ屋さんで「いつもありがとうございます。」って言われる。単純なB型は、この言葉に滅法弱い(笑)。いやいや、美味しいから通うのであって、気付いたら3週連続日曜の昼はここのピザだった。でも美味い!本当に美味い!!
 一方、通いなれた店の味が変わってしまって、悲しい想いも経験する。あの味が”美味しい”と思って通っていたのだから、あからさまに「味変えました。」といわれると悲しいものがあった。
2005年8月26日(金) 「中央線とお巡りさん」
 先日、吉祥寺パルコ地下のお気に入りの本屋さんで『東京人』2004年2月号を買った。「中央線人による文化人類学」という特集に惹かれたのだ。中でも、『中央線なヒト』や『中央線の呪い』の著者・三善里沙子さんと、我らが吉祥寺・佐野史郎さんの対談が目茶苦茶良かった。佐野さん曰く「中央線は都合のいい田舎」という。なるほど、僕はもしかしたらそんな中央線に惹かれているのかもしれない。とはいえ、僕の場合は中央線といっても吉祥寺・三鷹エリアを出たことはないから吉祥寺を愛しているといった方が正しいのだが・・・。それでもやはり中央線的アンチテーゼに惹かれていることは確か。
 或いは対談の中で語られた水の話も佐野さんに同感。中央線はどこかウェットであって、東京の闇の部分を全部背負っているという。僕の生まれ育った金沢も犀川のほとりだったし、吉祥寺が好きな理由としての井の頭池の存在も大きい。近くに水がないと落ち着かない。実際、街の中心部を川が流れているにも関わらずそれを蔑ろにした様な街・千葉はイマイチしっくりこなかった(笑)。
 中央線的ヌルさ(しばし「メジャーになりたいなら中央線を出ろ」と言われる)に少々怖さを感じつつも、中央線を汚いもののように見るある種の人々への強烈な反骨精神もあり、僕は中央線を、そして吉祥寺をたまらなく愛しているのです。

 さてさて、話は変わって自転車に乗っての帰宅途中、まさしく中央線ガード下で、この前のガラスを割られた事件の時にお世話になった交番のお巡りさんに出会う。「おぉ!その後、大丈夫?」って声を掛けてくれる。被害に遭うのはいい事ではないけれど、お巡りさんと顔見知りになるのはちょっとした安心感になる。
2005年8月23日(火) 「舞台音楽」
 2002年に「アメ玉」、「青の時代」の楽曲提供をしてから親交のある俳優の嘉島典俊さんから舞台の音楽を頼まれて、今日はそのレコーディングに行ってきた。10月22日、23日にかけて銀座小劇場で行われるロマンチックコメディ『百通のラブレター』の中で使われる音楽の一部を僕が担当させて頂くことになったのです。アコースティックギターとハーモニカでのレコーディング、舞台音楽というのも初めての経験で、果たして劇中にどのように使って頂けるのかも含め、とても楽しみなのです。
 このお話を頂いた時に、当然舞台の脚本を頂戴したのですが、台本を見るのは高校の学園祭以来で、とってもワクワクしてしまった(笑)。ちょっとお芝居にも興味ありです・・・。
2005年8月16日(火) 「ライブ翌日の月」
 お蔭様で8月の吉祥寺ワンマンライブも昨日無事に終えることが出来ました。詳細は「ライブレポート」のコーナーに譲るとして、今日は夕方から友人の画家・HIROさんの個展を観る為に麻布まで行ってきた。7月の終わりに開催された原宿でのライブペインティングにも足を運ばせてもらったのだが、今回の会場は韓国大使館前のRBRというアートセンター。右脳を使った芸術を追求し、国籍を超えた空間は、僕にとってはとっても新鮮で刺激的な場所だった。
 絵でも写真でも映画でも、アートなものから得るインスピレーションは凄まじいものがある。今日もとっても気に入った作品に出会えて、色々なことを考えさせられた。「Blue」と名づけられたその作品は、まさしく青一色の世界。「青ってどれだけ観てても飽きない。時として冷たくて、それで深くて。」という話をHIROさん本人としながらまた一つ世界が拡がった気がした。

 吉祥寺から井の頭動物園を通って我が家へ。今夜はとっても月が綺麗だ。井の頭公園の森の上に月。何とも幻想的。空の色も青なんだよね。僕の好きな海も青。月と夜空を見上げながら「青は母性の色かもしれない。」と思った。優しく深く、時に冷たく、それでも穏やかに大きく包み込んでくれるような・・・。なんだか新たな曲が生まれそうだ。
2005年8月14日(日) 「リハーサル」
 今日は朝9時から下北沢のスタジオで明日のリハーサルをした。日中はうだる様な暑さだが、夏の朝は小学校時代のラジオ体操を思い出す様でなんだか懐かしさすらある。
 集まってくれたメンバーはピアノ&コーラスの吉田佳奈子、ギターの西村健(本番ではさらにパーカッションにデミエンが加わる。)。今までライブでやった曲のおさらい、そして明日新たに取り上げる2曲を仕上げていった。これがなかなかいい感じに仕上がってきた。当然、朝からテンションが上がる。やっぱり音楽を創り出していく瞬間のゾクゾクする感じは止められない。さぁ、明日。良いステージを創りたい。
 皆さんのご来場、心よりお待ちしております。
2005年8月12日(金) 「お薦めサイト」
 今年は戦後60年。戦争体験者の方の年齢を考えると、今、伝え聞いていくことの大切さをひしひしと感じる。
 千葉時代から大変お世話になっている方のHPに、ぜひ皆さんに読んでいただきたい冊子が掲載されていますのでご紹介します。(http://www.saturn.dti.ne.jp/~jyt/ の「戦争について」というコーナーです)兵隊に出られる直前に書かれた自らの人生を振り返った私小説なのですが、情景描写や母への想い等、胸を打って止まない内容です。
2005年8月7日(日) 「今更ながらTONY'Sピザ」
 今日の昼、吉祥寺のTONY'Sピザに行って来た。以前から美味しいとの評判を聞いていたし、通っているジムの真横だから、いつか行こうと思いながらなかなか足を運べなかったので、念願叶ったといった感じ。中華、焼肉と並んで、イタリアンが好きなのである。
 歴史を感じる店内、はきはきと気持ちのいいアルバイトの女の子、そしてマスターのピザへの拘りが随所に感じられる空気感がとっても心地よかった。注文をしてから生地から作ってくれ、アツアツのピザが「大変お待たせしてしまってすいません。」と運ばれてくる。ウマイ!美味い!!たっぷりとチーズがかかり、なんともジューシー。チーズの旨みと生地のモチモチ感が口の中一杯に拡がる幸せ・・・。いや、もっと早くから足を運んでいればと後悔。松田亜世吉祥寺生活のお気に入りのピザ屋に決定です!(笑)
 夜は焼肉・李朝園へ。ちょっとグルメな一日。日ごろは卵ご飯にお世話になりっぱなしだからたまにはこんな日も・・・(笑)。食べ物が美味い!、これまた吉祥寺を愛して止まない一つの理由なのです。もっと開拓したいと思った今日一日でした。
2005年8月6日(土) 「如是我聞」
 60年目のヒロシマの日。いつもより早く起きてテレビをつける。平和祈念式典の中継から聴こえる蝉の声に原爆の日のことを想像してみた。5年前、一人でヒロシマを旅した時のことを想い出す。凄まじい説得力をもって迫ってきた戦争の真実。8時15分の黙祷の時、閉じた瞼にただただ涙が流れてきた。
 昨夜のニュース23の特集は「語り継ぐコト」。この国で起きた戦争の生の声がだんだんと遠ざかっていってしまう現実。僕らにとっては「伝え聴くこと」。そして、「如是我聞(私はこのように聴いた)」と語り継いでいくことの大きな責任を感じた。
2005年8月3日(水) 「やられた!」
割られた窓ガラス。
 日付替わる0時近くに帰宅して、いつものように部屋の電気をつけ、エアコンをつけて荷物をベッドに置こうとした瞬間、部屋の窓ガラスが割られていることに気付いた。ともかく現状維持と思って、110番。被害の状況を伝えると「空き巣ではないですか?」と言われ、確かに割られた場所は鍵の近く・・・。一瞬焦るもののドアに鍵はかかっていたし、荒らされた跡もない。ともかく警察の到着を待った。
 まずは三鷹駅北口交番の若いお巡りさん2人が駆けつけてくれた。とても感じの良いさわやかなお二人で、ホッとする。被害の状況などを話して捜査官の到着を待つ。捜査官の現場検証によると空き巣の手口ではないとのこと。窓の内側に拳より少し大きい程の石片が見つかる。子どもの悪戯か?、はたまた狙われたか?(とはいえ、狙われるような心当たりはないし(笑))、或いは隕石の落下?、とか色々な事が頭を巡る。昨日わかったことは、僕の外出中に何者かによる投石によって窓ガラスが割られたという事実だけである。
 昨日も熱帯夜。雨戸を閉めカーテンを閉めたがさすがに蒸し暑い空気が割れた窓ガラスから吹き込んでくる。仕方なくクーラーをつけて眠りに就く。外での人の声に一瞬飛び起きたり、結構不安な一夜だった。
 ともあれ、妙な犯罪も増えている昨今、皆さんも十分お気をつけ下さい。
2005年7月29日(金) 「アートな一日」
 日中のうだる様な暑さ、考えてみればもう数日で8月である。今年も月日の流れが速い!
 今日は原宿のデザインフェスタギャラリーへ行ってきた。偶然ながら同時期に別々の繋がりの友人が同じ会場で展示をやっていたので、その二つをハシゴ。とってもアートな一日となった。
 まずは友人のHIROさんの個展の中での企画、ライブペインティングを見に行く。インターネットを介して、アメリカで行われているライブと同時にその音のイメージからライブペインティングをするという企画。真っ白なキャンパスにイメージが散りばめられていく様はとってもエキサイティング!そして、最後のペイントを終え、「できあがりました。」と、潔い完成の瞬間はとってもカッコよかった。モノが生まれる瞬間を生で見られるというのはとっても刺激的だった。
購入したTシャツ
 続いては小学校時代からの僕の友人や、6月に僕の写真を撮ってくれた女性カメラマン達の作品がプリントされたTシャツの展示を見に行った。そして購入。新宿を撮った作品がプリントされ、さらにブリッジ加工されたTシャツが目茶目茶カッコよくて即購入。その後は友達とハイネケンの缶ビールを開けながら夕涼み。蚊取り線香の匂いがまたいい感じだった。

