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(2006年)



松田亜世のちょこっと寄って書いてくまっし!

↑ 随時更新中!!

* 2005年12月以前の日記へはこのページ一番下からどうぞ。*
作成日 タイトル
2006年12月27日(水) 「2006年も大変お世話になり、ありがとうございました!」
 今日夕方の便で金沢に帰省する。お陰様で大晦日には年越しラジオの生放送、その他新聞の取材なども予定されている。来るべき2007年に向けて精一杯やってきたい。
 2006年、今年は僕にとって激動の1年だった。まずは9月15日、皆さまに支えられながら50回を迎えた『亜世's Day ワンマンライブ』。まる4年、毎月回を重ねたワンマンライブ、そして愛すべき故郷・吉祥寺Be・Pointの閉店。昨日から走り始めた中央線の新型車両やいせや本店の取り壊し等も含めて、変わりゆく中央線の姿・・・。淋しい気持ちを背負いながらも、それでもやはり前へ進もうと思った2006年後半だった。
 何よりも皆さんの声に押され、11月の金沢ライブの大成功、荻窪・落陽でのワンマンライブを経て、また新たなスタートを切れた事、心より感謝申し上げます。さらに、来年3月に全国発売になるミニアルバム『がんばるまっし』へと続く流れ、また新たなステージに立てる喜びを噛み締めながら、そしてまた力強く2007年を歌って生きたいと思います。2007年6月には、舞台『お静の雪』への挑戦もあります。

 来るべき2007年、皆様方にとって素敵な一年でありますように・・・。
 今年一年に心から感謝をしつつ、また来年お会いしましょう!!本当にありがとうございました。

2006年11月5日(日) 「変わりゆく中央線、そして響き続ける友部正人の歌」
 久々の休日に本屋に立ち寄った。季刊の『たのしい中央線3』と『東京人12月号』を手に取った。共通していたのは「さよなら中央線」という特集。中央線がなくなる訳ではないのだが、あのオレンジ色の重厚感溢れる201系という車両が今年の12月から徐々に引退するそうなのである。吉祥寺いせや本店の取り壊しビル化、中央線のステンレス車両化、確実に”中央線”というひとつの歴史の転換期にあるような気もする。
 阪神ファンにとってオレンジ色は敵対色でもあったのだが(笑)、何故これほどまでに想いが募ったのだろうか。夕日に向かってまっすぐ走る、昭和を背負っているかのような人間臭さの中央線、それはこの街に生きるひとつの象徴だった。僕が憧れた武蔵野フォークの時代すらその車両に映し出しているかのように・・・。

 ”時代は変わる”とボブ・ディランは歌ったが、変わらず歌い続ける友部正人さんがいた。買ってきた2冊の雑誌にざっと目を通し、週末放送された『フォークの達人−友部正人−』のビデオに見入った。冒頭の『一本道』に震える身体を抑えることが出来なかった。”あの時代”と変わらず響き続ける歌がある、”あの時代”と少しも違わず歌い続けられた歌がある。90分間、2006年に歌う友部さんの歌は心に響き続けた。いや、心を掴み続けられたというのがより正しい表現かもしれない。
 中央線の風景が変わってしまうのは何とも淋しい・・・。ただ、中央線は変わってもそこに生きる歌がまっすぐある限り、僕はこの街に魅了され続けるだろうと思った。そしてまっすぐに、ここに生きる歌を歌って生きたいと思った。

 先月書いた中央線の歌がたまらなく歌いたくなった。23日の荻窪が楽しみだ。
2006年10月1日(日) 「ありがとう、吉祥寺Be・Point!!」
 吉祥寺Be・Pointとの最後のお別れをして帰ってきた。
↑ありがとうBe・Pointケーキ ↑いつも見ていたステージからの風景を心に刻む。

 9月15日のワンマンライブ、22日のラストライブ、そして28日からの3日間・・・。ひとつひとつの想い出を噛み締めるだけの時間があったことに感謝。「ありがとう。」という気持ちを込めることもできた。
 9月30日、最後の片付けを終えて、何もなくなった”客席だった場所”で、ささやかなお別れ会が始まる。元スタッフの女性が、”ありがとうBe・Point”と書いたケーキを社長にプレゼント。日付が替わる(月が替わる)カウントダウンをして、拍手と共に吉祥寺ライブハウスBe・Pointに別れを告げた。
 この3日間、ゆっくりゆっくりこの場所を心に刻み込みながら、最後の最後にステージから何もなくなった客席を見た時、やっぱり涙が出ちゃったけど、客席とステージに「ありがとう!」と頭を下げることが出来てよかった。
 しっかりとこの場所と、そしてこの場所で過ごした時間を心に刻み込むことができて、淋しかったけど、最後にはその魂を受け止められたような、そして心が温かくなったような気がした。そう、”ここから全てが想い出になる”(『Cry』より)。そして、心に生き続ける場所がひとつ生まれた。
 Be・Pointに別れを告げて、すぐ近くの屋台のおでん屋さんで、少しの時間飲んだ。Be・Pointの温もりと共に、吉祥寺駅を眺めながら飲んだ缶ビール、忘れられない一杯になった。
 ありがとう、吉祥寺Be・Point!!
 
2006年9月28日(木) 「吉祥寺Be・Pointの忘れ形見」
↑白くなったBe・Pointの壁 ↑忘れ形見”亜世特製座椅子”
 9月15日の50回記念の『亜世's Day ワンマンライブ』、22日の坂元昭二さんとの共演を終えて、僕の吉祥寺Be・Pointでのステージは幕を閉じた。意味ある9月だった。そして明日への2006年9月!
 25日で閉店したいせや本店の横を通りながら(奇しくもいせや本店もこの9月で吉祥寺を見守り続けた”あの”建物に別れを告げ、ビルになってしまう。そしていせや本店もまた今日から撤収作業の様子・・・。)、通い慣れたBe・Pointへ。今日から3日間、閉店後の撤収作業を”ありがとう”の気持ちと共に手伝うことになった。
 まず眼に入ったのが見慣れたブルーの壁が白く塗り替えられた入口。それはまるで卒業式の落書き華やかな黒板が消されたような淋しさがあった(金八先生のシリーズラストにお馴染みのあのシーン)。受付へと続く廊下も白く塗られ、全く別の場所のよう。そして音響関係、照明関係、客席の椅子、キッチンなどの撤収作業が始まる。ひとつひとつの見慣れたモノ達が運び出されていく・・・。
 解体された客席の椅子とテーブルに埋もれた客席だった場所からステージを見つめてみた。”音魂”ってあるような、そんな気がした。この場所で演奏された幾千万の唄達・・・。20年近くの時間を経て、そのひとつひとつが刻み込まれた、やはりそれは魂の場所。単なる”ハコ”ではない、僕ら表現者にとってライブハウスという場所は、もっともっと深いもの。そう、僕にとっての甲子園。
 高校球児が甲子園の砂を一生の宝とするように、僕も吉祥寺Be・Pointの魂がこもった何かを近くに置いておきたかった。最近は立って演奏することがほとんどなので使う事はなくなったが、一時期座って演奏していた時に愛用していたハイチェアー(最近の僕のライブではベースの山さんが愛用)、その椅子の部分だけを取り外して座椅子として使うべく、僕のオンボロアパートに持ち帰ってきた。
 吉祥寺Be・Pointの忘れ形見、この椅子に座りながら唄でも書こう。そう、僕の”Live House Dream”。
 
2006年9月14日(木) 「いよいよ明日50回!」
 いよいよ明日、吉祥寺Be・Pointでのラストワンマンライブ『亜世's Day ワンマンライブ vol.50 〜50回記念!ありがとう吉祥寺Be・Point〜』が開かれる。「いよいよだなぁ。」という感じだ。多くの想いを込めて、そして何よりも「ありがとう。」の気持ちを歌に乗せたい。
 今日は久々に自分のライブ情報が載っている”ぴあ”(金沢弁ブログに日記あり。)を買ってきた。東京に出てきた当初は、この”ぴあ”に自分の名前が載っている事が嬉しくて、ライブの度に買ってきていたことを思い出す。月日は流れ、そしてまた新たなステージへと向かう為に・・・。
 さぁ、最後の準備しっかりとやろう。皆さまのご来場、心よりお待ちしております。
2006年9月6日(水) 「フォーク酒場 落陽」
 ブログにかまけて久々の日記更新。
 今日は荻窪のフォーク酒場・落陽さんにはじめてお邪魔した。今後の活動をどうしようかなぁと思っていたところ、「荻窪に面白い店がある。」という情報を頂き、早速オーディションをしてもらおうとギターを抱えて中央線に乗った。駅から本当に間近のビルの地下。まずは若き日の拓郎さんの写真が迎えてくれる。『落陽』とは吉田拓郎さんの名曲のタイトル。お店の中には岡本おさみさん(『落陽』の作詩)の直筆の色紙もあった。
 数曲歌わせていただいて、11月23日のワンマンライブが決定!楽しみだ。
 雨の水曜日にも関わらず、常連さんがゾクゾクとやってくる。そしてステージ上のギターを抱えて歌い始める。フォークの名曲からオリジナル曲まで、生の歌を聴きながらそして歌いながら飲める、そんなワクワクする空間。とても楽しかった。
 さぁ、11月23日はこの落陽さんから、「世代を超えたフォークな世界!」発信しますよ♪
2006年8月9日(水) 「映画『太陽』」
 ライブハウスBe・Pointの閉店は、ホームページでも発表したのでご承知のとおり。やはりそれを知らされた翌日の今日は、なんとも落ち着かないというか淋しいというか、吉祥寺にいるとなんだか色々想い出しちゃうので、前から観ようと思っていた映画を観に行ってきた。
 イッセー尾形さんが昭和天皇を演じたロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の作品『太陽』。公開前からマスコミでも度々取り上げられた影響か、既に長蛇の列。すぐの回は立見だったので1つ後の回で観ることにした。
 映像美はやはりロシアならでわ。個人的には日本の美的感覚とロシアのそれとは非常に近いものがあると思う。そして、日本の俳優の名演も光っていた。イッセー尾形さんの演技には痺れたし、佐野史郎さん、それから出演シーンは短いものの圧倒的な存在感だった桃井かおりさん。ゆっくりと心に響いてくる作品だ。
 ロシアの才能に日本の役者さんが出逢った、とても意味深い作品だと思う。
2006年8月1日(火) 「新曲『浴衣と子猫』」
 長い梅雨が終わり、梅雨の湿っぽさから比べると若干過ごしやすい感のある8月に突入した。7月後半はなんだかバタバタしていて、曲づくりのまとまった時間もなかったのだが、やっと昨夜から新曲を書くことができている。タイトルは『浴衣と子猫』。夏にちなんだ短編小説風の歌になっているので、8月のライブで歌うのもまた楽しみだ。これからあと少しの手直しをして完成といったところ。
 昨夜のうちに曲と1コーラス目の詩ができていて、今日ちょうど上野で時間ができたので、不忍池に臨むベンチで2コーラス目の詩を創っていた。たまには狭い部屋を飛び出して青空の下で詩を書くのもなかなか気持ちがよかった。
2006年7月31日(月) 「ツタ屋敷」
 7月も今日で終わり。夏になったというに日陰では涼しく過ごしやすい一日。朝から部屋の外でゴソゴソ物音が・・・。植木屋さんが僕のアパートの伸び放題の草を手入れしてくれていた。
 5月頃から、僕の住むアパートには昔のホーンテッドマンション(ディズニーランド)の如く、伸び放題のツタが絡まり、或いはジブリの森の家のような雰囲気さえ漂っていた。郵便受けのツタを避けて郵便物を取る事以外は、結構気に入っていた外装オプション(?)だったので、綺麗さっぱりしてしまうとどこか淋しい気持ちもある(笑)。あとは、写真を撮っておかなかったことへの後悔・・・。
 ともあれ、森の中のオンボロアパートから普通の町のオンボロアパートへと変貌を遂げたということであろう(笑)。
2006年7月26日(水) 「夜叉ヶ池・海神別荘」
 今月2度目の歌舞伎座へ足を運んだ。七月大歌舞伎の夜の部に続き、昼の部『夜叉ヶ池』と『海神別荘』を鑑賞。昨日までの梅雨模様と打って変わっての真夏の日差し突き刺す銀座を歩く。
 読めば読むほど深い鏡花の世界。前回の鑑賞の後、『鏡花夢幻』という漫画に収録されている『天守物語』、『夜叉ヶ池』、『海神別荘』の3篇を波津彬子さんという金沢在住の漫画家の作品で再び読んだ。実に上手くその世界観が漫画として表現されていて、ストーリーに込められたものをよりよく理解する手助けになった。
 前回鑑賞した『山吹』と『天守物語』を観て、鏡花の世界を舞台で表現する事の難しさを感じただけに、漫画という手法による鏡花の世界の表現が新鮮で、かつすんなり世界に入っていけたことは面白かった。
 歌舞伎座も2度目となると要領を少しずつ心得てきて、入場してすぐに幕間の蕎麦屋を予約。「何名様ですか?」とも聞かれず1名で予約されていたのはちょっとおかしかった(笑)。45分も幕間があってのんびり出来るのも歌舞伎の特徴である。