 今月はアートに触れる機会が多かった。18日にも牛込柳町の昭和のアパートでの同郷女性アーティストの展示に足を運んだり。僕にとって芸術の夏。
 そして日曜日(明後日)は池袋での初ライブ。色々な感性に刺激され、こちらも楽しみ!
2005年7月26日(火) 「水に月、風の流れ」
 母校の甲子園の夢は健闘空しく県大会ベスト8で潰えた。夢の続きは、またいつの日か・・・。

 さて、先週末から書き始めていた新曲が完成した。タイトルは『水に月、風の流れ』。久々にピアノに向かいながら書き上げた歌だ。8月の吉祥寺ワンマンで初披露の予定です。浮かんでは消え、浮かんでは消えしながら、なかなか曲が書き上げられなかったここしばらくの僕だったので、この新曲は嬉しいばかり。消えていった曲たちが再び浮かんでくることもあるから曲作りは不思議なものです。

 今夜は関東地方に台風上陸ですね。雨戸を閉めて備えています。週末の地震といい、天災続き・・・。ちなみに大きな揺れの地震にもかかわらず、我が吉祥寺のおんぼろアパートは少しモノが転落した程度で無事でした。僕自身も外を歩いていて、電信柱の揺れ方にビックリはしましたが、無事でした。
 みなさん、お気をつけて。
2005年7月23日(土) 「夏の青春」
 オールスターゲームも終わり、愛するタイガースは首位で折り返し。フムフム、今年は楽しませてもらってます!
 そして、この季節はもうひとつの楽しみ、夏の甲子園予選が始まっているのです。我が母校・金沢泉丘高校は順当にベスト8に進出!!明日(24日)、強豪の星稜(松井秀喜の母校)との対戦。今年の泉丘高校野球部は近年まれにみる強さとのことで大いに期待。東京の空から精一杯の声援を送りたいと思っています。炎天下、自転車を漕ぎ補習をサボって応援に駆けつけた僕たちの青春がそこにあります。
 がんばれ、がんばれ!!
2005年7月19日(火) 「ヒトラー 〜最期の12日間〜
 一度映画に行くと、予告編や映画館に置いてあるパンフレットから立て続けに映画館に足を運ぶことが多い。そして今日は渋谷のシネマライズに「ヒトラー〜最期の12日間〜」を観に行ってきた。ドイツ人自らによって触れたくないであろう過去に正面から挑んだ力強さがあった。
 市民と権力者の対比的な描写の中で、「兵隊は国民を守らない。兵隊は兵隊を守るだけだ。」と語った死んだじいちゃんの戦友の言葉を思い出していた。地獄絵図のようなベルリン市街での戦闘の一方、ヒトラー達の潜伏した地下要塞での出来事の数々・・・。その描き方と説得力は見事だった。
 人間一人一人が積み重なって国になる。人間は決して国の捨て駒になってはならない。
2005年7月17日(日) 「ミリオンダラー・ベイビー」
 7月の三連休の二日目、今日は朝一番の回で久々の映画館に足を運んだ。吉祥寺バウスシアター、作品は『ミリオンダラー・ベイビー』。とても重厚感のある素晴らしい作品だった。人間の絆、家族、命、そんなことを考えさせられた映画だった。
 そして夜は3月に結婚した小学校時代からの親友が奥さんと共に上京していたので、吉祥寺の井の頭公園近くの焼き鳥屋で飲んだ。真夏の吉祥寺の夜に金沢弁がこだまする、とってもゴキゲンな一夜だった。辛い時や負けそうな時に、誰かの声が聴こえてくる、そんな友達がいることが限りなく嬉しい。
 たらふく食べて、さらに折角吉祥寺に来たのだからとぶぶかの油そばで仕上げる(笑)。明日はジムで少し絞らなければ・・・。 
2005年7月14日(木) 「ライブ前日」
 明日は亜世's Day ワンマンライブの3周年記念の日。今日は夕方からリハーサルをしながら色々な想いを巡らせていた。学生卒業後すぐにスタートしたこのライブ、早3年である。千葉から通った1年10ヶ月や、吉祥寺への想い入れなどなど。そして何より、足を運んで下さった皆さんの顔が浮かんでくる。本当に嬉しい。
 「吉祥寺」と共にあったこのワンマンライブ。曇り空の井の頭公園を久々に散歩しながら、気持ちを明日に集中させていた。井の頭弁天さんにこの3年の感謝、そして明日の成功を祈った。
 とっても嬉しく、そしてありがたい気持ちで一杯です。明日は精一杯歌わせて下さい。
2005年7月7日(木) 「七夕 〜天漢の日〜
 昨日浜田省吾のニューアルバムが発売された。前回のツアーに足を運んでから一気にそのカッコよさに惚れてしまったのだが、今回のアルバムはロックンロールへの尊敬と愛の詰まった熱い一枚となった。「俺の初恋はロックンロール」と言い切るハマショウはカッコいい。そんな歌詞が許される唯一の日本のロック歌手かもしれない。
 そして今日は七夕。雲行きが未だ怪しいが、年に一度のとってもロマンティックな一夜。曇って空が見られなければ、心の目で天の川に想いを馳せてみたい。来年の七夕には僕の『天漢』が皆さんのBGMになってもらえたら嬉しいなぁ、なんて(笑)。「負けないで負けないで」と夜空は僕らを包み込んでくれる。
 すべての人の心に輝く星がありますように。
2005年7月3日(日) 「投票」
 今日は東京都議会議員選挙の投票日だった。吉祥寺住民に復活してからのはじめての選挙、朝から井の頭小学校に投票に行ってきた。世の中に文句を言いたいこともあるので(笑)、その為の最低限の権利行使と思って毎回投票に足を運んでいる。「知らない所でいつの間に?」ってのが一番怖いから。
 更に今回は、ここ数年の関係もあって歌で候補者の応援に駆けつけた。告示日の吉祥寺駅北口と27日月曜日の武蔵境駅、そして最終日は再び吉祥寺駅北口。さらに日付が替わる直前までの最後の街頭は三鷹駅で三鷹市の候補者の応援。市民が和になってという選挙は清々しい。
 そして開票。
 インターネットで開票速報を見ながら、武蔵野・三鷹共に応援した候補者の当選を確認!いやぁ、なんだかとっても嬉しかった。
 もっともっとステキな「東京」でありますように。
2005年6月27日(月) 「あいくるしい」
 今日は午後から7月31日にライブをする池袋のFI5VE(ファイブ)というお店で音響チェックをしてきた。何しろ、お店での最初のライブに呼んで頂いたので、試行錯誤の段階からチラリと参加させていただいている。かなり身近な距離、僕の息づかいも聴こえるような空間で歌えるので、いつもとはまた違ったライブになる予感。今から楽しみ!
 そして今、昨日最終回を迎えたドラマ『あいくるしい』のビデオを見終えたところ。僕は『未成年』以来の野島伸司のファン。今回も映画のようなステキなドラマが観られたという実感がある。毎回投げかけられる意味あるメッセージ。もっとこんなドラマも増えたらいいのになぁ。
2005年6月26日(日) 「新曲完成」
 もう既に真夏のうだる様な暑さが続いている。夜明けの日差しの心地良さに、新しい歌が生まれた。『瞳を閉じて』というタイトルの松田亜世には珍しく(?)青空が似合う優しい歌に仕上がった。7月はライブの予定も色々入ってくるので、新曲を歌うのもとても楽しみだ。
 6月は何かと忙しくて、じっくり曲づくりに取り組めなかったのだが、今日書き上げた歌の他にもいくつかアイデアがあるので、この夏じっくりと書き上げていきたいと思っている。
2005年6月24日(金) 「吉祥寺駅北口」
 吉祥寺駅北口ロータリーに小さな特設ステージが出現。今日から始まる東京都議会議員選挙初日のひとつの祭り。武蔵野市在住の一人の20代として、ギターを抱えて応援に参加した。『響』、そして『ひとつひとつ』と僕なりのメッセージを込めて歌わせてもらった。大好きな吉祥寺のど真ん中でメッセージを届けられたのは何とも感慨深いものがあった。
 菅直人さん、そして喜納昌吉さんが登場。喜納さんのメッセージにはいつも心をえぐられる。沖縄の慰霊の日の翌日、沖縄からの歌、そしてメッセージを目の当たりに出来たことに大きな意味があるような気がする。帰り際の喜納さんに「今度、一緒にやろう」と声を掛けていただいたのは嬉しかった。まだまだ頑張っていかねば。
 その後、一緒に応援ソングを歌った齋藤さんと仕事帰りにふらっと寄ってくれたいしうらまさゆきと共にスケッチャーズ前にてしばしのストリートライブ。夏のはじまりの吉祥寺の夜空、歌声はなかなかご機嫌だった。
2005年6月19日(日) 「ロケ」
 中野駅10時集合。今日は最近知り合った女性カメラマンさんに写真を撮ってもらいに出掛けた。メールで何度かイメージをやり取りし、「和」のテイスト、そして「昭和」の香りを感じられる場所を探してもらった。
 まずは中野。裏通りの昔赤線地帯だったというスナック街。これがなかなかいい感じで・・・。コンセプトから今日は一日下駄を履いて都内を巡ることに。中野の次は池袋サンシャイン近くの人世横丁へ。下駄をカランコロンと鳴らしながら山手線で移動するのもまた楽しい。蒸し暑かった今日の空気の中でも、下駄の音はどこか涼しげに聴こえるから不思議だ。ギターを抱えて流しのように飲み屋街を歩きながらの撮影。お店のママさんが「何の撮影?」なんて出てきてしばし世間話。こんな時間もとっても温かくて心地よかった。
 池袋の街を下駄を鳴らして移動して、電車に乗って白山神社へ。カメラマンさんの「松田亜世は雨が似合う=アジサイが似合う」の一言にアジサイの咲く白山神社へ行くことになった。ちょうどアジサイ祭りの真っ最中で大勢の人出。ゆっくりと撮影が出来なかったのは残念だったけど、文京区の昔ながらのフォークな香り満載のアパートでの撮影など、なかなか良かった。
 写真の仕上がりがとても楽しみである。
2005年6月11日(土) 「野の花」
 昨年10月から毎月1回通っているアルコール患者さんと精神患者さん対象の病院ライブに行ってきた。今回は、初の試みとして病院の中庭での野外ライブ。梅雨入りした中、どんより曇った天気だったけれど、患者さんたちが作った照る照る坊主が功を奏し、何とか雨も降らずに歌うことが出来た。
 毎月楽しみにしてくれているおばあちゃんもいて、毎月毎月サインをさせてもらっている。季節にちなんだハガキを用意してくれていて、今までのものもすべて大切にとっておいてくれるからとっても嬉しい。「丈夫なお嫁さんもらいなさいよ、若いんだから。」とかいったライブ後の雑談にとっても心が温まる。
 歌い終わると、病院の庭に咲いている野の花を花束にしてくれて手渡してくれた。野の匂いが何とも穏やかな気持ちにさせてくれた。
2005年6月9日(木) 「25歳を振り返って」
 今日は26歳になって最初のジムに行ってきた。エアロバイクに年齢を入力するのですが、「あっ、26だ。」ってな感じ。誕生日の後ってなかなか新しい年齢に慣れませんよね?そいで、バイクを漕ぎながら25歳を振り返ってみたりした訳です。
 去年の誕生日はまだ千葉でした。25歳、千葉から再び吉祥寺へ。曲のテーマも少しづつ変化したり、故郷への想いがより強くなったり。そして禁煙開始というのも僕にとっては大きな出来事でした(笑)。まだ2ヶ月とちょっとですが、続いています。最近、健康被害の脅迫文みたいなものがタバコの箱に印刷されるようになったとか?今日はじめて見ましたが、あれは嫌がらせですよね(笑)、そんなやり方しなくても・・・、って感じで。それでもまぁ、禁煙も気持ちいいもんです。何にしろ、辛さを超えた快感みたいなところはありますもんね。
 トレーニングもしかり。来週のワンマンライブに向けて身体も程よくいじめてきました。今月もみなさんにお会いできるのが楽しみです。
2005年6月5日(日) 「26歳、これからも頑張ります!」
 26回目の誕生日を迎えた。沢山の方からのお祝いのメール、メッセージをいただき、本当にありがとうございました。20代も完全に後半戦に突入です。一歩づつの前進あるのみです。これからも精一杯歌って生きていきたいと思っております。
 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
2005年5月31日(火) 「悔しさの慶早戦」
塾旗の入場。試合開始後3塁側スタンドは満員に膨れ上がった。
 東京六大学野球春季リーグも大詰め。28日からの慶早戦で勝った方が完全優勝という大事な慶早戦。慶應、早稲田が一勝一敗で並び、3回戦へ。その3回戦が雨で流れて今日開催された。タイミングよく今日は一日時間が出来たので、先輩と一緒に応援に出掛けた。学生時代以来だから4年ぶりくらいだろうか。
 10時開門で小雨の降る中ではあったけれど、続々と塾生やOB、OGそしてファン達が神宮に集まってくる。この瞬間を知っているから神宮は僕にとって特別な球場でもある。高校時代の応援団の血も、六大学の応援を見ていると心の奥底から騒いでくるのだ。プロ野球の応援も元は六大学野球の応援を真似た位なのだから、その洗練された応援は鳥肌モノである。
 塾旗の入場、点数が入った時の「若き血」。もう学生席に入れないOBというのがちょっと淋しくはあったが、母校を応援する連帯感はたまらなく心地よい。祭りと同様、慶應、早稲田の学生にとって六大学野球の慶早戦は特別なお祭りなのだ。何しろ、この日は大学の講義も休講になるのだから。
 試合は4-1で慶應は早稲田に敗れた。途中、慶應の代打金森がホームベースを踏み忘れた(テレビで見るとちゃんとベースを踏んでいるように見えるのだが・・・)ことによりホームランが幻と消え、試合中何の説明もなく後味の悪い負けではあった。とはいえ、慶應と早稲田、良きライバル。最後のエール交換がまた素敵なのだ。
 目の前で母校の優勝を見られるチャンスだっただけに非常に残念な負けではあったが、また次回ぜひ勝利の「若き血」を歌いたい。
2005年5月23日(月) 「おかえり祭り帰郷日記」
 20日(金)の日は徹夜にて朝一番の飛行機で小松空港へ飛んだ。空港からおかえり祭り前日の美川の町へ直接向かった。13時からは今年のおかえり筋・今町の台車(3輪の山車)の前から、MROラジオの中継で『おかえり』を生で歌わせてもらった。歌っていると、近所の奥様方が出てきてくれて聴いてくれた。「さぁ、いよいよ明日から」そんな空気が立ち込める美川の町、中継の後翌日から二日間お世話になる家方組の台車の準備を手伝う。ギコギコと呼ばれる台車の心棒に木場を巻く作業。大きな台車をジャッキで上げて車輪を取り外し、心棒にごま油を塗った木場を巻き、「ギーギー」と大きな音が鳴るようにする。祭りを心待ちにした子どもたちも集まってきて、大人と子どものいい関係がとっても嬉しくなる。
↑ 狭い路地に並ぶ台車