 まず『夜叉ヶ池』、坂東玉三郎さんは出演されていないものの、今日観た『海神別荘』とどちらが面白かったかと問われれば迷わず『夜叉ヶ池』を選ぶ。今回の七月大歌舞伎4作品の中でも最も舞台として面白かったのは『夜叉ヶ池』だと思う。現代にも通じる痛烈なメッセージ性がこの作品には込められている。故にお芝居にもかけやすいのかもしれない。『天守物語』も確かに名作だが、『夜叉ヶ池』の方がより歌舞伎の舞台にはあっていたのかもしれない。
 続く『海神別荘』。なんといっても玉三郎さんの美しさに尽きたような気がする。市川海老蔵さんの演技にもうひとつ迫ってくるものがあればといった感じも正直あった。
 ともあれ鏡花の世界は深淵であった。故に魅力があり、今も玉三郎さんはじめ多くの演劇人の創作意欲を掻き立てるのだと思う。金沢(浅野川)が生んだ・泉鏡花、今触れることが出来てよかった。
2006年7月24日(月) 公式ブログ 松田亜世の『吉祥寺発金沢弁』スタート!」
 公式ブログなるものを立ち上げた。巷のブログブームの中、ひたすらこのページで日記を書き続けていたのだが(笑)、より多くの方に日記を読んでもらうべく、やっとのことで公式ブログを立ち上げる事にした。
 しかし、普通の日記では面白くないので、金沢弁日記・『吉祥寺発金沢弁』
 金沢弁日記は、昨年からmixi(いわゆるソーシャル・ネットワーキングサイト)上で書き続けていたもので、それを今回広く皆さんに公開しようというわけなのです。このページの日記の金沢弁バージョンを中心に掲載し、帰省中や旅先からの日記もリアルタイムにブログには載せていこうと思っています。ちなみにデザインも吉祥寺駅北口!!
 このページとあわせて今後とも宜しくお願い致します。
2006年7月20日(木) 「風呂ロック!『夢よ叫べ』」
↑終演後の弁天湯
 女湯である。
 「タイル貼りの壁たった一枚隔てたところで・・・♪」(松田亜世『ひろみ湯』)なんて歌を最近書いたが、まさしくタイル貼りの壁一枚隔てた女湯である。といっても変な話ではない(笑)。

 吉祥寺・弁天湯にエンケンこと純音楽家・遠藤賢司が闘いにやってきたのだ!風呂ロック FINAL「弁天湯VS遠藤賢司」。
 まさしく銭湯でのライブなのである。銭湯でのライブといえば以前、故郷・石川県松任市の銭湯でパーカッショニストの大久保宙さんのライブを観た事が非常に印象に残っている。銭湯=裸の付き合いの場、そしてはじめて社会を知る場所で音楽を聴く、非常に意味のあることだと思うし、音楽を聴く場所としても、銭湯という空間はとても心地よい。

 今日は吉祥寺在住の音楽雑文家・いしうらまさゆき氏と共にライブを楽しんだ。開場時間に間に合ったので、ほぼ最前列で観る事が出来た。エンケンの歌は、昨年の高田渡さん追悼ライブで聴いて以来2度目。あの時、井上陽水さんがギター一本で『傘がない』を歌い、その後に登場したのがエンケン。その時の『夢よ叫べ』が素晴らしかった。凄い歌だと思った。そのエンケンの、ソロライブをやっと今日観る事が出来た。しかも”銭湯で”という嬉しいおまけがついて・・・。

 59歳のエンケンがアコースティックギター一本抱えて颯爽と湯船の上に作られたステージに登る。素直にカッコよかった。細身のジーンズに和柄シャツ。『カレーライス』をはじめ名曲の数々のオンパレード。リアルタイムの世相をバッサリ切るトークも良かった。印象的だったのは「努力は才能だ。」という言葉。歌い続け、ギター一本で武道館とも闘ったエンケンの言葉ゆえにずっしりと迫ってきたのだ。
 途中休憩を挟みながら2時間半近く、エンケンを間近で感じ、これでもかとばかりのギターのストローク、叫び・・・、時に聴かせる囁きの曲がまた染みてくる。アンコールでは、ケロリン桶が客席に配られ(笑)、それを叩きながらの『東京ワッショイ』。エンケンも言っていたが、ケロリン桶はなんともいい音がした。和みの音かもしれない。銭湯に行った幼き日々の懐かしの音だった。
 そして最後は、お待ちかね『夢よ叫べ』。
 ”歌は力なり”ということをこの歌は教えてくれる。ただ一点を見つめながら聴き入った。
 エンケンありがとう!!

 帰りはお好み焼き屋・御殿山にていしうら氏と「エンケンに乾杯♪」。しばし今夜のステージを噛み締めていた。
 新竪町3丁目ひろみ湯なき今ではあるが、石川県公衆浴場関係者の皆さま、ぜひ『ひろみ湯』を引っ提げての銭湯ライブ、やらせて下さい。
2006年7月16日(日) 「浴衣」
↑写真左(紺系)が、毎年着ていた浴衣で、写真右(茶系)が今日買ってきた浴衣。
 昨日は連休初日とあって、色々な方に足をお運び頂き、48回目の恒例吉祥寺『亜世's Day ワンマンライブ』を終えることが出来た。暑さもあったし、終演後のビールが美味しかったのは言うまでもない。ご来場頂いた皆さん、本当にありがとうございました!ライブレポートは改めてアップします。

 一夜明けた今日は、大好きなトニーズピザで腹ごしらえして、気持ちは既に来月(8/15)の浴衣ワンマンライブへ。という訳で、2着目の浴衣を探しに行った。以前もらった全国百貨店商品券が助けとなり、なかなか渋くてカッコいい茶系の浴衣を購入。これで来月も2ステージ、浴衣の衣装換えが可能となった(笑)。楽しみ楽しみ。
 浴衣に似合う歌も創れたらいいなぁ。
2006年7月10日(月) 「山吹・天守物語」
 七月大歌舞伎を歌舞伎座に観に行ってきた。坂東玉三郎さんが演じる金沢の文豪・泉鏡花の世界。今回は夜の部『山吹』と『天守物語』(昼の部も今月下旬鑑賞予定)。文庫本を何度か読み込んでストーリーを頭に入れて歌舞伎座に向かった。時に難解ともいわれる泉鏡花の世界、現実を超えた幽幻の世界の美しき姫を玉三郎さんが演じるということで非常に楽しみにしていた。生で玉三郎さんの舞台を拝見するのも始めて。
 大正時代に描かれた作品を歌舞伎のお芝居にかけるという試みにも非常に興味があった。一本目の『山吹』は、時代背景が現代(つまりは大正時代)、洋服の洋画家も登場する。欲をいえば、時代背景は現代でも歌舞伎独特の”何か”がもう少し観えればより楽しめたような気もした。(あえて入らなかったのだろうが、”合の手”もあってもいいのではないかと思ったり。歌舞伎の一体感を形づくる重要な要素だと思うので。)
 45分の幕間に売店で売っていた鯛焼きを食べたりしながら、玉三郎さんの登場を待つ。幕の内弁当を食べながら演劇を鑑賞できるというのもまたよい。寄席などやはり江戸の大衆文化の名残なのだろう。(ビニールのかさかさする音だけにはお気遣いいただきたいのだが(笑))
 そして『天守物語』。原作を読んでいても一番僕自身面白いと思った作品。玉三郎さんの当たり役とも言われるだけに待ちに待ったといった感じ。やはりその立ち姿、それだけで美しい。劇のひとつのクライマックス、「誠の恋は心と心」、その台詞を聴けただけでこのお芝居は満足だったかもしれない。幼き日々に母を亡くした泉鏡花は、母親の面影をその作品に登場する女性や精霊達に求めたともいわれる。鏡花の作品において精霊の美しさは絶対条件。まさしくそれに相応しい役者さんだと思った。
 ただ、泉鏡花の幻想的世界を舞台で表現することの難しさを目の当たりにしたことも事実。現代であれば、その世界は映画に最もむいているのではないかと思った。あるいは、コクーン歌舞伎で観たような、こだわり、そして大掛かりな舞台演出を駆使するか・・・。このどちらかで観たい。もっと僕達の心を鏡花の世界に飛躍させてくれる演出があれば、揺るぎない感動が沸き起こったような気がする。でなければ、役者さんの”美”に僕らの意識が追いつかなかったということだろうか。ともあれ、もっと深くこの作品を観てみたいと思った。
2006年7月9日(日) 「リハーサルとモンゴル」
 13時からの下北沢でのリハーサルだったのに、なんと二度寝をしてしまい、気づいたら12時10分(苦笑)。ダッシュで井の頭線に乗ってなんとか12時50分にはスタジオに着くことができた。ホッと一息、リハーサル開始。4月以来のベース山さんも迎え、男4人衆での演奏。新たなアイデアも取り入れつつ15日に向かって準備をする。イメージをすぐに形にしてくれるメンバーには感謝。今月もステージが楽しみだ。

 夜は久々にのんびりとした日曜日。ジムに行ってウルルン滞在記を見た。ホーミーを習いにモンゴルに行ったという話。「あ〜、懐かしいなぁ。」と思いながらテレビを見ていると、モンゴルの草原の匂い、ゲルの匂い、馬乳酒の味さえ感じることが出来るのは実体験が成せる業。テレビからは絶対に見えてこない部分もあるもんだとちょっと面白かった(笑)。それでもモンゴルの音楽は僕らの血に響く。今夜は久々にモンゴルで買ってきたモンゴル音楽のCDを聴いている。
 一方、イルクーツク空港で飛行機が事故とのニュース。イルクーツクの親友・オレグとその家族は無事だろうか・・・。心配で早速メールを打った。
2006年7月8日(土) 「深大寺」
 湿気と暑さに耐えかねて、深大寺にそばを食べに行ってきた。夏のお昼は和モノの麺類に限る。久々の深大寺、そばはもちろんなのだが、関東では非常に珍しい白鳳時代の釈迦如来がいらっしゃるのが深大寺。ちょうど京都・広隆寺の有名な半跏思惟像と同じ時代のなんとも優しいお顔立ちの仏さんだ。その仏さんに会いに行くってのも仏像マニアとしてのもうひとつの目的(笑)。
 ちょうど今日は地元ボランティアの方による無料の深大寺案内の日だそうで、折角なのでご年配の方々に交じって案内を受けた。深大寺の歴史から、文化財から、自然から、それ程広くない境内を1時間ほどかけて丁寧に説明をして頂いた。
 吉祥寺からバスでほんの20分、味噌田楽をつまみに深大寺ビールという地ビールを飲み、小旅行気分の日曜日だった。
 そして夜は6月25日の日記にも書いた御殿山でお好み焼きを食べた。そういえば、先週三鷹で広島焼きのお店を見つけて、嬉しくなって食べてきた。最近、僕の中ではお好み焼きブームが到来しているのかもしれない(笑)。
2006年7月7日(金) 「天漢の日」
 笹を担いで家路に着く親子。懐かしき光景が、吉祥寺の街でもチラホラみられた今週。星に願いを想いを託す、何千年の時を超えたロマンティックな一夜。東京は生憎の曇り空、月の光が雲の裏側から射してはいたが、星は見えそうにもなかった。井の頭公園で夜風に吹かれながら、雲の向こう側の天の川(天漢)を瞑想する。
 少年や少女時代に想い描いた夢のひとつひとつ、それを願うまっすぐな心だけは、見失わないように生きていきたいと思った。
2006年7月4日(火) 「新曲 『古の海より』」
 新しい歌が生まれた。昨夜から書き始め、たった今完成した。
 タイトルは『古(いにしえ)の海より』。
 時に”日本の原風景”とも呼ばれる能登からエネルギーをもらって書いた歌。同じ石川県でありながら、金沢とは確実に違った、しかしどこまでも深く優しく力強い文化の息づく・能登。今年の3月に久々に能登を巡る機会があって、この風景を元に歌を書きたいと思っていた。
 能登の海に立っていると、古の大陸との交易の音が聴こえてくるような、そんなとてつもなく大きく緩やかな時間の流れを感じる。大いなる自然、大いなる時の流れの中で、ここに生きる命、そんなことを考えるきっかけになったらなぁとこの短編に想いを込めた。
 7月のワンマンライブで歌います。
2006年6月30日(金) 「日本の歌」
 たまたま見ていたAmazon.co.jpのおすすめ商品にさだまさしさんの『日本架空説』というアルバムがあった。購入者のカスタマーレビューを読んでいるとたまらなく聴きたいアルバムに思えてきた。タワーレコードでWポイントキャンペーンをやっていたのを思い出して吉祥寺のタワーレコードへ走るが、お目当てのアルバムは見つからず。さらにツタヤでオンラインクーポン半額セールをやっていたのを思い出しツタヤに駆け込むと、なんと何枚しかないさだまさしさんのコーナーに『日本架空説』が鎮座していた!
 「聴きたい!」と思うとすぐにでも聴かないと落ち着かない性質なので、嬉しかった。しかも半額!(なんと生活観の漂う日記なのだろう(笑)。)