↑ いざ出陣!紋付袴を身にまとって。
 そしておかえり祭り初日。朝5時に親父の友人宅にて紋付袴を着せてもらう。そして紙コップになみなみ注がれた御神酒を飲み干して6時に台車は出発する。家々に寄りながら延々夜の12時近くまで台車は街を練り歩く、と同時に飲み続ける。午前8時の段階で既にかなり出来上がっていた(笑)。この日の夕方6時からは来週末(29日)に放送予定のラジオ特番の収録が金沢であった。昼頃から酔いを醒ますことに専念するが、微妙な酒臭さは取れない。紋付袴のまま放送局へ。とても素適な内容の番組に参加させていただいたので、放送をお楽しみに!
 明けて22日(日)。前日、まる一日かけて町中を練り歩き、お旅所に到着した13台の台車と獅子と御神体をお乗せした神輿が、10年に一度巡ってくる「おかえり筋」を通ってお旅所から神社へと帰っていく。お立ちになる夜からあいにくの雨。更に土砂降り。カッパを着ながらも足袋とセッタと袴はビショビショ。お神酒をラッパ飲みしながら気合を入れる。このおかえり筋の家々では、加賀友禅に身をまとった奥様方や娘さん方がお客さんや我々祭りに関わる人間をもてなしてくれる。「舞い込み」と呼ばれるものなのだが、今年は10軒近くの家に入った。各家庭、豪勢な料理とお酒、そして京都から本物の舞妓さんを呼んでいるお宅もあってビックリ!!(舞妓さんからはお香のほのかないい匂いがした・・・。)僕らは最後にお礼の気持ちを込めて歌を歌ったり芸をやったりする。僕もご指名を受けて2,3回『おかえり』を歌った。かなりベロンベロンだったので(笑)、音程もわからず・・・。そんなこんなで明け方まで祭りは続くのだ。
↑ 舞妓さん登場!

 詳しくはまたエッセイにでもまとめてみたい。

 祭りの疲れと、アルコールを抜く為に今回の帰郷最終日は、お気に入りの湯涌温泉に行ったり、犀川を散歩したりして、最終便にて東京に戻ってきた。すでに来年の祭りが楽しみで仕方がない。完全なるお祭り男の誕生であった。
2005年5月19日(木) 「おかえり祭りにいざ出発!」
 明日(20日)から親父の故郷・石川県白山市美川地区(旧石川郡美川町)で行われる「おかえり祭り」参加の為、帰郷します。急遽祭り前夜のラジオカーからの生中継で歌わせていただく予定が入ったり(詳しくは「NEWS!」をご覧下さい。)、とても楽しみな週末なのです。もちろん、歌わせていただく歌は『おかえり』。
 おかえり祭りについては(http://www.geocities.jp/okaerikun/index.html)に詳しいのでそちらをご覧下さい。ともかく、北前船の寄港地として栄えた港町の熱いお祭りです。仏壇技術の粋を集めた13台の台車(3輪の山車)と神輿。僕は大工の集まりである家方組(ヤカタグミ)の台車の巡行に紋付袴で参加します。さぁ、血が騒いできました。
2005年5月10日(火) 「千葉マリンスタジアムでの六甲颪」
↑ 舞い上がるジェット風船
 先週末からいよいよ始まったプロ野球のセパ交流戦。日本シリーズでしか見られない対戦、いや日本シリーズでもめったに見られないであろう(?)チーム同士の対戦、これはかなり盛り上がっていい。
 所縁のある千葉にて、チケットをプレゼントされて千葉マリンスタジアムに観戦に出かけた。今シーズン打撃陣に助けられず可愛そうな負けが続いている福原が先発。今日も試合序盤から嫌な予感が・・・。
 今日はバックネット裏の3塁側。とはいえ、タイガースのホームであるが如くの熱烈応援。しかしまぁ、千葉ロッテ(パリーグでは僕はマリーンズファン。川崎時代からのですけどね。)のライトスタンドの応援は凄まじい。昨年、近鉄戦の時に始めて目に(耳に)した地響きのような声援。これは新しいカタチだと感動したものだ。今日もいつにもまして凄まじい響き。大地の鼓動のようである。戦国時代の勝ち鬨の声ってのはこんな感じだったんだろうか・・・。5回終了後には花火が球場の真上に打ちあがった。いや〜、素敵なファンサービス。爆発の音がお腹にズンズン響いて、魂が鼓舞される。
 そして7回ラッキーセブン。なんと、ビジターゲームであるにもかかわらず、「六甲颪(甲子園ヴァージョン)」がマリンスタジアムにこだまする。鳥肌が立つ!空高く舞い上がるジェット風船。いや、タイガースファンでよかったなぁと実感する瞬間でもありました。
 しかし試合は負け。今シーズンはついてないなぁ。
 ともあれ、セパ交流戦熱く面白い!
2005年5月7日(土) 「スパ吉 @吉祥寺 ハモニカ横丁」
 吉祥寺北口、戦後間もなくの面影を残すハモニカ横丁。赤提灯連なる飲み屋街。吉祥寺の中でも好きな場所、雰囲気のひとつ。最近は、この場所にもお洒落なお店が出現しつつある。その中のひとつ、自家製パスタのスパ吉に行ってきた。以前から気になっていたお店。最近は、雑誌や何かで紹介されていて(最近のちょっとした街紹介系の雑誌での吉祥寺特集の頻度といったら凄まじい。)行列。
 パスタのコシといい、ちょっと平らな麺といい、茹で加減といい旨かった!!久々に「こりゃ、ウメェ。」って感じ。夜、布団に付くまで「今日のパスタは旨かった」を連発していた僕でした(笑)。
2005年5月3日(火・祝) 「9」
 ゴールデンウィークも中盤に差し掛かった。場所によりけりだが、いつもの休日とはちょっと違った感じの都内の風景、人の波。昨年のこの時期はイベント出演の為に金沢に帰郷していたから、久々の東京でのゴールデンウィークといった感じだ。

 さて今日は憲法記念日。新聞に特集記事が載り、テレビのニュースでも特集が組まれていた。ここ数年、いやことに9.11以降、やたらと改憲論議なるものが盛り上がっている。う〜んと思いながら見ているのだが・・・。
 ひとつだけ、大学で政治学や法学を齧ったものとして言っておきたい。改憲論者の人たちは、「今の憲法は時代遅れだから、現実に合わせる。」的な発言をするのだが、今日のニュース23で立花隆さんもちらっと語っていたことだが、あの1945年時点で世界が目指そうとしたのが9条の不戦の世界である。もっといえば、アメリカやヨーロッパすら実現できなかったから敗戦国・ニッポンでまず創り上げようとした世界観が9条である。その後のアメリカの世界戦略上、都合よく利用される中で、その理念は揺らいでいくことになるのだが・・・。とはいえ、9条の世界観は云わば時代の最先端、前衛芸術に変わりはない。
 9条が時代遅れになったわけでも、時代に合わなくなった訳でも決してないのだ。9条に時代が未だに追いつけないだけの話である。
 「(9条)改憲、改憲」なんてカッコよさげに言われているが、それは理想への妥協以外の何ものでもない。つまりは後退でしかない。理想からの逃避である。決してカッコいいものなんかではあり得ないと思うのだが、いかがでしょう?
 憲法とは主権者である国民が「国家」に対して「こんな国にして下さいよ」と言って結んだ契約である。これから僕たちはどんな国にして下さいよと言いたいのか?理想を高く掲げるってのも素敵なことだと思う。折角最先端を走っているのにもかかわらず、妥協はしたくない、逃げるのは嫌いなのである。僕はただその一点に尽きるのだ(笑)。
 折角の憲法記念日だから、そんなことに想いを馳せるのも大事なことだと思う。
2005年5月2日(月) 「夢よ叫べ」
 先週木曜日の高田渡さんの追悼の会。僕の胸をえぐった歌があった。エンケンこと遠藤賢司さんの「夢よ叫べ」。陽水さんの登場でヒートアップした会場、そしてなぎらさんと坂崎さんのトークに自然に和んだ会場の空気。そしてエンケンさんの登場で「エンケン!」「エンケン!」と会場のあちらこちらから声が飛ぶ。とつとつと渡さんへの想いを語りそしてこれからの己のことを語り、ギター一本で歌った「夢よ叫べ」。1コーラス終わるごとに大きな拍手が起こる。僕は完全に目頭が熱くなっていた。久しぶりに魂の根底から震えた、ひとつの歌によって。
 あの日から、あの歌が心から離れず、僕の持っているエンケンさんのアルバムには収録されていない歌だったので、今日の朝一で吉祥寺のタワーレコードへ駆け込んだ。何度も聴いた。夢追い人への哀しいまでの勇気と愛が込められている、そんな素敵な歌・・・。カッコいい。
2005年5月1日(日) 「雨の神宮、負けよって・・・」
↑ 試合前のスタンドにて。
 今日は神宮球場へ、タイガースの応援に出かけた。昨年の忘れもしない誕生日、横浜スタジアムで負けた試合以来のタイガース観戦。僕にとって神宮は、僕が観戦に行った試合に負けがなかった縁起のよい球場。2連敗中の悪しき空気を振り払ってくれと願いながら外苑前から神宮へと向かう。今日は東京六大学野球も昼間神宮球場で行われていて、我が慶應義塾が立教大学に2連勝とのことで、「今日は幸先がよいな。」と勝手な解釈が始まるのである。
 休日の試合観戦ということで、開門するやしばらくして入場。枝豆と生ビール、タイガースの練習風景を眺めたり、買ったばかりのデジカメで選手をカメラに収めたりしてプレイボールまでの時間を過ごす。
 今年は、シーズン直前のタイガース私設応援団の著作権問題等があり、急遽選手別の応援歌も新しいものが作られた。以前のもので結構カッコいい応援歌があっただけにちょっと淋しい。しかもまだ1ヶ月ちょっと経っただけなので全部は覚えきれていない。
 さて、試合は駄目な時のタイガース。まぁ、打線が大振り、いいところで繋がらない。赤星の盗塁すら失敗。しかも中盤から雨が降ってくる。う〜ん、ヤクルトに3タテを食らってしまったではないか・・・。神宮、負けなしの縁起も今日で途絶えた(苦笑)。悔しい!!六甲おろしを高々と歌い上げたかったのに・・・。
2005年4月30日(土) 「タカダワタル的」
 映画『タカダワタル的』の吉祥寺凱旋上映初日の今日、吉祥寺バウスシアターに足を運んだ。19:30から入場整理番号が配られるということで18:40頃に映画館に着いた時には既に70人程の列が出来ていた。この映画、今月16日に亡くなった高田渡さんを29歳の女性監督が追いかけたドキュメンタリー映画。
 スクリーンにはステージで歌う渡さんはもちろん、いせややご自宅で酔っ払ってぐてんぐてんになる渡さんまでが映し出される。プライベートシーンはすべて吉祥寺。本当に渡さんと吉祥寺は切っても切れない。
 映像として観る吉祥寺の街の存在感、僕はまた吉祥寺という町が好きになったし、今再びこの街で生活できていることがとても嬉しい。

 今日は上映初日ということで上映終了後、監督のタナダユキさん、渡さんの大親友・中川五郎さんが挨拶にステージに立たれた。五郎さんの挨拶にまたグッとくるものがあった。それでもこの映画を観てやっと、国が認めない人間国宝・高田渡さんが、今まさに吉祥寺の記憶になったのだとゆっくり受け入れられた気がする。
 この映画で印象に残ったのは、俳優の柄本明さんの「高田渡っていう人を見て欲がない人ですねというのは違う。大変な欲があるんだけど、その場所が人とは違う。見えないんだなぁ。」という言葉が印象的でした。

 本当に、ありがとう、渡さん。
2005年4月28日(木) 「特別な一日 〜自転車に乗って〜」
 「自転車に乗って」、高田渡さんの追悼コンサートに行ってきた。午後1時から午後8時過ぎまで7時間近く、本当に素晴らしい音楽の時間を過ごすことが出来た。出演されたフォークやロックのミュージシャンやアーティストの大先輩の皆さん。それぞれ、素晴らしい想いのこもった歌でした。
 特に印象に残っているのは、南こうせつさんや、加川良さん、武蔵野タンポポ団で渡さんと一緒だったシバさんや中川イサトさん、山本コータローさん。そして嬉しかったのが、井上陽水さんの登場。渡さんや加川良さん、友部正人さん、遠藤賢司さんらと昔ツアーに回っていたころのお話をされて、その頃の歌ということで「傘がない」をギター一本で。さらには鶴瓶さんも登場。最後の方では酔っ払ってましたが(笑)。カッコよかったのは、エンケン(遠藤賢司)さん。想いのこもった素晴らしい存在感でした。
 アルフィーの坂崎さんもなぎら健一さんと一緒に登場。渡さんの歌を歌ってくれました。

 渡さんは本当に記憶に残る歌うたいだったのだなぁと改めて感じました。最後の「私の青空」、「生活の柄」、「自転車に乗って」の大合唱は、とっても温かく、感動的でした。本当に、心からありがとうございましたと伝えたいです。
 音楽ってやはり素晴らしいし、渡さんたちの時代のアーティスト同志の連帯感、素敵でした。いつまでも、吉祥寺の街で渡さんは生きています。
2005年4月21日(木) 「タイガースとスポーツジム」
 煙草(セブンスター)を止めて20日経過。順調にきている。ただ、ちょっとお菓子を食べるようになった(笑)。ジムに通いながらなので、急な肥満の心配などはないのだが。
 今日もいつものように吉祥寺のスポーツジムへ。エアロバイクを漕ぎながら終盤に差し掛かったタイガースVSジャイアンツを見る。圧倒的な点差でタイガースが勝利!!僕の通っているジムには、いつもタイガースのペットボトルを片手にトレーニングを重ねているおじさんがいる。一度、話してみたい。同じ街にタイガースファンがいるというだけで嬉しくなってしまう東京(笑)。
 あんまり気持ちよく勝ってくれたもんだから、筋トレのセット数もいつもより多くやってしまったりした。筋トレの苦しさも煙草を止めたら軽減。「なんだ、いいことばっかりじゃないか」と思っていることは間違いない正直なところだが、だからといって「煙草はやめた方がいいよ」なんて、本気で人にいうつもりは全くない。止めても尚、煙草は好きなのだから(笑)。
2005年4月20日(水) 「じわりじわりの喪失感」
 ここ数日お気に入りのiPodからは高田渡さんの『ごあいさつ』がヘビーローテーションで流れている。中央線で家路に着くとき、聴きながら吉祥寺駅に降り立つ時が一番じ〜んとくる。「いせや」の前を通るとき、まだまだ淋しい。密葬が行われた教会の前を通るとき、ありがとうと僕は呟いている。
 吉祥寺の空気だったんだなぁ、つまりは。そう、不思議なくらいの喪失感だから。
 僕は吉祥寺が大好き。そこにはあたり前に渡さんも歩いていた。
 今はちょっぴり淋しいけど、徐々に井の頭公園の空に渡さんの笑顔が浮かぶ、そんな日が来るんだね。
2005年4月17日(日) 「ごあいさつ」
 一晩経ってもやっぱりなんだか淋しい。
 正直な話、「いせや」には学生時代焼酎で二日酔いして以来足を運んでいない。渡さんのライブも「いつでも行けるさ」という気軽さから結局足を運ばず仕舞。テレビとCDで触れ合った渡さん。それでも吉祥寺の街では何度も目が合った。その存在感が大好きだった。
 今日もジム帰りに「いせや」の前を通った。なんだかとっても淋しい。ジワリジワリと押し迫ってくる淋しさ。
 高田渡さんの存在は、吉祥寺にとってどれ程大きかったのか、いやごくごく自然な存在であったからこそ渡さんであり、渡さんの吉祥寺であり、吉祥寺の渡さんであったのかもしれない。
 今日はしみじみと渡さんの名盤アルバム『ごあいさつ』を聴いている。「自転車に乗って」や「生活の柄」にはたまらなく泣けてくる。
 改めて聴いていると四畳半フォークなる商品になる前のフォークは、間違いなくロックである。地面から湧き出るロックであると、再認識させられる。