 帰って早速リピートして聴いている。さだまさしさんの歌から”日本への愛”が純粋に伝わってくる。日本をテーマにした作品も多々あるが、このアルバムは名作。メロディー、サウンド、詩が”日本”への優しい眼差しで溢れている。目を閉じて静かに詩に耳を傾けていると、涙がこぼれてくる。
 素敵な歌に出会えた。
2006年6月28日(水) 「おとこ川おんな川」
 ”おとこ川”、”おんな川”、金沢を流れる犀川、浅野川を称して人はそう呼ぶ。金沢には犀川と浅野川という趣の異なる二つの流れがあり、それが金沢という街の独特の魅力を創りだしているといっても過言ではない。僕が『廓唄』で採り上げた主計(かぞえ)とひがしの廓はおんな川・浅野川沿いにあり、にしの廓はおとこ川・犀川沿いにある。花街だけとってみてもこの二つの川のほとりでそれぞれ独自の文化を築いてきた歴史がある。文学にしても、泉鏡花と徳田秋声は浅野川、室生犀星は犀川と各々の世界観の背景に各々の川の流れがある。
 川が育んだともいえる文化が金沢には息づいている。
 以前、地元の新聞で連載されていた『おとこ川 おんな川』の本を東京の本屋で発見。ちょうど『あの川のほとり』の歌詩を手直ししようか、もしくは新たに川を背景に歌を書きたいと思っていたので、これも何かの縁、即手に入れて読んでいる。
 故郷懐かしさに留まらない街・金沢。「自分は何者か?」、人生哲学の最終目標のひとつともいえるこの大命題、”金沢”という特異な街を学び、感じるということが自分探しのひとつの切り口になるような気がしてならないのだ。
2006年6月25日(日) 「御殿山」
 今日は前から気になっていたいせや本店近くのお好み焼き屋”御殿山”へ。「美味しい!」という話も聞いていたのだが、とてもいい感じに古い佇まいが常連の多さを物語り、なかなか入れずにいた。こういうところはたまに小心者の僕である(笑)。
 瓶ビールを飲みながら、具がたっぷりの御殿山天を食べる。「美味い!」お多福ソースと、そして何よりもマヨネーズの味が絶品!!キャベツの甘みも広島で食べた広島焼きのキャベツの甘みを思い出させてくれて、その甘みをマヨネーズの旨味が包み込み、大満足。
 毎日歩く道を眺めながら食べるお好み焼き。なんだか不思議な感じでもある。ご主人も奥さんも心地よく料理を運んでくれる。
 これはもっと早く常連になっておくべきだったと思った。僕にとっては東にトニーズピザ、西に御殿山となるかもしれない(笑)。いや、美味かった!
2006年6月22日(木) 「ニール・ヤング!」
 ニール・ヤングから新たなアルバムが届けられた。『Living with War』。やっぱり、ニール・ヤングが大好きだ。
 9.11の後、真っ先に『イマジン』を歌ったニールが好きだった。今回のアルバムは、ブッシュ、そしてイラク戦争の「?」に対して真正面からメッセージを送る10曲。60年代と今を繋ぐ力強くそして貴重な作品だと思う。
 「私は18歳から22歳ぐらいの若いシンガーがこういった曲を作り、立ち上がるのを待っていた。しかし、60年代に青春を過ごした世代が、まだまだこうしたことをやっていかねばならないのだと思い始めた。私たちはまだ現役なのだから。」とニールは語る。
 歴史は繰り返す。最悪の歴史を繰り返さない為にも世代を超えたつながりは大切だと思う。歌も魂(スピリット)も、受け継いでいくという姿勢がなければ死んでしまうのだから・・・。
2006年6月20日(火) 「泉鏡花の世界を知る」
 今月初めに歌舞伎鑑賞教室を観た時の日記にも書いたが、歌舞伎座七月大歌舞伎は坂東玉三郎他の泉鏡花4作品一挙上演。日にちをずらして昼夜共3階席のチケットを入手した。今から非常に楽しみ。坂東玉三郎さんの舞台を生で観るのもはじめてなら、泉鏡花の舞台を観るのもはじめて。
 金沢の3文豪のひとり・泉鏡花。しかし恥ずかしながらこれまで、その独特の文体ゆえに『高野聖』の途中まで読んで、それっきりだった。これはいかんということで、戯曲『夜叉ヶ池』・『天守物語』を買ってきて読んだ。今までの苦手意識がスーッと消えて、その独特な”幽艶”とも呼ばれる世界観に入り込む。特に『夜叉ヶ池』の舞台は北陸であるし、それが『天守物語』にも繋がる。雪の中の淋しさ、人間を超えたナニモノかの優しき心。じわりじわりと鏡花の世界に引きずり込まれつつある。
 『海神別荘』・『山吹』も読んで、7月の歌舞伎をより楽しみたい。
2006年6月17日(土) 「芸者シャツと横浜」
 6月のワンマンライブもお陰様で無事に終え、梅雨の中休みといった感じの週末、大学時代の先輩ご夫妻と中華を食べに横浜に行ってきた。とその前に久々の横浜方面への用事だったので、代官山のお馴染み「空」を経由して(笑)。もちろん、夏物シャツを手に入れる為。見つけました、芸者のデザインシャツに芸者Tシャツ、そして弁財天Tシャツ!!今シーズンは僕の志向にビンゴ♪非常に嬉しくなってしまう。店員さんも僕を覚えててくれて、「どうも、こんにちは!」なんて声を掛けてくれる。結局3着購入で、7月の衣装は決まった!『廓唄』にピッタリである。

 そして一路横浜へ。14時に石川町の駅で待ち合わせてランチタイムを少し過ぎた中華街、先輩の隠れ家的香港小路のお店へ。エビの揚げ物やフカヒレ、オコゲが目茶苦茶美味い!すっかりご馳走になってしまって、ビール片手に大桟橋へ向かう。客船がゆっくりと入港する港を眺めながらの太陽の下でのビールがまぁ美味いこと。港・横浜、金沢にも吉祥寺にもない風景であり、僕にとっては刺激的な景色である。太平洋は日本海とは全く違う海。色も波も匂いさえも違う。太平洋はおおらかに世界に繋がっているイメージ。「ああ、この海を越えたらアメリカがある。」って感じだろうか。日本海は、ある種の覚悟が必要だ。「この海を越えたら大いなるアジアが拡がる!」のだが、荒海を越える、北を目指す覚悟が必要。同じ日本でも不思議な違いだ。
 夕方17時から関内の居酒屋で一杯ご馳走になりながら、まだ空明るい19時には渋谷へ向かう東横線。やはり海は好きだ。
2006年6月14日(水) 「明日は梅雨のワンマンライブ」
 今日は午前中から明日のワンマンライブの為のリハーサル。井の頭線を使って通学してた学生時代はよく降りた街だが、最近はリハーサルスタジオに入る位にしか用のなくなってしまった下北沢。久々に通る通りに新たなお店がゾクゾクと入れ替わっているのは、まぁ吉祥寺も同じこと。変わらぬもの、変わっていくものを感じる。
 いよいよ梅雨本番ということで、部屋干し用の突っ張り棒を買って帰宅。280センチ対応の自分の身長ほどある長〜い棒を持って吉祥寺サンロードを抜けて、ロンロンで買い物をして、ちょっと目立ってしまった(笑)。

 さて、明日は梅雨の6月ワンマンライブ。27歳初の吉祥寺ワンマンライブだ。天気予報では夕方から雨・・・。さて、どうなることやら(笑)。雨が似合っていたこのワンマンライブだが、晴れ男・木内健の参加で結構天気には恵まれ始めている。明日も期待!?
 折角の梅雨である、しっとりとじっくり歌い上げたい。
 皆さまのご来場、心よりお待ちしております。
2006年6月10日(土) 「新宿高層ビルに歌う金沢の唄」
 今日は高校の32期上の先輩方の関東での同窓会にゲストで呼んで頂き、新宿南口サザンタワー21階で歌わせていただいた。窓の外には新宿南口から新宿御苑、そして神宮外苑までの景色が拡がる。都心一望といった感じだ。金沢の高校の同窓会が、何十年の時を経て、こうして東京のど真ん中で開かれる、なんとも素敵なことだと思った。ちらほらと聴こえる、先輩方の時折金沢弁での会話に胸が熱くなる。
 『廓唄』、『がんばるまっし』、『おかえり』の3曲を故郷への想いを込めて歌わせて頂いた。さらにアンコールを頂き、リクエストを頂いていた『浜辺の歌』を歌わせていただく。誰もが知っているメロディー、遠く日本海の夕暮れの海岸の風景が目に浮かぶ・・・。日本の美しきメロディーも大切に歌い継いでいかなければという想いも募ってくる。
 故郷・金沢への想いを新宿の高層ビルの上で歌う、とても貴重な経験をさせて頂いた。故郷を背中に、東京に立ち続ける先輩方に負けぬよう、僕らもこの”東京”で故郷を胸に頑張って生きたい。
2006年6月9日(金) 「石浦昌之氏と井の頭公園」
 今日は、4月から亜世's Day ワンマンライブのインターバルにお届けしている『世代を超えたフォークな世界!』の収録をした。石浦昌之氏と会い、このラジオ調番組を収録すると、「いよいよ今月もワンマンライブだ!」という気持ちが高まってくる。収録はいつも一発録音(笑)。収録前後の音楽談義がまた楽しい。
 そして今日の収録後は、石浦氏がバンジョーギターを買ったということを聞きつけ、井の頭公園にてジャグバンドに夢を馳せながらセッション。いやぁ、楽しかった。武蔵野タンポポ団の歌やオリジナルの歌やフォークの名曲の数々、バンジョーとギターという組み合わせもまたいい味が出てゾクゾクする。”3コードは偉大なり”、そんなことを再認識した夜の井の頭公園。木々の湿った仄かな香りがとっても心地よかった。
2006年6月5日(月) 「お陰さまで27歳になりました。」
 昨日は、下の日記でもチラッと触れた新曲『タンポポと少年』を26歳最後の曲として書き上げて、27歳の誕生日を静かに迎えた。泥んこになって強くたくましく生きた少年時代の力強さを歌った歌、今月のワンマンライブで早速お届けしますね♪
 そして、日付が替わると共に沢山の方からのお祝いメールやメッセージが届き、本当に嬉しかったです。30歳への階段、ひとつひとつしっかり踏みしめて歩んで生きたいと思います。誕生日を迎えると、本当に時間の流れの早さを実感します。大切に大切にしたいです。
 皆さまからのメッセージ、本当にありがとうございました!!
 27歳になった松田亜世も、どうぞ宜しくお願い致します。
2006年6月2日(金) 「歌舞伎鑑賞教室と祭一番!」
 今日は午後から国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に行ってきた。コクーン歌舞伎で歌舞伎の魅力を再確認し、また観たいなというところで、詳しい解説もついたお得な歌舞伎教室があることを知り、早速チケットを取った。今回の演目は近松門左衛門作『国姓爺合戦』。この作品が創られたのは鎖国時代であるにもかかわらず、舞台は日本と中国、壮大なスケールの物語である。
 本編が始まる前に”歌舞伎のみかた”と題した坂東亀三郎さんによる解説がある。舞台装置から上手下手の音楽の役割、そしてこの作品のあらすじ等、こういうことを知った後に歌舞伎を観るとまた新たな発見があって面白い。歌舞伎は日本のミュージカルだとも言われるが、本当によく創られていて、総合芸術的魅力が大いにある。例えば歌舞伎の”見得”、これなどは映画のスローモーションの役割を果たしたり、”つけ打”はストーリーの中の重要な効果音であったり・・・。回り舞台は、歌舞伎が発祥で今や世界の劇場に取り入れられている舞台装置であったり、江戸時代のものが今も発展して舞台に息づいている、これぞ文化というべきか。
 本編も非常にテンポもあり、物語自体のスケール感もあり、面白かった。これだけ楽しめて、三階席で¥1,500-!これはお薦めです。そして7月の歌舞伎座では、坂東玉三郎さんの出演する、我が金沢の文豪・泉鏡花の作品が上演されるとのこと。これは見逃せません。

 そして夜は池袋の居酒屋・祭一番へ。おかえり祭りに東京から帰省されていた方と”あとふき”(打ち上げのこと)、昨年もこの祭一番さんであとふきをやったので、一年とはこうも早いものかと実感する。この祭一番のマスターは、能登の飯田のお生まれでお店の中はお祭で溢れている、祭バカにとってはたまらないお店(笑)。お祭ビデオも充実していて、もちろんおかえり祭りのビデオ鑑賞をしながらビールを飲む、なんとも幸せな時間。
 石崎奉燈祭のビデオも見せてもらったのだが、能登の祭りも凄い。この夏、帰れたらいいなぁと密かに画策(笑)。

 それから、新曲もほぼ完成! 6月のワンマンライブでお届けできたらいいなぁと思っています。
2006年5月26日(金)〜28日(日) 「初の3連戦」
 5月26日から28日までは西武ドームへ今季2度目の虎応援。しかも、割安チケットや招待券を駆使しての初の3連戦フル観戦。昨年も西武戦は観に来
↑野口、久保コーチと話す井川(左)。 ↑スタンド最前列にて練習を見る。
たのだが、関東でドームの中でジェット風船を飛ばせる唯一の球場、そしてブルペンや選手との距離とも割合近くて結構お気に入りなのだ。何よりも雨天中止のリスクを負わずに観戦できるのがありがたい。
 3日間共ほぼ開門時間に球場に入り、タイガースの練習風景から観る事が出来た。この時ばかりはスタンド最前列まで行って見られるからかなりお得感がある。3戦目のブルペンでは、恐らく火曜日の登板用に井川と野口のバッテリーが本当に目の前で投球練習をやっていたり、それを見る岡田監督、ベンチに置いてあった井川のサングラスをかけてみたりと監督のお茶目な面を覗けたり、これも楽しかった。
 結果は1勝2敗。前回観戦した時と同様、江草がいい感じで2戦目を勝ち、3戦目も延長10回まで、オックス→ダーウィン→能見→藤川→久保田の継投を見られたり、まぁ最後のサヨナラ負けで疲れがド〜ッと出たけれど・・・。しかし、試合中のブルペンを目の当たりにすると、中継ぎ、セットアッパー、抑えの投手陣のプレッシャーがマジマジと感じられるし、マウンドに向かう背中がサムライに重なり凄くカッコよかった。僕自身もあんな背中でステージに登りたい。
2006年5月19日(金)〜22日(月) 「今年も熱かった!!美川県一の町!〜おかえり祭り〜」
↑当番宅の床の間に飾られた家方組の人形・舞姫(アメノウズメノミコト)。
 18日の夜の飛行機で帰郷。
 翌日の午後から台車(だいぐるま)と呼ばれる三輪の山車の準備。美川仏壇の技と贅を尽くした13台の町の財産。1年間の埃を掃い、車輪の心棒にコバと呼ばれるゴマ油(僕が参加している家方組[やかたぐみ]の他は菜種油を塗ることが多い。)を塗った木を巻きつけ、”ギーギー”と音が出るようにする。この台車の車輪の音に美川の男衆は、強いこだわりを持ち、「いい音や!」というのが何よりもの褒め言葉なのだ。そして提灯、風鈴、幕などの飾り付けをして翌日からの巡行に備える。準備が終わったら当番のお宅に行き一杯飲む。当番宅の床の間には既に台車に飾りつける人形が飾られており、翌朝台車に載せる。
 祭り前夜は”よんめ”といい、各町の台車が各々の町を回る。「いよいよ明日から始まる!」そんな興奮が美川の町を包む。お祭りの露店も準備を始め、お祭りムードも高まってくる。

↑お旅所を往く台車。
 20日、いよいよ祭り初日。朝4時半起床。今年新調した紋付袴に着替え、6時の集合に間に合うように高浜のお旅所に向かう。6時までにはあがると言われていた雨もまだ止まず、雨の中の”お立ち”。お神酒をグイっと飲んだところから始まって、日付が替わるまで飲み続ける。ゆっくりゆっくりと台車、獅子舞、青年団のラッパと旗手に先導された神輿が雨の美川の町を往く。昼の休憩を挟んでなお降り続ける雨・・・。午後になってようやく上がった。
 22時過ぎ、露店の中を沢山のギャラリーを掻き分けながら台車は高浜のお旅所に続々と到着。神輿の”お着き”を待つ。神輿の最後の乱舞は何度見ても鳥肌が立つ。みんなその姿に憧れ、祭りは世代を渡って受け継がれていく。

 翌21日は夕方まで時間があったので一旦金沢へ戻り、高校の先輩でもあり”金沢愛”という共通項で結ばれた音楽家・モリ川ヒロトーさんとお昼を挟んで金沢散策。前日は祭りで10キロ近く歩いたことになる訳で、我ながら体力あるなぁと思いながら、昨日とは打って変わって晴天の金沢の町を歩き倒す(笑)。21世紀美術館から小立野を周り、金沢城址公園を抜けて主計町、さらに東の廓へ。五木寛之氏の小説にも登場する加登長のうどんを食べ、金沢の街が一望できるイッセー尾形さんのアトリエでコーヒーを飲む。なんとも贅沢な時間。
 石川県は男性的部分と女性的部分のバランスがとても良いような気がする。それがまた豊かな文化を県内全域に留めるひとつの理由のような気がする。

↑家方組役員の皆さんと。本当にいつも温かく迎えて下さって、心から感謝申し上げます。
 そして夕方、再び祭りの熱気に包まれた美川の町へ。祭り2日目は20時前後に高浜のお旅所を出発し、10年に一度巡ってくる”おかえり筋”と呼ばれる町筋を通りながら、翌未明に本宮に”お着き”になる。この”おかえり道中”、おかえり筋の家々では豪勢な料理で客人や男衆をもてなす。北前船で栄えた名残が今なお立派な造りの家々に受け継がれている。「今日はいい祭りで」と挨拶して、ご馳走になる。
 2・3軒、”舞い込み”と呼ばれる接待を受けた頃には夜も更けて、お酒も随分回ってくる。みんな酔っ払っているものだから、台車の舵取りもどんどん重くなってくる。おかえり筋を後にする時間帯は、毎年毎年「もう祭りも終わりや。」と淋しさが込み上げてくる。

 祭り翌日の22日朝。ゆっくりと町は日常に時間を戻しつつあった。朝9時から台車の後片付けのお手伝い。今年も二日間無事に終えられましたと、人形を降ろし、提灯やお飾りを片付け、倉庫の扉を閉める時、「また来年!」と相成る。
 町のあちこちに残った台車の車輪の痕を見ていると、祭りが終わったことをしみじみと感じる。

 また来年、いい祭りが出来ますように、その為の一日一日の積み重ねでありたい。

 今年も大変お世話になった家方組の皆さん、温かく迎えて下さった美川の皆さん、本当にありがとうございました!
2006年5月18日(木) 「いよいよ、待ちに待った”おかえり祭り”」
 今日の夕方の便で帰省します。
 僕の本籍地・白山市美川町のおかえり祭りに今年も参加させてもらう為。(去年のおかえり祭りの様子は、エッセイ「おかえり祭り」をご覧下さい。)ライブや曲作りは別として、正月よりもお盆よりも何よりもこの日(5月の第3土日)が1年で一番楽しみな日。15日のワンマンライブが終わった時点で、もう完全にお祭りモードに突入してしまって、昨日もワクワクソワソワ(笑)。
 ジムから帰っておかえり祭りのビデオを見てしまったから、もう駄目・・・。今日一日お祭りのことを考えたまま羽田、そして小松に着き、明日は準備に参加して、明後日早朝からイってしまいます。週末の天気が気になりますが、何とか晴れますように♪
 何がここまで熱くさせるんでしょう?ともかく血が騒いで仕方ありません。一年分のエネルギーを補給してきます。
 興奮して眠れそうもないので、久々に家でビールを飲んで寝ようと思います。
2006年5月14日(日) 「今月のワンマンライブは新曲3曲一挙公開!」
 皆さまにご心配をお掛けした体調の方も、良くなりました。お見舞いメール等、ありがとうございました!
 さて、金曜日はロケット団さんの花形演芸大賞銀賞受賞記念パーティーに呼んでいただいて、1曲歌わせていただいてきました。司会の中津川弦さんと僕は同い年で、中津川さんも無類のフォーク好きということで、楽屋で高田渡さんの『銭がなけりゃ』をこっそり二人で熱唱したりと楽しい一日でした(笑)。1979年生まれは熱い!
 昨日は本八幡で開かれたパーティーに呼んでいただいて、30分のライブをしてきました。ビリヤード台が置いてあるお洒落なバーで、アップテンポの曲では手拍子、バラードでは静かに聴いて頂いて、とてもありがたい30分間でした。途中、涙を拭って下さる方もいらっしゃって、歌わせていただいて本当に良かったなぁと改めて思いました。聴いて下さった皆さま、本当にありがとうございました。
 そして一夜明けて今日、15日のワンマンライブの前日、新曲完成です!明日は新曲3曲を一挙公開いたします。精一杯歌わせて頂きたいと思っております。お仕事帰りに、ぜひお立ち寄り下さい。お待ちしております♪
2006年5月10日(水) 「小雨の下北沢」
 今日は夕方からリハーサル。最近御用達の下北沢のスタジオへ。今月は西村健と木内健の”W健”にサポートしてもらって、シンプルかつしっかりとしたアンサンブルを目指している。スタジオに入ってくるなり木内健が”喉×”サイン(笑)。彼も風邪らしい。というわけで、コーラスを除いた部分でリハーサルは進行した。
 鼻がスッキリしなかった僕だが、かなり回復していて、それが逆に変な所に力が入らず、いい具合に声が出始めていたのは幸いだった。喉や鼻の不調があると、それが治った時に感じる、歌えることへの幸せがなんとも嬉しい。
 さて、ワンマンライブまで後数日、しっかりと創りこんでいきたい。
2006年5月9日(火) 「ゴールド免許」
 まだ鼻がスッキリしない。風邪〜!というほどのものではないので、逆に治りが遅いのか・・・。今週末から2本歌う機会があり、週明けは恒例のワンマンライブ。早くスッキリしたいものです。
 今日は免許の更新に行ってきた。緑→青→ゴールドと順調にレベルアップした。まぁ、東京にいると車に乗る機会も少ないから、ゴールドになる確率は高いだけの話なのだが(笑)、それはそれでちょっと嬉しかった。講習も30分で終わってしまうし、新宿都庁の運転免許更新センター、平日だからか非常にスムーズでなかなか良かった。
 帰りは新宿のタワーレコードに寄った。Jewelの新譜と、この前買った’75〜’76以外の『春一番』が目的だったのだが、「¥6,000-以上お買い上げでポイント倍!」とのポスターが目に入ってしまった(苦笑)。ポイント系には滅法弱い僕・・・。手にはJewelの新譜と『春一番’72』と加川良の『やぁ。』の計3枚の不揃いのCD。
 新しい歌もさらに浮かぶ予兆もあり、今週末、そして来週に向けて体調を整えつつ、良いステージを創りたい。
2006年5月2日(火) 「風邪にスチーム吸入器」
↑スチーム吸入器
 この前の土曜日辺りからどうも調子が悪かった。喉がイガイガしてて、少しボーっとした感じ。つまりは風邪だったのかもしれない。昨日辺りから鼻も詰まり始めてたし・・・。熱はなく、徐々に回復しているので大事無いのだが、少しスッキリしようと、スチーム吸入器を買ってきた。値段もかなり安くなっていたし、ゴールデンウィークセールみたいなもので、ポイントも3倍ということで思い切って購入。
 昔、小児科でやったスチーム吸入の簡易版。これが結構効く。喉も鼻もかなり楽になるから、もっと早くから導入しておけば良かったと思ったりもしている。これなら、ライブの前の喉のケアにも活用できそう。今月のワンマンライブからは、より潤いのある喉でお届けできるやもしれません(笑)。
 それに今流行の鼻うがいは、さすがに痛そうで怖いけど、鼻からスチームを吸い込むことで鼻うがいに近い効果も得られそう。丈夫な身体になるんだい!!