 渡さんのいた吉祥寺は今日もまだ淋しいです。
2005年4月16日(土) 「追悼・高田渡さん」
 吉祥寺の人間国宝、フォーク歌手の高田渡さん(http://www.baustheater.com/takadawataru.htm)が亡くなってしまった。56歳だったなんて、あまりにも若すぎる。友人からの訃報のメールを受け取り、言葉を失う。つい最近も吉祥寺の焼き鳥屋・「いせや」でお見かけしたところだったのに・・・。

 吉祥寺の10アンペアのアパートに今も住んでた渡さん。僕が初めて東京に出てきた時、吉祥寺の中道商店街で三輪自転車をこいでる渡さんに初めて遭遇し、えらく感動したこと。吉祥寺駅公園口で酔っ払って管を巻いてた渡さん。「いせや」でいつも飲んでた渡さん。吉祥寺駅から今の僕の部屋に帰る時は、この「いせや」を必ず通るので、よく立ち飲みで飲んでる渡さんをお見かけした。つい、この前も毛糸の帽子被ってタバコ吹かす渡さんを見かけたのに・・・。
 色んな渡さんを想い出したら涙が出てきた。「自衛隊に入ろう」とか反戦フォークからはじまって(もう晩年という言葉を使わなければならないのが悲しいが)、確か去年の年末のニュース23で「日常を唄う事が反戦なんです。」って語ってた渡さん。淋しい。とても淋しい、渡さんのいない吉祥寺・・・。
 渡さんがふらっと歩いてた吉祥寺が好きだった。吉祥寺にぽっかりひとつ穴が空いてしまったようだ。
 渡さんのいない今夜のいせやは、なんともひっそりと淋しげだった。
 渡さん、ありがとう!
 渡さんのいた吉祥寺は永遠です。
2005年4月14日(木) 「早起き」
 禁煙開始から2週間。ここ数日、朝早く目が覚めるようになった。一瞬「年か?」とも思ったが(笑)、これもまた禁煙効果の表れだろうか。何はともあれ、僕の朝の弱さといったらハンパじゃなかった。まずCDが鳴る→目覚まし2つ(電子音のものとベルのもの)が鳴る→携帯のアラームが鳴る→電話のモーニングコールが鳴るという一連の流れの中でやっと起きていたこれまでの生活…。ここ数日は、目覚ましが鳴る前に起きちゃっているので少々自分でも気持ちが悪い位だ(笑)。
 ともあれ、今日みたいな天気の良い朝は気持ちがいい。朝刊を読みながらコーヒーを飲み、ゆっくりするのも悪くない。仕事も捗る。
 さて、明日は恒例の吉祥寺ワンマンライブ。楽しみだ。
 天気がいいので夕方あたりぶらっと井の頭公園を散歩してこようかな。さすがにもう花見宴会は終わってるよね?
2005年4月12日(火) 「デジカメ購入」
 今日デジカメを買った。自分でホームページを作ったりしているので、今回が初のデジカメ購入というのも意外な感じが自分自身している(笑)。アナログな僕もどんどんデジタル化アイテムを手に入れてしまっている現実に、自分でも少々くすぐったい。
 今回、勢いで購入に至った切っ掛けは、先週水曜日からの臨時バイト。千葉に引っ越す前の吉祥寺時代にバイトしていたシルクフラワー(造花)屋さんの倉庫の引越しで臨時に5日間のバイトを頼まれた。火曜日に電話が掛かってきて、翌日から働けるフットワークの軽すぎる僕も僕だが(笑)、こうゆう臨時収入はかなり得した気分になる。ともあれ、久々の人たちとの再会も楽しかったし、倉庫の荷物には僕の汚い字の躍るダンボールも数々残っていて、なんだか嬉しくなってしまう。3年も前の話なのに、楽しく働けるというのもまたいい感じだ。しかし、10tトラック2台の積み下ろしを2日間、什器の解体等3日間の肉体労働は、筋トレをしているとはいえかなり堪えた。普段鍛え切れていない筋肉も多々あるということだ。特に昨日今日と肩が痛い。
 ともあれ、この時期の肉体労働は禁煙をしているということも少しは忘れさせてくれる効果もあり、禁煙も遂に2週間を間もなく迎えようとしている。焼肉、ラーメン、ビール、など等とっても吸いたくなる現場もなんとか乗り越えた。あとは詰まらない飲み会には絶対参加しない、ということを徹底するのみ(笑)。
2005年4月9日(土) 「ダライ・ラマ法王」
 今日、やっとダライ・ラマ法王にお会いすることができた。前回の来日時は、ちょうど金沢でのワンマンライブと重なって、講演は聞けず仕舞。今日、ようやく生で法王にお会いすることができた。会場は両国国技館。両国駅に着くとずらーっとそれらしき、人の列。ボディーチェックなど厳重な警備が行われているので、入場までにしばし時間が掛かる。しかし、そこに並ぶ人は多種多様。お坊さんや在日のチベットの方々、ちょっとヒッピー系な人、学者タイプ、アジア旅行好きらしきOL(?)、そして僕のような自由人など等。意外に若い人が多いのもなんだか嬉しくなってしまう。
 開演時間を少し過ぎ、ステージ上に法王が登場される。拍手総立ちにてお迎えするのだが、全身の鳥肌が立つ感覚をはっきりと覚えている。法王の優しき笑顔が会場全体を包み、覚えている筈もないのだが、まるで母親の羊水の中に浮かぶようなそんな温もりを感じた。「あぁ、優しさの菩薩さんなんだなぁ。」とそんなことを感じていた。(チベット仏教ではダライ・ラマは生き仏[菩薩]と考えられている。)
 講演は90分、「思いやりと人間関係」。法王の慈悲の心が表れる、そんなお話の内容だった。講演の内容云々より、そこにダライ・ラマ法王がいらっしゃるということが、何よりも感動というか、そのことに喜びを感じることができた。
 講演が終わり、会場の奥に消えられるまで、笑顔で手を振り、手を合わせる姿に心が本当に温かくなってきたのだ。「優しさは地球を救う。そして、戦争や暴力以上の大きな力になりうるのだ。」そう実感した。そう、信じ続けていいのだと。
 カッコばかりの生半可なものではなく、優しい人間になりたい。優しい社会、優しい国、優しい世界、優しい地球・・・。「慈悲」という概念は大いなる可能性をもっているであろう。
 今日は本当に、あなたに会えてよかった。
2005年4月7日(木) 「さだまさしコンサート」
 今週は、僕にとってエンターテインメント週間。今日はまっさんこと、さだまさしさんのコンサートに初めて足を運んだ。『遥かなるクリスマス』、そしてアルバム『恋文』と聴き進めていくうちに、どうしても生の歌声が聴きたくなって、ツアー後半の唯一の首都圏公演市川市民会館まで足を運んだ。
 トークが面白いと噂には聞いていたが、いやはや参った!って感じでした。トークが楽しい→お客さんとの一体感が強まる→曲の世界に集中して入っていけるというような方程式が成り立っていた。しかも3時間みっちりやってくれるのもまたニクイ!
 さださんの世界はまるで日本文学を読むかのごとくである。昔はわからなかった魅力なのだが、ここ一年でグッとくるようになった。これもまた不思議なものだ。もちろん、今日のステージでもそれは深く感じたのだが、それより何より、社会的視点の豊かさというか、面白いトークの中に散りばめられた痛烈なメッセージがとても心地よかった。「選挙に立候補するつもりはありませんが」とさださんも語っていたが、いや、さださんのような人こそが政治に必要なのかもしれない(笑)。しかしまぁ、今日はまっさんファンのおば様方の気持ちがよーくわかりました。いや、素敵でした。
 またぜひ足を運びたいコンサートになりました。最高のエンターテイメントでした。バックのミュージシャンも最高でした。石川鷹彦さんの生演奏を初めて聴きました。さださんのギターと合わせてアコースティックギターは本当に綺麗に聴こえました。そしてアンコールでの『遥かなるクリスマス』は圧巻!
 「日本」が最も似合う、というよりも「日本」を最もよく表現し得るシンガーソングライター・さだまさし。もっともっと深く入っていきたいです。
2005年4月6日(水) 「桃井かおり」
↑ 今日のチケットとチラシ。
 今日は渋谷のパルコ劇場に桃井かおり一人芝居『あなたが見てるから私が見られてるんでしょ?』を観に行ってきた。イッセー尾形さんの演出で知られる森田雄三さんの演出。実は森田さんは同郷の大先輩。その縁もあってイッセー尾形さんのアトリエが金沢にあったりする。その森田さんの演出作品を見てみたくて、しかも中央線発個性派女優の桃井かおりさん主演とくれば、見ないわけにはいきません。それで発売当日にネットで購入。そして、今回はびっくりする程いい席だった。ちょうど真ん中の前から4列目。桃井さんの息づかいも聴こえる近さ。
 ステージに現れた瞬間からの存在感といったら凄まじかった。時々歌いながら一人芝居は展開していくのですが、芝居の中で「マスターベーション歌手」って台詞があったけれど、いやいや何で、目茶苦茶歌が上手い!そこいらの歌手は本物の女優さんの前では負けちゃいますよ。ハスキーボイスにジャズがやたらに似合っているのです。しかもコントラバスとトランペットの生演奏。ほぼベースだけで歌うというのは、並みの歌手でもできないでしょう。いや、カッコよかったです。
 そして舞台の展開は即興とのコト。お客さんの雰囲気やその場の空気にて繰り広げられていくストーリー。これまた並大抵の役者じゃ伝えられません。カーテンコールにて「私もまだ何をやっているのかよくわかっていないんですけど、来てくださってありがとう。」と桃井さんは仰っていましたが、しっかり伝わって来ましたよ。本物のオーラが今日はビシバシ突き刺さってきていました。
 間違いなく今日で僕にとって最高の女優さんは桃井かおりさんに決まりました。本物は年齢も関係なくセクシーで、魅力的です。
 もう一度観たいです。本当に楽しいステージでした。
 森田さんの演出も素晴らしく、それに答えうる女優・桃井かおりがいたのでしょう。今度はイッセー尾形さんのステージも観に行きたいです。