 しかし、もう5月。早い!!
2006年4月27日(木) 「新曲2本」
 時間は前後するのだが、4月23日(日)に『雨上がりの新宿三丁目』という歌が出来た。21日(金)にロケット団のお二人にお会いした際、「ぜひ曲創ってよ。」ってな話から一気に書き上げることが出来た。お二人の姿が力強くて、一気に書かされたという感じ。詩もすらすらと浮かんできた。火曜日の寄席に遊びに行った時、お二人に音源をお渡ししたのだが、気に入って頂けたようで、こちらも凄く嬉しい。大切に歌っていきたい。

 そして今日、また新たな歌が出来た。「50代が聴ける子守唄」というお題をある方から頂き、ようやくひとつ形になったのが『白黒(モノクローム)の子守唄』という歌。お題から”モノクロアルバム”というテーマが徐々に浮かんできて、本屋で見つけた「吉祥寺 消えた街角」という写真集を眺めてイメージが膨らみ、物語を紡ぎながらこちらも昨日の夜から一気に書き上げることができた。週末交通博物館で感じた”昭和”もよい影響を与えてくれて、すべてが上手く噛み合った気がする。
 5月のワンマンライブは、現段階で新曲が二つ。バンドとも新たな曲を演奏する予定なので、これからまた良いステージを創っていきたい。
2006年4月25日(火) 「寄席定席初体験!」
 ロケット団のお二人の定例集会で何度か足を運んでいる新宿末広亭、今日は定席初体験ということで、雨の新宿三丁目に行ってきました。例の如く近くの航海屋でラーメンとおこわを食べて(ランチサービスおこわ100円でお替り3杯が嬉しい。)、12時少し前に末広亭に到着。前座さんの途中から聴くことが出来た。
 三味線と太鼓の音に、次々と登場する噺家さんに色物と呼ばれる漫才や紙きり、手品・・・。昼の部だけで16時半過ぎまでず〜っと続く(入れ替えはないので、夜の部の終わり21時までいようと思えばいられます。)。落語は今まで何度か聴いたことはあったのだが、こうして寄席で腰を据えて聴くのははじめて。さすが老舗の寄席だけあって、出てくる話のひとつひとつが面白い!これを今まで未体験だったことが悔やまれる。確かに4時間半の長丁場、途中疲れた場面もあったけど(笑)、終わってみれば大満足。落語ブームといわれて久しいが、平日の昼の部でほぼ満席。ちらりほらりと20代もいる。東京に暮らしているんだったら、ぜひ一度寄席に足を運んでみることをお薦めします。”笑い”の世界に芸の世界。暇な時間にふらりと寄れる、そんな気軽さでこれだけ楽しめるんだから、田舎者の僕はビックリです。
 そして、我らがロケット団!客席包んだ笑いの渦が、なんだかとっても嬉しくて、寄席に生きる心意気を感じたのです。
2006年4月22日(土) 「さよなら、懐かしき昭和の交通博物館」
 昨夜は漫才コンビ・ロケット団のお二人のテンポのいい漫才満載の定例集会(単独ライブ)を新宿末広亭に聴きに行き、やはり芸は”間”だなぁとお二人の間合いの力強さを改めて感じた。

 
↑想い出にと金沢関連の鉄道グッズをお土産に。
そして今日は、思い立っての交通博物館(笑)。5月14日で閉館となる。ゴールデンウィークは大変な混雑になるであろうから、このタイミングはよかったのかもしれない。
 僕にとってこの場所は非常に想い出深い。死んだじいちゃんと東京へ遊びに来た時、訪れた場所であり、親父とお袋とも来たことがある。飛行機や電車が好きなネンネ(金沢弁で”子ども”の意味)だったので、大好きな場所だった。宝の宝庫、夢の世界といった感じ。
 ここに展示された蒸気機関車の前で、じいちゃんの膝に抱っこされた写真が、確か実家に残っていたはず。小さい頃からじいちゃんに手を引かれて、北陸線のコウキブ(と、じいちゃんは呼んでいた石川県松任市の車両工場)に電車を見に行ったり、公園のD51で遊んだり、飛行機嫌いの人だったので東京へも電車の旅だったり・・・。じいちゃんと電車(電車であっても新幹線以外は汽車と言っていたが)は、僕の中では連想ゲームの如く結びつく。交通博物館でも機関車を前に、嬉しそうに得意げに、僕に色々教えてくれたことを思い出した。
 じいちゃんの導きかもしれんね、意識はしていなかったけれど、今気付けば昨日が月命日。

 昭和の匂いが一杯の館内、ガヤガヤと騒ぐ子ども連れの親子に交じって、ご老人夫婦が懐かしそうに、そしてその昔少年だったおじいちゃんが独り愛しむかのように機関車を眺める姿に心動かされる。”さよなら”は辛い。ありがとうという気持ちと共に、とにかく泣きそうになってしまうこの感情は一体何だろう?
 鉄道は昭和の夢だったのかもしれない。目を閉じれば汽笛が聴こえ、シュッポシュッポ走る機関車、茶色の客車に飛び乗る三つ編セーラー服の少女、虫取り網を担ぎ嬉しそうに汽車の煙を追いかける坊主頭の少年。そんな情景が心に浮かぶ。感慨深げに展示物を眺める老人の青春があり、夢があり、そして苦労があったから、今のこの国があり、僕らが在る。たかだか鉄道、されど鉄道。やたら感傷的になってしまった。
 昭和の歴史がまたひとつ消えてゆくのは淋しい。想い出の場所がまたひとつなくなるのは、やはり切ない。ありがとう、交通博物館。そして、大切な想い出を残してくれたじいちゃん、ありがとう!
2006年4月20日(木) 「坂東玉三郎の世界」
 コクーン歌舞伎から帰って、色々インターネットで歌舞伎関連のことを調べていると、シネマ歌舞伎というものに出会った。最新映像技術で撮影された歌舞伎の舞台を、映画館で鑑賞できるというもの。ちょうど今月、東銀座で坂東玉三郎の『鷺娘』が、¥1,000-で観られることを知る。坂東玉三郎さんの舞台は一度観たいと思いながらも、お目当ての踊りの舞台をなかなか観ることが出来ず今日に至っていたので、早速喜んで映画館へ足を運んだ。やはり色っぽいというか、艶やかというか、日本女性の美学が見事なまでに表現されている踊りに圧倒される。美しい。やわらかであって力強く、ふくよかであって繊細な感じといったらよいのだろうか。ふぅっと引き込まれる魅力。
 『廓唄』、そしてそれに続く世界を歌うにあったって、興奮を感じざるを得ない舞台だった。
2006年4月18日(火) 「再びコクーン歌舞伎〜北番〜」
 「中村屋!」、「成駒屋!」、の合の手と客席と舞台の一体感が忘れられず(3/29の日記に南番観劇レポートあり)、コクーン歌舞伎『東海道四谷怪談〜北番〜』を急遽当日の立見で観に行った。
 同じ四谷怪談ではあるのだが、南番、北番で全く異なる演出で創られている。南番のインパクトが凄まじかっただけに、どうしてももう一方を観たいと思いながら、タイミングを探ってようやっと観ることが出来た。観客層は老若男女問わず、幅広い年齢層でシアターコクーンの客席が埋められている。3時間強の立見にもかかわらず、おばあちゃんなんかも立見でもいいからといって観に来ている。そんな会場の雰囲気だけでも興味深い。
 この北番は、三味や長唄ではなく、舞台音楽は現代音楽。ホーミーなんかが効果的に使われていたのは非常に印象に残った。南番がスケール重視なのに対して、北番はストーリー重視のより新たな歌舞伎といった感じだろうか。
 途中、舞台上の停電トラブルが起きた。客席灯と非常灯が点灯し、舞台上は真っ暗。あまりのタイミングの良さに一瞬「演出か?」とも思ったが、実際は停電だったらしい。真っ暗の舞台で繰り広げられる勘三郎さんの演技もまたよかった。トラブルすら取り込んでしまう串田演出の凄みと勘三郎さんの演技の力だったのかもしれない。
 舞台の流れが斬新だからか、今日がたまたまなのか、南番に比べて客席からの合の手の声が少なかった。上手い合の手を入れられるお客さんが客席にいるかどうかで、これまた舞台の締まり方が違ってくるのもまた、客席との間合いをも芝居の一部に取り込んでしまう歌舞伎の面白さなのかもしれない。思えばこの前南番を観に行ったときに掛かった合の手は、鳥肌が立つくらいに絶妙だった。客席もまた、芝居の一部であり、やはりその一体感が心地よい。
 舞台の終わりには、客席から演出の串田和美さんも手を振られ、それに対してスタンディングオベーションが起こる。
 次回コクーン歌舞伎がもう待ち遠しい。これは、毎年の大きな楽しみになるやも知れない。今度は、歌舞伎座での勘三郎さんの舞台も観に行ってみよう。
2006年4月13日(木) 「しみじみと」
 暖かくなってきたと思ったら、ジメジメとした日が続いている。ジムからの帰りに雨が降り出した。閉店後のいせや本店、雨がやっぱりどこか淋しさを誘ってくる。渡さんが逝ってから16日で一年。毎年この時期になると想い出すんだろうなぁ。
 昨日、石浦昌之から高田渡アンソロジーのCDを借りたりしたものだから、今日はライブの準備をしている間中、渡さんの歌が僕のアパートに響き渡っていた。この前も日記に書いた、”春一番”で渡さんが歌った『私の青空』もかなりいい。そんな、渡さんの名曲を心の中で流しながら、吉祥寺の街を歩いていると、ふらっと三輪自転車に乗った渡さんが現れる様な気がする。以前浅草で感じた芸人のオーラみたいなものと同質な何かを感じつつあった。吉祥寺には”歌”が生きている、渡さんが生きている、フォークが生きている、まだまだそんな街に歌いたい。
 熱い想いがまた沸き起こってきた。
2006年4月12日(水) 「春の交遊録」
 人と話をしたり、人の話を聴いたりするのが好きだ。打って響き合える”人間”が好きだ。
 昨日はロケット団の倉本さんとはじめて二人きりで飲みに行った。音楽の趣味も近いし、ひたむきな漫才のステージを目の当たりにしながら、一度ゆっくりお話したかったので、とても濃い時間を過ごすことが出来た。
 「私は漫才師。亜世さんは歌手。ぱっと見、異業種のような感じがしますが、亜世さんと話すと考えさせられることが多く、ああ、僕らも周りと違う方向でもコツコツやってていいんだなぁ、とパワーを頂いております。」ととても嬉しいことを掲示板にも書き込んで下さった。いえいえ、パワーを頂いているのはこちらも同じです。
 同じ時期に、ジャンルは違えど、吉祥寺で出会えたことが本当に嬉しい。これからもどうぞ宜しくお願いしますね♪

 そして、今日は吉祥寺在住の音楽雑文家・石浦昌之とラジオの収録(「何のラジオ?」って、4月15日のワンマンライブをお楽しみに!!(笑))。フォークを語り合える数少ない貴重な1979年生まれ。いつも話が止まらない。収録もまだまだ喋り足りない感もあって、一仕事を終えて虎胴へラーメンを食べに行く。お互いに住むべくして”吉祥寺”にいるから(笑)、こういう吉祥寺での一時は最高に楽しい。フォークの復権ですよ、石浦さん♪
2006年4月9日(日) 「リハーサル順調に進行中!」
 ポカポカと心地よい春の一日。散りかけの桜を眺めながら井の頭線に揺られて下北沢へ。4月のワンマンライブ(来週の土曜日)のサポートメンバーとリハーサル。3月のメンバーに加えベースの山さんが新たに加わって下さるという編成。やはりバンドというのは、一度ライブを経ることによって、目に見えない連帯感が生まれてくるものだ。当然音もガッチリしてくるし、信頼関係から新たなアイデアも浮かんでくる。6畳のスタジオに男5人、そんな汗臭さもまた”音楽”である(笑)。
 バンドのメンバーと演奏していると、”音楽”が本当に楽しく感じられる。それが”歌”に伝わり、表現できればよし!今月もよりよいステージ創りを目指します。新たなコーナーも2つほど用意してますので、お楽しみに♪
 サウンド的にもベースが入ることにより、より安定したような印象もあって、ライブが待ち遠しいです!頑張ります。