 何度も言います。今日は素晴らしかった!!!
2005年4月5日(火) 「室生犀星」
 金沢の三文豪の一人、室生犀星。僕の実家の程近くに室生犀星の生家があり、僕の実家の犀川を挟んだ真向かいに室生犀星の記念碑が立っている。僕にとっては一番身近にあった作家。「ふるさとは遠きにあり思ふもの」で始まる有名な『小景異情』などの詩作には触れたことがあるが、小説はまだ読んだことがなかった。やっと重い腰を上げ、岩波文庫から出ている初期の自伝的三部作を読み始めた。今、犀星30歳の時の処女作である『幼年時代』を読み終えたところだ。
 すべての情景が目に浮かぶ。時代は変わり、風情に若干の違いこそあれ見ている場所は同じこと。犀川に大橋に神明宮(おしんめさん)。
 ふと金沢を舞台にした小説に自伝的作品が多いことが気に掛かる。最近入り込んだ島田清次郎の『地上』、井上靖『北の海』、杉森久英『能登』、そして室生犀星『幼年時代』、『性に眼覚める頃』、『或る少女の死まで』等はすべて自伝的作品。作家にとって金沢とは、自らと切り離すことが不可能な程に大きな存在なのかもしれないと思い上がってみたりしたくなる。いや、確かにそうかもしれない。それは、金沢という地が作家を育むといっても過言ではないからである。
2005年4月4日(月) 「ふわふわ」
 今日は朝から禁断症状に悩まされている。指先がなんだか落ち着かず、身体全体もふわふわした感じなのだ。たかだかタバコだが、これぞニコチンの禁断症状というやつなのか。食後にふとあの煙の旨さが頭をよぎる時がとても辛い。ひとり部屋にいては、どうにも誘惑に負けそうなので、久々に井の頭公園に散歩に出かけた。昨日の温かさからかちらほらと桜の花が顔を出し始めていた。
 しかし今日は集中力が全くない。一服すればどんなに楽だろうかと思いながらも、自分に負けたくもない。ふわふわとした一日。せめて夜はジムでビシッと鍛えてこよう。
2005年4月2日(土) 「ありがとう、セブンスター!」
↑長年の相棒・セブンスター、相撲灰皿、徳用マッチ、そして2003年タイガース優勝記念(関西限定)セブンスター
 禁煙も勢いが大事だと思った。未開封のセブンスターが残り2箱あったのだが、これは長年の記念として部屋に飾っておくことにした。昨日は映画『きみに読む物語』を観に行って、限りなくまっすぐな愛に心を打たれ、その後夕食を食べ、食後の一服を境に禁煙生活に突入した。
 20代前半の目まぐるしく変わる生活の中で、常に僕の傍にいてくれたセブンスター。色んな出来事や想いの中、煙を燻らせたことを想い出したり、多少感傷的な気分にはなるが、「長年ありがとう!」そんな気持ちになる。訳を問われれば簡単には答えられないが、僕にとっては煙草というよりもセブンスターを吸っていたというこだわりみたいなものがある。だから、煙草よさようならというよりも、セブンスターよさようならといった感じだ。
 阪神タイガース(昨日の今シーズン初戦は負けてしまったが)優勝の2003年、関西限定でタイガース優勝記念のセブンスターが発売された時は嬉しかった!僕の愛するタイガースとセブンスターのコラボレーション。セブンスター愛煙家でよかったと妙な誇りを持ったものだ。
 部屋で煙草を吸う時は、決まってマッチだった。マッチで摺った火で吹かす一服目が最高だった。外ではもっぱらジッポ。やがて10年近くになる年季モノ。僕の喫煙生活にはある意味確固たるこだわりが同居していた。
 今日もまだ、昼飯の後は辛かった。「我慢」と思うと辛くなるので、その想いを追わないことを心がける。大学時代に齧った坐禅の思想が役に立つ。曹洞宗の坐禅では、心に浮かぶ様々なことを追わないことがまず大切になる(もう一つの禅宗・臨済宗では公案に重きが置かれる)。浮かんでは消え、消えては浮かぶ。しかしそれらに囚われず決して追わない。
 またここから僕の新たな青春が始まるのかもしれない。
2005年3月31日(木) 「mixi中毒」
 独り言コーナーでも触れましたが、ここ10日間ほど、mixiにハマリまくっております。色んな人とネット上でコミュニケーションを取れるというのはやはり、時代の賜物でしょうか。東京の街ではなかなか知り合いと偶然会うことも難しいのですが、ネットを共有する知り合いって結構沢山いて、懐かしい出会いが偶然このサイト上で実現したりするのがとっても楽しいのです。この前は、高校時代に僕のライブを何度か観てくれた方から、「覚えてますよ」ってメールが届いたり。
 特にハマっているのが金沢弁のコミュニティ。金沢弁で色々なことを喋る訳なのです。それからまったく同じ誕生日のコミュニティ。同じ人生の時間軸を歩いている人がかなり沢山いることも新たな発見というか、不思議な感覚。
 自分の日記を載せる(いわゆる最近流行のプログ機能)も無料で付いてて、さっそく調子に乗った僕は金沢弁日記を公開し始めました。このホームページと同じものじゃつまらないということで、完全なる金沢弁で日記を書いております。読んでくれた人の反応もダイレクトに伝わるのもまた面白味のひとつ。とうとう、完全にインターネット世代であることを自覚する3月最後の一日でした。
 明日は、エイプリルフール。皆さん、騙されないようにして下さいね。(そういう僕も以前、騙された口です(笑))
2005年3月29日(火) 「初禁煙という試みへのカウントダウン」
 僕はセブンスターの愛煙家。今まで一度として「止めよう」とは思ったことがなかった。しかし、やたらと税金を払っている割には隅に追いやられ、洋服に付いた匂いも少しは気になり始めた。僕にとってはセブンスターを止めるということは、タバコを止めるという事と同義。
 『愛煙家の哀歌(エレジー)』の中でも歌ったのだが、僕のお袋の実家はタバコ屋。お米と一緒にセブンスターがカートンで送られてくる(笑)。現在在庫が4箱。貧乏性なのでこれは吸い切るとして(苦笑)、いつものペースでいくとあと4日程。生まれて初めての禁煙に挑戦予定の恐らく次の週末。決意を新たにするためにもこの日記にて決意表明をすることにしました。う〜ん、太るかなぁ?とかイライラしちゃうかなぁ?とか、多少の不安はありますが、喉や肺の為にもいづれ止める日が来るとするならば早い方がいいかなと・・・。健康増進法や何かでセブンスターのパッケージもまるで麻薬への注意を促すようなのような警告がプリントすることになるらしいことも悲しくて、やり切れず。
 こんな風に時代は変わってしまうのか?「男は黙ってセブンスター」、最後の一服はどこで吸おう、あと数日のカウントダウン。
2005年3月27日(日) 「塩ラーメン」
 今日は葛飾区立石に行ってきた。以前からレコーディング等でお世話になっているお宅にお邪魔したのだが、昼に食べに行った京成立石近くの札幌ラーメン屋・まりもの塩バターラーメンがやたらと美味しかった。美味しい塩ラーメンに久々出会ったという感動。東京来てからの塩ラーメンといえば、山頭火の塩ラーメンには感動したが、今日の塩ラーメンは、実にシンプルで旨かった!トッピングはもやしと挽肉のみ。いやぁ、何時間経っても口の中に旨みが拡がっていて心地よい後味。
 ただし、ニンニクが相当利いているらしいので、帰りの電車は注意が必要(笑)。
 ともあれ、春近いポカポカの日曜日のささやかな幸せでした。
2005年3月25日(金) 「新曲(桜の唄 [仮題])完成」
 もうあと数日で、東京の桜も咲くという。日本人は何故これほどまでに桜の花に魅了され続けているのだろうと考えながら、3連休の新宿御苑に早咲きの桜を見に行った。やはり桜の散り際が人間の一生に重なるのだろうか。平家物語の諸行無常の世界観。そんなことを考えながら古の昔を心に描いたりする。
 やはり桜は好きだ。散りゆく定めは人間も同じこと。嗚呼、愛しき春よ。
 そして新しい歌が生まれた。
2005年3月11日(金) 「金沢のこと、最近のこと」
 一昨日金沢での久々のワンマンライブを終え、東京に戻ってきました。今回は、親友の結婚式から始まり、ひとり金沢再発見の旅、北陸放送ラジオ生出演、そして超満員だったもっきりやでのワンマンライブ、北國新聞社取材等、お陰様でとても充実した帰郷となりました。帰る度に僕の故郷・金沢に対する想いは深まっていくのを実感しています。
 ライブの準備やスケジュールの合間を縫って、ひとりでカメラぶら提げて金沢の街を散策しました。新たな発見も沢山あって、これからの作品づくりに役立ちそうです。近くエッセイでも書いてみたいと思っています。ホント、いたるところに文学の舞台があり、歴史とそして人間との対話のある、そんな街が金沢なのではないだろうかと思っています。
 名残惜しつつ帰郷し、昨日は中島みゆきさんのコンサートを神奈川県民ホールまで観に行ってきました。みゆきさんが歌い出した瞬間のあの鳥肌の立つような感覚は、何度見にいっても素晴らしい。魂を込めて歌うということをまざまざと魅せつけられるのです。
 来週は東京での恒例ワンマンライブ。今回もゲスト、そしてバンドでの演奏が予定されています。ちょっと喉に違和感があるので心配ですが、金沢で戴いた力を胸に、精一杯ステージを創りたいと思っています。皆様のご来場、心よりお待ちしております。
2005年3月4日(金) 「昨日の船橋ライブと金沢帰郷」
 昨年12月からスタートした船橋での毎月第一木曜日のアコースティックライブ、僕の出演は昨日で一旦おやすみとなる。その最後のライブ、演奏曲目は・・・1.一期一会/2.青春の空/3.海の唄/4.天漢。昨日もライブ終了後は船橋で一杯。これが毎月の楽しみのひとつでもあったから、しばらくなくなると思うとちょっと淋しい。でもまたちょっと大きなライブで戻れたら嬉しいなぁと思っている。昨日は程よく心地よくなって、総武快速線を東京駅で下車し損ない、気づいたのが新橋(笑)。慌てて反対方向の最終電車に飛び乗り、無事に東京駅に戻り中央線に乗り換えることができた。これがあるからほろ酔いの長距離移動は怖い(笑)。