 そして、連続試合フルイニング出場世界記録を樹立した、我らが兄貴・金本選手、本当におめでとうございます!!!
2006年4月4日(火) 「春一番!!」
 先週末の『Jam』のレコードに触発されるように『春一番ライブ’75〜’76』を買ってきた。高田渡さんはじめ、僕の好きなフォークな歌うたいが沢山参加されている。”ライブ!”な感じがとってもいい。春にピッタリな音楽。「AERA」でもフォーク特集の臨時増刊号が出たし、なんだかフォークなこの春だ。
 中津川も凄まじかったのだと思うが、この『春一番』の楽しげな感じもまた素敵!みんなカッコいい。このアルバムで僕のお気に入りは朝野由彦さんの『旅の途中』と渡さんの『私の青空』。武蔵野タンポポ団から発展したジャグバンドな感じが凄く気持ちいい。
 「♪”弁当わすれても 傘わすれるな!”五月雨に降られたら 僕のアパートにお茶でも飲みに立ち寄って下さい 持て成しますよ!北陸金沢」(『旅の途中』)なんて歌詞を発見し、益々興奮してしまう(笑)。
 この春、ヘビーローテーションで聴きたいアルバムだ。
2006年4月2日(日) 「花見と虎パワー!!」
 昨日は絶好のお花見日和。とはいえ、さすがに井の頭公園の人出には参ってしまった。という僕は、吉祥寺を少し離れた所でお花見。1970年代の音楽集団"Jam"(中川五郎さんや、大津彰さん、吉田日出子さん、高田渡さん等など、蒼々たるメンバーが参加)のレコードを聴きながら、そのイベントのプロデューサーと守川妙子さんを目の前に、窓の外に桜、そして耳にはゴキゲンな音楽、リアルタイムな”あの時代”のお話、なんとも非常に贅沢な時間を過ごさせて頂いた。
 一夜明けて今日は、朝から神宮球場へ。開幕2連敗のタイガースの応援。今日も神宮レフトスタンドは熱かった。先発は僕と同じ世代・1980年生まれの江草。同年代というのは応援にも力が入る。8回まで0点に凌ぐナイスピッチング!(しかし、久保田・・・)攻撃陣も2者連続ホームランを2度も含むダイナミックな猛攻で圧勝!今季初勝利を目の当たりに出来た。ジェット風船が雨の神宮の空高く舞い、『六甲颪』を熱唱したのは言うまでもない。
 さて、虎に情熱をもらい、4月のライブに向かっていく。
 (更新時、先発投手江草を1979年生まれのタイガースピッチャー能見と誤って記載しておりました。お詫びして訂正させて頂きます。)
2006年3月31日(金) 「銭湯の歌が出来た!!」
 明日から4月。ということは、祝!禁煙まる一年♪やればできた!!
 トレーニング後、ジムの風呂に浸かりながら新曲の歌詞がパーッと浮かんできた。前から書きたい書きたいと思っていた銭湯をテーマにした歌。忘れないように部屋へと戻り、夜ご飯より先にギターを抱えた。さっき浮かんだ歌詞にピタッとコードがはまってくる。歌詞が次々に繋がってくる。久々の楽しい曲づくり。曲自体も楽しい唄になった。僕の”昭和”テーマの中の一曲に新たな展開で加わる予感・・・。
 僕の通った小学校の近くにあった「ひろみ湯」という銭湯の男風呂を舞台に展開する男の青春物語、のような歌。戦後最大の詩人・田村隆一氏曰く「銭湯すたれば人情もすたる」。
 4月15日をお楽しみに♪
2006年3月29日(水) 「興奮・圧巻・歌舞伎の世界!〜『コクーン歌舞伎』〜、そして映画『ククーシュカ』」
 神田川沿いの桜を車窓から眺めながら、井の頭線に揺られて渋谷へと足を運んだ。
 コクーン歌舞伎『東海道四谷怪談〜南番〜』。
 串田和美さん演出、勘三郎さんがお岩さんを演じる。ニューヨークでの平成中村座の映像をテレビで見て、「これは凄い!」と思っていたのだが、その面々による舞台が目の前にある。会場に入ると共に僕らを”コクーン歌舞伎”の世界へと誘う舞台美術。やがて、三味の音が聴こえ、”歌舞伎”の舞台へと入っていく。3階席で聴く三味の音と長唄がたまらなく魂に触れる。日本人であることを密かに実感する。ロシア人がアコーディオンで踊りだすように、我々日本人は三味の音に胸躍るDNAを持ち合わせているのかもしれない。
 「中村屋!」、「成駒屋!」、「大和屋!」の掛け声に鳥肌が立つ。役者と観客との間合いまでもが、舞台を創る。こんな文化を持った日本を誇らしく思う。いや、カッコいい!!
 勘三郎さんの演技は素晴らしい。(実は今回生涯2度目の歌舞伎体験なのだが、一度目は当時勘九郎さん演じる『義経千本桜』だった。)やはり”華”があり、繊細さもある。
 そして何より、客席までも舞台にしてしまうその演出に、心躍った。怪談なのだが、心躍ったのだ。エキサイティングだ!!歌舞伎は日本の最高のエンターテイメントであり、日本文化の総合芸術であり、芸能であるのではないかと思う。”歌舞伎=伝統芸能”というだけではない、歌舞伎は最先端の和風エンターテイメントでもある。
 客席との一体感、そのなんとも言われぬ連帯感は、エンターテイメントにおける最も大切な要素のひとつだと、まざまざと魅せつけられた。今日の舞台は客席との一体感、これに何より感動した。役者さんの演技、舞台美術、それに加えてのこの”一体感”が、これまで観た他の舞台との決定的な違いのような気がする。
 感動というより、心が満足する感覚、これは非常に気持ちよかった。



 興奮冷めやらぬまま、しかし贅沢にも(シアターコクーンのすぐ向かいの映画館だったのだが、さすがに数時間、余韻に浸るべくインターバルをおいた。)折角渋谷に来たのだからと『ククーシュカ』というロシア映画も観に行ってしまった。(水曜日は¥1,000-で観られるという経済的理由が何より(苦笑)。)
 これもまた、ハマッタ!!ロシア映画ならではなんだけれども、とても力強い普遍性を持っている。この不条理性はロシア人にしか描けないだろうというストーリーなのだが、普段のロシア映画は「え?」っと突き放された終わり方をすることもよくあるのだが、この作品はやわらかな心を残してくれる。お薦め!
 昔『女の子』という歌を書いたのだが、やはり平和は女性が創るのだなぁと。言葉が通じなくとも恋は出来る。恋が愛になれば国境も越えるのですね。

 しかし、今日は最高に心がエンターテイメントした一日だった。
2006年3月27日(月) 「海を飛ぶ夢」
 レンタルビデオの半額クーポンに釣られて、今日は『海を飛ぶ夢』という作品を借りてきた。人間の尊厳死をテーマに”生”と”死”に迫った、アカデミー外国語映画賞受賞のスペイン映画だ。重たいテーマながら、一方で誰もが平等に与えられている”死”について、真正面から描いた作品に胸を熱くした。
 心を自由にして生きるとは?
 究極の愛の物語だったかもしれない。
2006年3月26日(日) 「我が家の桜満開!そして『パッチギ!』」
↑桜、満開!!
 我が家の桜の盆栽が満開になった!何かに急き立てられるように一気に花開いたという感じだ。
 この週末辺りから、吉祥寺の街も春めいてきた。井の頭公園の桜の開花はもちろんだが、時にちょっと苛立つほど、春の酔っ払いも夜の街に溢れ始めた。とはいえ、それが”春”を迎えたことの喜びの表れであれば、季節が感じられて悪くはない。しかし、井の頭公園のドンチャン騒ぎには少々疲れるようになってきた(笑)。今年は三鷹駅から玉川上水沿いの桜並木を静かに愛でようかなぁ。

 半分怖いもの見たさで桜の開花後初めての週末を迎えた井の頭公園を散策し、今更ながら『パッチギ!』のDVDを借りて帰ってきた。観たい観たいと思いながら、今日に至ってしまった次第で、しかしまぁ、とても充実感のある映画だった。60年代後半の京都というだけで、フォークな匂いである。映画の中で重要な位置を占めている『イムジン川』を歌ったザ・フォーク・クルセダーズも実際京都からスタートしたし、あの高田渡さんもしばらく京都にいた。数年前、京都のライブハウスに歌いにいった時、京都の音楽性の高さに感動した。もしかしたらそういった京都のフォークの歴史が今も息づいているのかもしれない。ともかく、あの時代の”京都”が舞台の映画、もっと早く観ておくべきだった。
 『イムジン川』は、やはり何度聴いても名曲。映画に使われるフォークルの歌も胸に染みる。そして、何より沢尻エリカ演じる在日のキョンジャと松山との純真なる恋、いい!!
 いい映画を観た。うん、いい映画を観た。
2006年3月20日(月) 「天文館」
 吉祥寺の鹿児島ラーメン屋・天文館が、今月中で閉店するとの情報を得た。最近良く行く吉祥寺のラーメン屋は3軒、虎胴、ぶぶか、そしてこの天文館。昔はハモニカ横丁(現在の虎胴の場所)にあったのだが、今は旧近鉄の裏(現三越裏)。
 塩豚骨の天文館ラーメンとギョーザがお気に入りだ。22時近い時間だったので、他にお客さんは一人だけ。いつものようにマスターが「お待ちどう様」とラーメンを出してくれる。店に”閉店”の案内も特になく、「今月で閉店なんですって?」って声を掛けようかどうしようか、店を出るまで迷ったのだが、いつものようにラーメンを味わうことにした。
 やはり、もう食べることが出来なくなるこの味、と考えると非常に淋しい想いも込み上げてくる。いつものようにスープを飲み干し、お勘定を払って店を出た。変わりゆく吉祥寺、変わって欲しくない吉祥寺、色んな想いが交錯した一杯のラーメンだった。
2006年3月19日(日) 「桜、咲いた!」
↑桜、花開く!
 遂に今朝、我が家の盆栽・桜の花が咲いた!今4つの花をつけている。その他のつぼみも今にも咲きそうな勢い。いや、感動的!!やはり早咲きの旭山という品種だからか、室内で育てているからか、ともかくつぼみから開花まではあっという間。あと5日程早ければ、ワンマンライブで一足早い桜を披露できたのに・・・(笑)。
 今週は我が家に一足早い桜の季節が訪れます。
 そして午後はWBC。これまで悔しい場面が多かったが、今日は見事な勝利。普段は天敵チームのピッチャーでも、今日ばかりは応援してました。しかし、イチローの熱い情熱、好きです。松井は今回株下げちゃったかなぁ。日本代表の4番松井はやはり見たかったのです。残念なのは、我らが藤川球児がこれまで打たれていること。そして、タイガースの選手が選ばれていないこと。今岡、赤星の代表姿も見てみたかったなぁ。
 ともあれ、あさっては桜咲く我が家で、決勝戦、しっかり応援しよう。(と言いつつ、心はタイガースの開幕戦に向いていたりもする(笑)。)
2006年3月17日(金) 「革命都市・金沢」
↑つぼみ赤らむ。
 部屋の桜の盆栽のつぼみが随分赤らんできた。週明けには花開きそうだ。一足早い、桜の開花。独り暮らしの部屋に華やぎがもたらされる。
 さて、今日は五木寛之さんの『信仰の共和国・金沢』(講談社こころの新書)を読んだ。同じく五木寛之さんの『新金沢小景』(2005年11月5日分日記に掲載)でも五木さんが注目されていた、加賀百万石以前の「百姓ノ持タル国」(加賀の一向一揆)について詳しく書かれている。加賀に一向一揆があり、金沢城の前身は一向一揆の拠点・金沢御坊であった、ということは知っていても、やはりその後の加賀百万石の歴史にどこかしら消されつつあるのが、加賀の一向一揆に対する金沢生まれの僕らの正直な想いかもしれない。
 ただし、一向一揆の信仰の国であったことの名残は今尚、金沢に根強く残っている。右を向いても左を向いても浄土真宗(ほとんどが”お東”と呼ばれる大谷派)であり、ほとんどの家に美川仏壇、金沢仏壇といった豪華絢爛な仏壇が安置されている。ホンコサン(親鸞忌)も生活の中に根付いている感があり、蓮如は”蓮如さん”と親しみを込めて呼ばれる。お葬式に行けば、”ごぼさん”(お坊さん)に合わせて多くの人が『正信偈(しょうしんげ)』を合唱する。そんな金沢の一面が今尚残っている。
 戦国乱世の世に、百年近くも続いた”民衆の”自治共和国・「百姓ノ持タル国」があったこと、その勇気や信仰に対する情熱を再評価すべきと五木さんは主張する。この本が描いた一向一揆、自分の生まれた土地に、そのような民衆のとてつもない情熱の血潮が渦巻いていたのだと感じた瞬間、武者震いがした。
 「金沢は、ある意味ではとても権威主義的な町でもある。・・・<中略>・・・ただし、そういうオーソドックスなものと同時に、金沢の人、あるいは北陸全体の人びとのこころのなかには、いまも生きつづける反骨というものがある。」さらに、「権威に屈せず、反骨精神を持ち、自分たちの生活を自分たちで守り、最後のところでいうべきことはきちんと主張する、という人たちが金沢にはいた。そして、自分たちは皆仲間であり同朋であるという意識や感覚が、いまもなお金沢には生きつづけている。金沢とはそういう町だ。」と続く・・・。
 久々に本を読んで、胸が熱くなった。燃え滾るような情熱を感じた。
2006年3月11日(土) 「上野で観る前田隣師匠ライブ」
 どこまでも心地の良い晴天の3月の週末、1月のロケット団さんの単独ライブでご一緒させて頂いた前田隣師匠のライブを観る為に上野に足を運ぶ。折角上野に来たのだからと天神下のお気に入りのラーメン屋・大喜へ。しかしまぁ、よく並んでいる。確かに魚系出汁の美味いスープは並ぶ価値ありなのだが、今日はちょっぴり麺が柔らかくてちょびっとガッカリ。末広亭=航海屋、上野広小路亭=大喜、う〜んお笑いにはラーメンが似合うのか?(笑)。
 上野という街は『上野』という唄を書いた位に好きな街なので、上野公園などをしばし散策。上野駅に出来た"Hard Rock Cafe"では、ブルース・スプリングスティーンのチャリティーTシャツを偶然発見、即購入。偶然だから仕方ないのだが、2日連続服を買ってしまった・・・。
 そして、隣師匠のライブ。上野広小路亭には初めて足を踏み入れた。脱いだ靴はどこに入れるの?とか、初めての場所なりのちょっとした戸惑いもあったのだが、無事に着席。前座の落語は立川フラ談次さん、そして前田隣師匠も着物姿で登場。漫談から落語への流れが目茶苦茶面白かった。さらにロケット団さんのライブでも何度か拝見した宮田陽・昇さん、隣師匠が奥様のピアノで昭和の名曲を歌うコーナー、ラストは真木淳さんと隣師匠とのコント。笑った、笑った。やはり前田隣師匠は名「コメディアン」。そしてまた、”コメディアン”という言葉が、やはりとてつもなくカッコよかった。
2006年3月10日(金) 「ライブ準備と春物衣装」
↑左が芸者、右が弁財天。
 今月もワンマンライブが近づき、ライブの構想もほぼ固まってきた。モノを創る瞬間というのは何度やっても一種独特の興奮を覚える。
 暖かかったり雨が降って寒かったりの季節の変わり目、とはいえ我が家の桜の盆栽のつぼみは、ゆっくりと緑色に色づいてきた。ゆっくりと着実に春へと向かっているのだ。
 さて、今日はお気に入りの代官山のへ。インターネット(とりわけmixi)の情報網は凄まじく、春物の新作が店頭に並んだとの情報を得て、早速足を運ぶ。先月から歌い始めた『廓唄』の為にあるような芸者のプリント(一部刺繍)長袖シャツ。さらに音楽の神様・弁財天をあしらった長袖シャツ。う〜ん、素晴らしい!こういうことをされちゃうとますますこのブランドのファンになってしまうのだ(笑)。
 という訳で、今月のワンマンライブの衣装決定!
 あとはいいステージを創り、一人でも多くの方に足をお運び頂けるように頑張ります!
2006年3月8日(水) 「しばしの金沢」
↑三味線に挑戦! ↑ひがしの廓にて。
 週末からしばしの金沢。折角帰ったのだからと、『廓唄』に描いたひがしや主計(かぞえ)の茶屋街を歩いた。以前から行きたいと思っていたひがしにある福嶋三味線店へ。300円でお抹茶がついて、三味線を弾かせてくれる。「さくらさくら」を教えてもらって、しばらく練習させてもらう。三味の音がなんともいい。お茶屋のメインストリートから一本入ったところにこのお店はあるのだが、付近の情緒ある街の空気になんとも合う音色なのだ。本格的に三味線を練習してみたいとも思った。日本の弾き語りといえばまず三味線だろう。
 そして、僕の実家と同じマンションに住む元芸者さんともお会いした。80歳を迎えるお歳なのだが、ちょっとした所作が素敵なのだ。色っぽいともカッコいいともいえる。短い時間だったのだが、色々なお話を聴かせて頂くことが出来た。「芸振り(げぶり)」という言葉を教えてもらった。お客さんの前での芸の所作は、襖が開いた瞬間から全て「芸振り」として注意を払う。舞台に立つものとして、芸に生きる大先輩からのお話はとても勉強になる。
 さて、今月は『廓唄』もサポートメンバーと演奏する。今日は西村健とのリハーサルをしてきた。いい”芸”を目指して生きたい。
2006年3月1日(水) 「3月を迎えて」
 2月は短いだけあって、あっという間の3月だ。先日買った桜の盆栽のつぼみが、徐々に大きくなっていく。春はゆっくりと、そして確実にやってくる。
 そんな3月最初の一日。新しい歌がほぼ完成した。今度は東京の雪を歌った。タイトルはまだ決まっていない。同じ雪でも、金沢で見る雪と東京で見る雪とでは、確実に異なる。その対象性が歌でも表現できたら嬉しい。今回の歌は、”春待つ人”への応援歌という風にも捉えられるかもしれない。3月のライブで演奏するかどうかは、今後のステージ構成次第なのだが、出来ればちゃんとした形でお届けしたい。
 ひとつひとつ、季節を噛み締めながら生きていける、それはとてもありがたいことだ。
2006年2月25日(土) 「コーラス」
 「コーラス」というフランス映画をレンタルしてきた。中学生の頃感動を覚えた名作「今を生きる」を髣髴とさせる素晴らしい映画だった。ストーリーももちろん良かったのだが、何よりボーイソプラノのソロ、ウィーン少年合唱団を思い出させる少年たちのコーラスに目頭が熱くなる。僕も小学校の頃から金沢少年合唱団に入っており(これでも昔はボーイソプラノだった。)、天使の歌声と喩えられる少年たちの歌声に、とても深い想いが甦る。声変わりをする前の束の間の美声だからこそ、純真無垢でどこまでも深い儚さを秘めた魅力がある。
 歌を通して、少年たちの心を豊かにし、優しさを教え、コーラスというハーモニーで生まれる連帯感。音楽って素敵だなぁというあたりまえのことも思い出させてくれる、そんな映画だ。
 この映画といい、荒川静香がトリノに舞った「トゥーランドット」といい、自分の中でちょっとクラッシックが熱い、今日この頃である。
2006年2月24日(金) 「ロケット団定例集会と航海屋」
 先週笑点にも出演した漫才コンビ・ロケット団さんの定例集会を楽しむために、深夜の新宿末廣亭へ。末廣亭の近く、新宿3丁目界隈にはなかなか美味しいお店も多い。以前ビーポイントの社長に連れて行っていただいた航海屋というラーメン屋の味に結構ハマっている。僕の中では、末廣亭=航海屋という連想ゲームが確立、今夜も開演(21:30)前にラーメンとチャーシューおこわを掻きこむ。
 さて、雨の末廣亭前に並んでいると「松田亜世さんですよね?」という声が、先月の吉祥寺ロケット団単独ライブのゲスト出演のことを覚えてて下さった方がいらっしゃって、声を掛けて下さったのだ。こういった繋がりは実に嬉しい。
 今日も笑わせてもらった。前回観た年末の定例集会のパンチのあるイメージが強烈に残っていただけに、途中少しだけ切れ味が悪かったようにも感じたけれど、最後のネタは目茶苦茶ウケた!今回のゲストは、和妻(日本の伝統的奇術)のケン正木師匠。いきなり番傘がいくつもいくつも飛び出したり、燃えた1万円札が元に戻ったり・・・、一体どこがどうなっているのか?全くわからない(笑)。マジシャンというのは見せ方のプロである。
 金曜の夜、21時半から23時という時間帯に開催されるというのもまたなかなかいい。
 最近、ロケット団のお二人とは色んな場所でお会いするのだけれど、もの凄いパワーを感じる。揺るぎないものは強いなぁと改めて感じる。寄席にこだわって生きてきた芸人としての心意気。人間は時に、自分の信念で動いているようで実は誰かに振り回されてるだけだったり、それに気付いてうろたえる事もある。しかし、自らの信念と、お客さんの期待と、スタッフの方向性が一致した時の強さというのは凄まじい、そんな気がする。
 航海屋のラーメンとロケット団、また笑いに来よう。
2006年2月22日(水) 「桜の盆栽」
↑桜・旭山の盆栽。
右下に見えるのが小さいジョーロ。
 井の頭公園近くの和風雑貨屋さん。昨年の春に桜の盆栽が沢山並んでいて、「買おうか?買うまいか?」かなり悩んだ覚えがある。今年も梅がそろそろ咲きはじめ、桜のつぼみも薄っすらと膨らみ始めた今日この頃、同じお店に再び桜の盆栽が並び始めた。
 花を育て、花を愛でる、なんというかもっと優しい気持ちになりたかったし、四季の移ろいをせせっこましい我がオンボロアパートでも味わいたいと思って、今年は思いきって買ってきた。八重咲きの旭山という品種。3月下旬に花を咲かせるという。そして葉桜、紅葉、落葉と季節を巡る訳である。開花まで1ヶ月、なかなか楽しみな毎日になりそうだ。
 土が乾いたら当然水をやる訳で、吉祥寺のお洒落な100円ショップで、ミニチュアジョーロも買って準備万端!
 季節を感じる、なんとも日本人らしい、いや、ある意味松田亜世のジジ臭さが更に進行しているのやもしれないが・・・(笑)。桜を見つめながら(外の桜はやはり眺めるという行為になる。我が家にあってこそ、桜との無言の会話も成立する訳である。)、新たな歌でも浮かべば嬉しい。
 我が家の花暦、この日記でもまたご報告したい。
2006年2月16日(木) 「『夜会』の歌姫」
 今月もお陰さまで無事に吉祥寺ワンマンライブを終えた、その翌日。
 青山劇場へ、中島みゆきの『夜会』を観に行ってきた。大学で上京後、チケットが取れなかった前回公演を除き、4度目の『夜会』。『夜会』ってどんな感じですか?とよく聞かれるが、普通のコンサートではなく演劇でもなく、ミュージカルに近いがミュージカルとは違う。新たなコンサートの”カタチ”といったところか。みゆきさん曰く「言葉の実験場」。
 いつもみゆきさんの歌には心震わされるが、ストーリーの中にはまり込んで聴く歌に、普段のコンサート以上のモノを感じる。だからこそ、みゆきさんは『夜会』を大切にするのだろう。今回の『夜会』でいえば、『命のバトン』は圧巻。
 ともかく、歌に秘められたとてつもない可能性を感じ、吉祥寺行きの井の頭線に揺られて帰ってきた。
2006年2月13日(月) 「悔しさの季節」
 4年に一度の刹那の季節、オリンピックに出場するアスリートのプレッシャーは想像できない程のものだろう。トリノオリンピック前半戦、日本選手の苦戦が伝えられる。もらい泣きをしてしまった悔し涙。辛いなんて言葉じゃ済まない程の悔しさがあるだろう。
 表彰台の笑顔をもちろん見たい。しかし、負けた背中に心打たれる。頑張れ!頑張れ!そして次の笑顔に涙しよう。
 勝負の前の最後の深呼吸・・・。
 頑張れ!頑張れ!!
2006年2月11日(土) 「オノ・ヨーコ」
 いつの間にやらトリノオリンピックが開幕していた。なんだか慌しい毎日で、いつの間にやら眠りについてしまい、気付いたら開会式は終わっていた。冬季オリンピックといえば、長野オリンピック開幕中にじいちゃんが亡くなったので、毎回4年の区切りを感じる。今年で8年・・・。
 やはり開会式の模様は気になったので、今夜の再放送をテレビで観ていた。いきなりのオノ・ヨーコ登場に思わずテレビに食いついてしまった。スポーツと平和の祭典・オリンピック。もちろん、『イマジン』のスピーチをしている。華やかな式典の中、祈りに包まれる瞬間。そしてピーター・ガブリエルの『イマジン』がスタジアムに響く。素敵な演出だったと思う。
 そして、オリンピックが始まる。
 入場行進する様々な国を見ていると、世界は広いなぁと思うと同時に、全ての選手の笑顔に、世界はひとつだなぁと実感する。もっともっと笑顔に溢れ、愛に溢れた世界を想像しよう。
2006年2月4日(土) 「『浅草キッド』に誘われて・・・。」
 東京の冬、空っ風が頬に痛い。しかし晴天の土曜の午後。なんだか慌しい先月末から昨日までだったので、青空につられて吉祥寺を出てみようと思った。思いついたのが”浅草”!ちょうど今朝、ロケット団のお二人が昨日鯨屋に行って来たというメールが届いていて、そのメールにつられるがままに中央線に飛び乗った。
 今年に入ってから『浅草キッド』をカヴァーさせて頂く機会も多かったのだが、その歌を歌うようになってからは、まだ恥ずかしながら浅草をゆっくり歩いていなかった。まずは浅草寺に手を合わせ、伝法院通りを六区に向かう。途中、『浅草キッド』にも出てくる鯨屋(捕鯨船)という店が右手に見える。その通りは、浅草ゆかりの芸人さんの看板が連なるのだが、鯨屋の前のそれには”予約済”との文字が。それはビートたけしさんの為にとってあるのだと、年末のテレビで知った。生憎店は閉まっていたので、遅めのお昼をどこにしようかとウロウロ。浅草といえば、蕎麦か天ぷらか?との勝手なイメージ。大黒家(別館)という天ぷら屋の行列につられて天丼を食べた。天丼で¥1400は高いなぁと思いながらも(そこはやはり吉祥寺のフォークシンガーの僕である(笑))、折角なので真っ黒の江戸前天丼を頂く。そういえば、昨年の春に浅草在住の着物仕立て職人さんに案内してもらった浅草も楽しかった。その時食べた、確か田原町駅近く(寿町)の蕎麦屋も美味かった。
 そして、浅草演芸場界隈を歩く。寄席にロケット団さん、前田隣師匠のお名前があれば、フラっと寄ってみようと思っていたのだが、帰ってネットでスケジュールを確認すると、お二組とも上野に出られてたようだ。残念!今日は電車代をケチって、浅草の帰りに上野まで歩いていただけに、なお更残念!!いや、それでも”浅草”での舞台を拝見したかったという想いもある・・・。それはまたの機会に。
 花やしき界隈の小さな飲み屋街も面白かった。見知らぬ酔っ払いのおっさんに「今日は、寒いねぇ。寒い!」と声を掛けられるのもまた浅草らしさなのだろう。
 浅草公会堂の前の数々の芸能人の方の手形も改めて見ると面白かった。さだまさしさんのもあって、これには喜んで自分の左手を重ねてみた(笑)。親指と小指が僕の方が少し大きく、他はほぼ同じ。今日の寒さに手形は冷え切っていたけれど、不思議と握手したような感覚になってしまう。たけしさんの手形にも重ねてきた。何かが通じるといいなぁ。
 浅草には芸人の不思議な魂が宿っているような気がする、そんな歴史がある。それが、時に亡霊のように垂れ込めている瞬間もあるのだろう、そんな深みのある街には違いない。畑は違っても、芸は芸。唄うたう僕らだって、浅草から学ぶことが沢山あるような気がした。久々に有意義な休日を過ごせた。
2006年2月3日(金) 「ラーメン 虎胴」
 寒い!寒波が来ているというが、痛い!寒い!!
 無性にラーメンが食べたくなって、最近お気に入りの吉祥寺ハモニカ横丁のラーメン虎胴(こどう)へ。ラーメンに730円は高いなぁと思いながらも、癖になって通い詰めている(苦笑)。豚骨でもなく、家系でもなく、いわゆる東京ラーメンでもなく、ここにしかない虎胴の味で美味い!!麺の太麺具合も僕の好みで、スープを全部飲んでも豚骨のスープ程、のどの渇きに喘ぐこともない。ここのラーメン、好きだ。
 ラーメンを食べた後は、ジムへ風呂に入りに行った。こんな寒い夜は、ジムの準天然温泉のお風呂が温まる。ジムから家までは徒歩10分強かかるのだが、部屋へ着いて尚、身体がポカポカとしていい感じなのだ。風呂上りのアイスクリームだって食べられちゃう(笑)。
 あ〜、ラーメン美味かったぁ。
2006年2月2日(木) 「渡さん特集」
 『ACOUSTIC GUITAR MAGAZINE』という季刊の専門誌がある。ギター小僧の為の雑誌といったところか。今月発売の号で「高田渡が残したもの・・・」という追悼特集が組まれていた。シバ、中川イサト、中川五郎の吉祥寺のライブハウス・”のろ”での対談は良かった。伝説のバンド・武蔵野タンポポ団の話など等。その当時、関西で歌ってた関西フォークの人たちも次々と吉祥寺へ引っ越してきたという。そして武蔵野フォークというひとつの空間が形成されていく。正直な理由はまだ良くわからないが、ともかく今に続く吉祥寺の不思議な空気はこの頃から始まったのだろうか。東京であり、東京ではなく、下町ではないのに下町っぽく、関西ではないのにどこか関西っぽい、そんな空間がやはり僕には心地よい。
 渡さんが通っていた、焼き鳥屋・いせや本店が今年ビルに建て替わってしまうという。去年の今頃は、渡さんをよく見かけたものだ。そんなことを考えると、少し淋しい冬の一日・・・。
 それでもやっぱり僕は、この街が好きだ。
2006年1月26日(木) 「廓唄」
↑雪の主計町。
 昨日の夜から新曲を書いている。金沢の”ひがし”、”主計(かぞえ)”の花街を舞台にした『廓唄(くるわうた)』という歌だ。映画『SAYURI』をみて、どうにも自分の手で花街を描いてみたくなった。金沢の作家・井上雪さんの『廓のおんな』からインスピレーションを得て書いた。
 日本の奥深い文化は、もう一度日本人自らの手で描いていかなければいけないのではないかと思う。まだまだ未熟な僕ではあるけれど、”金沢”という特異な世界に生まれたものとして、歌って生きたいことが沢山ある。
 しかしまぁ、雪の花街というのは何とも風情がある。臙脂(えんじ)の格子に白い雪、それだけでも歌の背景になりえるから不思議。
 2月のワンマンでこの歌を歌うのが楽しみである。