 天気予報の予想通り、昨夜から雪が降った。湿った雪だけれど、吉祥寺にも雪が積もっている。そして今日は帰郷の日。雪に弱い東京ゆえ、飛行機のことがしばし心配になっているのだが・・・。明日は親友の結婚式、そして来週の金沢もっきりやでのワンマンライブ。久々に金沢で歌える喜びを噛み締め、全力のステージを創ってきたい。
2005年2月27日(日) 「浅草にみた昭和」
 木曜日に降った東京のぼた雪以来、寒い日が続いている。しかし今日は晴天。太陽にあたっていると結構温かいからありがたい。
 出かけた浅草の隅田川のほとりの公園で、昭和を見つけた。60代か、70代のおじいちゃん達がドラムとギターとハモニカでストリートライブをしている。なんとも素敵なハモニカの音色だった。春を間近に控えた隅田川、響く昭和の音色。ゆっくりと流れる時間がとっても心地よく、それだけで幸せな日曜日を実感したのだった。
 戦後のバラックの片隅、壊れたアコーディオンと大事にポケットにしまっておいたハモニカ、そして昭和の日本のミュージックシーンは始まったのだ。
2005年2月24日(木) 「東京のぼた雪とさだまさし」
 「遥かなるクリスマス」以来、さだまさしさんのアルバムを聴き始めている。最近頻繁に利用しているアマゾン.comから今日『逢ひみての』と『さよならにっぽん』の2枚のアルバムが届いた。早速iPodに転送し、美容院へ行く電車とバスの中で聴いた。「兵士の手紙ときよしこの夜」を聴きながら、涙をこらえるのに必死だった。さださんの歌は日本の情景を鮮やかに描き出す。歌がひとつの文学。さださんは長崎からの文学、中島みゆきさんは北海道からの文学といった具合。
 『地上』で感銘を受けて郷土の島田清次郎という作家に惹かれた僕は、これまたアマゾン.comで杉森久英(この方も郷土の作家、かつ僕の高校の全身・金沢一中出身)さんの書いた『天才と狂人の間-島田清次郎の生涯-』を読んだ。凄まじき生涯。
 そして今夜は東京で雪が降っている。これが僕の歌に書いた「ぼた雪」。東京で見るぼた雪、2週間を切った故郷でのライブに想いを馳せる。
2005年2月20日(日) 「炭と料理の話」
 最近、ジムから帰ってくると部屋の
↑真ん中の黒いのが消臭炭。
後ろはイルクーツク土産の白樺の絵。
タバコの臭いがやたらと気になり始めた。たまにお香を焚いたりしてしのいできたのだが、もっと美味しい空気にしようということで流行の消臭炭を買ってきた。卵形の黒い炭なのだが、これがビックリ、かなりの効き目があるのだ。服の臭いもちょっと気になっていたところなので、タンスに入れるタイプの消臭剤(これにも炭が主成分になっている)も購入。不思議と帰宅した時のタバコのヤニの臭いがない。なかなか便利な世の中になったものだ(笑)。
 話は変わって料理の話。一昨日、豚のブロックが安かったので、初めて自家製チャーシューを作ってみることにした。ノッテくると結構ハマッテいくのが男のB型(笑)。じっくり煮込んで肉のトロっとした感じが絶妙。出来立ても美味しかったが、冷蔵庫で二晩寝かせた今日の旨みもいい感じだった。写真を撮っておけばよかったのだけれど、これはかなり旨かった!煮汁が美味しかったので、挽肉で作った肉団子を浸してみたりもした。これは冷凍したのでそのうちのお楽しみ。
 なかなか料理も楽しくなってきた。何にしろ、「モノをつくる」という人間の営みにはロマンがある。
2005年2月16日(水) 「島田清次郎『地上』」
 石川県石川郡美川町が生んだ作家・島田清次郎。20歳のデビュー作『地上』で文壇からの非常に高い評価を得ながら、精神を病み31歳で早世。
 泉鏡花、徳田秋声、室生犀星、金沢の三文豪。しかし、島田清次郎の『地上』もまた凄まじい力をもった小説だった。大正の文壇が震えたのも無理ないであろう壮大な世界観。世の中の矛盾に立ち向かう少年の心理が細やかに、かつ湧き上がる感動をもって描かれている。
 もちろん、金沢の街が舞台の中心である。主人公が住んでいたのはにしの茶屋、主人公が想い人と歩くのはS川すなわち犀川である。地元びいきを抜きにしても僕はこの作品が好きだ。解説によるとこの『地上』は全6部作になるという。しかし二部以降はあまりぱっとしなかったそうだ。31歳、あまりにも若すぎた。精神は回復しつつありながら、直接の死因は肺結核だったという。惜しまれてならない一つの才能だった。30代、40代での『地上』の世界が読みたかった。
 20歳で『地上』がベストセラーになった後、自らを天才と思い込み奇行が絶えなかったとある。しかし、20歳でこの世界を描き切ってしまった島田清次郎はやはり天才だったのではないかと想う。
2005年2月14日(月) 「井の頭公園の梅」
 明日に迫った今月のワンマンライブを前に、久々に(といっても1週間ぶり?)井の頭公園を散歩した。ちょうど井の頭弁天の奥、小高い丘に梅の木が幾重にも重なる。赤や白の梅の花が咲き始めていた。花は季節の移り変わりを静かに知らせてくれる。なんだかとても温かな気持ちになる。お気に入りのiPodで、ビリー・ジョエルを聴きながらゆっくりと公園を散策した。平日の夕方の公園は、さほど人も多くなく、ゆったりとしかしながら刻々と流れる時間の流れを身体全体で感じることができるから好きだ。
 明日のライブへのイメージを膨らませながら、吉祥寺駅の人ごみの中へと帰っていく。春はもうすぐそこにある。
2005年2月5日(土) 「故郷の青春・同窓会と『古都』」
 今日は夜から高校の関東同窓会に行ってきた。年に一度の大きな同窓会の時に知り合い、若い世代の同窓会を開こうということで開かれた会だ。そこに以前僕のライブを見に来てくださった先輩が、「折角だからぜひ歌ってよ」と僕を呼んで下さった。下は僕らの代から上は4つ上の先輩まで、「東京」に生きる石川人が40人程集まった。渋谷のお洒落なバーに金沢弁が飛び交う。何ものにも代えられない連帯感、とっても心地よい。
 ここぞとばかりにこの前書いたばかりの金沢弁ソング『ぼた雪の降る街』を歌わせていただいた。手拍子もいただきながら楽しく歌わせてもらった。それぞれの青春を同じ高校で過ごした人たちの前で故郷の歌を歌うのは、何とも嬉しい気持ちになる。ほとんどが上の先輩方だったのだが、歌いながら見渡すと、なんと美しい女性が多いのだろうと思ってしまう(笑)。金沢美人、きっと何か特徴がある。やっぱり金沢、好きです(笑)。
 二次会にも参加し、帰宅。ビデオに録っておいた川端康成原作の『古都』を観た。川端康成作品の中でも、この『古都』は一番好きな作品でもあるので、ドラマ化された映像が楽しみだった。小説の中でも京都の四季と人間が色鮮やかに描かれている。上戸彩の演技も、とても作品にマッチしていて良かった。
 京都の色、金沢の色。僕はそれを歌で表現してみたい。
2005年2月4日(金) 「船橋ライブ」
 昨日は月に一度の船橋ライブに出かけてきた。毎回毎回出演者が増えていて、なかなか楽しい。千葉時代に知り合った歌い手さんとの久々の再開もあったりと、なんだか嬉しくなってしまう。ちなみに昨日演奏した曲は・・・1.青春の空/2.ぼた雪の降る街(新曲)/3.今宵、雨の中/4.井の頭公園/5.おかえり、以上5曲。
 ライブ終了後は千葉時代からお世話になっているお仲間と飲みに行くのも恒例となっていて、これまた船橋に行く楽しみになっている。なかなか美味しい居酒屋が多いのも船橋を好きになった一つの理由(笑)。やっぱりライブの後のビールはなんと美味しいことか!
 次は15日の吉祥寺。また美味しいビールが飲めるように良いステージを創っていきたい。
2005年2月1日(火) 「映画サービスデイ!」
 久々に映画サービスデイの1日に時間があったので、今日は思い切って見たかった映画2本を見ることにした。まず、レイ・チャールズの人生を描いた『Ray』。R&Bは僕にとっては馴染みの薄い世界ではあったのだが、映画で流れるレイ・チャールズの名曲に身を委ねていると、何とも心地よいというか、ぶっ飛んでいる感じが気持ちよいのだ。僕の中でのレイ・チャールズは「We Are The Wolrd」の中でしかほとんど知らなかった。映画を見ながら音楽って何てハッピーなんだろうと、そんなあたりまえのことをあたりまえに感じることも出来た。音楽映画としてだけではなく、純粋に映画として楽しめる、そんな作品だと思う。
 そして2本目は『北の零年』。日本映画を映画館で見るのは、本当に久々な気がする。現在の日本の名優、吉永小百合さん、渡辺謙さん、豊川悦司さん、柳葉敏郎さん、石田ゆり子さん、香川照之さん、やはり演技派と呼ばれる人たちに包まれた映画は力強く、心を揺さぶられる。久々に泣いた様な気がする。大きく時代が変わった明治初頭、そこから現代に向かって発せられるメッセージも沢山あるのだと思う。素敵な日本映画に出会えた、そう思う。
2005年1月31日(月) 「ふるさと」
 2005年1月31日、僕の現在の本籍地、親父の故郷・石川県美川町、そしてお袋の故郷・石川県松任市(まっとう)、この二つの市と町が消える。白山麓の村々との合併により、明日から白山市となるのだ。なんとも淋しい気持ちになる。
 筑紫哲也さんが市町村合併について異議を唱えていたが、やはり脈々と続いてきたものがなくなるのは淋しいというより他ない。