 さて、明後日は吉祥寺での『Acoustic Night』がある。このライブでも、しっかりと僕の世界を描いてみたい。
2006年1月24日(火) 「ロケット団単独ライブゲスト出演!そして浅草、前田隣師匠。」
↑元ナンセンストリオ・前田隣師匠と。
 今日は寄席で大活躍、そして吉祥寺ビーポイントを同じくホームグラウンドに据えて、お笑い単独ライブを重ねる漫才コンビ・ロケット団のお二人の『ロケット団単独ライヴ15』にゲストで寄せて頂いた。
 リハーサルからお二人の漫才に大笑い。ライブハウスのスタッフと、僕とギターの西村健でその笑いを独占できるのだから、なんとも贅沢な空間(笑)。

 さて、「目指せ!平成の浅草芸人!!」というコンセプトの元、オープニングとエンディングでビートたけしさんの名曲『浅草キッド』を歌うという大役を仰せつかったのです。おまけに、中盤でミニライブ(『雪国の少女』、『アメ玉』の2曲。共にサポートギター:西村健)までやらせていただき、とっても充実した形でのライヴへの参加でした。
 立見も出る大勢の”お笑いを楽しみに来た”お客さんの前で、「果たして僕らの歌はどう受け入れてもらえるのか?」、「やっぱり笑いをとらなければならないのか?」等など、久々に味わうアウェイ的緊張感が走ったのですが、開けてビックリ、温かく、本当に温かく迎えて頂いた事が非常に嬉しかったです。『アメ玉』では、とっても大きな手拍子も頂いたのでした。

 さらに、「♪親亀の背中に小亀を乗せて〜♪」や、「赤上げて!白上げて!」でお馴染み元ナンセンストリオの前田隣師匠もスペシャルゲストでいらっしゃっていて、とっても楽しいライヴでした。
 会場入りする師匠は背も高く、”ダンディー”という言葉が非常に良く似合うのです。そして楽屋での一時、初対面の僕にも浅草の全盛期のお話(浅草演芸場、ストリップ劇場、東八郎さん、ビートたけしさん、欽ちゃんなどなど)やら、キャバレー、ナイトクラブ巡りとテレビの掛け持ちの話など等、待ち時間中ず〜っとお話して頂いたのが目茶苦茶嬉しかったのです。翌日「何時も思うのですが…音楽家とは気が合うんですよ〜、何でか? まぁ、コレから長い付き合いいたしましょう」とのメールを頂戴して、大感激なのです!!
 師匠が自らを「コメディアン」と称される時、その「コメディアン」という言葉の響きに深い愛情と、敬意と、自尊と、それを裏付ける時間の流れを感じ、何とも言われぬ深く、そして心地良い空気が流れ、じわりと鳥肌が立つのを感じた。

 「”芸能界”=テレビ」的な縮図があるが、当たり前のことだけれど、「”芸”=テレビ」では決してない。そんなことを改めて感じた。テレビ全盛のこの時代に、寄席の”色物(イロモノ)”として舞台を踏み続けるロケット団のお二人を、楽屋の師匠は盛んに褒めてらっしゃた。前田隣師匠とロケット団、世代を跨いだ二つの”芸”がそこには生きていた。

 「”芸”に生きる。」

 なんとも深い響きであろうか。
2006年1月21日(土) 「東京の雪とめんたんぴん」
 金沢の冬と見まがうばかりの雪が、今朝の東京を覆っていた。雪の朝は静かだ。土曜の東京の朝の静けさと相まって、不思議な時間が流れていた。井の頭公園の木々も雪に染まり、中央線から見える家々の屋根も白く彩られていた。東京で見る雪は、どこか不自然さを感じながらも、”雪=故郷”の感覚があるので、どこかしら望郷の念に駆られるのもまた事実。

 さて、そんな雪の朝、僕のiPodから流れていたのは、1970年代に一世を風靡した石川県小松市出身のライヴバンド・めんたんぴんの『MENTANPIN SECOND(夕焼けまつり)』(1976年作品)。「雪が降ったらおしまいで 8号線は通れない」(『今日も小松の街は』)という歌詞が、今日の雪とも重なって、何ともいえぬ味を醸し出していた。(8号線とは、僕ら北陸人の大動脈・国道8号線。僕らの慣れ親しんだラーメンは、その8号線にちなんで”8番ラーメン”というラーメン屋チェーン店の味(笑)。)
 素直にこのアルバムはカッコいい!日本語ロックの不自然さもなく、シンプルな言葉とサウンドがストレートに届いてくる。
 話によると、ライヴがともかく凄かったらしく、レコードではその魅力が十分に発揮されていなかったとも聞く。いやいや、このアルバムは名盤だと思う。だからなお更、その名声高きライヴを体験してみたかった。

 石川県の大先輩アーティスト・めんたんぴんを感じられたこと、これはとても嬉しい。
 雪の東京の夜、独り静かに聴くめんたんぴんは最高です!
2006年1月13日(金) 「下北沢、スタジオとミュージシャン」
 今日の夕方、ギターの西村健とのリハーサルの為、下北沢のスタジオへ行ってきた。東京ではじめてバイトをしたのが下北の焼肉屋。しかし最近、めっきり下北沢へ行く機会もなくなってしまったので、スタジオに入る時が貴重な下北沢散策のチャンスともなる。
 さて、リハーサル。15日、新たに合わせる歌、24日の漫才コンビ・ロケット団さんの単独ライブゲストで歌う歌、28日のイベントで歌う歌を一曲づつ確認していく。音楽を創っていくという作業は、いつもワクワクするものだ。
 練習の後は、ぶーふーうーという下北のミュージシャンの集まる喫茶店で夜飯。面白いくらいミュージシャンだらけ(笑)。しかし、ロック系のミュージシャンが多い下北沢、フォークな僕はちょっとソワソワもしてしまうのですが(笑)。
 もうすぐ、2006年の活動もスタートする。15日のワンマンライブは日曜日開催。ぜひお待ちしております!
2006年1月12日(木) 「さだまさしとハモニカ横丁」
 僕の今年最初のコンサートはNHKホールのさだまさしさん。昨年春、前回のツアーで初めてまっさんのコンサートを体験し、またあの絶妙なトークと歌の流れを楽しみたくて足を運んだ。しかし、前回行った時よりも年齢層が高かったような気も・・・。多分恐らく、あの広いNHKホールの中、20代は僕を含めて十人もいなかったかもしれない(笑)。
 中学時代の恩師のことを話した後の『木根川橋』、『案山子』の2曲はかなり涙腺が緩んだ。僕がさだまさしの歌を聴き始めたのはほんのここ1年半くらいのもの。やっとその詩の世界が感じられるようになったのかもしれない。年末年始の帰省を終えての『案山子』は特に胸に迫ってきた。

 18時開演のコンサートが終わったのは21時過ぎ。3時間、みっちり歌を聴けた。そうしてNHKホールを出るとタイミングよく電話が鳴り、お誘いいただいてハモニカ横丁の笹の葉へ。ハモニカで飲むのは、実は2年ぶりくらい。笹の葉というお店は、以前から知ってはいたのだが入るのははじめて。ハモニカの雰囲気は大好きなんだけど、特に飲み屋さんにはなかなか常連さんと一緒じゃないと入り辛いのが現実・・・。だから「ハモニカで飲んでる」と聞いて、喜んで井の頭線に飛び乗って吉祥寺に戻った。カンパチのカマ焼きが何とも美味しい!そして、レバーのレアー串焼きにシロ。レバーは口にトロっと甘い味わいで、旨かった!!
 高田渡さんもいせやで飲んだ帰りによく寝ていた(笑)お店らしく、その話も聞かせてもらった。いやぁ、今も吉祥寺のあちらこちらで渡さんが生きているんだなぁと実感。

 まっさんのコンサート、そしてハモニカ。なんだか曲のアイデアがいくつか頭に浮かんできた。まずは15日のワンマンがあるので、その後ゆっくりと曲づくりもしたい。
2006年1月10日(火) 「ジム初め」
 おおよそ2週間ぶりのジムに行ってきた。2006年ジム初めといったところか。扁桃腺やら風邪も完全に回復して、正月態勢の身体からライブへの臨戦態勢の身体へと切り替えをしようということで、今日は程よく筋トレをしてきた。やはり、身体を動かすのは気持ちがいい。そしてジムから帰った後のご飯が美味しいのなんの!ただ、ジムから帰ってからの食事は23時過ぎになるので、多少不健全なのですが(苦笑)。
 今年もいつでもステージが出来る身体を持続すべく、トレーニングは積んでいきたいと思う。
2006年1月8日(日) 「2006年初日記」
 新年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
↑灰色の空と雪の犀川。 ↑左から氷見の鰤、鱈の子漬け、コウバコ蟹


 大雪の金沢から5日夜、やっと「東京」へ戻って来ました。(小松空港滑走路の除雪、吹雪による視界不良、欠航も匂わすアナウンスもありながら、遅れに遅れて羽田に着いたのが23時前。)
 しかしまぁ、今年の雪はやはり凄まじいものがありました。実家の前の河川敷が雪捨て場に指定されているのですが、そこに捨てられている雪の量が尋常ではありませんでした。何メートルもの雪の山がどっさりと出来ておりました。
 そんな中、僕は12月27日からの10日間、久々の大雪の金沢を満喫してきたのです。とはいえ、大晦日の金沢駅でのライブの寒さが響いたのか、風邪とも扁桃腺とも取れる8度4分の発熱で1月2日夜から4日夕方まで、寝込んでしまって、キャンセルしたスケジュールがかなり悔やまれましたが・・・。

 海の幸も天候不良で、地のモノがなかなか揚がらず、やっと帰京前日に念願のコウバコ(ズワイガニのメス)と、鰤と鱈の子漬けにありつけました。やはり美味い!雪の暮らしは辛くとも、あの灰色の空とこの何ともいえぬ美味さの冬の海の幸とのコントラストが、やはり「金沢最高!」と叫びたくなるひとつの要因なのです。
 今年も年明けスタートは金沢。故郷からの想いと夢を抱いて、今年も精一杯活動して生きたいと思います。

© 2006 Asei Matsuda

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