 ♪ふるさとは今何を語る?美しき山並み川の流れ♪
 『おかえり』という僕の歌に描いた一節。
 これは石川県一の川・手取川の河口の情景、すなわち親父の故郷・美川の風景。悠々と流れる手取川の果て、北陸本線の鉄橋の向こう側日本海に夕陽が沈む。水鳥が飛び交い、やがて日は暮れ灯台に照らされた海には何隻ものイカ釣り舟が光を揺らす。その風情は「美川」という町の名前にピッタリだった。日本の地図から「町」がどんどん消えていくのは何ともいえず切ない気持ちになる。個の喪失、画一化されたビジュアルには時々吐き気がする。
 お袋の故郷・松任。僕はお袋の仕事の関係もあり、金沢からその町の幼稚園に通っていた。今は亡きじいちゃんに手を引かれながら田んぼの畦道を通った記憶が甦ってくる。田んぼの向こう側、見渡す白山連峰の山々が圧巻だった。もっともバブルの時代、郊外大型店の出店で昭和の商店街はがらんとしてしまったが、やはりそこには温もりがあった。それもまたふるさとの情景だ。

 ふるさとを象徴する名前が消えていくのは堪えきれぬ虚しさがある。
 白山市となって後も、美川は美川であり、松任は松任でありますように…。名前が変わっても、在る人の心の中のふるさとは永遠にふるさとなのだから。
 死んだじいちゃんなら何というだろうか。
 「じょんな世の中になったわい」と言ってきっと苦笑うだろうか。
2005年1月23日(日) 「東京の粉雪」
 今日は東京で雪が降った。買い物帰りの吉祥寺北口に天から白い粉雪がふわりふわりと舞い降りる。
 雨の似合う街、雪の似合う街、風の似合う街、太陽の似合う街、色々ある。逆に言えば、雨も雪も風も太陽も、僕らが立っている場所によって見え方、感じ方が異なってくる。
 東京で見る雪はなんともロマンティックだ。非日常世界にふっと入っていくことが出来る。生活の一部である金沢の雪とは対照的だ。
 「粉雪は忘れ薬」と中島みゆきさんは歌った。とっても素敵な詩だと思う。この歌が似合う、そんな東京の粉雪の日曜日だった。
2005年1月20日(木) 「相田みつを物語とラーメン」
 昨日の夜中、年末に録画しておきながらずっと見られずにいたドラマ「相田みつを物語」をやっと観ることが出来た。(お世話になった人達に)「生き方で返したい」その台詞がとっても深かった。みつをさんの書にまた会いたくなった。
 亜世の独り言で書いたように今日は映画を見てきた。吉祥寺に着いたら目茶苦茶お腹が空いたので駅前のラーメン屋「心」に足を運んだ。昨年のクリスマス、ライブハウスの社長に連れて行ってもらったお店だ。その時、ラーメン屋の店長さんと三人でラーメン談義に花が咲き、それを覚えていてくれたらしく、店長さんが声を掛けてくれる。そういう繋がりって、とっても嬉しくなる。ここのラーメン屋さん、吉祥寺の穴場です。ゆっくりとラーメンを味わえる、そんな雰囲気もグッド!化学調味料を一切使っていない自然な味。そしてあごの出汁が癖になり始めている。ラーメンとライス。スープは綺麗に飲み干した。
 寒い冬の夜にはやっぱりラーメンなんかが旨い!そして今頃喉が渇いた僕は、冬だというのにサマーサイズのコーラー飲んでパソコンを打っているのでありました(笑)。
2005年1月19日(水) 「ハングリー」
↑実家の愛犬「ミール」
 ここ数日、やたらとお腹が空く。食べてない訳ではないのに…。昼と夜は一合と1/4位のご飯は食べているのだが、夕方になると何か食べずにはいられなくなる。今日もコンビニで100円の一口ドーナツを買ってきて、半分くらい食べるつもりが完食。ものがあれば食べつくすまで食べてしまうのは、実家の愛犬「ミール」を思いだす。彼の場合は、凄まじく、吐くまで食べる(笑)。正月に久々に一緒に過ごしたから乗り移ってしまったのだろうか。
 これまであまりおやつは食べなかった僕だから、過食症じゃないだろうかと変な心配までしてしまう(笑)。でもまぁ恐らく原因は、ジム通いでちょっとカロリー消費量が増えただけのことだろう。今日もジム帰りにやたらとアイスが食べたくなって、期間限定の蜂蜜アイスを頬張った。蜂蜜の味を嬉しそうに食べている姿は、プーさんを連想して一人で笑ってしまった。
2005年1月17日(月) 「故郷の言葉」
 今日の昼下がり、いつもの新聞屋さんが契約更新の依頼で家に来た。配達担当者が新しく変わったらしく、「今取っていただいとる契約がぁ〜、もうすぐ終わりになるんですけどぉ〜」って、どこかで聞いたことのあるイントネーションだなぁと思いながらしばらく聞いていたのだが、思い切って「北陸の生まれですか?」と聞いてみた。ビンゴ!、石川県出身ではないかっ!!能登の生まれだそうで、金沢にもしばらくいて、隣県の高岡にもいたことがあるっていうから、まさしく北陸の人。ついつい僕も嬉しくなっちゃって、えらく長話をしてしまった。ここぞとばかり、ライブの宣伝までしてしまった(笑)。
 新聞屋のお兄さんも楽しかったらしく、「またぁ〜、集金の時でもぉ〜、ゆっくり話しましょう。」って粗品をかなりサービスしてくれちゃったりしたので、「あっら、気の毒なぁ〜(気を使ってもらってありがとうという意味の金沢弁)」と言いながら、やっぱり東京で同郷の人が集まる時の連帯感・パワーってのは凄まじいと実感(笑)。
 文字にすると ”ぁ〜” としか表現できないのがもどかしいのだが(石川県人ならわかりますよね?)、金沢弁のおっとり(金沢弁でいうとこの”いんぎらぁっと”)とした感じ、いいんですこれが。
 今日の天気と相まって、とっても温かな気持ちになった一日でした。
2005年1月16日(日) 「スタジオ写真撮影」
撮影前のスタジオ
↑撮影前のスタジオ。
 僕の中学時代の友達が、都内某有名写真スタジオのアシスタントをやっている。一昨年のワンマンライブの際、わざわざ東京から花束を贈ってくれて、写真スタジオで働いていることがわかった。ならば、是非写真撮ってよという話をしていたのだが、なかなかスケジュールが合わず、今日に至っていた。そして念願かなって、今日はそのスタジオを使わせてもらい、夜から翌朝にかけての撮影となった。
 スタジオでの写真撮影は初めての経験。運び込まれる数々のライティングや小道具に圧倒される。テキパキと準備を進めていくその友達に職人の粋を感じた。それが何とも言えずカッコイイのだ。いくつかのパターンをミーティングしていざ撮影開始!
 普段は大人しいその友達が、カメラを持った瞬間変わる。ファインダーから熱を感じる。こちらも負けじと本気で歌い、全身で語ろうと必死になる。二人きりの広いスタジオは、撮影の間、あたかも格闘技会場のような熱を帯びてくる。僕にとってはファインダーに向かってライブをしているような感覚。楽しい!ポラロイドでチェックをしながらフィルムにその瞬間を刻み込んでゆく。「もっと引き出してくれ」そんな興奮が全身を襲った。
 とても貴重な経験をさせてもらった。ともかく、仕上がってくる写真が楽しみだ。
2005年1月13日(木) 「木曜ドラマ」
 久々にドラマが面白くなってきた。『H2』(あだち充原作)と『優しい時間』(倉本聰脚本)。しかも同じ時間だから「勘弁してくれ〜」とか思いながらもビデオデッキ2台まわして両方とも見ましたよ(笑)。全くタイプの違う2つの作品なんだけれど、『H2』では僕らの応援団時代の青春を思い出すような、そしてグーっと迫ってくる熱いもの(上手く表現できないけれど、あれです、あれ!)を感じたし、『優しい時間』では映画のような存在感を感じるドラマに久々に出会ったなぁという、さすがは倉本聰さんというような・・・。
 昨年は『金八先生』しかドラマは見なかったのですが、今回のクールは大変なことになりそう。いいドラマに出会うと、色んなインスピレーションを得られるんですよね。人間やはり、”感じる”ことがどれだけ大事な営みであるかということです。
 それに今日は、NHKの音楽番組で流れたさだまさしさんの「遙かなるクリスマス」にもやられました。きっと明日はCDショップに走るでしょう。僕はフォークな唄い手でありながら、今までさださんの歌はベスト版でしかちゃんと聴いたことがなかったのです。お恥ずかしい。
 外は寒いですけど、心は温かい。なかなかいい感じです。
 明日はあさっての30回記念ワンマンライブの準備をしっかりしようと思います。
2005年1月11日(火) 「寒い!」
 随分寒くなりました。皆さん風邪など召されていませんか?朝、布団から出るのが本当に辛いです。しかも僕の新居は築云十年。隙間風がどこからともなく入ってくるのです(笑)。朝、洗面所で吐く息が白いんですから・・・。シャワーも気合!とはいえ、寒さっていうのはある種精神性を高めてくれる気もしません?ストイックになれるというか。
 北陸で大雪だというニュースが流れると、妙に望郷の念が湧き上がってくるから不思議です。正月は楽しかっただけに早々のホームシック(?)。いや、僕にとって故郷は永遠です。東京の晴れ渡った冬の空を眺めていると、あの灰色の北陸の冬の空が恋しくなるのは贅沢でしょうか。そうそう、高校時代の彼女から違う苗字で年賀状が届いてたりするから、余計にノスタルジーが募ってくるのであります。君に幸せあれ!
2005年1月9日(日) 「新年一曲目の新曲」
 新年一曲目の新曲が今朝早く完成しました。『灰色の空』というピアノの歌です。
 年末年始、故郷・金沢で過ごしながら暖めたテーマを一気に書き上げました。昔は”裏日本”などと呼ばれた日本海側の冬の空はどんよりと曇っています。冬は常に空が灰色でした。それでも春を待つ北陸人の心ってのはとっても温かいと感じます。その情景や心情が僕らの青春時代と重なるんです。そして生まれたのがこの歌です。
 2005年は、故郷からインスピレーションを得た作品からスタートしました。もっともっといい歌を書きたい、そう思う年のはじめです。今年一発目の、しかも30回記念のワンマンライブも目前、楽しみです。
2005年1月7日(金) 「2005年のスタート」
 改めまして、新年明けましておめでとうございます。今年も一年、どうぞ宜しくお願いいたします。
 今年の正月は故郷・金沢でのんびりと過ごすことが出来ました。お気に入りの湯涌温泉に車を飛ばしたり、コウバコ蟹や甘エビなどなど。やっぱり北陸の冬の幸は最高です!後厄だった2004年も無事に終え、気持ちも身体もリフレッシュ。
 しかしまぁ、お盆とお正月、故郷から戻ると体重が1キロは重たくなります。身体もなんだか重たくて・・・。という訳で、今日は新年初泳ぎにジムへ行ってきました。休みながら1時間は泳いだのですが、やはりなんだか身体がなまっている感じです。みなさんは、新年いかがお過ごしですか?
 金沢も大晦日は大荒れだったのですが、関東も雪が降ったようですね。僕の吉祥寺の家の近くにまだ根雪が残っています。これにはビックリ!今年の冬は遅くとも、いよいよ冬本番でしょうか。
 ジムから帰って、ビデオに録っておいた金八先生を見ました。いよいよ、盛り上がってきましたね!
 まっすぐ生きたいと、つくづく思う瞬間です。

© 2005 Asei Matsuda

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